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十四幕 地獄の門は灰之色

 これほど高い壁をお目に掛かる機会はそうないだろう。

 全高三十メートルくらいあるんじゃないだろうか。

 継ぎ目のない鋼鉄の壁が轟然と聳え立っていて、街の中は外からだと全く窺い知れない。

 流石に鍍金で中は石だろうけれど、それでもこれだけの量の鋳鉄をよく用意したものである。


「デカいな。端が見えないぞ」


 リベルが寒さに赤らんだ角顔を左右に向けて呟いた。

 鈍色の塞壁は緩く湾曲しながらも、殆ど一直線に大地を横断しているようでもあり、視覚的にはどこまでも続いているような錯覚を与える。


「エウンセイロ街道まで樹海の縁に沿って歩こうか。傭兵団とばった遭遇したら、所属の分からない輩は斬り捨てられる可能性もあるから、俺から離れるな」


 アズライハは雪に足を取られる様子もなくスタスタと左へ歩いていく。

 他の皆も後に続く中、手首がぱしっと掴まれた。


「分かってると思うけど、私達は冒険者としてこの辺りで稼ぐだけだから。ラシンハ帝だのエルベルン王女だの、馬鹿みたいにスケールばっか大きくて現実味の無い戦争に、私達を巻き込まないでよ」


 振り返れば、キャサリンが親の仇を見るような殺気の滲む青瞳でこちらを睨み上げている。


「ここら一帯はギルド指定ランクBの開拓地だよ。リヴァイアサンとか大型竜種の巣になってるから、冒険者は大体死ぬか依頼をこなせないから食い詰めて傭兵になる」

「あんたここに来るの初めてでしょ?何でんな事知ってんのよ」

「アズライハから聞いたんだ。野営の時に」

「ふん、売女め」


 流石にむっとして手を振り払った。


「リベル達と組まないと、リーダーを失った二人に生き残る術はないよ。そしてリベル達はバンデリット自治領を迂回してラシンハ王朝領に入るつもりみたいだから、東部戦線を越える為にどの道どこかしらの傭兵団に渡りを付けて貰わなくちゃならない。私やアズライハの事情を聞いたうえで引き返さなかったんだから、もう後戻りなんてできないと思うけどな」


