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「ぴ」
──小鳥の声がした。
まさか、あの子がこんなところにいるはずがない。
あの子は南の帝国から渡ってくる小鳥。王国の北にある王都にまでは来ない。
私は処刑台の上で揺れている。
どうせなら首を落とされる刑が良かった。縛り首は体液を落としてしまう。
夫になるはずだった婚約者の伯爵子息も身内のはずの子爵一家も、笑いながら私の死体を見ている。私に冤罪を着せたのをだれにも暴かれなかったことが嬉しくて仕方がないのだ。
私の体が揺れる。
ああ、まだ意識がある。とっくに体は死んでいるはずなのに。
早く心も死んでしまえばいい。まさかこのまま永遠に私は有り続けるのだろうか。それは嫌だ。そもそも心は、ずっと前から傷だらけになって死んでいたのに、どうして体が死んでも意識が残っているのかしら。
今、どこかに吸い込まれるような感触があった。
やっと意識が消えるのね。
これで死ぬこと、消え去ることができる。自分の心に刻まれた醜い傷を見ることももうなくなってしまうのね。……嬉しいはずが、なぜか少しだけ寂しかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
暗闇に吸い込まれた意識が消え去る寸前に、目が覚めた。
私は処刑台の上にはいない。
豪奢で温かそうなベッドの上に横たえられていたのだ。王都の牢獄とはまるで違う。だれかが助けてくれたの?
「お嬢様?」
ベッドの横に目をやると、メイドがいた。
私が幼いころから仕えてくれているメイドだ。私が趣味で研究していた魔道によって母親の病気を治したからか、とても慕ってくれている。
でも彼女ひとりの力で、売国奴の汚名を着せられた私を救うのは無理だろう。
ほかにも、だれか……執事かしら?
子爵家に生まれ育った私は、強い魔力を持っていたことから格上の伯爵子息と婚約を結ばされていた。だが、自分の強過ぎる魔力を制御するために魔道を研究する私は可愛げがないと、婚約者の伯爵子息にも身内の子爵一家にも嫌われていた。
私を愛し大切にしてくれたのは、魔道研究の成果で力を貸してきた使用人と領民達だけで──
「……っ!」
あることを思い出して、私はメイドを見つめた。
彼女は優しく微笑む。
婚約者にも家族にも愛されない自分に絶望し、ベッドの中でひとり泣いていた私に気づかない振りをしてくれていたときの笑みだ。
「やはり悪夢をご覧になっていたのですね。悲鳴を聞いて、お呼びもないのに控えの間から出てきてしまいました。……すごい汗ですよ」
メイドが顔を覆う汗の粒を拭き取ってくれる。
私は彼女に抱きついた。
どうしても涙が止められない。だって……彼女が生きているはずがないのだ。私に着せられた汚名を晴らそうとして雇い主である子爵家に逆らった使用人と領民の代表者達は、私が縛り首になる前に処刑されているのだから。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
どうやら私は過去に戻ったらしい。
伯爵子息に婚約破棄をされ、子爵家の領地の隅にある高い塔へ閉じ込められる数年前だ。売国奴として王都の牢獄へ入れられたのは、その後のこと。
南の帝国にこの王国の情報を売って得たと決めつけられた魔道研究も奪われていない。完成すらしていなかった。これがなければ、子爵領も伯爵領も今年の不作とその後の疫病で滅亡する。
私は根っからの研究肌らしく、数年後に死んだはずの自分が過去に戻っている異常事態について調べたくなったのだが、それは断腸の思いで諦めた。
まずは不作と疫病から領民を救うための魔道研究を完成させなくてはいけない。
研究肌の地味な私よりも社交的で華やかな妹ばかり愛してきた婚約者も家族もどうでもいいけれど、メイドや執事をはじめとする使用人や視察に行くたび笑顔で迎えてくれる領民を見殺しにするのは嫌だ。
……まあ、嫌われるのは当然よね。
使用人と領民に頼んで集めてもらった鳥の糞を前に自嘲する。
遠方から渡ってきた鳥達の糞には、この土地にはない植物の種が混じっている。もちろんそのままではこの土地に根付かないが、私の魔力を注いで強化して、この土地の植物と掛け合わせれば生き残るものも出てくる。私は、この研究をずっと続けてきたのだ。
「ぴちゅー」
「あら、あなた今年も来たのね」
鮮やかな色の羽をした小鳥に呼びかけられて、手を伸ばす。
毎年冬が近づくと現れる南方の鳥だ。
群れる種類の鳥ではないかと思うのだが、この子はいつも一羽だった。なんのためらいもなく手に乗ってきた小鳥を撫でる。
「……この傷があるから一羽なの? いいえ、違うわね。あなたのこれは傷ではなく模様だもの」
「ぴ?」
小鳥の翼に刻まれているのは、大きな古傷が癒えた痕のように無残な模様だった。
私の心にある傷が目で見えたら、こんな形なのではないかと思う。
あまりに無残で醜いので、遠目で見たら小鳥ではなく化け物の一部に見えてしまうかもしれない。だけど、
「あなたは綺麗ね。そして強いわ。……私とは違う」
「ぴーぴ?」
糞塗れになって悪臭を漂わせながら魔道研究を続けて領地を富ませようとしているのは、本当は使用人や領民のためではない。善人めいた言葉は全部嘘偽りだ。
「うふふ。いただいた宝石、ワタクシに似合っているかしら?」
「ああ、とても似合うよ。……なんだか嫌な匂いがするね」
「お姉様が裏庭で研究をなさっているのよ。あんなくだらないことばかりやって、我が家の恥だわ」
「そう言うもんじゃないよ。ははは」
裏庭にいる私の元に、中庭から風が妹と私の婚約者の声を運んでくる。
気がつくと、彼が来ても私が呼ばれることはなくなっていた。来るという連絡があったという報告もない。
妹がもらったという宝石は、私の研究で作り出した花を伯爵家が売った金で買ったものだろう。景気が良くなったことで調子に乗って私兵を増やし、王家に叛意があるのかと疑われ、私を売国奴に仕立て上げて取り上げた魔道研究を差し出すことで見逃してもらったのが数年後の冤罪の真実だったっけ。
「……」
「ぴちゅー?」
私は、あの未来を知りながらもどこかで望んでいるのだ。
褒めて欲しい、認めて欲しい、愛して欲しい──と。
領地を救ったら、領地を富ませたら、私を見てくれるのではないかと期待しているのだ。そんなことないのだと、死んで思い知った今でさえ!
「お嬢様、そろそろ休憩なさってはいかがです?」
裏庭にメイドが現れて、小鳥が羽ばたく。
何年も前から通って来ているのに、あの子は私にしか懐いていない。
それを嬉しいと思う自分が情けないけれど、結局そういうことなのだ。どうしても心は選んでしまう。だれかを、なにかを。使用人や領民達に愛されながら、私が求めて止まないのは、私の心に傷をつけた婚約者や家族の愛だけなのだ。
「あははは」
「うふふふ」
メイドは鳥の糞で汚れた私を拭い、彼らの声が聞こえない場所へ連れて行ってくれた。