婚約破棄してくださって結構です。
いつものように貴族学校へ馬車で向かう最中の事だった。馬車がいきなり止まったかと思えば、左側の石畳の歩道に男女2人が突っ立っているのが窓から見えた。
はあ、またあの女を伴っているのか。あの馬鹿婚約者は。
「イヴ! すまないな」
「バトラー様。いえ。大丈夫です」
「イヴ様おはようございますぅ。馬車失礼いたしますわぁ」
男の方はバトラー。茶髪をきっちりと七三分けした髪形をしており、長身でも小柄でもない体格の持ち主である。伯爵家の令息で私・イヴの婚約者になる。
そして女の方はユミアと言って子爵家の令嬢である。金髪をハーフアップにしてピンクのリボンを付けている。私が霞むくらいの美人だ。
私の家はバトラーと同じ伯爵家。彼と婚約したのは12歳の時でまだ貴族学校に入る前の事だ。私の父親は伯爵家でありながら騎士団長の役目も担っている。騎士団長に就く事は貴族の男に取っては光栄な事。彼もまた騎士団長になりたいと強く望んでいた。
(あの時はまだバトラー様も可愛げがあって私一筋だったのに)
しかし半年くらい前。バトラーは何かに目覚めたのか、婚約者である私以外の女と親しくするようになった。それがこのユミアである。ユミアはいつも猫なで声を出してバトラーに甘えている。そして私がバトラーと親しく会話をしていると、それが気に食わないのかフグのような顔をしてきっと私に睨みつけてくるのだ。
(はあ、また馬車の中でいちゃつき始めるぞ……)
私の予感が的中していたようだ。ユミアはバトラーの首元に手を回し早速あれが欲しいこれが欲しいとおねだりを始めた。
「ねえ、バトラー様ぁ。真珠のネックレスが欲しいのですぅ。買っていただけませんことぉ?」
「あ、ああ……良いよ」
「……バトラー様。予算は大丈夫なのですか? 真珠は今はかなり高騰していると聞きますが」
「何ですのイヴ様! 令嬢なら真珠のネックレスの1つや2つ持っていて当たり前でしよ!」
(これ以上は無駄だな)
「そうですか。ではどうぞご自由に」
そう呆れながら呟くと、ユミアはまたバトラーにおねだりを再開した。次は真珠のネックレスだけでなく夜会用のドレスまでねだり始めている。
ユミアは実にわがままで頑固で厄介な人物だ。彼女は1人っ子という事もあってか子爵夫妻から大変可愛がられていると聞く。それに貴族学校ではああ見えて成績は良く、問題児どころか教師らからも人気なのだそうだ。
(はあ……めんどくさい)
そうこうしていると貴族学校に到着した。私達は御者の手を借りながら馬車から降りて、学校の校舎に入る。校舎の中に入って廊下を歩く時もユミアはずっとバトラーにくっついたままだ。教室は私やバトラーとは違うのにずっとくっついている。
そろそろ彼女には自分の教室に戻るように促すべきなのだがまた何か言われると思うと気が引ける。
(なんて言おう)
その間にもユミアはバトラーにずっと真珠のネックレスに夜会用のドレスにその他アクセサリーをねだり続けていた。
「お願いバトラー様ぁ」
「ああ、仕方ないな。買ってやるよ。ユミアは可愛いからな」
「まあ! 私を可愛いと仰って頂けるなんて!」
するとユミアはすぐに私の方に振り向き、ゴミを見るような目とニヤリとした笑いを浮かべる。
(ふん、そういう表情すると思った)
私はそんな彼女のあくどい表情に目を向ける事もしなかった。そうこうしていると私とバトラーの教室の前に到着する。
「バトラー様。教室に入りましょう」
「ああ、そうだな。入るか」
「嫌! 待ってバトラー様ぁ! まだお話が……!」
「ユミア様は教室違うでしょう? 早くしないとベルが鳴りますよ」
「何ですの、イヴ様のいじわる! 私とバトラー様を引き裂こうとしてるのね!」
ユミアの叫び声に呼応するかのように教室にいる生徒がじろじろとこちらを見ている。ユミアは学校でも人気者の存在だ。なので私からすると不利な状況に置かれている。
「またイヴさんがユミア様をいじめてる……」
「イヴってバトラー様と婚約してるだけじゃない」
「どうせ形だけの婚約でしょ?」
(はあ……また陰口が始まった)
ひそひそという陰口が耳に入って来るのを我慢していると教室に向かってくる人物が見えた。
「おはよう。3人とも」
「こ、コーディ様……!」
