十七幕 牢中に於いては
アズライハは勝ち誇ったように言い募る。
「十傑議会顧問のひとり、シャルロッテ・ディーゼルベルン代表が運営するロドニエ商会が、私兵団を南へ大規模な遠征に向かわせていたのは周知の事実だ。それから三ヵ月後、ベルエストの証事件が起こり始め、調査をしてみれば、こうして街に紛れ込んだ南の冒険者が見つかった」
広場全体を見回した青年は、集まった民衆に向かって訴えかけた。
「皆もこの女の反応は見ただろう。この冒険者達はまず間違いなくベルエストの証事件の関係者だ。我々は、この冒険者達とロドニエ商会の間には何らかの繋がりがあると考えている。よってジルフット組合は十傑議会に対し、ロドニエ商会本店への立入捜査とシャルロッテ代表の決裁権凍結を要請する!」
大きな街の地下には大抵下水路が掘ってあり、地上の衛生を保っている。
代わりに地下は悪臭が漂い、長く居ると体を瘴毒に汚染されてしまう。
城塞都市メウセーズは東部戦線へ参戦する傭兵達の拠点であり、ラシンハ帝従騎士団の捕虜や問題を起こした傭兵を収監する場所が必要である為、地下水路がそのまま牢獄として併用されていた。
両手を背後ろで縛られたまま地下道を歩かされる私達は、格子の向こうで項垂れる騎士や高鼾を掻く傭兵達を横目にしつつ、男女に分けられ向かい合わせの牢に入れられた。
縄を切られて共房に蹴り入れられたシーダが、すぐさま閉められた格子扉に掴み掛かる。
「このクソ野郎!僕達に何の恨みがあってこんな真似をする!?」
橙髪を尖らせた傭兵が肩を竦め、紫色の髪を伸ばした痩せぎすの副官が目を泳がせながら言った。
「俺達は組合から依頼されただけだ。殺人犯を捕らえるから協力しろって」
「僕達は人殺しなんてしてない!」
副官は叫ぶシーダの目をちらと見て、また逸らす。
「……だろうな。アズライハの演説を聞いて、俺も正直きな臭いとは思ったよ。でも、俺達は東部戦線でヘマやらかして、議会から除名された鼻つまみ者だ。仕事を選んでる余裕なんてないし、組合の依頼を断りでもしたら、今度は俺達が闇討ちに遭いかねない」
「……だから、冤罪だと分かってて俺達を差し出したのか」
グラントは低く怒りの滲んだ声で彼らに訊いた。
ツンツン頭の傭兵団長が牢に近付いて格子を蹴る。
「甘ぇんだよお前らは。ここは戦場だぞ?何の伝手もなくいきなりやってきた外様の冒険者の、前線の真っ只中を通り抜けて敵国に渡りたいなんてトチ狂った依頼を聞いて、俺ら傭兵に何のメリットがある?組合は確かにいけ好かねぇが、メウセーズじゃそれなりに名の通った一派で、金払いも良い。どっちの頼みを聞くかなんて、分かりきった事だろう。ロドニエ商会の強制捜査が終わり次第、議会がお前らの沙汰を決める。それまで大人しくしてな」
傭兵団が去っていくと、リベルが座ったまま額を床に押し付けた。
「すまん、皆。俺が不用意に危険な傭兵団と手を結んだせいで」
「違うよ、リベルのせいなんかじゃない!」
ユイカが格子に齧り付きになって、向かいの牢へ声を張った。
女の声を聞きつけた他の牢の荒くれ達が口笛を吹き、下卑た笑いが起こる。
「……そうよ。あんたのせいじゃないわ。今の状況は全部、そいつのせいなんだから」
項垂れるニコの隣に座ったキャサリンが、私を睨み付けた。
「……フィオ。何か知ってるなら、全部話して」
ユイカもこっちを見ないまま力なく呟いた。
私は牢屋の薄っすら湿った壁に背を預けながら明後日の方を向いて黙り込む。
「……もう、いや」
虚ろな声がして、誰かと思えばニコが昏い金瞳で床を見つめて独白していた。
「なんで、エイダが死ななきゃいけないの……?なんで、縛られてこんな臭くて暗いところに閉じ込められなきゃいけないの……?ねぇ、なんで……っ」
「ニコ……」
キャサリンが躊躇いがちにその肩に触れようと手を伸ばした。
ニコがばっと顔を上げて身を引く。
「近寄らないで!この街の人間の癖にっ!」
……え?
私はキャサリンに見開いた横目を向けた。
白髪を二つ結びにした気の強そうな娘は、中途半端に腕を上げた姿勢のまま固まっている。
彼女が、メウセーズの出身……?
