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(3)道しるべ

翌日、パンフレットを読むけどやっぱりピンと来ないまま。集中力が切れて、ついスマホを開いて、ライブグラムでデビューしたみんなの様子を確認したり、オーディションのアーカイブ見にを動画配信サイトに見に行ったりしてしまう。それがさらに自分の心を締め付けることはわかっているのに、やめられない。やっぱりわたしはまだアイドルに未練があるのだろうか。自分の気持ちすら自分で理解できていなかったのだ。


そんなことを考えているうちに、また一ノ瀬さんが家に来る日になってしまった。


「ごめんなさい…」


玄関で彼が来るのを待機し、ドアが開いて彼の顔を見るや否や、わたしは頭を下げた。


「頭を上げてください。挨拶もせず急に、どうされましたか。」


頭を上げることはできないし、したくない。最初の宿題すら守れなかったわたしに、彼と目を合わせて話す資格なんてないと思っていたから。


「ごめんなさい…興味のある学部決めるのが宿題だったのに…わたし、何も決めれなくて…どれも興味ないわけじゃなくて、どれも平等に興味があって順位づけができないというか…」


つらつらと用意してきた言い訳を並べる。いっそ、わたしに嫌気が刺して帰ってくれればいいのに。そして前回の話も含めて全部白紙になれば楽なのに。最初の宿題すら達成できないわたしなんかにこれから1年付き合わせるのは、彼の時間を無駄にしているみたいで罪悪感が膨らむから。そんな自虐と自己嫌悪で脳がいっぱいだった。


「心配ご無用です。芽実さんがそうおっしゃるのは想定内です。」


「えっ…」


「座って話しましょう。前回は立ったまま話して、誤解を与えましたからね。」


その彼の声が耳に入る頃には、靴を脱いで床に足を踏み入れる、彼の足元が私の視界に現れていた。


前回同様、リビングのテーブルに向かい合わせになって椅子に座ると、何故か今度は彼がいきなり頭を下げた。


「前回はむしろ、私が芽実さんを試すようなことをして、申し訳ありませんでした。」


「やだ、やめて下さい! 試すってなんですか…!」


予想外な彼の行動に私は動揺して、慌ててそれを止めて、彼の話を聞くことにした。


「私が確かめたかったのは、芽実さんが理系の学部を志望するか否かだけでした。私は文系出身で、数IIIや理科の発展科目を教えることはできませんから。」


「なんだ、そんなこと…」


身体にのしかかっていた罪悪感が一気に抜けて、拍子抜けしたような声が自分の口から漏れた。


「理系の学部を志望するなら、他の適任の講師…私の同僚を紹介することもできます。芽実さん、いかがですか。」


一応わたしは高校の文理選択で理系クラスを選んでいたのだ。彼もそれを知っていた上でこのような配慮をしているのだろう。しかし、わたしは高校2年生は1学期しか通っていないので、数学も理科も文系クラスでもやるレベルまでしか授業を受けたことがなかった。


「数学は嫌いではないけど…数IIIを今から独学する程のやる気はないし、やったところで他の受験生に追いつける気がしないから…。だからといって、文系の学部も受かる気しないけど…。」


数学がそこまで苦手ではなかったのもあるが、理系を選んだ理由はクラスの男女比だ。女子が少ないクラスに行けば、こんな自分でも仲良くしてくれるんじゃないかって思ったのだ。そんな淡い期待が叶うことは結局なかったのだけど。


「現時点までの芽実さんの状況なら、理系の学部より文系の学部の方が圧倒的に合格はしやすいと、私は考えています。」


そう言って一ノ瀬さんは本日初めて鞄を漁って書類を取り出した。


「理系の各学科の二次試験受験教科の欄を見て下さい。数III含めた数学と英語がどの学科も必須な上、化学科は化学が、物理学科と機械工学科は物理が、地球生物学科は生物が必須です。数学科と電子情報学科は追加の必須科目が無い代わりに数学の配点が倍です。未履修の科目の二次試験対策は勿論、まだやりたいことが定まっていない芽実さんに早期決断を迫ることも負担が大きいと推測されます。」


書類の表を指しながら、一ノ瀬さんの説明が続く。複雑で読みにくいからと見ていなかった表の意味が、彼の説明でするする頭に入ってくる。


「対して文系の学科ですが、二次試験の教科はどの学部も、国語、英語、数IIIを含まない数学です。そのため後の興味・関心の変化によって文系の学部間なら変更が可能です。これらの教科は高校で履修していてゼロからの独学もないのも利点です。さらに一次試験、大学入学共通テストについて。高校で未履修なのは社会ですが、そのうち公共は高卒認定試験で勉強するため一石二鳥ですし、他の科目も私が指導できるので心配ご無用です。」


「ねえ、さっきから『高校で履修してるから』ってずっと言ってるけど、わたし半年前に退学してからちっとも勉強してないよ…? だからそれを鵜呑みにしない方が…」


「ゼロから独学するのと、一度触れたことがあるものを定着するのでは、負担が大きく違います。芽実さんもオーディションで、ダンスは完全未経験で苦労していましたが歌は中学の合唱部の経験を活かして得意としていたでしょう?」