コーディ様。クルエルティア公爵家の長男で次期当主。金髪のショートヘアに長身で肉付きの良い体格をしている人物だ。それはバトラーが貧相に見えるくらいのもの。
また彼はその美しい容姿と公爵家出身と言う事から貴族学校に通う男女の憧れの的な存在である。
「ユミア。イヴとバトラーが困っているよ。早く自分の教室に戻るんだ」
宝石のように輝かしい笑顔を浮かべるコーディ様からそう促されたユミアははぁい。と返事をして素直に自分の教室に向かっていく。
(助かった……)
「コーディ様。お気遣いありがとうございます」
「いやいや。イヴ。俺のお節介だから。バトラーも嫌ならしっかり嫌と言うべきだよ」
「……っ。そうだな。すまない」
正論を言われたバトラーはすごすごと自分の席に向かっていく。彼の背中には情けなさが漂う。
「はあ……」
私は息を1つ吐いて、自分の席に着いたのだった。
夕方。この日はバトラー様のお屋敷で夕食を頂く予定だ。学校の正門前に馬車が止まっているはず。私はバトラーに声を掛ける。
「バトラー様。もう迎えの馬車が来ているかと思われます。行きましょう」
「ああ、イヴ。その事だが……今日は急用が出来てしまって無かった事になった。すまない」
バトラーはそう素っ気なく答えると足早に教室から出ていく。
「ま、待ってください」
すると廊下でユミアと鉢合わせする。ユミアはバトラーを見つけるとすぐに彼の右腕を抱き締めるように組んだ。
「バトラー様ぁ! お待ちしておりました! では参りましょう!」
(ああ……急用って……)
「バトラー様。急用ってそう言う事ですか?」
「ああ、イヴ。すまない。さあ、ユミア。一緒に行こう」
「はい♡ バトラー様ぁ」
2人は私を置いて学校前の馬車に乗り込む。私も乗り込もうとしたが、御者から乗れないと言われて降ろされてしまった。
「まあ、イヴ様かわいそう!」
ユミアの高笑いが速いスピードで進む馬車から聞こえてきたのだった。
「はあ……何よ」
とてつもなく自分が惨めだ。それに後ろからはひそひそとまた陰口が聞こえて来る。
(帰ろう。徒歩でもいいや……)
すると私を呼ぶ男子生徒の声が聞こえて来る。コーディ様だ。
「コーディ様?」
「イヴ、どうしたんだ? 今日はバトラーと一緒に帰らないのか?」
「あ、ああ……実は」
私は包み隠さずバトラーがユミアと一緒に馬車で帰って行った事をコーディ様に伝えた。
「そうか……かわいそうに。じゃあ、俺の屋敷に来ないか? 両親は今はいないから泊まってもいいよ」
「えっ」
「驚く事でも無いだろう。だってクラスメイトじゃないか」
「そ、それは……そうですが」
コーディ様からのいきなりの誘いに私は驚く。しかし心の中では彼へ気持ちが傾く自分がいた。
私は一応バトラーとは婚約している仲なのに。
(あっちは私じゃなくてユミアを優先した。なら、私もコーディ様を優先していいよね……?)
これが悪魔の囁きか私の本音かは分からない。気がつけば私は優しくにこやかな笑みを浮かべたコーディ様に手を引かれて、彼の馬車に乗り込んでいた。
コーディ様の馬車はさすがは公爵家というべき豪華な作りだった。椅子の座り心地もうちやバトラーの馬車よりも柔らかくて座りやすかった。
「夕食も食べるよね?」
「はい。ぜひごちそうになりたいです」
「ああ。ゆっくりしていって。それにしてもバトラーは酷いな」
「ああ……」
「あのユミアも酷いけどバトラーも酷い。俺がバトラーならあんな事はしないのに」
そう語るコーディ様の厳しい目には怒りが籠もっているように見えた。さっき私が馬車に乗り込む時は優しい天使のような目つきをしていたのに。
(コーディ様がそんなに怒るなんて見た事が無い)
「あの、コーディ様……」
彼を怒らせるような事を(うちの婚約者が)してしまい申し訳無い。そう謝罪の言葉をコーディ様に語った。
「イヴが謝る必要は無いよ。でも気持ちは分かる。俺が同じ立場になったらそうしていたと思うから……」
「コーディ様」
「さあ、俺の家でゆっくりしていこう」
馬車がゆっくりと減速し、停車する。コーディ様の手を借りて馬車を降りるとそこには私やバトラーの屋敷よりも広く巨大な白亜の屋敷が鎮座していた。
(ここが……クルエルティア公爵家のお屋敷……!)
