異世界転移しても地味子は地味子なんです。~自称地味カップルの夏祭り~
この作品は、自身の主催する「夏祭りと君」企画、参加作品です。
また、拙作の短編、
異世界転移しても地味子は地味子なんです
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の続編でもあります。
ポイを持つ私の手が、緊張で震えた。
四角い木で出来た、たらいの前に、私は浴衣姿でしゃがんでいる。
たらいの中には小さな魚。私の手には、虫眼鏡のような形の木枠に紙を張った、ポイ。
隣には見目麗しいフィリップ王子が、これまた浴衣に身を包んでしゃがんでいる。藍色の無地の浴衣から覗く、首の喉仏の影、腕に浮かぶ筋がどうにも眩しいけれど、今はそれどころじゃない。
私の全神経は、目の前のたらいに集中していた。
ゆらゆらと泳ぐ小魚は、残念ながら金魚じゃない。この世界には金魚がいなくて、私が説明した金魚に一番近い魚が選ばれた。
プラスチックじゃない手作りのたらいに、同じく手作りのポイ。布を張った屋台に規則正しくぶら下げられた提灯。全部私の拙い説明を再現してくれている。
その魚の動きを私は必死に追いかけながら、どのタイミングでポイを水の中に投入するか、機会をうかがっている。
今だ!
「えい」
意を決して、狙いをつけた魚の進行方向にポイを沈める。素早く掬い上げようとしたけど、するりと逃げられた。
思ったよりも魚が素早い。
「あぁっ」
溜め息みたいな私の情けない声がした後。一拍の間を置いて。
「見たか」
「見た、見た!」
「あれを失敗した!」
「あんなに簡単なことを失敗なんて凄いわ」
「本当に。どうやったらあんな風に出来るのかしら」
私の背後のギャラリーから、どよめきが爆発した。まき散らされた言葉の欠片が、ぐさぐさと私の心に突き刺さる。
背後で口々に交わされている内容が相変わらず酷い。けれど彼らに悪気はない。悪気がないどころか私に対して好感度しかなかったりする。なにせあれは私を褒めたたえている言葉なのだから。
なぜならこの世界と私のいた世界と価値観が違っていて、平凡地味であればあるほど尊ばれるのだ。
つまり、彼らにとって簡単なことを失敗出来る私は、不本意なことに素晴らしく超人なのだ。
……意味が分からないけれど。
私の名前は、平田 奈美子。
ずっと成績は上過ぎず下過ぎず。運動もぱっとしないけど絶望的でもない。
背も高くもなく低くもなく。太ってもいなければ痩せてもいない。
美人じゃなければ、可愛くもない。
容姿も頭も運動能力も生活も、すべて平凡な地味 地味子である。
そんな私は地味で平凡あることを必要とされて受けた、異世界召喚により、ここにいる。
神様か、というくらいなんでも出来る人ばかりのこの世界は、そのままだと、どんどんヒートアップして限界を突破し、破滅してしまう。そうならないために世界を冷やす存在、救世主として私は召喚されたのだ。
うう。
ポイを握りしめた私は、心の中でうめいた。
まだ私のポイは破れていない。つまり金魚(正確には小魚)すくいは続行できる。けれど私の心のポイは破れかけていた。
いや、心のポイって何だ。なにポエムみたいなこと言っちゃってるのだろうか、私は。
どうやら予想以上にダメージを受けていたらしい。
心の中で頭を抱えつつ、隣にいるフィリップ王子を見上げる。王子はいつも以上に、整った顔に不機嫌の感情をべったりと貼り付け、むすっと私を見下ろしていた。その仏頂面に妙な安心感を覚え、気を取り直した私はもう一度たらいに向かう。
今度はもっと慎重に。
一匹がポイの上に乗り、成功。
やった。気をよくしてもう一度、狙いを定める。
