十八幕 鼠の生態模倣
「だから、それをなんとかするのがあんたの責任だろうが!」
「もちろんよ」
シャルロッテは打てば響くように頷いた。
「ジルフットの目的が私のロドニエ越境旅団を東部戦線から引き剥がす事だったのは分かってるわ。十傑議会に参加している私と懇意にしている商会の私兵も一時的に待機命令が出されて、他の傭兵団も身の振り方に迷って動きが鈍ってる頃ね。組合がラシンハ帝に合図を出せば、今日明日にも王朝三騎士団が国境に押し寄せても不思議じゃない」
「何か、策があるのか?」
腕を組んだリベルの問いに、シャルロッテは微笑んだ。
「この街に入った時点で、ラーズと話は付けておいたわ。しばらくはガルガンソ商会の私兵が出張って、東部戦線の維持する事になる。兵力を動かせないロドニエ商会が、物資と資金をガルガンソ商会に融通する代わりにね」
「殿下、ラーズ卿は信用できないよっ。だって街道に張ってた奴らが……!」
ミリーネが慌てて諫言すると、シャルロッテは彼女を冷たい目で一瞥した。
「私はあなた達に言った筈よ。『角を折るな』って」
「……っ、でも」
「街道が視界の利かないムートリクノ連峰やラクルー樹海の辺りで傭兵に封鎖されているのは私も確認したわ。ロドニエ商会の馬は逆茂木程度では止められないけどね」
殿下は執務机に腰を下ろして腕を組む。
「見た所メウセーズの傭兵じゃなかった。たぶん組合の工作員が南へ向かう途中で依頼を出した外部の人間ね。そいつらは自分達ないし他の雇われ者達を、ガルガンソ商会の依頼で動いてると説明されていたんでしょう。ラーズと私は公の場でも付き合いがあったし、ジルフットからすれば手を組まれると出し抜くのが難しくなると踏んで、ロドニエ商会とガルガンソ商会が互いに疑心暗鬼になるよう仕向けたんじゃないかしら」
おおよそ私と同じ推理に至ったシャルロッテが、言葉を失うミリーネを頭を小突いた。
「私の言いつけを破るから、まんまと踊らされる事になるのよ。反省なさい」
「ねぇ、殿下」
今度は私が口を挟む。
「なにかしら」
「レデニウスは結局、どっちだと思う?」
シャルロッテは間髪入れずに即答した。
「十中八九、ラシンハ帝が送った工作員でしょうね。それが分かってすぐ、私は彼を副官に任命した。目の届かないところで悪さを働かれるより、手元において王朝側の目的や情勢を探る糸口にしようと思って」
「なら、“ベルエストの証”が罠だと気付いていながら、私をこの街に送ったのはどうして?」
「あら、あなたは気付いたうえで協力してくれているものと思っていたけどね、フィオ?」
唇をにぃっと吊り上げる王女に、私は腰に片手を当てて首を振る。
「一応、そのつもりで動いたけど。……どこまでやる気?」
シャルロッテは執務机に両手を着き、やはり華やかなオーラを纏って言い放った。
「栄えあるエルベルン王権を復古させる為だもの。十傑であれジルフットであれ、邪魔者はこの街から退場して貰いましょう」
でっぷりと肥えた太鼓腹。
薄く頭頂部に残った金髪。
装飾過多な服には、趣味の悪い鍍金のチェーンをじゃらじゃらと提げている。
男は高級葉巻を吸い込んで煙たい息を吐き出すと、にやりと脂ぎった笑みを浮かべた。
「メウセーズ都内に於ける連続夜襲事件を首謀した疑いで、これより十傑議会最高顧問、並びにジルフット組合代表立ち会いの下、ロドニエ商会本店内の捜査を開始する」
人相のよろしくない傭兵達が閉ざされた門に大きな木槌を打ち付け始める。
その光景を窓から顔を少しだけ覗かせて私はボソッと呟いた。
「あれがジルフット……思ったより小物そう」
「あんなでも昔は傭兵だったらしいけどね。足を怪我して商売に手を出してから変わっていったらしいわね。っていうか見つかるわよ、早くこっち来なさい」
「うん」
地下への隠し階段を降りていくミリーネの後に続き、床石を嵌め直す。
棚に珍しい民芸品や高価な家具などが置かれ、倉庫のように偽装してあった。
突き当りの壁石を押すと、からくりが作動して壁が横にスライドする仕掛け扉になっている。
その向こうにある地下水路に入り、スカーフで口元を覆った。
先に進んでいたシャルロッテと六人の冒険者が、ミリーネと私を待たずにどんどん歩いていく。
「なぁ、このまま地下から街を出られるんじゃないか」
シーダが声を潜めて訊くと、先頭のシャルロッテが振り向かずに答えた。
「地下水路自体はメウセーズの西から外へ通じてるけど、脱獄犯の逃走防止で鋼鉄の柵が幾つも嵌っていて、人間は通れないわ。あなた達も私も面が割れてるから、ロドニエ越境旅団が帰参するまではガルガンソ商会に匿って貰う」
「なんだ、威勢の良い事を言っていた割にえらく他力本願じゃないか」
「メウセーズにいるロドニエ関係の商会は動かせないから、ラーズと取引するには私が直接ガルガンソ商会に行って、近隣の街にある支店へ文書を送るのが一番確実だからね」
シャルロッテは悪びれるでもなくそう言って、角を曲がって別の辻に入った。
間もなくさっきまで歩いていた路から、複数人が駆ける足音がが聴こえてくる。
キャサリンが落ち着かなそうに振り返った。