屋敷の黒い大きなアーチ状の鉄門がゆっくりと開かれ、メイドや執事らがこぞってコーディ様を出迎える。
「コーディ様、おかえりなさいませ」
「皆、今日はイヴもここで泊まる事になった。おもてなしをよろしく頼む」
「はい、承知いたしました」
私は早速彼らの出迎えを受け、その足でメイドとコーディ様先導の元部屋を案内される。どの部屋もうちの家以上に広くて高級そうな小物や装飾品が彩っている。財力の違いをまざまざと見せつけられ、思わずぽかんと口が開いたままになってしまう。
(すごい……さすがは公爵家。こんなに豪華だなんて)
「イヴ、どうしたの? 開いた口がふさがってないようだけど」
「す、すみません……豪華すぎて驚いてしまったと言うか」
「そうか、よく言われるんだ。この屋敷は100年以上前に建てられたものなんだけど皆のメンテナンスのおかげで保存状態も良好に保たれている。皆には感謝しかないよ」
100年以上前に建てられたものだとは。これ以上に無いくらい煌びやかさを保っているのは彼の言う通り執事やメイドらの日々の勤めによるものが大きいのだろう。
「イヴ、先にシャワー浴びてきたら? その間に夕食を用意しよう」
「いいんですか?」
「ああ。俺もシャワーを浴びて来るよ。疲れただろうしゆっくりしておいで」
「わかりました……」
私はメイドに案内されて、シャワールームまで向かう。白亜と茶色のコントラストが美しい廊下には一定間隔で花瓶が配置され、色とりどりの花がたくさん生けられている。
「こちらになります」
脱衣所も広々としていて爽やかな良い匂いが辺り一面に立ち込めている。ガラスの扉の奥には大きな円状の浴槽と金で彩られた蛇口やシャワーなどが見えた。
メイドに手伝ってもらいながら服を脱ぎ、シャワーを浴びる。湯船には乳白色の入浴剤が使われており紅白のバラの花びらもちりばめられていた。
(良い匂いがする……)
まるでうっとりしてしまうくらいの良い匂い。ゆっくり入浴を済ませた後はコーディ様のメイドが用意してくれたドレスに身を通す。
ワインレッドのドレスは素材からして高級そうなのが見ただけで伝わってくる。
「シャワーお疲れ様」
メイドに案内され広大な食堂に入室すると、先にコーディ様がシャワーを済ませて着席していた。私が急いで席に座ろうとすると笑って焦らなくても良いから。と制した。
「薔薇の花びらどうだった?」
「あ、はい。とても良い香りがして良かったです」
「あれはうちの中庭に咲いているものなんだ。今度良かったら見る?」
「あ……よろしければ」
「ははっ。一緒に見ようか」
私達の元に夕食が運ばれて来る。前菜は野菜のサラダに小さな白身魚のソテー。魚には臭みは無く、骨も処理されていてとても食べやすい。
「美味しいです。白身魚の身も柔らかくて口の中で溶けていきますね」
「うちのコックは指折りの腕でね。メインディッシュもぜひ期待して欲しい」
メインディッシュは鹿肉のステーキ。ワインレッドと茶色を混ぜたソースがふんだんに使われている。
ひと口口の中に入れてみると思った以上に柔らかくてしかも臭みも無い。
「とても美味しいです……!」
ここまで美味しいステーキも鹿肉の料理も初めてだ。さすがは公爵家……!
