十五幕 予定された犠牲
そんな男が五年の歳月を経てまた王朝を手引きしようとしている。
ロドニエ越境旅団は確かにメウセーズで中核的な存在なのかもしれないが、彼らを南方に引き付けたところで私が市内を見て回った感じ、他にも精強な傭兵はこの街にいくらでもいそうなものだ。
十傑議会も同じくロドニエ商会戦力が欠けようと現状の東部戦線に大きな影響は無いと判断したからこそ、シャルロッテに組合の追跡を要請した。
そしてそんな事は、ジルフットにも当然把握できている筈なのだ。
王国戦力をできるだけ東部戦線から引き剥がし、ラシンハ帝の侵攻を促す。
果たして彼の計画は、これで終わりなのだろか。
私とユイカ、ニコが十傑議会の商館で聞き込みを行ったところ、どうも使い道のない奴隷を持て余しているらしい。
昨今、東部戦線の戦況は王国側の優勢で、当初は傭兵達もこれを機に王朝側の防衛線を打ち破って砦を押さえようと士気を高めていたそうだ。
だが先方の騎士団は守備隊に兵力を集中させており、前線での戦果に比べて陣地の攻略は遅々として進まない。
結果王国軍は思うように前進できないまま、捕虜の数だけが増えている状況らしい。
当然、議会は王朝側の工作を疑い、最近捕らえた帝従騎士は奴隷商に売り渡す事なく、メウセーズ市内で常に傭兵達の監視下に置いているそうだ。
条約で降伏した捕虜の殺害が禁じられている以上、下手に処断すれば王朝に捕らえられている王国兵の扱いもどうなるか分からない為、下手に口減らしする訳にもいかず、奴隷の収監場所や食料の供給について議会内部でも意見が割れているらしい。
「ラシンハ王朝との国境は東部戦線なんて言われちゃいるが、実際のところ年中ドンパチやってる訳じゃない。たまにどっちかが攻勢を掛けてもう片方がそれを押し留め、今度はその報復にやられた方がやり返すってのが月に一、二回ある程度だ。実際のところ捕虜の交換や渡航者の橋渡しで両国間での交渉もあるし、いつもならあんたらが国境を越えて東に渡るってんなら手伝ってやれるんだがな。でも、今は諦めて貰うしかない」
オレンジ色のトゲトゲしい癖毛をした三白眼の傭兵が、仲間達の先頭で雰囲気と異なり丁寧な物腰で説明する。
「見れば分かるて話だから付いてきたが、正直戦の機微が素人の俺達に分かるとは思えないな」
私達の先頭で前を行く傭兵に声を投げかけるリベルの背を、私はそっと窺った。
メウセーズに入った当初、リベルとグラントの二人はアズライハの案内で国境を渡るに当たって護衛になる人材を探しに組合本部を訪れたそうだ。
足止めを食らっている渡航者はそれなりに多く、本来なら後回しにされるところをアズライハの口利きで優先して貰えたのだと、グラントが話していた。
「そら、着いたぞ」
橙髪の男が鼻を啜って小脇にずれると、私達に先へ進むよう促した。
戦場まではかなり距離がある為か、鬨の声まで聴こえてくることはない。それでも大勢の人間が二つに分かれ、雪上で互いに鎬を削っている光景は凄絶だ。
帝従騎士団の衣装は統一されていて分かり易い。
全員が蒼いマントを羽織っており、採寸や形状は一人ひとり違うが銀の甲冑を身に着けている。
一方王国側は幾つかの集団で分かれており、装備も冒険者程ではないにしろバラバラで、一貫性に欠けていた。
皆服装のどこかしらに組合のエンブレムに近い印章を縫い付けてあり、辛うじて所属を判断できるようにはなっているようだ。
武装は様々。
鎚や矛、槍に薙刀といった長柄物は馬に乗った騎兵が多く、地を這うように駆ける男達の得物は大体が剣で斧が少数混じる程度である。
敵将が見栄えのする意匠を凝らされた剣で声高に何事か指示を出し、騎士団の右翼戦列が大きく前に出始めた。
傭兵団はこの隙に向かって右側、敵左翼を切り崩す為に攻めるグループと、背後を取られて挟み撃ちにされる事を恐れ、後ろに下がろうとするグループに二分される。
敵将の傍にいた兵卒が角笛を吹き、この音はこちらまで聴こえてきた。
帝従騎士団左翼は碌に傭兵達と打ち合う事もないまま下がっていき、右翼が傭兵団を前後に分断する形で間に入り込んだ。
前方集団を挟撃する腹積もりかもしれないが、あれではさらに後方の傭兵団に右翼陣が背中を刺される危険が高い。
捨て身の作戦だろうかと思うも、どうも様子がおかしい。
左翼だった後方騎士団は防御に徹していて攻める姿勢が見受けられないし、本隊と切り離されて突出する事になった元右翼の前方騎士団は、さらに王国側に攻め入ろうと攻撃を前進を続けているのだ。
やがて攻めあぐねた前方傭兵団が撤退を始め、せめて戦果を上げようと切り離された騎士団を帰りしなに襲っていく。
騎士団本隊も一応追撃の姿勢は見せるのだが、深追いはせず堅実な構えだ。
一方分断された帝従騎士団右翼陣は前後からの挟撃に逢い、瞬く間に狩り尽くされていく。
あの作戦は統制の取れたラシンハ軍が烏合の衆である傭兵団の隙を突いて行ったもので、この状況は王朝側の将が作り出したものの筈である。だが結果的に部隊の三分の一を失い、損害を被ったのもラシンハ軍なのだ。
