(1)絶望の淵
あと一歩のところで、わたしは脱落した。
人生を賭けたオーディションだった。審査と投票で上位7名がアイドルグループとしてデビューできる公開オーディション。
オーディションが進むにつれ高校の出席日数が足りなくなり、オーディションの様子が地上波で放映される段階まで進んだ時、芸能活動禁止だった高校を退学した。視聴者はオーディション参加者の情報を求めてインターネットで詮索するから、友達と繋がっているSNSもトークアプリも全て消した。
50人から始まって徐々に脱落していく中、最終選考の14人まで残ったのに、最後は8位でわたしの夢は呆気なく散ったのだ。
デビューが決定した7人が、私の一歩手前で拍手喝采を受ける。同じステージに立っているのに、わたしにはスポットライトが当たらないし、拍手を送られることもない。それがどうしようもなく苦しかった。
しかし、本当の苦しみはここからだった。
オーディションが終わった夜、終電の新幹線に乗るために東京駅に向かった。合格者はホテルが用意されるが、脱落者は帰らねばならない。なんて酷い仕打ちだと思った。他の脱落者は皆首都圏在住で、唯一地方出身のわたしは1人で東京の街を歩いていた。
すれ違う人々と目が合うのが怖くて下を向いて歩いていると、一つ分の冷たいものが頬に落ちたのを感じた。ふと顔を上げると、白い小さな雪がひらひらと降っていた。冬は景色真っ白になる地元と違って、東京では雪がなかなか降らないと言っていたのに運が悪い。頬に落ちた雪は体温で溶けて溢れ落ちた。
「ねえ、あれ、めーみんじゃない?」
横断歩道の信号待ち、数メートル先からそんな声が聞こえた。“めーみん“とは、わたし、中嶋芽実のオーディション時の愛称だ。その方向をちらりと見ると、ブレザーの制服にマフラーを付けた女子高生2人組がこちらを見ていた。最新機種のスマートフォンに搭載されている3つのカメラがこちらを向いている。
それに気付いた瞬間、何か感じるより先にに彼女達から目を背けて、横断歩道を駆け出した。少しフライングだったがそんなこと気にしてられなかった。
「今すれ違った子、さっきまでオーディション出てた子に似てない?」
「いや、まさか〜」
「あの子泣いてる? 大丈夫かな。」
時々聞こえる、わたしを見て何か言う声。一度気づくと、街を歩く全ての人々がわたしを同情の目で見ているような気分になる。一刻も早く誰にも見られないところに行きたくて、無心で東京の街を走り抜けた。
実家に戻って数日後、『ライブグラム』というSNSアプリに登録した。「登録しないとめーみんのなりすましアカウント増えるし、DMからスカウトが来て次のチャンスに繋がるかもだからやった方がいいよ。」共に脱落したオーディション仲間に開設を勧められたからだった。アカウントを開設して一晩でフォロワー数は1万を超えた。
「めーみんが最推しでした♡」
「いつか絶対デビューして!!」
「ずっとめーみんのことを応援しています!」
初めての投稿は、そんな温かいコメントが溢れていた。こんな自分でも、応援して励ましてくれる人がいると安堵した。
しかし、ライブグラムをやっていて肯定的な感情になったのは、この瞬間だけだった。
しばらくアプリを開いていなかっただけで、他のオーディション参加者の新規投稿に“いいね”しなかったことを「不仲」と誰かが言い出した。不仲ではないから、できるだけ“いいね”しなきゃとスマホを見る時間が増えた。更新の間隔があくと「めーみん病んでる?」と誰かが言い出すから、1日1回は投稿しなきゃと頭を使うようになった。
そしてアカウントを開設して2週間後、デビューメンバーのアカウントが開設された。彼女達のフォロワー数はあっという間に自分の2倍、3倍へと増えていく。そのアカウントはちっとも更新されないし、わたしの投稿に“いいね”もしないのに。
