第二章 転校生はじめました その4
――と、そのときだった。突然の揺れが僕を襲った。地震のように長いものではなく、隕石か何かが屋上に落ちたような衝撃。
「司、あれ!」
珍しくティルラが叫んだ。彼女が指さす先に目を向ける。
「……なにあれ?」
舞い上がる砂埃とヒビの入ったコンクリート。その中心に、全身を漆黒で染めた『何か』が立っていた。ソイツはこっちの様子を覗っているようで、人で言う目のあたりを光らせていた。
僕は目を疑った。ソイツの背中にはコウモリに似た翼が一対生え、頭には角が二本。ゆうに二メートルはあるんじゃないかという体は骨と皮だけで、手足は鋭く尖っていた。
「えーと……。ティルラさん、どう見てもあそこの方は人間に見えないのですが……」
「アウスグスですね」
「アウグスグス?」
「アウスグス。英語でガーゴイルのことです」
がーごいる? ……ああ、ガーゴイル。ガーゴイルね。ガーゴイルなら知ってる。昨日裏山に生えてたよ。
……。
「ガーゴイル!?」
驚愕に目が飛び出そうになった。もちろん比喩的表現で。いやいやそうじゃなくて、ガーゴイル? ガーゴイルってあのガーゴイル? 西洋の鬼瓦なあのガーゴイル?
「この前、吸血鬼を狙う賞金稼ぎがいるって言いましたよね?」
「えっ。う、うん」
ガーゴイルを見据えたままに言うティルラにカクカクと頷く。
「アウスグスは彼らの先兵なのです。私達が世界中にいるように、彼らもまた世界中に散らばり、私達を追っています。しかし彼らだけでは人手が足りない。そこでアウスグスを使って自分達に代わり、探させているのです」
ヴァンパイアハンターの先兵。僕達を探すガーゴイル……それってつまり――
「僕達は見つけられたって事!?」
そ、それはかなりヤバイんじゃなかろうか。見つかったって事は彼らに居場所を突き止められ、命を狙われるって事だ。司になってまだ数日なのに、早くも人生ピンチだ。
だというのに、ティルラはフッと笑った。
「他の吸血鬼ならいざ知らず。私や司にアウスグスなど意味がありません」
「な、なんで? 見つかったんだよ?」
「このアウスグスを始末すれば問題ありません」
「始末って――うわっ!?」
唐突に腕を掴まれて引っ張られる。景色が横に流れて霞み、すぐに止まったかと思えば、ズンと低い音がお腹に響いた。何事かと前を向くと、ティルラの拳がガーゴイルの腹部にめり込んでいた。漆黒の巨体がくの字に曲がり、足が宙に浮く。ティルラはそのままガーゴイルを持ち上げると、第二校舎の裏にある林の中へと放り投げた。
「え、ちょ……今のティルラがやったの?」
ティルラの細腕から繰り出されたとは思えない一連の流れは、ガーゴイルを見たときと同じくらいに僕を驚かせた。ティルラは素早く頷き、視線をガーゴイルを放り投げた林へと向ける。
「司、飛び降りますよ」
「な、なに。飛び降りるってどうい――っ!?」
止まれと言えなかった。僕が口を開く前に、ティルラは僕をお姫様抱っこして飛び上がり、手すりを蹴っていた。
感じたことのない長い浮遊感。気分の悪さを感じる頃に、今度は重力に引かれ急速に落下していく。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
こわいこわいこわい! まるでシートベルトなしのジェットコースターだ。命の保証のないバンジージャンプだ。死ぬ! これは死ぬんじゃないかな!?