「気に入ってくれて良かった。パンもステーキもおかわりあるからね」
「おかわりしていいんですか?」
バトラーは大食い……よく食べる女性はそこまで好きではない。なので彼と食事をする際はよく己の食欲を我慢していたものだ。
「ああ。食欲の向くままに食べたらいいよ。食べないよりかはましだし」
「ありがとうございます……! では、おかわりさせて頂きます」
こうして夕食後、私はメイドにより寝間着に着替えてゲストルームに案内された。広い部屋に紅い天蓋付きのベッド。目を丸くさせながら部屋中を見渡していると、部屋にコーディ様が入って来た。
「寝る前に話でもしないか?」
「あ……はい。私でよければ」
「はは、イヴだから話したいんだよ」
メイドが一礼をして部屋から去る。そして部屋の中でコーディ様と2人っきりになった。
「今、イヴがバトラーと婚約しているのがあまりに惜しい」
「……コーディ様?」
コーディ様は私に近づく。そして右手を取って愛しそうに両手で握り頬ずりをする。
「俺がもしもイヴの婚約者なら……こんな寂しい思いはさせないのに」
「コーディ様」
ああ、コーディ様がここまで私を思ってくれるとは。私は顔を赤く染めつつも申し訳なさと嬉しさが複雑に織り交ざった感情を顔に浮かべていた。
「……すまない。困らせてしまったようだ」
「いえ。コーディ様は悪くありません。ここまで優しく慰めてくれるのはコーディ様だけですし……」
バトラーがユミアを優先しているという事は両親にはまだ打ち明けられていない。家族との仲が悪いという事は無いのだが、やっぱりどうしても言いづらい。今こうしてコーディ様と一緒にいるという事も向こうが知ったらどのような顔をするだろうか。コーディ様は公爵家なのでまず嫌な顔はしないだろうなとは予測できるのだが。
「そうか。そうなんだね。家族とは?」
「言えてません。申し訳ないと言うか、言いづらいというか……」
「まあ、バトラーは婚約者だからね。言いづらい気持ちは理解できる」
「そうですか……」
コーディ様の言葉が身に染みる。涙が出てきそうだ。
「そろそろ寝ようか。ちょっと早いかもしれないけど。それとも家に帰る?」
「……いや、ここにいます。鉢合わせになっても嫌なので」
「そうか。じゃあ」
コーディ様は私の手を離し、部屋を後にしようとする。
「ま、待って!」
「イヴ?」
「……もう少し、ここにいてほしいの」
「……分かった」
それからコーディ様はベッドで私と並んで座り、授業についての話や互いの趣味などの雑談をしてから互いの部屋で床に就いたのだった。
コーディ様はキスもハグもしてこなかった。それは彼なりに一線を引いているというのが十分理解できた。
しかし、私は心のどこかで彼とのそういう行為を期待していたのかもしれない。ちなみにバトラーとは何度かキスはした事ある。
(何だろう、私もしかして……コーディ様を好きになってしまっているかも)
彼への恋心が芽生えつつあるのを自覚した時が丁度夜明けだった。目が覚めたのでベッドから起き上がり部屋から出ると丁度廊下をメイドが歩いて花瓶の水を新しくしている場面に遭遇する。
「おはようございます。イヴ様。よく寝られましたか?」
「ええ、おかげさまで。よく寝られました」
頭の中をずっと巡らせていたのでそこまでぐっすりとは寝られていないのだが、無意識に嘘をついてしまった。
「良かったです。朝食はどうされますか? もう頂かれますか?」
「ええ、お願いします」
(一旦家に帰ろう)
私はドレスに着替えて食堂で早めに朝食を頂く。メニューはベーコンにトーストとスクランブルエッグ。どれも暖かくて美味しいものだった。
食堂で朝食を頂き、食後の紅茶を飲んでいる時にコーディ様が入室してきた。彼もまた寝間着から服に着替えている。朝の挨拶を交わすとこの後どうするのか。と尋ねられたので一度家へ戻る事を伝えると、一緒に向かうと言ってくれた。
コーディ様が朝食を食べ終えて、私達は一緒に荷物も持って馬車へと乗り込む事にした。
「さあ、行こうか」