「ねぇ、何か知ってる事があるなら話してよ……。なんでこんな事になってるの……?私達……私……なんでこんな目に……っ。答えて!」
金髪をポニーテールにした少女が、私に向かって悲痛に叫んだ。
キャサリンの方を見ていた為、思いがけず目が合ってしまう。
白を切り続けるのは無理か。
私は嘆息してからにっこり微笑んだ。
「私はただ、行きずりで一緒に戦ったあなた達と旅するのが楽しかっただけよ」
「嘘だっ!だったら、答えてよ。ベルエストの証って何?天秤って何の事?私達を巻き込んだのはあなたなの?ねぇ、そうなんでしょう!?」
ヒステリーを起こしたニコは立ち上がって、私の襟元を掴み上げてくる。
その震える両手にそっと手を重ね、噛んで含めるようにゆっくりと言った。
「私はリベルの生まれ育ったグロッセルっていう街で、ロドニエ商会に縁あってちょっとした頼まれ事をしたのよ。このメウセーズにあるロドニエ商会の本店まで言伝を届けるってね」
「…………」
「“ベルエストの証”っていうのは北で有名な故事で、天秤のエンブレムはこの土地では不吉なものらしいんだけど、それと知らなかった私にロドニエ商会に潜入していた組合のスパイが、“ベルエストの証”っていう称号を名乗るように仕向けたの」
「……そん、な」
私の胸ぐらを掴むニコから指の力が抜けていき、ユイカが傍に歩いてきて彼女を私から離した。
「そんでメウセーズでは、組合が事件を起こして天秤の印を現場に残し、お前を吊るし上げる事で芋づる式にロドニエ商会とやらに濡れ衣を着せ、失墜させようとしたって事か。クソッ、あのアズライハとかいう奴、やっぱり魔法ぶち込んでおくんだった……!」
シーダが壁を殴り付ける。
リベルが座って上半身を折った姿勢のまま、顔だけ上げて慎重に問いかけてきた。
「……じゃあ、フィオも巻き込まれただけなんだな」
「あなた達を巻き込んだのは私だけどね」
「いや」
角顔の男は頭を振って体を起こす。
「悪いのは組合と、その頭目のジルフットって奴だろう。この街に来たのは俺達の意志だし、フィオに同行するよう誘ったのも俺だ」
「厄介事を抱えてる癖に黙ってた事は罪深いがな。せめて組合がこんな碌でもないって知ってれば、俺達もあんな連中に案内を頼んだりしなかったのに……」
グラントが口惜しそうに俯いた。
私は腕を組んで眉を下げる。
「……ごめん。本当は、あなた達がいなくてもこの街には来るつもりだったの」
私は格子を軽く掴んだ。
「ロドニエ商会代表のシャルロッテには借りがあってね。組合の目論見を挫くのに協力するつもりだった。でも私ひとりだと、街に着く前に捕縛される可能性が高かったから、あなた達を隠れ蓑に利用させて貰ったの」
地下道の向こうからコツコツという足音が聞こえてくる。
「でもそのおかげで、彼女と接触する隙ができたわ」
外套のフードを目深に被った女が牢の前までやってきた。
鼻元を袖で覆い、周囲を見回しながら呟く。
「相変わらず酷い臭いね。ここ嫌いなのよ」
牢屋の格子扉の錠前を二つとも斧槍で砕き、女はフードを外して得物の石突を床に突いた。
「だからグロッセルに戻れって言ったのに」
短めの黄髪を揺らし、少女がふんを鼻から息を吹く。
私は格子越しに苦笑した。
「ソンファとクレンズの分くらいは役に立ってからね」
「……あんた、実はお人好しよね」
ミリーネは肩に斧槍を担ぎ、付いてくるよう手振りで促し、歩き始めた。
ロドニエ商会本店はメウセーズで三番目の大きさを誇るらしい。
石造りの重厚さはあるものの、それ以外はぱっと見た感じ他の店舗とそれほどの違いはないように思う。
執務室に入ると、いつぞやのように金髪を二つ結びにした女が尊大に椅子に腰掛けていた。
「……来てたの?」
私が驚きを隠せずにいると、シャルロッテは八重歯を覗かせてニカッと笑う。
「馬を使ったからね。根無し草の冒険者とは財力が違うのだよ。と言っても」
立ち上がった彼女は机の前に出て、私にリベル達六人の冒険者を足した面子と正面から向かい合った。
「流石に越境旅団本隊を連れ戻すにはまだ今しばらく時間が掛かる。何しろ大所帯だからね。さっき議会から通達が来て、今の私は十傑議会の決裁権を一時的に停止された状態にある。商会の信用もガタ落ちだ」
リベル、グラント、シーダ、ユイカ、キャサリン、ニコの顔を順に眺め、シャルロッテは突然頭を下げた。
「北方のつまらない権力争いに無関係のあなた達を巻き込んでしまった事、まず謝罪させてちょうだい」
ばっと顔を上げた彼女は不敵に笑っていて、もう微塵の負い目も感じていないようだった。
「そのうえで、あなた達の身柄はしばらく私が預からせてもらうわ。確か、東への渡航が目的でこの街まで来たんだったわね?なら、今回のゴタゴタが片付いたら国境を渡れるよう私が手配するから、それまでここに大人しくしていて」
シーダが胡散臭そうな目をシャルロッテに向ける。
「今、この商会は国家転覆罪並みの容疑を掛けられてるんだろ?最悪取り潰しになってもおかしくない。この件が終わった時、あんたが無事でいられる保障はどこにある。僕らはこの商会やあんたと心中するつもりなんて毛頭ないぞ」
ミリーネが険しい表情で不遜な態度のシーダを睨み付け、剣呑な雰囲気が場を満たした。
シャルロッテが私にちらと視線を送る。
ため息が出た。
「私からもお願いするわ。あなた達を囮に使った私が頼み事できる立場じゃないのは分かってるけど、ここであなた達がロドニエ商会の庇護下から出てのこのこと街の外へ繰り出したところですぐ牢屋に逆戻りするのが落ちよ」
グラントが私の方まで歩いてきて、上から押さえつけるように手を肩に乗せてくる。
「ロドニエ商会に俺達が安全に街を出られるよう手引きさせればいい。お前達には、そうする義務がある筈だ」
ミリーネが壁に背を預けて口を挟んだ。
「無理よ。殿下がさっき言ったでしょ、今この商会が動かせる手勢は多くない。十傑議会の要請で、今は私兵団の大部分が組合の工作を阻止する為、南に遠征している状態なの。つまりロドニエ商会に掛けられた疑いをどうにか晴らさない限り、あなた達もこの街から出られない」