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7/7

(7)迷い

久しぶりに夢を見た。公開オーディションが始まった頃の夢。


1st審査はグループ審査だった。7人毎のチームに分かれ、それぞれのチームに課題曲が与えられる。わたしのチームの課題曲は、東京プリンセスの某ヒット曲だった。


チームメンバーの顔合わせの次にやることは、フォーメーション決め。特に最も目立つ「センター」を担う人を決めることが重要だ。


「めーみんはセンター立候補しなくていいの?」


「うん、やりたいポジションがあるから。」


「じゃあ、めーみんが選んでよ、誰がセンターに相応しいか。」


立候補した6人の視線がわたしに集中する。


「わたしは…スミレちゃんが良いと思う。」


「芽実…?」


「なんで!観客投票あるんだよ?!今1番視聴者投票の順位高いのモモだから、モモでいいじゃん!」


スミレが信じられないとでも言うように目を見開き、モモはわたし食ってかかるように言葉を放った。


「観客投票で1位だったら元々の評価にボーナス点貰えるもんね…どうやったら1位になれるか…モモの言う通りかもしれないし、そうじゃないかもしれない。正解がわからないから、この7人でできるパフォーマンスをした方が良いと思うの。」


「何言ってるかわからない!それならモモがセンターでいいじゃん!」


「モモ、落ち着いて。スミレもぼーっとしないで。めーみん、続き話して?」


気が乱れる2人をランが宥めて話しやすい環境を作ってくれた。


「原曲のセンターの子はグループの中では年少組だけど洗練された印象があるの。それが同い年だけどわたしより大人っぽいスミレちゃんと雰囲気似てると思って。それに、センターはしなやかなダンスが見どころだから、バレエ経験者のスミレちゃんが適任だと思う。」


原曲のミュージックビデオを流しながら、説明していく。不思議と言葉がどんどん口から自然と出てくる。


「センターの両隣はお姉さん組のメンバーで、このチームの中で年上のモモさんとランさんがやるのが良いと思う。少しでもミスをすると悪目立ちするポジションだから実力者の2人が似合うなって。」


「うちは賛成。」


「ラン!!なんで?!」


「ってか、本当はそこがいいなってうちは思ってた。公開オーディションだからセンター立候補しなきゃいけないのかなって思っただけ。」


スミレとモモ以外のメンバーも首を縦に振った。みんなこの環境が不安で見栄を張っていただけだったのだ。


「モモ、一緒に《《シンメ》》頑張ろうよ。」


「うう…わかった…。」


「ありがとう、モモさん。あとは…原曲は右端に最年少の子がいるからそこがわたしで…」


モモが快諾してくれたことで、あっという間にフォーメーションが決まった。


「芽実、ありがとう。」


オーディションの参加者で唯一わたしをあだ名で呼ばないスミレが、あの後2人きりになった時にお礼を言ってくれた。


「わたしは何もしてないよ。ただ、どうすれば勝てるのか・有利か・自分たちに利益が入るか考えるより、どうすれば見てる人が楽しいかなあって考えてこのフォーメーションになっただけだよ。」


「それがすごいよ!芽実、絶対一緒にアイドルになろうね!」


違うよ、スミレ。わたしはすごくない。だってスミレはアイドルになれたけど、わたしはアイドルになれなかったんだよ。東京プリンセスのオーディションも勇気がなくて応募してないの。あれ、何故わたしはオーディションの結果知ってるんだっけ…


視界が歪んで徐々に白く染まっていく。ぱちっと目を開けたらそこは、いつもの自分の部屋だった。


「ああ、夢か…」


最近は両親が仕事に行く前には目が覚めるようになってきた。数日前にあんなことがあって、そういう夢を見たらどうしようかと眠りについたけど、意外にも公開オーディションの時の夢を見た。


その夜、夕飯を食べながら音楽番組にチャンネルを合わせた。動画配信サイトのアカウントはペアレンタルコントロールされているけど、テレビを見るのは特に制限されいない。


「それって意味なくない?」


そうやって一ノ瀬先生に反抗したことがある。


「動画配信サイト含めインターネットは、自分が選んだものだけを見る。だから知らず知らずのうちにデビューした人達のことを追って、いつのまにか病んでしまう。テレビは誰がどれくらい出演するか決まっているので、そこまで気に病むことないでしょう。」


今週アイドル特集と銘打った2時間スペシャルの音楽番組で、モモやスミレなど公開オーディションを経て結成されたガールズグループRosy lily(ロージー リリー)の出演時間は、グループ紹介の1分と歌唱の2分の合計3分。サクラやユリなどオーディションで脱落したメンバーで構成されたAnemone(アネモネ)は、紹介なしで歌唱1分半だった。