「はい」
コーディ様に連れられて馬車に乗りこもうとした時だった。石造りの道を歩く1人の男に目が行く。バトラーだ。
「……イヴ?」
「あ……」
「それにコーディ。イヴ、お前こんな所で何してたんだ?」
バトラーに問われ、私は口を閉ざしてしまう。一緒にいたなんて言えない。
「ああ、勉強会をしていてね」
するとコーディ様が口を開いた。勉強会。私とコーディ様は勉強していたという設定で行くようだ。
「勉強会? イヴとコーディが?」
「ああ、近々テスト期間になるじゃないか。我々貴族は良い成績を残さないといけない。良かったら今日の放課後バトラーもどうだ? 一緒に勉強しよう」
コーディ様から誘いを受けたバトラー。うーーんとうなりながら腕を組んで考えた後、ぜひ。と返事をした。
「ああ、そうだ。ユミアも連れてっていいか?」
「え」
突如ユミアも連れていきたいと言い出したバトラー。コーディ様は教室が違うから無理だ。と言って制する。
「ああ、確かにそうだな……」
「それにユミアは成績も良い。たとえわからない部分があっても教室の誰かに聞いてもらえるだろう」
「そうだよな……じゃあ、今日の夕方よろしく頼むよ」
そう言ってバトラーは1人道を歩いていくのだった。よくよく彼の姿を思い直すと首元や頬のあたりが赤く染まっていた。まさか……。
「あれ、ユミアとそういう事してたんだろうね」
「……っ! やっぱり、そうですか」
「見た? 首元にキスマークあったの」
「ええ、はい……」
「ひどい男だ……」
コーディ様のつぶやきが私の心の中に石のように降り注いだ。
それから一度家に戻り再度馬車に乗って貴族学校へと向かう。正門では相変わらずバトラーがユミアといちゃついていた。
「バトラー様。今日も一緒に帰りましょう!」
「ああ、でも今日は用事が……」
「ええーーっ! ユミアよりも大事な用事があると言うの?! まさか……」
「うう……仕方ないな。じゃあ、ユミアと一緒に帰ろう」
やっぱりユミアの前ではこうなった。それを物陰から2人にバレないように見ていた私はすかさず教室へと早歩きで向かいコーディ様に話す。
「そうか。なら仕方ないな。じゃあイヴ……今日も一緒に帰ろうか」
「いいんですか?」
「勿論。勉強だって教えるよ」
「じゃ、じゃあ……お願いします」
「いいよ。イヴが困ってるとこは見過ごせないから」
コーディ様と話していると、教室にバトラーとユミアが入って来た。ユミアは教室が違うのに。
「皆さん! 今日はこのバトラー様がいらっしゃる教室で授業を受けさせて頂きますわ! ふふっよろしくお願いしますわね!」
そう高らかに宣言するユミアの声が、私の頭の中できいーーんと響く。
それからユミアはずっとバトラーにべったりとくっつき片時も離れようとはしなかった。しかもその日で終わりかと思いきや次の日以降も続いた。
そのせいで私はバトラーといるのは気まずいので1人で過ごすか2人のいない場所でコーディ様と過ごすかの2択だった。その様子を遠くからクラスメイトの令嬢どもがひそひそと陰口を叩くのがこれまた辛かった。
「ねえ、しばらくしたら婚約破棄されるんじゃない?」
「そうかもね。バトラー様はユミア様にお熱だもの」
「イヴかわいそう。コーディ様に色目使っても無駄なのに」
ある日。テスト期間が終わり夜会がこれから行われる。
(両親からは結婚の日取りについての説明があると聞いているけど……)
しかし、いつものようにバトラーはユミアを引き連れて帰ろうとしていた。私はもう2人に絡む元気も無かったので2人が教室を出るよりも早くに教室を出て正門に向かう。
「イヴ!」
「コーディ様……」
コーディ様が私を追いかけて来てくれたようだ。
「うちでパーティーの準備する? ドレス用意するよ」
「でも……」
「バトラーとの結婚式の日取りの発表をするんだね。聞いているよ」
「……はい。コーディ様には気に掛けてくれて感謝しています。しかし……」
「あら、イヴ様とコーディ様ぁ!」
