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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

もうすぐで

作者: 夜桜日々哉

 きっと秋。


 寒いだの暑いだのを特に気にせず、ただ毎日を浪費している。


 肌寒いような気がする。


 そういえば今は何日だろうか。


 いや、そもそも何月だろうか。


 初めのうちはバツ印を付けていたカレンダーも、最近は(ほこり)を被って転げ落ちている。


 何ヶ月も前に開けた酒の缶に、道端から(すく)った湿気っている吸殻、枯れ葉色に汚れた毛布、その他色んなゴミがこの部屋の存在をより一層引き立てている。


 電子機器は無い。


 食い物も無い。


 あるのは平等に分け与えられる空気と、散乱するゴミ袋のみ。


 歩けば硝子のぶつかり合う音がする。


 座れば虫の這いずる音がする。


 寝転がればゴミ袋が風に揺られる音がする。


 どうしろと言うのだろう。


 あと幾日か経てば大家が僕を追い出しに来るはずだ。


 滞納と、この異常なまでの迷惑行為の為に。


 いつからか全てが面倒になっていった。


 いつからか全てを諦めていた。


 明日なんて無いと。


 そして本当に来てしまった。


「明日を生きられない」


 もうすぐでホームレス。


 もうすぐで人ではなくなってしまう。


 人に魅せられるほどの服もなければ人と会うための金も無い。


 人が()として生きる為のものを失う。


 視界の隅でそれが揺れている。


 いっそのこと死んでしまおうか。


「はぁー? 死ねよ、なんだよお前」


 そんな言葉が、外界から放たれた。


 乾いた僕の心に火を焚きつけるように、青年らしき男の声は、それ程鮮明に部屋の中に響いた。


 閉ざされた空間のその向こう側には、普通の生活を送っているやつらが居る。


 僕は、見えないものを羨望の眼差しで()た。


 怠惰に放ったらかしていた無精髭を擦りながら、思考を巡らせる。


 死のう。


 そう決心した。


 そうだ、もうすぐ人でなくなってしまうのなら、人であるうちに、人として死んでしまおう。


 そうと決まれば話は早い。


 ちょうど近くにあった茶色い机の上に足を乗せ、それの感触を確かめた。


 鈍感になった、垢だらけの手でも分かるほどに分厚く、粗い繊維の束がそこにある。


 幾本かの線がアホ毛のように跳ねているのもあって、(いささ)か触り心地は良くない。


 今死ねば、この惰性で過ごす日々を終えられる。


 借金や将来への不安、あらゆる恐怖から解放され、人として天に昇華できる。


 よし、死のう。


 知らぬうちに心臓は呼吸を速くしていた。


 一発一発が身体に重くのしかかる。


 知らぬうちに呼吸は荒くなっていた。


 取り込んだ空気を堪能することなく、むしろ吐き出すことを目的に、肺の中の空気を取り替えていく。


 それらは時間が経つにつれ、さらに顕著なものとなっていき、僕の惨めな思考能力を衰退させていく。


 つま先で体重を支えた。


 その輪を両手で持とうとする。


 いや、折角人として死ぬのにこんなみすぼらしい状態でいいのだろうか。


 せめて死ぬ一瞬くらい、もう少し美しくあるべきではないだろうか。


 僕は、輪っかから手を離した。


 周辺にあるゴミ袋の群れをかき分けて、微かに記憶に滲む、切断用のあの道具を探し始めた。


 何かを掠めた音が鳴る。


 黒く素早い、大半の人が忌み嫌う黒い物体が手の甲を這いずりあがってきた。


 僕がそれを認知する頃には、既にそれは鎖骨部分まで来ていた。


 綱渡りをするようにして、やつれた、細い鎖骨の橋を駆け抜ける。


 服の中へ入り込むと、一瞬静止した後、胸から背中を、横腹、そして肩を通してぐるりと一周した。


 気味が悪いような、くすぐったいような気がする。


 少なくとも、良い気分ではない。


 黒いそれが刹那に等しい隙を見せた時、僕は、それを無理やり手に取った。


 見ると、足は命乞いをするように四方八方に動き回り、虚空を滑り歩いている。