共に脱落した他のオーディション参加者のフォロワー数も気になって確認すると、他の参加者の方が私よりフォロワー数が多いことに気づいた。脱落者の中では私が1番デビューに近い順位だったはずなのに。
オーディションに脱落した悲しみは癒えるどころか、時間が経つにつれて新しい劣等感が現れ、じわじわと私の心を蝕んでいった。
ずっと何もしないわけにはいかなくて、自宅から通える距離のカフェチェーンでアルバイトを始めた。平日の昼間シフトに入っている数時間は、強制的にスマホから引き剥がされて、それがもどかしいようで心のどこかで安心している自分がいた。従業員は私よりずっと年上の優しい人ばかりで、わたしのオーディションのことを知る人はいなくて、同情の目で見てこないのが気楽だった。元同級生に見つかるのが嫌で、人手が必要な休日に入ることができなくて申し訳なかった。
初めて貰った給料と貯めていたお年玉を使って、オーディションに参加していたメンバーに会いに東京に行った。今日会ったのは、サクラ、ユリ、カエデの3人。最終選考で同じチームでパフォーマンスをした。他にも同じチームだったモモ、ラン、スミレはオーディションに合格しデビュー準備で多忙のため誘えなかった。
「うちら、デビュー決まったんだよね。」
集合して最初に入ったカフェで、開口一番サクラはそう言った。その言葉が耳に入った瞬間、手に力が入らなくて箸で摘んでいたプチトマトがポトっと落ちた。
「デビューグループは可愛い系のメンバーが多いから、後から大人っぽい系のグループ作るんだって。それで、うちとユリとランが選ばれた感じ。」
3人は既にお酒が飲める年齢で、この4人で並んで歩いているとわたしだけ小学生に見えるのではと心配になるくらい、3人とも大人っぽい。
「公式発表がある前に、めーみんに伝えておきたいなって。最後一緒に歌った仲だから。」
お祝いしたいはずなのに、おめでとうという言葉が口から出ない。オーディションの順位はわたしの方が上だったのにと、どうしても思ってしまう。この3人にわたしが混じっても変だと自分に言い聞かせた。
「めーみんもきっとそのうちスカウト来るよ。それまでがんばって。」
デビューが決まって浮かれ気味の3人に、あまり心のこもっていない励ましをもらった。
その後、せっかく東京に来て高いごはんを食べているのになんだかあまり味を感じなくて、原宿を歩いたのに物欲が沸かなくて、いろいろ買い漁る3人をぼんやりと眺めていた。4人でたくさん写真を撮った。この後ライブグラムに投稿するのだろうけど、夢が叶って生き生きとした3人と同じ画角に写るのは嫌だなあと思った。
3人と別れて、新幹線に乗って帰るために駅に向かおうとした。すれ違う人々と目は合わない。オーディションが終わって約2ヶ月、人々も私のことを忘れつつあり、わたしも少しは前向きになれているのかなと足取り軽く駅に向かおうとした時だった。
急に後ろから肩を叩かれた。さっき別れた3人が用事があって追いかけてきたのかな、それとも東京には他のオーディション参加者がたくさんいるから、わたしを見つけて声をかけようとしてくれたのかな。そんな軽い気持ちで振り返った。
それから先のことはあまり覚えていない。思い出したくないのかもしれない。ただ、わたしの予想は酷く裏切られた。自分より随分年上の知らない男性だった。何言ってるかわからなかったけど、マスク越しでも察せるくらいニヤニヤしていて、気持ち悪かった。身の恐怖を感じて、急いでその場を離れた。オーディションが終わった夜とは比べものにならないほど全力で走った。駅の改札がすぐそこにあって、そこから先はついてこなくて助かった。
あがった呼吸を整えながら、新幹線の自由席についた。こんな怖い思いするなら指定席にしておけば良かった。マナー違反なのはわかっていたけど、隣の席に人が、男の人が座らないように、バックを陣取るように置いた。ライブグラムを開くと、今日会った3人が既に写真を投稿していた。