コーディ様と話をしている場面にユミアとバトラーが現れた。ユミアはにやにやと口角を釣り上げて悪辣に笑う。
「随分とコーディ様と仲良しなのね、イヴ様。最近コーディ様と仲が良いとか」
「ああ、クラスメイトは放ってはおけないよ。イヴもバトラーもね」
「コーディ様はお優しいのですわね……ねえ、イヴ様。私にバトラー様を譲って頂け無いかしらぁ?」
「え?」
ユミアが言っている事は私とバトラーの婚約を解消しろという事だ。私とバトラー、互いの両親も絡む事だ。そんな簡単には出来ない。
「ユミア。それは横暴過ぎるよ。婚約破棄しろと言っているようなものだ。立場を考えても発言撤回した方が良い」
「コーディ様……あなたはイヴ様をかばっているのですぅ?」
「貴族として当然の振る舞いをしているだけだ」
コーディ様の目つきと声色が厳しく低いものに変わる。ユミアも察したのか口を一旦閉ざした。
「撤回しますわ。行きましょ、バトラー様」
「ああ、ユミア」
「バトラー。君は情けないな。婚約者はユミアではなくイヴだろう?」
「……っ!」
バトラーは無言で私に近寄り、右手を乱暴に取り馬車へと誘導したのだった。
「バトラー様」
「なんだ? イヴ」
「私よりユミア様の方がよろしいのですか?」
「……」
返事は無かった。
私の家に馬車が到着してもバトラーは不機嫌そうに口を閉ざすだけだった。私の両親が出迎えても挨拶すらしない。
その後バトラーの両親も交えて今日の夜会の打ち合わせが行われるはずだったが、バトラーは帰りたいと告げて馬車に乗って出て行った。彼の両親も心配して後を追っていった。
「イヴ、何かあったのか?」
父親に心配そうに尋ねられた私。ユミアの事について言おうか言わまいかと悩んでいたらコーディ様がいきなり私の家にやって来た。
「イヴ……」
「コーディ様?! どうしてここに?!」
両親も開いた口が塞がらないようだ。公爵家の人物がうちにアポ無しでやって来たのだ。そりゃあ勿論驚くに決まっている。
「イヴ、それとご両親へ話したい事がいくつかある。長くなるが大丈夫だろうか?」
こうしてコーディ様の話が始まった。
……夜会が始まる。ドレスアップした私はコーディ様のエスコートを受けて会場に入る。真紅のつやつやしたドレスはとても着心地が良い。
「あれ、イヴはバトラーと一緒じゃないのね」
「コーディ様じゃない。何かあったの?」
「まさか……ねえ?」
ひそひそ話は止む気配は無い。当然だろう。婚約者であるバトラーではなくコーディ様のエスコートを受けているのだから。
「イヴ、大丈夫?」
「はい……」
「おそらくバトラーはユミアと一緒だろう。哀れなものだ」
「そうでしょうね……」
まさかコーディ様からユミアの出自について話を聞いた時は驚いたと共にバトラーが哀れに思えてならなかった。だが彼は私ではなくユミアを選んだ。……異母妹のユミアを。
説明するとバトラーの父親が子爵家に嫁いでいたユミアの母親である男爵令嬢に誘惑されて生まれたのがユミアだ。この事はバトラーの母親は知らないが、公爵家であるコーディ様が王族から最近聞いたのだと言う。なんでもバトラーの父親は今もユミアの母親と密会しているのだとか。
(これをバトラーのお母様が知れば……)
だが私はもう決心した。私はバトラーではなくコーディ様を選ぶと。
(だからユミア様はバトラー様とずっと一緒にいたかったのかしらね。無意識かつ本能的に)
バトラーがユミアをエスコートしながら会場入りした。ユミアは黄色のふわふわしたフリルやレースだらけのドレスを着用している。
ユミアはすぐに私とコーディ様を見つけるとにやりと口角を釣り上げて笑った。
「あら、コーディ様とイヴ様ぁ! こんばんは!」
ユミアはコーディ様に駆け寄り、上目遣いで挨拶をする。
(良い男なら誰でもいいのか)
ユミアに呆れつつも、私はこれからの予定を頭の中で再生しながら、作り笑いを浮かべたのだった。
「あら、イヴ様はコーディ様とご一緒なのですね。てっきりおひとりかと思いましたわぁ」
にたにたと笑うユミアにふふっ。と作り笑いを浮かべる。