脳裏に今までの出来事がスライドショーされる。あー、こんな楽しいこともあったなあと、現実逃避して懐かしんでいると、中学卒業まで来たところでティルラに下ろされた。いつの間にか着地していたのだ。足に力が入らず、ペタンと座り込んでしまう。
「し、死ぬかと思った……」
「またまたそんな大袈裟な」
「普通なら死んでたよ!」
ティルラは悪びれた様子もなく小さく笑う。そっちはずっと吸血鬼だったかもしれないけど、こっちはこの前吸血鬼になったばかりなんだ。屋上から飛び降りても大丈夫かどうかなんて知るはずもない。
「まあそんな些細なことはどうでもいいので」
「走馬燈が見えたんだけど!?」
叫ぶ僕から視線をそらし、表情を引き締めるティルラ。その先にはガクガクと震える足で立ち上がろうとしているガーゴイルがいた。
「もうフラフラのようですね」
「い、今のうちに止めを刺しちゃった方がいいんじゃないの?」
「そうですね。ではその役目を司に譲りましょう」
「何でも良いから早く――えっ?」
素っ頓狂な声を上げてティルラを見る。彼女は僕を立たせると、ポンと背中を叩いた。二歩、三歩進み、振り返る。
「……え?」
耳を疑った。これを僕が殺れと? ティルラの代わりに僕がこれを殺れと? またまたご冗談を。
引きつった笑いを浮かべる。冗談だと一蹴してくれることを願ってティルラの目を見つめる。が、しかし、
「ほら、早く行ってください」
鬼だ! 笑顔でえげつないこと言いやがりましたよこの人!
「大丈夫。司ならやれます」
「そんな無責任な!」
「大丈夫。あなたも吸血鬼なのです。胸を張って!」
「張るほど胸ないよ!」
「でも私はその胸が一番好きです」
「誰もそんなこと聞いてない!」
ティルラに向かって叫んだそのとき、パキッと木の枝の折れる音がした。前を向くと、ガーゴイルがこちらを睨み付け目を光らせていた。
「こ、こっち見てるみたいなんですけど……」
「はい。見ていますね」
「ティルラがとどめをさせば済むんじゃないの?」
「私ですか? 私は……うっ、足が……」
「今更!?」
わざとらしく足首を押さえて蹲るティルラ。間違いなく嘘なのに、ちょっとだけ目に涙を浮かべて見上げている。策士め!
「ぼ、僕にできると思う?」
「むしろ司の方が私より強いのですが」
「……まじで?」
「まじです」
深く頷かれてしまった。そういえば僕の吸血鬼の能力は体を強化するものだっけ。本当ならティルラより強くなれるのか?
「ただ全力で腕を振れば良いのです」
「なんて適当なアドバイス」
ティルラは僕の肩を叩き、それから数歩後ろに下がった。本気で僕にアイツを倒させるつもりらしい。
ガーゴイルは僕達の様子を覗っているのか、身じろぎせずこちらを見つめている。どうして逃げないのだろう。探索が主な役割であるなら、すでに勝てる可能性が限りなく低いこの現状では、逃げる以外に選択肢はないはずなのに。
まあいいや。あっちの都合なんてどうでもいい。ティルラのやる気がない以上、ここは僕がやるしかない。
……とか思いつつも、やっぱり最後にもう一度振り返ってティルラに助けを求める。……ノーだそうです。両腕を交差されてしまった。くそぅ。
し、仕方ない。このままガーゴイルの気が変わらないとも限らないし、逃げられる前にやっつけよう。危なくなったらティルラが助けてくれるはずだ。うん。
グルグルと右腕を回して準備体操。ストレッチをしてアキレス健を伸ばす。痛めたら困るしね。
その間もガーゴイルは律儀に待っていた。実はいいヤツなのかもしれない。
足に力を込め、地面を踏みしめる。固く握った拳を構え、前を見据える。
い、いいのかな。このまま行って良いのかな。……ええいっ。行ってしまえ!