逃げられてしまう可能性が大なので、かたまって泳いでいる小魚を狙ってみることにした。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。大半に逃げられても、これなら一匹くらいすくえるに違いない。
そんな私の小さな作戦は、見事に失敗した。
私のポイが水面に近付いた途端に、気配を感じたのかさっと散り散りになってしまった。慌てて近くの二匹を追いかけて水中にポイを入れたけど、ぱっと進行方向を変えられてしまう。
仕方なしに片方を追って向きを変えたら。
ポイの紙が破れた。
「一匹成功してからの失敗。完璧だ」
「なんて尊い」
「素晴らしいわ」
今度は後ろから溜め息やら感嘆の声やらが、波のようにうねった。声は男も女も、子供から老人まで。老若男女問わず、多岐に渡る。
かあああっと顔に熱が上った。顔から火が出るとはこのことだ。恥ずかしい。
分かっている。彼らにとって、金魚すくいなんて簡単なことに失敗出来る普通の私が、素晴らしく貴重な存在なのだ。分かってはいてもやはり恥ずかしいものは恥ずかしく、出来ない自分が情けなかったりもした。
ぽん。
うつむく私の背中に重みが加わった。
「私にもくれ」
重みは、私が顔を上げるのとフィリップ王子の低い声が響くのと同時に去っていて、重みの主と思われる左手が手のひらを上に向け、屋台の主に催促していた。
ポイがフィリップ王子の手に渡る。そこからは魔法みたいだった。
「凄い、凄いです、殿下」
次々にすくい上げるポイと、容器に入っていく小魚。
私は二十代も後半に差し掛かろうという女だというのに、十代の少女みたいにはしゃいでしまった。
はしゃぐ私と対照的に、王子は黙々とポイを動かしていく。
容器の中の小魚たちが窮屈そうになったところで、ポイの紙が破れた。
「あぁっ」
私の口から洩れた声は、自分の失敗の時と同じ溜め息みたいなものだったけれど。
背後のギャラリーたちからの反応は全く違った。
熱のない、冷めた沈黙。
振り向くと、そこに並ぶのは見目麗しいこの世界の人々。この人たちは別に王族だとか村一番の器量よしだとかそんなことはない。私と殿下の護衛の騎士を除けばただの平民。
この世界は美形で身体能力の高い人ほど地味で、私のように平凡で普通の人間ほど美人。つまりこの俳優も真っ青なキラキラしい人たちは、平々凡々な庶民なのである。
その彼らが浮かべるのは、苦笑いや興味のなさそうな無表情。別に誰も馬鹿にはしていない。ただ、あまりに普通のことで興味がない。それだけ。
弾んでいた心が定位置に戻り、上がっていた熱が冷めて、ちくっと痛くなる。
ポイを破らないように魚をすくうことなんて、彼らにとっては簡単なこと。私のように失敗することの方が至難の業。だからこの反応は普通のことなのだけれど、反応を受けているのがフィリップ王子なのだと思うと、なんだか胸が痛い。
ざばっ。
大きな水音の方を向けば、フィリップ王子が掬った魚をたらいの中に戻していた。
「行こう」
手首を掴まれてぐい、と立たされたと思ったら、そのまま引っ張られた。戸惑うギャラリーたちの中に突っ込み、かき分けていく。
皆は驚きながらも道を開けてくれた。
「いいんですか、殿下。せっかく皆が用意してくれたのに」
今回の祭りは、私の世界の夏祭りを再現したものだ。先日ぽつりと漏らした私の言葉に反応して、あっという間にかなりの完成度の祭り会場を創り上げてしまった。
「構わない。君のためと用意した癖に、あれでは君を見世物にして自分たちが楽しんでいるだけだ」
見上げる背中から返ってきたのは、少し怒ったような不機嫌そうな声。
……それって、私のために怒ってくれている?