「コーディ様が誘ってくださったんです」
「あら、そうなのですね」
ユミアの声のトーンが低くなった。私がコーディ様から誘いを受けたのが気に食わないのだろう。バトラーは相変わらずキョロキョロと辺りを見渡している。煮え切らないのが見て取れる。
パーティーが始まった。私とバトラーがステージに向かい結婚の日取りを皆に伝える時間が訪れる。
バトラーは顔を強張らせていた。するとそこへユミアが予想通り現れる。
「お待ちなさい!」
ユミアが大声で場を遮る。そして勝ち誇った笑顔を見せながら私に指を指した。
「イヴ様はコーディ様と仲が大変よろしいご様子! 婚約者であるバトラー様を差し置いて! イヴ様は本当はバトラー様ではなくコーディ様をお慕いしていらっしゃるのではなくて?!」
一字一句予想通り過ぎて笑えるくらいだ。これも実はコーディ様のメイドがユミアにそう言うようにと告げ口したからなのだが。
「……ええ。ユミア様の仰る通りです」
この私の返答も計画通りのものだ。
「バトラー様ぁ! イヴ様と婚約破棄なさって! 代わりに私があなたをお支えしますからぁ……!」
ユミアがバトラーの右腕に抱き着いた。私はバトラーの言葉を今か今かと待つ。
「イヴ、本当なのか」
「ええ……はい。だから婚約破棄してくださって結構です」
「そうか……なら、イヴ。お前との婚約を破棄する」
「ありがとうございます。ではサインさせてくださいませ」
バトラーの元に彼の両親が駆け寄る。
「バトラー! 騎士団長になるチャンスを手放すのか!」
「バトラー、考え直したら?」
まるで茶番のように見えて仕方ない。しかしこのあとこのバトラーの父親にも明かすべき事が控えているのだが。
バトラーは両親に構わず私の要求通りに婚約破棄の証明書を用意するよう近くの執事に伝えた。周りはざわついているが今はそれが笑えるくらいに愉快に思う。
しばらくして婚約破棄の証明書が届いた。私とバトラーのサインが終わると証明書をコーディ様が受け取る。そして真っ先に嬉しそうな笑みを浮かべるユミアへ口を開いた。
「良かったなユミア。君は晴れて……兄上の妻だ」
「へ?」
「知らなかったのか? ユミアとバトラーは兄妹だ。バトラーのお父様、お心当たりは無いか?」
周囲の空気が一斉に凍りついた。バトラーの父親は何の事だか知らないとしらを切るがそれはコーディ様の目の前では通じなかった。バトラーの母親は怒り狂いだし父親を問い詰めるも確たる返事は出てこない。
「嘘ですわ……それじゃあバトラー様と結婚出来ないじゃないのよぉ!」
「ああ、そうだよ。兄妹婚はうちの国では禁止されている」
コーディ様はユミアを冷たく突き放す。
「じゃ、じゃあコーディ様でいいわ! コーディ様、私と結婚しましょう!」
「コーディ様「でいい?」」
「へ」
「無礼だな、ユミア。連れて行け!」
近くにいた兵がコーディ様に失言をしたユミアをすぐに取り押さえる。
「ちょっと! 放しなさい!」
バトラーは呆然とし、バトラーの両親は夫婦喧嘩をし続けたのだった。
「……やり過ぎたかな」
「いえ、これくらいでちょうど良いかと」
「そうか。では……改めて私の妻になってほしい。イヴ」
「はい。コーディ様」
それから私はコーディ様と婚約した。ユミアは公爵家の無礼とバトラーの両親からバトラーを唆したという告発により自宅軟禁となった。貴族学校は中退するそうだ。
また、バトラーの母親は離縁し別の男性と再婚した。バトラーの親権は父親にあるそうだが、バトラーと父親の仲は険悪なままだという。私達の家族はバトラーの家族とは縁を切った。一応バトラーの母親の再婚には立ち会った。
貴族学校を卒業した私とコーディ様はすぐに式を挙げたのだった。勿論この結婚は互いの両親からも大いに祝福を受けた。
「イヴ、必ず幸せにしてみせるよ」
「ありがとうございます。コーディ様」
ここまで長々とお読みくださりありがとうございますm(__)m
評価ブクマ押して頂けると励みになります!
次回作も更新中の作品もお楽しみに