 醜い。


 だがしかし、数秒程見つめていると、それが美味そうに見えてきた。


 こちらは空腹なのだ、そう感じても仕方ない。


 いつか聞いた情報によれば、ゴキブリの成分は海老のしっぽと同じらしい。


 確かに、同じ甲殻類だから納得もいく。


 雑菌まみれで不衛生にも程があるだろう。


 ……だが、食べてみようか。


 ……いや、普通の人ならそんなことしないだろう。


 僕は締め切っていた窓を開けて、ゴキブリを外に投げ出した。


 今度こそ、本当にゴキブリは虚空を滑り歩いていた。


 それにしても、分かってはいたが快晴の空に煌めく太陽の光は目に酷だ。


 微量に吸い込んだ綺麗な空気を堪能しながら、また窓を閉める。


 そうして振り返った視線の先、机の真下にハサミが落ちていた。


 灯台もと暗しとはこの事を言うのだろう。


 僕は、落ちていたハサミを拾ってまた輪を持った。


 触り心地を悪くする毛を上手く切り取っていく。


 切れ味が悪く、上手く切れない。


 それでも何とかマシな触り心地になると、すぐさま僕はハサミをその辺に投げ捨てた。


 さて、どうしようか。


 今死のうか。


 いや、どうせ死ぬならもう少し綺麗にしよう。


 せめて普通でありたい。


 幸い水道だけは未だ生きている。


 とはいえ流石に秋に水風呂は地獄だろう。


 濡らしたタオルで体を拭こう。


 そう思い、僕は蛇口を捻った。


 片付けられていない皿などはてきとうに下に置き、今更落としようのない頑固な水垢は無視することにした。


 僕は黄ばんだタオルを持ち出し、勢いよく飛び出る、冷たく透明な液体を吸い取った。


 適度に絞ると、そのまま服の下を、先程のゴキブリのように這い回らせていく。


 面倒くさい感情と、久しぶりに体を綺麗にしているという気持ちの良い感情が複雑に絡み合っていった。


 全身の垢が剥ぎ取られていくのが分かる。


 スルメのように、拭けば拭くほど、擦れば擦るほどに垢が取れていく。


 それを幾度か繰り返して、手が荒れてしまうんじゃないかと感じた頃、ちょうど爪の間に挟まっていた汚れも落ちていたのが目に入った。


 穢れたタオルは、これまたてきとうにその辺に投げ捨てた。


 最後にまた蛇口を捻り、顔と髪の毛も洗っていく。


 脂が水を弾き、中々肌に浸透しない。


 何度何度も擦りまくり、掻き回し、溺れそうになるほど水を浴びたくらいになると、ようやくマシと思えるようになってきた。


 これくらいでいいだろう。


 冷たい水を浴び続けた結果、何よりもまず寒いという感情が勝っていた。


 肌は悲鳴をあげるし妙に息が苦しい。


 一定のリズムで呼吸ができていたのが、泣いた時、呼気に集中している感じの呼吸の仕方に変化している。


 犬のようにして頭を回転させ、まだ少しベトベトする顔を、よりベトベトする手で拭いながら水を払い除けた。


 髪は水が垂れないよう、後ろにかきあげる。


 気持ちがいいような悪いような。


 とはいえマシにはなっただろう。


 さて、死のう。


 もう一度僕は机を上がり、つま先で体重を支えた。


 両手で輪を支える。


 うん、触り心地も良い。


 そして輪の中に首を通そうとした。


 いや、やはりもう少し綺麗に死のう。


 また僕は中断した。


 机をゆっくりと降りて、考え込む。


 そういえば、以前母から贈られてきた衣服があったはずだ。


 まだ一度も着たことがないから綺麗なままのはず。


 確かここに閉まったと思い、長年開けていなかった押し入れを開けてみた。


 上手く滑らず、開けるのに一苦労した。


 何も無い、ただ黒が空間を占領する中に唯一つ、原色の青に近い色を放つものが見つかった。


 母のくれた服だ。


 綺麗に畳まれており、死ぬに相応しい。


 下には無地のカーゴパンツが置いてあった。


 これまた上下似たような配色をしている。


 シャツの方には可愛らしい、陽の雰囲気を放つ模様がでかでかと印刷されていた。


 何故だか知らないが、僕の母はこういうものを好む。


 僕は既に着ていた、ヨレヨレで薄汚れた衣服を全て脱ぎ捨て、母のくれた服を身にまとった。