「……いつもこんなに騒々しいの?」
最後尾のミリーネが首を振る。
「そんな訳ないでしょ。あなた達の脱獄がバレて、組合が探し回ってるのよ」
ニコが息を呑んで震え出し、ユイカも不安そうに腕をさすった。
「見つかったらどうするの……?」
「殺すしかないわ」
「そんな、それじゃ本当に殺人鬼じゃないか!」
「シーダ」
あっさりと返したミリーネに思わず声を荒げた青年へ向け、私は口元に人差し指を立てる。
シーダが舌打ちして前に直ると、シャルロッテが横目で一行を見た。
「この街では法律なんてあってないようなものだし、一度でも疑いを掛けられたらどうあれ信用は望めない。今は目先の危険を排除しましょう。いざとなったら私が前に出るから、あなた達が手を汚す必要もない」
「殿下が真っ先に戦っちゃ駄目でしょ。私とフィオでやるわ」
「私も一応、冒険者なんだけど」
「今さらでしょ。……早速出番みたいね」
水路の突き当りからカンテラの灯りが近付いてくる。
脇道もなく、隠れてやり過ごす事はできそうにない。
私はミリーネと目配せし合い、すぐさま走り出した。
皆を追い抜いて丁字路の角を曲がると、四人の集団と出くわす。
全員帯剣していてガタイの良い傭兵だ。
「なっ!?」
先頭にいた男の胴を狙って剣を居合抜きに切り払う。
灰髪の男は咄嗟に自らの剣を縦に構えて受け止めた。
前に踏み込み、愛剣を手放して男の右腕に両脚を巻き付ける。
ぷらんと逆さに垂れ下がり、腰裏に差した予備の短剣で甲冑の隙間を狙い、腹部を貫いた。
口から血を吐いて崩れ落ちる灰髪の傭兵から短剣を抜き取り、落とした剣の柄を拾って構え直す間に、ゴロツキ然とした別の男が剣を突き出してくる。
「おい!こっちに──」
同時に後ろの二人のうち一人が応援を呼ぼうと反対方向へ走り出した。
短剣を投げ、仲間を呼ぼうとした黒髪の男の背中に刃が突き刺さる。
間近に迫った茶髪の荒くれ者が私のわき腹に剣先を押し出した。
斧槍がその剣身を弾き上げ、喉を一突きする。
最後のひとり、大柄な赤毛の男がミリーネに斬り掛かった。
──逆袈裟。
私が首を刎ね落とした傭兵の体は、床に赤い池を広げる。
ミリーネが角を曲がって、待機していた皆に手振りで合図を送った。
シャルロッテは思うところも無さそうに血溜まりを踏んでいくが、他の六人はそうもいかない。
立ち止まってしまったニコは、死体を見ないように真っ直ぐ前を向いたユイカが早足に引っ張っていく。
剣をしまう私の傍で、キャサリンが下唇を浅く噛み、拳を震わせていた。
メウセーズは南北、東西共に五キロ程の幅を持つ円形の大都市だ。
人口はおよそ三万人程で、そのうち傭兵は二千人強というところらしい。
グロッセルで越境旅団が拠点としていた“緑の館”で医官をしていたヴィオラから聞いた話だと、かつてここがムーゼン鎮台と呼ばれていた頃、王国の主戦力はギルドに加盟した冒険者だったという事だが、今揃っている戦力は頭数だけ言えば当時よりさらに多い。
だが以前のメウセーズには無かった問題も存在するだろう。
十傑議会やジルフット組合といった派閥が生まれ、傭兵団同士の関係も必ずしも良好ではない為、都内は治安が悪くしばしば無法行為もまかり通っているように感じる。
だから例えば、街全体を揺るがすような集団的な犯罪が発生した場合、鎮圧するまでに多大な時間を要してしまうのだ。
ラーズ卿の部下にシャルロッテが合言葉を口にし、地下水路からガルガンソ商会の所有倉庫の一つに上がると、中で働いていたであろう人工達がやけに慌ただしく動き回っていた。
罵声を上げる棟梁の指示で荷揚げ夫が門にバリケードを築き、ありったけの武器が掻き集められている。
「シャルロッテ卿、お待ちしておりました。ガルガンソ商会書記長のイハンです」
桃色の髪を撫で付けた細身の男が、柔和に微笑んで手を差し出した。
握手を交わしつつ、シャルロッテは左右を見回す。
「やけに騒がしいわね」
「ええ、まあ。来て頂いたばかりで恐縮ですが、少々不味い事になってまして」
怪訝そうにするシャルロッテに、イハンは重々しく告げた。
「奴隷達が一斉に武装蜂起しました。中心となっているのは東部戦線で捕虜となった王朝騎士団の兵士で、彼らが解放した犯罪奴隷も合流しているようです」
「……そう。思ったより早かったわね」
王女はしばし瞑目して間を取ると、平素と変わらぬ表情で瞼を上げた。
「彼らは一貫した軍事行動を取っているのかしら?」
「抱えの傭兵達を調査に向かわせていますが、正確なところはまだ……。ですが昨今、捕虜が増加している件は度々審議されていましたので、議会が管理する奴隷の数なら把握できています。およそ六百人程」
「分かったわ。私は混乱に紛れて十傑議会に向かい、指揮権をぶんどってくる。フィオとミリーネは付いて来なさい。そこの六人はここで待っていて」
「私も行く」
キャサリンが進み出るが、シャルロッテは見向きもしない。
「駄目よ。足手纏いを連れていける程、余裕のある状況じゃないのは見て分かるでしょう」
二階への階段を上がる殿下の後を追いながら、すれ違ったイハンのはっとした顔に違和感を覚える。