第三章 部活はじめました その1
旬という物は過ぎ去ってしまえばそれまでだ。昨日あれだけ騒がれたとしても、一日も経てば僕達もただの生徒。努の頃となんら変わらない平和な日常が戻ってくるはずだ。そう期待していた。
しかし僕の小さな願いは、教室にたどり着く以前の、下駄箱というかなり手前で脆くも崩れ去った。
「ん、なにこれ」
下駄箱を開けると、上履きの上に何かが置いてあった。手に取ってみれば、それは封筒だった。
『吉名司様』
表には僕の名前が書かれていた。
「さすが司、もうラブレターを貰いましたか」
「お姉ちゃんかわいいもんねー。貰わない方が不思議だもん」
右にティルラ、左に美衣が来て、手元を覗き込む。
「ラブ、レター?」
ラブレター。僕には馴染みがなく、たまに頭上を行き交うだけだった単語。
「ラブレター?」
再度呟いて、ティルラ、美衣と交互に見やる。二人とも頷き、美衣はニヤニヤ、ティルラは頬を上気させていた。何を想像しているんだ。特にティルラ。
「これがラブレター……」
薄い水色の封筒。光に透かしてみると、中には折りたたまれた便箋が一枚入っているようだ。裏面には名前が書かれている。
「出間暁人、かあ。二年六組の人かな」
「出間……ああ、あのサッカー部のエースで女子にやたら人気の?」
「そうそう。有名人からのラブレターだよ。良かったねお姉ちゃん!」
「どこがどう良いんだ……」
男から貰っても嬉しくない。これが女の子からだったらテンションが上がったかもしれないのに。
「司、もう一通入っているようです」
ティルラが手を下駄箱に突っ込む。
「……司の匂い」
「自重しろ」
ティルラの首根っこを掴んで下駄箱から遠ざける。履き替えたローファーの匂いを嗅ぐな。そして下駄箱を閉じたら残念そうな顔をするな。
「二日目にして二通。お姉ちゃんやるぅ」
美衣が肘でツンツンと突いてくる。それを半身ずらして躱し、ティルラから受け取った手紙を裏返す。
「比与森千沙都。女の子からだ。お姉ちゃん、男女ともに人気なんだね」
「へ、へー」
初めての女の子からのラブレター。これは嬉しいかもしれない。
ん? あれ、でも今の僕って女じゃ……。
「なんだ……」
「お姉ちゃんどうしたの?」
「別に。ただ、世界の真理を垣間見た気がしてね……」
司の姿だと、男女どちらから貰っても喜べないじゃないか。握りつぶしてゴミ箱に捨てるのも相手に悪いような気がして、鞄の中に仕舞う。
「返事書くんだよね?」
「返事? う、うーん……」
「返事なんて書く必要ありません。司は相手の気持ちを受け取るだけで良いのです。司にとって、ラブレターなど人気のバロメーター程度の価値しかないのです」
「おー。バッサリ言い切っちゃったねー」
「司と付き合おうなど百年早いです」
「百年経ったら死んでるよ?」
そう言う問題じゃないだろ。
「吸血鬼は長寿なので大丈夫です」
それも違う。……え、僕百歳以上生きられるの?