 前を行くパーティの皆とかなり開いてしまった距離を埋めるように、ブーツで雪床の足跡を辿っていく。

 キャサリンは今からでも取って返しそうな程表情を歪めていたが、ニコはユイカがさっさと連れて行ってしまった。

 彼女は俯き、かなり遅れてついて来る。

 離れるなって、アズライハが言っていた意味を、私達は理解していなかったのだ。






 メウセーズ都内での移動は人力車が使われるのが普通らしい。

 箱馬車のような形をしており、工夫らしい筋骨逞しい男手が黙々と欄干を引っ張っていく。


「ご苦労様」


 見かねたユイカが窓から乗り出して声を掛けたが、彼らが応える様子は無い。


「……きっと余裕が無いんだよ。ユイカが重過ぎて」

「む、あたしそんな重くないもん。フィオが乗ってるから警戒してるんじゃないかな?」

「私はキャサリンと違って出会い頭に人を怖がらせるような事しないよ」

「そうそう。猫被ってるもんね、普段のあなた」


 軽口を叩き合っている間も、挟まれる形で座っている金髪を尻尾にした娘は、ずっと暗い顔で俯いたままだった。


 三人乗りの人力車は纏まって動くと通行の邪魔になる為、それぞれ別の辻へ入った。

 私とニコ、ユイカの三人は商館へ向かっている。

 十傑議会の息が掛かっている施設で、東部戦線や市内の情勢を聞く為だ。


 幾度か角を曲がり、間もなく黒塗り煉瓦で建てられた屋敷が見えてきた。

 グロッセルでロドニエ越境旅団が拠点にしていた“緑の館”に比べると、如何にも無骨な印象を受ける。

 まるで牢獄だ。


 箱車の扉が外から開けられ、私がニコの手を引いて降り、最後だったユイカが財布を取り出した。


「おいくらかしら?」

「一日銅貨五枚だよ」


 割って入ったしゃがれ声に顔を上げると、商館の入り口脇が窓口になっていて、中から受付夫と思しき人相の悪い男がこっちを見ていた。


「そう、ありがとね」


 ユイカがそう言って牽手をしていた大柄な青髪の男に硬貨を差し出すが、彼はむっつり黙り込んで受け取ろうとしない。


「嬢ちゃん達、そいつの首が見えねぇのかい?」


 黄緑色の髪と無精髭を伸ばした受付の男が、頬杖を突きながら億劫そうに問いかけてくる。

 見れば人工には首輪が嵌められている。


「チョーカー?お洒落だね」

「阿呆抜かせ、そいつは奴隷だよ」

「……え?」


 ユイカが立ったまま硬直した。

 ニコが虚ろな視線を受付夫に向けて呟く。


「王国内での人身売買は、ギルドの約定で禁止されてる筈だけど」


 男は如何にも大儀そうにため息を付いて額を叩いた。


「あんたら南から来たのか。物好きだねぇ、このご時勢に。いいか?こんな北の果てにはギルドの権威も廃れた王家の威光も届かない。そもそもここは冒険者が来る所じゃねぇ。傭兵の暮らす街だ」