「最終選考を共にしたうちらの絆は永遠!」
そんなテキストが添えられていた。そんな風にわたしのことを思っているなら、新幹線に乗る直前まで見送ってほしかった。そんなことを思いながら、コメントや関連の投稿を遡る。わたしたちの再会に喜ぶフォロワーで溢れている中で、奇妙な投稿が目に入った。
わたしたち4人が原宿を歩いている写真が投稿されていた。撮影者は道路を挟んで反対側で撮ったようだった。スクロールしていくと、そんな盗撮写真がぽつぽつと出てきた。3人に報告しようとして、やめた。これくらいアイドルデビューしたら有名税みたいたもんだよって、浮かれた3人は言いそうだったから。通報するにも数が多すぎてキリがなくて、諦めてライブグラムのアプリを閉じた。
地元に帰り、アルバイトと家の往復の平穏な日々が戻ってきた。相変わらずカフェの人々は優しかった。サクラ達のデビューが発表され、今の自分と比較してネガティブになっていた日、アルバイトを頑張れば給料アップや社員昇格も可能だと店長に教えてもらった。新しい目標ができて一層頑張ろうと思って気が紛れた。そんな時期だった。
いつも通りの平日、カフェで接客をしていた時、カフェの扉が開いた。男性が1人入り口に立っていた。平日に男性1人は珍しいなと思いながら接客のために入り口に向かおうとした。
しかし、その男性に近づくとあることに気づいて、回れ右して早足で厨房に戻った。
「すみません! 今のお客さん代わりに接客してもらえますか?!」
頭を打ちそうなほど勢いよく下げて厨房スタッフにお願いした。手が震えて、額には冷や汗が流れている。
地元に戻って忘れかけていたが、あの顔を見て全てを思い出した。マスクも、ちょっとだらしない服装も同じだ。東京で肩を叩いてきたあの男だ。なぜかわからないが、こんな田舎のカフェチェーンまでこの男は追いかけてきた。この状況に身体が理解できず、厨房の中でしゃがみ込んだままその日のアルバイトは終わった。
数日後、わたしはアルバイトを辞めることになった。あの後、SNSで自分の名前を検索すると、カフェで働いている様子や自転車でバイトに向かう様子を不特定多数のアカウントがアップロードしているのが見つかった。どれも盗撮だ。東京の時同様、誰かが撮影して載せて、それを他の誰かが転載して拡散されているようだった。カフェにやってきたストーカーの件も含めて警察に相談したが「公開オーディションなんか出てSNSも発信しているから自業自得だ」と相手にされなかった。
店長も他の店員も、オーディションのことを知っていた。それでもわたしを傷つけないように、わざと知らないふりをしていてくれた。盗撮やストーカーの件もわたしを助けようと親身になって行動してくれた。でも、何も解決しなくて、これ以上カフェの人々に迷惑をかけるわけにはいかなかった。そもそも、またあの男が来たらと思うとまともに仕事ができなくて、辞める道しか残されていなかった。
アルバイトを辞めてから数日間、わたしは部屋に閉じこもって泣き続けた。やっと見つけた一筋の希望ですら、有名税によって潰されたのだ。わたしはデビューしていないのに。
「いやだ、もういやだ! 何でわたしだけ…」
他の脱落者もデビュー決定が発表されて、最終選考に参加した中でデビューしていないのは自分だけになっていた。ライブグラムでデビューの発表やアイドルとしての活動報告が目に入る度に心が裂けるように痛くなって、また泣いてしまう。
「一度挑戦してみたかった、自分を変えてみたかっただけなのに、たった一度の失敗でなんでこんなに苦しまなきゃいけないの…?」
涙を流しながら、同じことを何度も繰り返し呟いている。扉の向こうに毎回食事を持ってきてくれるお父さん・お母さんには、同じ話ばかりで申し訳ない。
「こんな自分やだよ…変わりたいよ…幸せになりたいよ…」
スマホの充電も気にしないほど気が狂ったように泣き続けた。