「た、たしかに…」


わたしの経験まで織り交ぜた彼の理論は説得力が強くて共感せざるを得ない。なんだか、やけにわたしのオーディション時の状況に詳しいな。そう一瞬思ったが、それを気に留める程今のわたしには余裕がなかった。


「さて、ここまで説明が長くなってしまいましたが。」


広げていた書類を全て横にスライドさせ、一ノ瀬さんは淡々と説明していた時とは雰囲気が違う声を発した。


「私の仕事は、適切な目標設定とノウハウの伝授。やるか、やらないかは芽実さん次第です。芽実さんが努力すると誓うのであれば、私は常に貴方の味方となり、全力でサポートいたします。この提案を受諾し、私の指導の元、高卒認定試験と大学入試に挑戦されますか。」


彼の右手が差し出された。


説明を2回聞いても、無理難題な提案であるとやっぱり思ってしまう。だけど、最初に聞いた時のような“馬鹿にされている感”は今は完全に消え去った。難しい中でも、私が頑張りやすいように道しるべを示してくれているの感じる。


「…はい。よろしくお願いします…。」


この選択が自分にどんな変化をもたらすかは予想できない。でも、今はこの手を取るのが最善策な気がした。今この世界で最も私の将来のために具体的な提案を考えてくれているのは、他でもない彼だから。


差し出された右手に自分の右手を重ねて握手をした。こういう時、目上の人には左手を出した方がいいんだっけ。媚びてるみたいで駄目だっけ。そんな迷いから中途半端な位置に左手が浮いている。


お母さんは、リビングのソファでスマホを触っている。椅子の位置的にお母さんの姿は視界に入っていないけど、私の返事を聞いた時、お母さんがものすごく安心したように身体の力を抜いて息を吐いたのが、見なくても気配で伝わった。


「こちらこそ、約1年よろしくお願いします。」


一ノ瀬さんはそう言って、握手していた手を離して、腕を胸の前で組んだ。今日の話はこれで終わりではない、何か言われる。そう感じとった。


「後出しになりましたが、本格的な勉強を開始する前に、1点条件があります。」


「条件…?」


「芽実さんのライブグラムのアカウントからログアウトして、ライブグラムのアプリを削除して下さい。」


「えーーっ?!」


テーブルの隅に置いてあった自分のスマホを素早く手に取り、胸元に引き寄せた。彼に奪われて、勝手に操作されないように。そんなわたしを見て、いつも無表情の彼の目が呆れを示すようにジト目になっていた。


「嫌だ! 嫌です! オーディションの仲間と相互フォローだし、15万人にフォローされてるのに、今消して後で作り直したってこんなにフォロワー増えることないだろうし…」


目に力を込めて一ノ瀬さんを睨みながら反論する。


「メリハリをつけてライブグラムを運用し、自分の目標を公表してフォロワーからの応援を糧にして頑張れるのなら、私もこんなことは言いません。しかし、今の芽実さんにそれができるとは思いません。こまめな投稿とコメント返信に、オーディション仲間の全ての投稿に“いいね”をつけている。恐らくSNSにかけている時間が多すぎます。」


「うっ…」


わたしのライブグラムの使い方は本当に彼の言うとおりで、反論の言葉が出ない。


「それに私の推測ですが、今の芽実さんは他のオーディション仲間が先にアイドルデビューしていくのも、自分より他の仲間の方がフォロワー数やいいね数が多いことも気に病まれる状態でしょう。今の芽実さんにSNSは完全に時間の無駄、百害あって一利なしです。」


「わかった、わかったって。もうやめて…」


言うこと言うこと全部図星で、わたしの心の中を丸裸にされている気分になって、降参してしまった。


「私はアカウントを退会しろとは言っていません。『諸事情でしばらくログアウトします』とでもプロフィールに記載してログアウトすれば良いだけの話です。目標を達成したらまたログインすれば良い。私がスマホを奪って操作するような真似はしたくないので、今ご自分で操作して下さい。」


もう観念して、スマホの画面を彼に見せながら、言われた通りログアウト操作を進めて、アプリを削除した。


「ついでに、動画配信サイトですが一旦ご自身のアカウントからはログアウトして下さい。今から私のファミリーアカウントを共有します。こちらのアカウントは一部機能が制限されており、閲覧できるのは私が設定したプレイリストのみとなります。」


「えーーーっ!! そこまで制限されるの?!」


もはや駄々こねる小学生と諭す母親みたいな構図になってしまっている。


「動画配信サイトからオーディション仲間の様子を見に行っては、折角SNSを消した意味がありませんので。」


不意にわたしの手元からスマホをあっさりと奪われ、彼が手慣れに操作して返却される。アカウントはわたしが使っていたものとは別のものに切り替わっていた。ちゃんと検索機能に制限がかかっている。


「目標達成のための道しるべを整えるのも、私の仕事ですので。」


無表情な顔が、今は鬼の形相のようにわたしの目に映る。さっきは自分からスマホ奪って操作しないって言ってたのに。そもそも条件1つじゃないし…そう口ごたえしたかったが、それもまた彼の逆鱗に触れるだけなのでやめておいた。

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