「きっと思いますよ。意外と大したことないなって。」


彼の言う通りだった。ライブグラムや動画配信サイトではキラキラして見えた皆だったが、アイドルが集められた中での位置付けはその程度なのだ。


出演時間が最も長かったのは、4人組の男性グループPASTEL(パステル)、次点で東京プリンセスだった。不意に知った3期生オーディションのことが忘れられない。受けない理由だったストーカーはもういない。わたしも少しずつ元気になっている。もう一度挑戦したい気持ちと、それを一ノ瀬先生に伝える抵抗が、心の中で喧嘩している。


「今日は一つも“合格”がありませんね。あの…」


「だって!あまりにも早く合格集めてご褒美になったから、ハードル上げたのそっちじゃん!!」


彼から叱責を受ける前に、逆ギレのような返答で遮った。自分が悪いのはわかってる。見直せば気づくケアレスミスや一度覚えたはずのド忘れが多かったから。


「いや、怒りたいのではなく…心配で…先日《《あんなこと》》があったから、今ハードルを上げずにもう少し休むべきだったかと…」


「ああ、ストーカーの件?それはもう全然気にしてないです。」


犯人は逮捕されたし、オーディションを運営していた事務所から、合否に関わらず参加メンバーの誹謗中傷や付きまとい行為についての注意喚起が発表された。それで全てが解決したわけではないが、1人で最寄のコンビニに行けるくらいには外出に対して気楽になった。


「じゃあ何を悩んでおられるのですか。」


「ひっ…」


ケアレスミスだらけの回答にバツをつけながら、一ノ瀬先生がこちらを冷たい目で睨んだ。ストーカーの件でないなら、気の緩みだろうと言うかのように。結局微笑んでくれたのはあの日、あの一瞬だけ。相変わらず表情の変化は乏しいままだ。


「し、将来について、悩んでるんです…どの学部行きたいとか、そもそもわたしは何になりたいとか、何がしたいのか…みたいな感じで…」


「そうでしたか。」


そんな相槌とボールペンの芯をカチッとしまう音が重なる。気まずい沈黙が流れるかと思ったが、一ノ瀬先生の口が開いた。


「2ヶ月前、私は芽実さんに大学に行くことを勧めました。しかし、それ以外の選択をしても良いと今の私は感じでいます。」


「えっ…?」


「2ヶ月前の芽実さんは夢どころか、好きなものも得意なこともない状態でした。そんな真っ白な状態なら大学に行ってやりたいことを探すのが最善だろうと思いました。しかし、先日共に時間を過ごして、綺麗な歌声を活かして歌手になる道も、もう一度カフェで働く道も、私には予感できました。当初言った通り、高卒認定さえ受かれば、あとは自由に…」


「ま、待って!」


一ノ瀬先生の話を途中で遮った。急に焦りが生じた。一ノ瀬先生の話が、まるで自分が見放されたように聞こえたから。


「勉強が嫌いなわけでも、大学に行きたくないわけでもないの。こうして勉強して徐々に知識が増えていくのは嬉しいし、この前大学の建物見て大学進学自体にはちょっと興味出てきたところだし…ただ…」


焦って口から出てきた言葉が、肝心なところで詰まった。目線が下へ落ちる。秘密を手の内に隠すように、両手をギュッと握りしめた。


「言ってください。芽実さんの夢や目標に合わせてサポートするのも私の仕事です。」


彼はそう言いながら、芯をしまったボールペンで、私の手の甲を1回そっと突いた。字面だとビジネスライクで冷たい印象の彼の言葉だったが、その声はほんの少しだけ優しく聞こえた。


その優しさに甘えて、勇気を振り絞ってこの数日間頭に焼き付いていた思いを口にした。


「…もう一度だけ、アイドルのオーディション受けてみたいの。前みたいに退学させるような事務所じゃなくて、学業との両立も認めてくれそうなとこなの…」


口にすれば楽になると思っていたのに、さらに胸が苦しくなった。それでも、もう後には引けない。


「どこのグループですか?」


「…東京プリンセス。カラオケで歌って…」


カタンッと彼のボールペンが手から落ちて、机に転がった男で、わたしは話すのを止めた。その音に驚き顔を上げると、表情の変化が乏しいはずの彼の顔が見たことないほど歪んでいた。


「…違うグループにしませんか。」


彼の声は少し震えていた。でもその震えを気遣っていられるほど、それを言われたわたしにも心の余裕はなかった。


「えっ、何で?!東京プリンセスは女性アイドルの中だったら一番人気だし、現役大学生も大学を卒業したメンバーもいるし、ロージーリリーやアネモネみたいな派手なメイクや露出の多い衣装じゃないし、多分公開オーディションの事務所よりずっとホワイトで…」