涙が枯れて、スマホの充電が切れて、やっと我に帰って落ち着いてきた朝、お母さんが部屋の扉をノックした。
「芽実、出てきて。今日はちゃんとご飯を食べて、ちょっとお洒落をしましょう。」
久しぶりのリビングは少し眩しかった。お母さんが作ってくれたお粥は、随分と美味しく感じた。身体を洗おうと風呂場に向かうと、朝なのに湯船にお湯を溜めておいてくれていた。
「芽実、今からする話はできそうだったらでいいのだけど。」
幼稚園ぶりにドライヤーで髪を乾かしてくれているお母さんが口を開いた。
「今日、1人お客さんが来るから、お母さんと一緒にお話しできるかな?」
お客さんと聞いて、背筋が凍ったように固まった。ストーカーの件以降、わたしは人と会うのが怖くなっていたから。
「お客さんは変な人じゃないよ。若い男の人だけど、塾の先生。お母さん昨日先に会ったんだけど、ちゃんとした人だったよ。」
不安がるわたしを慰めるようにお母さんは話を続けた。
「お節介なのはわかってるけどね、オーディションも退学もSNSも止めなかった両親にも責任があると思って、お父さんといろいろ探して見つけたの。彼なら芽実が変われるきっかけをくれそうだなって。」
“変わりたい。幸せになりたい。”
泣きながらわたしがずっと叫び続けた言葉だった。泣くことしかできず部屋に閉じこもっている間に、お母さんもお父さんもわたしを救おうと動いてくれていたのだ。2人からの想いを知ると、怖いくらいで逃げちゃいけないような気がしてくる。
「わかった。会ってみる。」
まだ身体が固まったまま、その言葉を口にした。喉が少し枯れて、声が掠れていた。
「良かった。会う前にお化粧する?」
ブローが終わり、顔を上げて鏡を見た。少し頬が痩せこけているが、肌荒れは特になく、髪はサラサラにまとまっている。オーディション中は色の濃い韓国製の化粧品で毎回メイクされ、ニキビや炎症が常に絶えなかった。
「いいや、このままで。」
泣きながら何度も再生した、真っピンクのアイシャドウに長いアイラインを引いたオーディションのアーカイブの中にいる自分の姿で、その人に会いたくないと思い、そうお母さんに返答した。
約束の時間は15時と聞いていたが、10分前にはインターホンが鳴った。母親が玄関に向かう。心の準備ができていなくて、心臓の鼓動が乱れる。逃げたい。でももう逃げれない。足音がだんだん近づいていく。開きかけた扉を凝視した。
彼が部屋に入ってきた瞬間、身体の力が一気に抜けた。すらっと背が高くて、ちょっと痩せていて、眼鏡をかけた、清潔感のある男性だった。若いとは聞いていたが、同級生にいてもおかしくないような少し幼さが残る爽やかな人だ。ストーカーとは真反対の彼の容姿に、人を見た目で判断してはならないと思いながらも、身体は正直に安堵の意を表す。
「初めまして、中嶋芽実さん。卯辰大学法学部新3年生の一ノ瀬蓮と申します。アルバイトで塾講師をしておりまして、今回はその仕事の一環でこちらにお伺いしました。」
表情筋を1ミリも動かさず、声の抑揚もほとんど出さず、少し低めの声で彼は名乗り切った。それが「この人は自分に邪な感情を持っていない」と私をさらに安堵させる。
「本日は、最も短期間かつ確実な方法で、芽実さんの現状を打破する方法を提案いたします。」
「それって…頑張ればわたしにもできますか?」
そんな都合の良い話あるのかと思い、恐る恐る彼に問いかけた。
「はい、芽実さんの努力次第で、確実に実現可能です。」
また表情を変えずに、彼は言い切った。
努力次第なら、話だけでも聞いてみたくなった。今はこんな状態だけど、オーディションで最終選考まで残るくらいには努力家だと自負している。
「単刀直入に言います。この1年で高卒資格を得て、大学入試を受験し、合格する。これが私からの提案です。」
え???
1年で大学合格??
わたし、高校すら卒業していないのに…?