「実際、私の年齢は……なんでもありません。さあ、早く教室へ行きましょう」
ティルラは言葉を濁し、さっさと廊下へ歩いて行く。それを追うようにして、美衣と僕が続く。階段を上り、三階にある二年三組の教室に入る。教室に入った途端、空気が変わった気がするのは気のせいだろうか。席につき、あたりを見回すと半数以上の生徒と目が合った。
「睨まれてる?」
「注目してるんだよ」
美衣に耳打ちすると、少しだけ笑いながら返された。ぬぬぬ。やはり金銀豪華な髪色は目立つのか。隠せるわけでもないのに、ペタペタと両手で髪に触れる。白髪染めを使って黒に染めようかな。でもせっかくの綺麗な髪を傷めるのはもったいない気が……
「よ、吉名さん」
声をかけられて顔を上げると、そこには見知らぬ女子生徒が二人立っていた。クラスメイトだろうか。緊張しているようで、表情が引きつっていた。
「えっと、なに?」
怯みそうになったのを辛うじて抑え込み、敵意なんてありません風に微笑みを湛える。転校生である現在の僕には友達がいない。絶賛友達募集中なのだ。昨日のこともあるし、印象を良くして、男女問わず、一人でも多くの友達を作りたかった。
だというのに、二人の表情がさらに強張ったのは何故だろう。
「吉名さんってさ、付き合ってる人とかいるの?」
「……はい?」
一瞬何を聞いているのか分からず、頭の中で反芻する。付き合っている人がいるかどうか、それはつまり僕が誰かと、彼氏彼女な関係なのかどうかを聞いていると言うことだ。
「いないよ。それがどうかした?」
正直に答えた。人生十六年。いまだ誰かと付き合った経験はナシ。
「う、ううん。何でもない。ちょっと聞いてみたかっただけ。そうか、今はいないんだー」
彼女の声色が上がる。表情も柔らかく、どことなく嬉しそうだ。……ハッ。もしや僕のことを内心笑っているとか? 「ぷぷっ。お一人様ですか」と見下しているとか。別に付き合ったことがなくてもいいじゃないかっ。
「前に付き合ってた人はどんな人だったの?」
「前というか、付き合ったことなんてないよ」
僕がそう言うと、女子生徒の表情が一変した。一瞬にして笑みが消え、バンッと机を両手に叩きつけた。
「なんで!? 吉名さんなら選り取り見取りでしょ!?」
「よ、よりどり?」
むしろ選んで貰えなかったんですけど。
「全部断ったの?」
「断ったに決まってるじゃん。吉名さんに釣り合う人なんてなかなかいないもん」
「吉名さんって理想は高め?」
「好みは? 吉名さんから見て俺はどうかな? ははは。ダメだよね。うん。分かってる」
女子生徒が捲し立てる。それどころか、一つ前に座っていた男子生徒まで加わってきた。
なんで僕が告白されたことがある前提で話が進んでいるのだろう。そんなに恋愛経験ゼロなことが変なのだろうか。もしかして高校二年生ともなれば、一回くらいは誰かと付き合ったことがあるのが普通だったり?
不安になって美衣、そしてティルラに視線を送る。美衣は口元を抑えて笑いを堪え、ティルラは呆れているのか、ため息をついて肩を竦めた。
そんな感じで、今日も朝から僕の周りには人が集まっていた。
「吉名さんと美衣って、どっちがお姉さんなの?」
「い、一応僕かな。誕生日早いから」
二日目なのに、勢いは衰えていなかった。いや、衰えるどころか昨日以上だ。壁を挟んだ廊下には、目を疑いたくなるほどの野次馬がいる。昨日は見なかった光景だ。この学校の廊下側に窓がなくて良かった。視界に見える分には前と後ろの出入り口に他クラスとおぼしき男女が数名ずつ見えるだけなので、視覚的にはまだマシだ。
「吉名さんってシャンプーは何を使ってるの?」
「うーん。特に拘ってないよ。その時の特売品を買ってるから、よく変わるし」
「そうなの? 凄く良い匂いがするんだけど」
毎時間、僕のところに来る女子生徒が、僕の髪を一房取り、スンスンと鼻を鳴らす。
「香水使ってるの?」
「何も」
「じゃあなんだろ。この匂い」
自分の匂いは自分じゃ気がつかない。変な匂いじゃなかったのは良かったけど、そんなに真剣に嗅がれると恥ずかしい。
「それは香水などではありません。司の体臭です」
ティルラがまた変なことを口走った。
「これ吉名さんの匂いなの!? ……あ、ホントだ」
女子生徒が今度は胸元のあたりに顔を寄せて鼻を鳴らす。無防備な行動に心臓が跳ね上がる。女の子が近い!
「あたしもあたしもーっ」
「え、あの、ちょっと」
「お、俺も嗅がせて貰ってもいいかな!?」
「近づいたら殴るっ!」
「すみません!」
キツク睨み付けたらすぐに引き下がった。女の子だと手を上げられないが、相手が男なら容赦しない。
「司が人気者で私は嬉しいです」
「鼻血を出しながら言うなこの変態っ!」
あらかじめ用意していた棒状のティッシュをティルラの鼻に積み込む。赤く染まっていくそれを見つつ、今日も一日騒がしくなるのかなと、憂鬱になった。