中途半端な気持ちのまま、力強く地面を蹴る。蹴っただけだった。それなのに体は勢いよく押し出され、一瞬にしてガーゴイルとの距離を詰めた。
「うわっ、うわわ!?」
眼前には漆黒のぼでー。手が出たのは反射的にだった。右腕が目にも止まらぬ速さで突き出されて、拳の先に抵抗を感じると同時に、メキッと嫌な音が聞こえた。それからバキゴキと何かを砕く音が拳を通じて響いた。
いつの間にか閉じていた目をゆっくりと開く。そこには、腹部を僕の右手に貫かれてぐったりとしているガーゴイルがいた。
「ぬおっ!?」
驚いて右手を引き抜く。支えを失ったガーゴイルは地面に倒れた。
「さすが司です!」
声に振り向けば、満面の笑みを浮かべたティルラがすぐそこにいた。両手を広げ、僕をギュッと抱きしめた。む、胸のせいで息がしずらい。
「よくやりました! さあ、キスです」
「なんでキス!?」
「勝利のお祝いです」
ティルラがすさまじい力で唇を寄せてくる。こちらも全力で応戦。高校生にもなって母親代わりからキスなんてありえない。
「ティ、ティルラ鼻血でてる」
「あら失礼」
スッと力が抜け、すぐさまセットされるティッシュ。ティルラはもう一度強く僕を抱きしめると、今度は頭を撫で始めた。
「よしよし。司は良い子です」
「だから僕は高校生! それより、コイツ死んでるんだよね?」
足先でツンツンと地面に伏したガーゴイルを突っつく。
「ええ。ご臨終です」
ほっ。良かった。よく覚えてないけど、僕が自分の倍はある怪物を倒したんだよね。今は何も感じないけど、走り出した時や右腕を振ったときには体の中から力が湧いてくるような、変な気分になった。きっとあれが吸血鬼の力というものなんだろう。
そう感心しているときだった。急に膝から、いや、体全体から力が抜けていった。自分で立っていられなくなって、ガクッと膝を折り、ティルラに寄りかかった。
「司、大丈夫ですか?」
「あ、あれ。なんか体が重い……」
思考も回らない。
「血が足りないのですね。私のをどうぞ」
ティルラはそう言うと、躊躇する素振りも見せず胸元をはだけて左肩を露出した。
「遠慮はいりません。首筋に噛みついてください」
頭を右に傾け、金色の髪を手で押さえた。眼前にはティルラの綺麗な褐色の肌。
「噛んだら傷ができるんじゃ……」
「司に付けられた傷なら私は嬉し――コホン。吸血鬼に噛まれた傷はすぐに治癒されて跡形もなく消え去ります。ご安心を」
「でも噛んだら痛いんじゃ……」
「私はドMです」
うぅ。突っ込みたいのに突っ込む元気もない。
さあ、と僕の行動を促すティルラ。強がっても体が動かないんじゃ拒否できない。迷った末に、僕はおずおずとティルラの首筋に噛みついた。
「あぁっ」
ちょっと予想してたというか、期待通りにティルラは甘い声を漏らした。その後も吐息が耳をつくが、離れたいと思うより、まだこのままでいたいと思う気持ちが勝ってしまい、羞恥に頬を熱く感じつつも彼女の首筋に噛みつき続けた。
前に美衣の血を少しだけ飲んだときもそうだったけど、やっぱり血は美味しかった。突き刺した犬歯から流れてくる血はマイルドな口当たりで、喉越しも最高。その味に飽きることもなく、このままずっとこうしていたいと思ってしまうほどに。極上の甘露だった。
喉を十数回鳴らす頃には意識もはっきりとし、自分の足で立てる程までに回復した。そうなるといくら血が美味しくても、耳元でずっと聞こえるティルラの甘い声が耐えられなくなってきた。
「ぷはっ。ありがとうティルラ。助かったよ」
「はあ、はあ……いえ。私の方こそありがとうございました」
なんでティルラがお礼を言うんだ。潤んだ目と朱に染まった頬がやけに扇情的で、目をそらした。
「あれ。ガーゴイルは?」