「それは東京プリンセスの良い面しか見てません!」


話の途中で彼の怒鳴るような声が遮った。いつもはどんな話でも最後まで聞いてくれるのに。その声と共に椅子から立ち上がった一ノ瀬先生は、わたしの目の前まで足を進め、ドンっと両手をわたしの肩に置いた。お互いの顔の距離が一気に近づいた。


「東京プリンセスは、約20名と大所帯のアイドルグループです。人数が多いと、センターやフロントで日の目を浴びる子もいれば、ずっと最後列の隅で踊らされる子もいます。誰が前に行くかは《《大人のさじ加減》》です。いくら努力しても報われない子がいます。」


置かれた手は力が入っていた。彼の指が私の服にめり込んで、少し痛みを感じる。


「芽実さんは努力ができる人です。だからこそ、《《大人のさじ加減》》によって苦しむような環境に身を置かないで、努力が実る場所を選んでほしいのです。」


眼鏡越しでも伝わる鋭い眼差しでわたしの目を見つめながら、彼はそう訴え続けた。呼吸は荒々しく、身体が少し震えている。こんなにも感情を外に放出した一ノ瀬先生を、わたしは初めて目の当たりにした。


「…先生、ちょっと痛いかも。」


「すみません!!」


空気が読めない発言だと自覚しながらも、肩の痛みが限界で言ってしまった。身体が離れた時に合わせていた目線も外れて、もう一度彼を見た時には無表情の彼に戻っていた。


「でも芽実さんの言う通り、メンバーの学業は前向きに支援してますし、安定した売上もあって、女性アイドルの事務所の中では比較的健全な運営をしている印象です。大学進学も視野に入れている芽実さんが受けるオーディションとしては良い選択肢かもしれません。」


一ノ瀬先生の発言も、いつもの理論的・客観的なものに戻った。その急な切り替わりのせいで、さっきの感情的な発言と表情が印象づけられて気にしてしまう。でも、それを聞いたからやめるとは言えなかった。今更後には引けなくて。


「10分休憩下さい。応募フォーム入力してきます。」


「今ですか? 写真等どうするつもりですか。」


「さっさと応募して、悩みなくなってから勉強した方が捗るもん。写真は前回オーディションに応募したときのやつそのまま使う。」


「いいのですか? 大事な応募だというのに。」


「いいの、どうせ受からないから。」


自分で言ったその言葉がストンと腑に落ちて、頭に焼き付いていたものが消えそうな予感がした。そうだ、どうせ受からない。これで落ちれば、アイドルを完全に諦めて勉強に集中できる。


「後出しになってしまいましたが、今後、次の選考に呼ばれることがあっても課題を怠ることのないように提出すること。そして高卒認定試験を予定通り8月に受験すること。それだけは約束していただけますか?」


応募フォームを全て埋めたところで、一ノ瀬先生から声をかけられた。


「うん、わたしも勉強は続けたいと思ってます。」


そう返答して左手の小指を差し出した。その指を見て一ノ瀬先生も察して、少し眉を顰めながらも彼の小指を絡めた。繋がった2つの小指を振って解いた瞬間、スマホを持っていた右手で応募フォームの“送信”を押した。


それからの授業は、今日何も合格できなかった課題からは想像できないほど、抜群の集中力と理解力を発揮できた。


「心的事情でここまで集中力が左右されるとは…試験当日が心配です…」


「はは、すみません…でもこれで悩むことはしばらくないので…」


ため息をつく一ノ瀬先生に向かって苦笑いを浮かべながら言い訳をした。


「最後に、今後の授業のことで一つご相談なのですが。」


「なんですか?」


「8月の高卒認定試験に向けて、受験科目『科学と人間生活』の勉強を来週からはじめていきますが、こちらは理系科目ですので、他の講師が担当してもよろしいでしょうか。」


科学と人間生活という科目は理科の知識が問われるので、文系の一ノ瀬先生よりも適任がいるのはわかる。新しい人に会うことに全く不安がないわけではないが、今のわたしなら以前ほどの抵抗はない。


「そうですか。その人も来てくれるんですか?」


「いや、できれば先日紹介した塾に来てほしくて…」


「はい…?」


そのうちこう言われる日が来るとは思っていたが、こんなに早いとは思わなかった。新しい出会いの期待と、同い年の高校3年生もいるであろう場所に高校に通っていないわたしが足を踏み入れる不安、それに出所のわからない寂しさが心の中で入り混じって気の利いた返事はできなかった。

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