 どうせならと、肌着の方もその辺に脱げ捨てた。


 折角綺麗なものを着るなら、可能な限り綺麗な状態でいたいだろう。


 どちらにせよ死ぬんだし、ノーパンでも問題はない。


 服は長年押し入れの中に入れっぱなしだったからか少々埃臭いが、まぁその程度ならどうということはないだろう。


 そして、やはり気になると感じ、再度手を洗いに行く。


 長い爪で引っ掻くように手を傷つけ、無理やりにでも脂を剥ぎ取っていった。


 それでも落ちない。


 仕方ないから服に擦り付けた。


 まぁ、大分マシにはなっただろう。


 手を振って水を払い飛ばす。


 さて、どうしようか。


 今死のうか。いや、どうせ死ぬなら爪も切っておこう。


 長い爪も不衛生の証拠だ。


 今更衛生面を気にしたって何もないが、死ぬ為に必要な儀式の一つとして、このギャルのように長い爪も切っておこう。


 そう思い僕は、机の上で使用済み状態のまま寝かされている爪切りを手に取る。


 胡座をかきながら、爪を弾き飛ぶ音を鳴らした。


 まずは指先、そして足と、順番に切っていく。


 爪で人を殺められるんじゃないかと思える程に伸びていると、切り甲斐があるものだ。


 不健康にやせ細った腕と、浮き上がる青い血管、そして死人のような色をした爪を見ながら、そんなことを考えた。


 切り終えると、また爪切りは開いたままの状態で机の上に寝かせた。


 弾き飛んだ爪は踏まないようにしよう。


 さて、死のう。


 机の上に落ちた爪の残骸は全て下に落とし、また僕は机の上へと上った。


 つま先で体重を支える。


 輪を両手で支える。


 輪の中に首を通す。


 足を離そうとする。


 いや、この安定した机だと、死ぬ間際に本能でまた足を戻すかもしれない。


 椅子に替えよう。


 それに歯磨きもまだしていなかった。


 輪の中から首を外し、机の上から飛び降りた。


 そして、散乱しているゴミ袋なぞ気にせず、机を無理やり押し退けた。


 その際、机の上に置いてあった酒の缶が数本ほど落ちたが、特に気にはしなかった。


 部屋の中を見回すと、部屋の隅にひっそりと(たたず)んでいるオンボロ椅子を見つけた。


 それを手に取り、吸殻やゴミ、爪の残骸を何とか避けて、輪の真下に来るよう椅子を配置する。


 そして、今日の内に何度見ることやら、蛇口を捻り、微かな歯磨き粉を絞り出して歯ブラシの上に乗せた。


 そのまま口内を手前から奥へ、奥から手前へ何度も行き来して力強く汚れを落としていった。


 表面が削れる程に力任せに、歯茎や歯と歯の間も、何から何まで。


 鏡が無いから分からないものの、歯磨き粉が黒く濁っているんじゃないかと思えてくる。


 先に歯ブラシの汚れを水で洗い流し、次に舌を磨いていく。


 洗い流す際、歯ブラシが茶色と黄色に変色しているのが分かった。


 指で擦ると幾らかその汚れは消えた。


 大方今までの口の中の汚れだろう。


 下も磨き終えると、また歯ブラシを洗い、コップを使用するのは避けて手で水を掬った。


 そのまま、掬った水で口をゆすぐ。


 何度かそれを繰り返して、大分口の中はスッキリとした。


 口の周りに着いた水や歯磨き粉は、てきとうに腕や服で拭う。



 さて、どうしようか。


 今死のうか。


 いや、どうせ死ぬなら、最後に外界の景色を目に焼き付け、清らかな空気をもう一度肺に取り込んでおこう。


 そう思い僕は、最後に窓を開けた。


 先程の日光が僕の目を刺激してくる。


「うっ」


 思わず声が漏れた。


 目を細めつつも、外の景色を眺望する。


 殺風景とまでは言わないが、何とも味の無い景色だ。


 見えるのは家、家、家ばかり。


 人通りもそれ程多くなく、幾人かの通行人が、顔見知り同士話を弾ませているだけだった。


 色も、彩やかとは言えない。


 落ち着いた寒色が僅かなグラデーションになって並んでいる。


 段々と視界が開けてきたあたりで目に入ってきたのは、空き地で魚を咥えている猫の姿だった。


 きっとどこかの魚屋から盗んできたのだろう、