視線を向けた先にいたはずのガーゴイルの姿がなかった。代わりに灰のようなものが小さな山を作っていた。
「アウスグスは生命活動を停止すると灰になるのです。後処理が必要のないようにしているのでしょう」
制服を正しつつティルラが答える。たしかにこれならアフターケアが楽そうだ。僕達も倒したガーゴイルの処理に困らないし、どちらにとってもいいことだ。
「それにしても、やっぱりこのままじゃ危険だ。早く努に戻らないと」
「えっ」
ティルラが小さく声を上げる。ジト目を向けるとわざとらしく視線をそらした。
「こ、これぐらいなら私も何度か経験ありますが、大したことありませんよ。これだけで男に戻りたいと思うのは早計かと」
「これ抜きでも男に戻りたいんだよ僕はっ」
「あ、あー、そうでした、そうでしたね」
ティルラは本当に僕を努に戻したくないようだ。態度でそれがありありと分かる。まあ、侍女である彼女からしてみれば、司である僕が本来仕えるべき対象なのだから、そう思うのも無理はないのかもしれない。……それ以上に別の意味で嫌がっているようだけど。
「さて、そろそろ帰りましょうか。いつの間にか結構な時間が経っているようですし」
携帯電話を取りだして時刻を見る。屋上に行ってから一時間が経過していた。
「そうだね、帰ろうか。美衣を待たせるとすぐ拗ねちゃうし。ティルラは今日は何が食べたい?」
「司が作るものならなんでも」
「それが一番困るんだけどなぁ」
苦笑して校舎に向かい歩みを進める。昨日は冷蔵庫の余り物で野菜炒めだったから、今日はスーパーに行って……。
さっきまでの緊張感を忘れて晩ご飯のメニューに頭を悩ませる。ティルラは何でもできるように見えて、料理だけはできないのだ。だから料理は僕が作って、それ以外の家事をティルラが請け負っている。
「じゃあ今日は転校祝いということでウニど――」
「カレーがいいと思います!」
突如ガサガサと近くの草むらが揺れ、そこから右手を高々と上げた女子生徒が現われた。ポカンとする僕にニヤリと笑い、行く手を阻むように僕の眼前に立ちふさがった。
「ふっふっふっ」
不敵に笑い声を上げる。彼女の後ろでは後から出てきたもう一人の少女が、無表情でこちらの様子を覗っている。
「お、お前は……っ!?」
「きーちゃった、聞いちゃった」
懐かしいメロディに乗せて彼女が歌う。サッと血の気が引き、嫌な汗が背中を伝う。顔は引きつり、目は限界まで見開かれた。
なんでコイツがここにいるんだ!? よりにもよって、なんでコイツが……っ!?
そこにいたのはよく見知った顔。中学からそれなりに面識があり、高校でも同じ学校、同じ部活になったことで急速に仲が良くなった二人の少女。一人はクセのある赤毛とややつり上がった目、そして少しだけ日焼けした肌が活発そうでいて、実際半端なく活発な少女。もう一人は金色に近い茶色の髪を大きな白いリボンで結び、目はいつも眠そうに半分閉じた見た目通り大人しい少女。
前者は立仙茜、後者は五百藏沙紀。どっちも一年二組に所属する僕の後輩だ。
「いやー。努先輩が病気で学校を休んでいると聞いたときは心配しましたが、まさかこうなっていたとは……」
茜の舐めまわすような視線に背筋がゾクッとする。
「あ、茜……お前どこから見て――」
「最初から、ですよ。突然天井が揺れるもんだから、気になって屋上へ行ったんですよ。すると得体の知れない怪物と噂の転校生がいるじゃないですか。後を追ってみれば、怪物を倒してしまうわ、血を吸うわ、努先輩の名前が出て来るわで、驚きの連続ですよ」
そんなに前から見られていたのか……。だめだ。惚けようにも惚けられない。八方ふさがり。万事休す。
僕が諦めたことを感じ取ったのか、茜はさらに口角を釣り上げ、ビシッと僕を指さした。そして自慢気にこう言ったのだ。
「随分かわいくなりましたね。努先輩」