くすっ。
思わず笑ってしまった私の声で、フィリップ王子は足を止める。
「何がおかしい?」
肩越しにじろりと私を見る、不愛想な顔が愛しいと思う。
「さっき私、自分が珍獣扱いされたことより、殿下への皆の反応が嫌だったんです」
青い目が見開かれた。
「あんなに金魚をスイスイすくって、とっても凄いのに。皆の反応がとても冷たくて。悔しかったです」
「……あんな反応は今に始まったことじゃない。もう慣れている」
もう慣れている。
その言葉の響きが嫌だ。
「そうですね。私だってこの世界に来て、もう慣れましたよ。私への扱い」
だから私は、握られた手首を反対の手でそっと離し、ことさらににっこりと返した。
「慣れているからといって、平気とは限らないだろう……あ……」
ふい、と私から視線を外した王子の口角がぐっと下がった。眉間に刻まれていた縦じわがもっと深くなる。
「ええ、そうですね。殿下も、ね?」
「それは……まあ……」
フィリップ王子が、ぐっと言葉に詰まって黙った。
「さっきの金魚すくい、あんなに沢山すくえるなんて凄いです。この世界の常識なんて知らない。私は凄いって思ったんです」
「それは、君の世界ではそうだから、だろう?」
「私が救世主で絶世の美女で、金魚すくいを失敗するような凄い女だっていうのだって、殿下の世界でそうだからでしょう? 言っておきますけれど、私の世界ではそんな女、凄くもなんともないですからね」
「……先ほどから君は混ぜ返してばかりだな」
「ふふ。そうですね」
戸惑いに揺れている瞳に、微笑む私が映っている。華のある笑顔とは言えない。瞳の中の私は、相変わらず地味な顔だ。
私とフィリップ王子はとても似ている。
互いの世界で、私たちは地味で普通で、誰にも相手にされない。
だけど互いの世界を逆転させれば、どちらも完全無欠、才色兼備の超人だ。
私にとってフィリップ王子は眩しいくらいに美形で、何でも出来る凄い人。私はそんな殿下を尊敬していて、同時に気後れもしている。
フィリップ王子にとって私は、この上なく美しく完璧な人間。殿下はそんな私を好きでいてくれて、でも自分は私に相応しくないとも思っている。
私はこの世界に来るまで本当に地味で目立たなかった。別に邪険にもされないけれど、空気のように周囲に溶け込んで、いてもいなくてもきっと誰も困らない。
フィリップ王子はこの世界で本当に地味な容姿と能力で。誰からも期待されなかったと、自己評価がとても低くて、いつも諦めたような色をまとっている。
だから私たちは互いに少し引け目があって、でもどうしようもなく惹かれている。
それは容姿とか、完璧さとかからくるものじゃなくて。
私たちは、似ていて、近くて、違っていて、遠いから。
今、私とフィリップ王子との物理的な距離は、たった一歩。私はその一歩を、近寄って潰さずに。
ただ、手を伸ばした。
少し、緊張してしまって、ぎこちなく手が伸びる。目の前のフィリップ王子の長い指も、同じような動きで私の手に伸びた。
互いの変な動きでぶつかるように触れて、触れてから、ぎゅっと握る。
手から伝わってくるのは、温もりと、自分とは違う感触と、溢れそうになる、何か。
私たちは引き寄せられるように一歩踏み出して。
ひゅぅぅぅぅぅ……ッドン!
「あっ」
寄り添うフィリップ王子の熱に包まれながら、私は声を上げた。
今だけは星々を脇役にして、深い漆黒に大輪の花が咲く。花の中心から光が四方八方に弾け、きらきらと尾を引きながら消えてゆく。
「綺麗」
「ああ」
どれも私が失敗するごとに大騒ぎだったけど、金魚すくいに限らず、射的やヨーヨー釣りだって再現してくれていた。この花火だってそう。
皆、精一杯に私を楽しませようと準備してくれた。
見世物みたいにされてしまうのは、恥ずかしいし気疲れするけれど、こんな風に一生懸命私を楽しまそうとしてくれたり好意を向けてくれるのは、やっぱり嬉しいし、ほんのちょっぴり自分が特別なんだって思える。自信が持てそうになる。
この世界に来て、びっくりすることだらけだ。毎日、疲れてしまうくらい皆パワフルだ。ちやほやすること、注目されることにも慣れてない。何もかもが違っていて、戸惑いだらけ。
でも、この手が、この温もりがあるから。
来てよかったって思える。
だから殿下。
誰よりも、愛しい君。
「好きです、殿下。私が選んだのはたった一人。私の特別で一番は、殿下。あなたです」
あなたも少し、自信を持って下さい。
答えは、私の肩を抱く手と繋いだ手に加わった力と。
唇に触れる熱。
――また、花火が上がった。