 私はユイカの指から銅貨を抜き取って受付台に置く。

 彼は私を胡乱な視線で見上げた。


「王国内に奴隷狩りがいたら賞金を懸けられる筈だけどね」

「安心しな。この街の奴隷は東部戦線で捕虜にした王朝軍の騎士だとか、権力闘争に敗けた商会関係者だとかで、全員漏れなく堅気じゃない。誰も咎めやしないさ」

「そう。明日以降の支払いはどうすればいい?」

「関所は市内に幾らでもある。どこも十傑議会の息が掛かってて、人力車は一日一回は支店に停泊する事を義務付けられてるから、そん時に払えばいい」

「分かった」


 私が手招きすると、ユイカとニコは憮然としながらも渋々付いて来る。

 途中ユイカが引き返して、車牽き男に耳打ちしていた。

 青い髪の男がちらと彼女の顔を視線で捉えた。

 その瞳の奥にある黒い渦に、彼女はちゃんと気付けただろうか。






 大部屋の中で女四人、それぞれの荷物を小脇に抱えて座り込んでいる。

 暖炉が赤々と灯って薪を割っている他、室内に物音はしない。

 正規のパーティメンバーなら会話も弾もうというものだが、私達に団結など望むべくもなかった。

 ユイカが気まずげに身じろぎし、キャサリンはじっと私を睨み続けている。

 ニコはぼうっと床の一点を見つめ、私は天井を仰ぎながら物思いに耽っていた。

 扉がノックされ、ユイカが機敏に立ち上がってドアを開けた。


「遅い!……って、なんでボロボロなの?」

「いいから、中に入れてくれ」


 まずシーダが煤けた顔に仏頂面を浮かべて入り、殴られたのか鼻栓に血を滲ませたグラントと頭を手でさするリベルが続き、最後に無傷のアズライハが無言で戸を閉める。


「この街は想像以上酷いな。いつもあんな乱痴気騒ぎなのか?」


 シーダがキャサリンの隣に腰を下ろすと、彼女はあからさまに距離を取った。

 アズライハが私の傍で胡坐を掻いて薄笑いを浮かべた。


「お優しい冒険者は嫌いかもな、ああいう傭兵の男付き合いは」

「何が男の付き合いだ。ただの乱闘じゃねぇか」


 グラントが辟易した様子で誰もいない壁際にどっかと座り、リベルは言葉もなくその隣で壁に背を預ける。

 各々目的を終え、私達がメウセーズの南門に集合した頃には日もとっぷり更けていた。

 酒場で食事しながら情報共有しようという話になったのだが、アズライハが異論を唱えた。


『メウセーズの食事は宿が基本だ。間違っても公共の場で飯が食えると思うな』


 言われた当初は理解できなかったものの、アズライハの顔がやけに真に迫っていたので私達は渋々頷いた。

 とは言えこの街には出店の類いも無いらしく、夕餉も酒場でテイクアウトするしかなかったので、男衆に買い出しに行って貰った結果が、現状である。


「あなたは殴られなかったんだね」

「俺は組合のエンブレムを提げているからな。迂闊に手を出して来る奴はいない」


 彼はそう言って、自慢げに黒い外套の胸元に刺繍された髑髏の牡鹿を指で撫でた。

 ミリーネに言わせればジルフット傘下の人間など兵隊崩れのゴロツキだろうけど、アズライハにとっては必ずしもそうではないらしい。


「ジルフットはラーズ・シンバルテ率いるガルガンソ商会と手を組んでいて、ラーズ卿は王朝の皇帝派と通じてる訳だから、てっきりあなたはジルフット卿に含むところがあるんだと思っていたけど」

「勿論、今回の騒動に於いての組合の立ち回り方には思うところの一つや二つあるぞ。でも宰相閣下の指示で王国に潜入して以来、何度組合の仲間に助けられた事か分からない。東部戦線で俺の素性を知る帝従騎士はいないから、奴らからしたら俺も王国傭兵の一人に過ぎないし、俺もメウセーズで皇帝派の情報を集める為とはいえ組合に籍を置いた以上、戦場に出ない訳には行かなかったから。ジルフット様にしたって確かに以前から十傑議会に対して競争意識を持っておられたが、それでも当時は東部戦線での活躍によってメウセーズでの地位を確立しようと自ら戦場に立たれていたくらいだ。五年前の失墜以来、あの方は変わってしまったが」


 ブロンドの騎士は膝を立てて、物憂げに俯く。

 私はその横顔を見ながら思案する。


 東部戦線で組合が痛手を負った事が原因でジルフットはラシンハ帝に膝を折ったのだと、アズライハは考えているようだ。

 でも多分、真相は違う。

 ジルフットは以前から十傑議会を退けてメウセーズに於ける覇権を手に入れようとしていた。

 ゆくゆくは王国全土を掌中に収める事も視野に入れていただろう。

 だがロドニエ公国との繋がりと由緒正しい血統を持つシャルロッテを首座とする十傑議会と、人数が多くとも所詮有象無象の集まりに過ぎない組合とでは、経済力武力双方に於いて大きな開きがあった。

 東部戦線でも大きな戦果を上げられず、ジルフットは手をこまねいていたに違いない。

 そんな時、王朝皇帝派の工作員が彼の下を訪ねてこう言うのだ。


 ──東部戦線で帝従騎士団を勝利させよ。

 ──さすれば王国北方領の全てを貴君に預けよう。


 ちょうど紺色の長い髪と瞳を持つ白装束の顔が浮かぶ。

 寄る年月に焦りを募らせ欲に目の眩んだ老人が、レデニウスに向かって黄ばんだ歯をぎらつかせて嗤う姿も。


「まあ、取り敢えず食おうぜ」


 そう言って、ちょうどレデニウスと同じ髪色をした青年が麻袋から葉包みを取り出し、板床に広げていった。

 中には鹿肉の包み焼きだったのでこっそりアズライハの顔色を窺ったが、彼は素っ気ない表情で肉を摘まんで口に放り込む。

 リベルやグラントがパンや香草をそれぞれ持ち出し、八人はさっきまでに比べればそれなりに会話を弾ませながら夕餉のひと時を過ごした。

 パンを千切って口に含みながら、その場の面々を見回す。


 もし組合の失墜が、東部戦線の崩壊を目論んだ組合の自作自演だとしたら。

 ジルフット卿は、一度計画を失敗している事になる。

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