 猫だから何とも思わないが、人である僕がいつか、地に落ちてああなってしまえば死んだも同然だ。


 近くから聞こえてくる小鳥の鳴き声に合わせて、僕は息を吸う。


 それはもうありったけに。


 もう一度。


 吐いて。


 吸う。


 ああ、良い気分だ。


 体の中のありとあらゆる不純物が綺麗なものに入れ替わっていくのが感じられる。


 さて、死のう。


 窓を閉め、椅子の上へと上った。


 部屋の中は相変わらずだが、僕自身はまだマトモになった。


 少なくとも最初よりは。


 つま先で体重支える。


 輪を両手で支える。


 輪の中に首を通す。


 後は、足を離すだけ。


 ……。


 …………。


 離すだけだ。


 ……なぜだろう。


 足を離せない。


 今まで落ち着けていた心も、いざ死ぬとなって脈を硬く、大きく打ち始めた。


 祭りの時の太鼓のように力強く、一発一発が僕の思考を狂わせていく。


 息を飲んだ。


 この状況を自覚すると同時に、さらに脈は速くなっていく。


 呼吸は荒くなっていく。


 水を浴び続けた時とは何か違う、呼吸に集中した息の吸い方だ。


 身体の芯から苦しく感じる。


「……はぁっ……はぁっ!」


 動いてもないのに、暑くもないのに汗が滲み出てきた。


 冷や汗だ。


 毛穴から噴き出てきて、(なだ)めるように僕の体を静かに伝っていく。


 僕は死ぬんだ。


 ようやくそんな意識が芽生えてきた。


 でも、今死ななければ……。


 ……。


 …………。


 いや、いやいやいやいやいや。


 段々と呼吸が落ち着いてきた。


 脈も徐々にゆっくりに、やわらかく触れていくように変化する。


 いや、別に()()でもいいんじゃないだろうか。


 この世にホームレスなんて沢山いる。


 いざとなれば、人間の尊厳を捨ててあの猫のように振る舞えばいい。


 そうだ、ああ。


 それに、誰にも知られずにただ死ぬなんて、それも意味がないじゃないか。


 そうだ、最悪、生きていればいいんだ。


 それで、いい。


 不思議と口元はニヤけていた。


 不気味に口角が釣り上がり、顔の筋肉が震える。


 上手くコントロールができない。


 いつの間にか手汗もかいていた。


 縄に汗が滲んでいるのが、感触で分かる。


 やっぱり、自殺をするのは止めよう。


 楽になったような、逆に苦しくなったような、そんな複雑な気持ちになった。


 きっと良いことだってあるさ。


 ああ、ああ、多分。


 僕は今、自分がどんな表情をしているのか分からないまま、上を見上げた。


 天井に打ち付けたフックに、この縄が引っ掛けてある。


 ああ、そういえば()()こんな感じだったような気がする。


 結局怖いんだ。


 そうやって時間を浪費していると、ものすごい勢いでアパートの階段を駆け上がって来る音が聞こえた。


 この音は、大家さんだ。


 きっと家賃の催促だろう。


 まぁ、なんとか言って誤魔化してみよう。


 それも人生の醍醐味だ。


 ドアがノックされる。


 破壊されるんじゃないかと思うほどの勢いで。


 いつもよりも激しいノックの仕方に、僕は、来るのが分かっていながらも驚いてしまった。


「あっ」


 足を、滑らせた。


「山崎さーん? 居ますよね? 開けてください」


 薄れゆく意識の中、僕の名前を叫ぶ大家さんの声と、ドアを叩く音だけが鮮明にこだました。


 まるで、もがき苦しむ僕の声と、大きく、硬く触れる脈の音に重なるように。


 そうして部屋からは、人が居なくなった。

ここまで読んでくださりありがとうございます!


今回のお話はお楽しみいただけましたかね?

読者の方々が「ひゃっほーい!!!!!!!」と声を大にして叫べるような作品を志してどんどん投稿していくので、楽しんでいただけたのであれば幸いです。


まだまだ字書きとして未熟な者ですが、レビューやコメント、ブックマークをしてくださると、活動をしていく際に大変励みになります。

是非よろしくお願い致します!



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