最早生き残っているのは潰走状態で逃げ回っているか戦意を失って武装放棄した者達のみで、傭兵達が如何にも侮蔑的な表情を浮かべながらそういった騎士達を蹴り転がし、手早く縛り上げて馬で引き摺っていく。
「あれは“凍蒼騎士団”だな。いつも俺らが殺り合うのは緑のマントをしてる“嵐翠”の連中で、祖国防衛を軍務にしてる守り優先の奴らだから、互いにあまり損害は出ないんだが」
「“凍蒼騎士団”とやらは違うのか?」
シーダが高い声で尋ねると、橙髪の男は言葉を濁し、代わりにとなりにいた長い紫髪で痩せぎすの副官が答えた。
「王朝へ行った事のある傭兵の話では、“煉紅”は首都防衛、“嵐翠”は国境守備、“凍蒼”は遠征侵攻で役割が分かれているらしい。つまりラシンハ帝は近頃になって五年来無かった王国本土への全面攻勢を決めたんだ」
傭兵達が粗方退いた後、件の凍蒼騎士団が戦場に残った死体の回収を始めた。
遠目にも雪床が広範囲に渡って朱く染まっているのが分かり、私以外の女性陣は気分を害したように口元に手をやりながらお互いに触れ合っている。
敵将はこちらにチラと目を向け、部下達に何事か指示を飛ばす。
弓兵達がこちらに向けて一列に並び、矢を番えて弦を引き絞った。
「ズラかるぞお前ら」
オレンジツンツン頭の傭兵がそう言って、残る九人の仲間と共に来た道を足早に引き返す。
私達は彼らに押される形で先を歩かされた。
「これで分かったろ。今は戦線が活性化してて、俺らみたいな十傑議会や組合に属してない中立派も危ねぇんだ。よしんば国境を越えられたとて、騎士団に見つかったら何されるか分かったもんじゃない。あんたらも命が惜しかったら、ラシンハ王朝入りは諦めな」
メウセーズに戻るまで、私達は殆ど口を利かなかった。
恐怖に憑りつかれた顔で項垂れるニコと、彼女に寄り添いながらも沈痛そうな顔をするユイカ。
そんな二人に付かず離れずの位置で、キャサリンは険しい表情でひとり考え込んでいた。
シーダは足止めを食らった事であからさまに苛立った様子でブツブツと毒づき、いつもなら窘めるリベルは顎に手を当てて今後の方針を練るのに夢中。
グラントは何故か私の隣に並んで、ずっと声を掛けたそうにしていた。
堅牢過ぎる外壁が見えてくると、大柄な茶髪の青年が思い切ったようにようやく口を開く。
「なぁ、ここまで同行しておいてなんだが、俺達に今のメウセーズは荷が重過ぎる。だから、引き返そうと思うんだが……」
「そう?なら、ここでお別れだね」
とくに思うところもなく返すと、グラントは髪を掻いて押し黙った。
剛毅な彼にしては珍しく歯切れが悪い。
不思議に思って見上げていると、傭兵の男と小声で話していたアズライハが振り返って笑った。
「冒険者はお人好しだな」
「……っ、うるせぇな」
青年は決まり悪そうにそっぽを向く。
ますます首を傾げて怪訝そうにする私に、騎士は前に直ってからかうように言った。
「一緒に南へ戻らないかって言いたいんだろ」
「え……」
私はグラントを、それからシーダを見る。
「あんただって元はただの冒険者なんだろ。これ以上厄介事に首を突っ込む事無いんじゃないか」
紺髪の青年もらしくもない優しい言葉を掛けてくる。
ユイカの方を窺えば、彼女も弱っているものの微笑みを浮かべてくれた。
ニコは呆然としたままだが、キャサリンは腹を決めたようで前を向いている。
唸り声を上げていたリベルが、諦めたように脱力してため息を吐いた。
「……まあ、お前らがいいなら仕方ない」
間もなく南門だ。
天幕が幾つも張られ、傭兵達が互いに包帯を巻いて手当し合ったり、縄で縛られた痣だらけの捕虜が議会関係者に引き渡されたりしている。
案内役の傭兵団が通る時、彼らは臭い物を見る目を注いできた。
剣呑な雰囲気に、パーティの皆が居心地悪そうに身を捩っている。
そんな六人の冒険者達を横目にして、酷く申し訳ない気持ちになった。
だって私は、彼らを利用する為にここまで付いてきたのだから。
シーダとキャサリンが取った宿の名前は“クレバース亭”という。
どうも王国中に支店があるようで、ここも本店ではないらしい。
主人曰く、『メウセーズの宿屋に暖炉はあっても寝台は期待するな』だそうだ。
大部屋に仲間内で固まって雑魚寝という形式は、いつ競争派閥に闇討ちされないとも限らない傭兵が主な顧客だかららしく、火を消して荷物を枕に毛布に包まってしまえば野営の時と然して変わりなくなってしまう。
それでも皆冒険者なだけあって野外生活にも慣れたもので、旅の疲れや戦場を見た事もありいつの間にか全員寝静まっていた。
頃合いを見計らってこっそり部屋を抜け出したアズライハを追い、私も物音を立てないよう宿を後にする。
人気のない路地裏を何度も曲がり、周囲に人気が無いか確認しながら早足に歩く青年をかなり後ろから尾行した。
やがて、昼間に国境まで案内してくれた傭兵団と落ち合い、橙髪の男と話し込んでいる現場に辿り着く。
アズライハが通ったのとは別の辻に入って、彼らに程近い建物の陰に背を預けた。
「あいつらが本当に“天秤”なのか?探りを入れてみたが、あれはてんで何も知らない素人の反応だったぞ」