第二章 転校生はじめました その3
「つかれたー!」
ベンチに体を預け、バンザイしながら叫んだ。
第二校舎の屋上。職員室や各クラスの教室がある第一校舎の北側に立つ、特別教室や部室のある建物だ。人の多い第一校舎とは違い、第二校舎は用事がなければ訪れる必要のない建物であり、昼休みや放課後にもなれば、部室が密集する一、二階はともかく、空き教室もある三階以上では人の気配がまったくなくなってしまう。だから僕はこうして、度々第二校舎の屋上をノンビリ本を読んだりする憩いの場として使っていた。べ、別に友達がいなかったわけじゃないからねっ! 時々一人になりたかっただけなんだからねっ!
「こんなところにいたのですか」
鉄製の重いドアが開いて、ティルラが現われた。僕が苦労して開けたドアを片手で軽々と開けたよあの人。ショック。
ティルラは僕の隣に腰を下ろした。
「司、足が開いてますよ」
「んー。誰もいないんだし、別にいいじゃないか」
今日は一日中意識して閉じていたんだ。今ぐらい気を抜いても許されるはず。
「そうですね、別に構いませんね。では私が司のスカートの中を覗き込んでもなんら問題は――」
「女の子はどんな時でも恥じらいを持つことが大切だよねー!」
すぐさま足を閉じる。隣から本気の舌打ちが聞こえてきた。少しは隠しなさい。
その後、なんとなく二人とも黙り込む。五月の日差しは優しく、僕とティルラに降り注ぐ。ほんのり暖かいこの気候は眠気を誘う。
フワフワと雲が浮かぶ空に向けて手を伸ばした。その手は小さくて、やっぱり自分の手じゃないように思える。手だけじゃない。持ち慣れたはずのシャーペンや、座り慣れたはずの椅子、歩き慣れた廊下、この世界全てが前より大きくなった。きっとそれは僕が小さくなったから、相対的に大きく見えるようになっただけなのだろう。でもそれは、僕だけが取り残されたような気がして、ちょっと寂しい。
今日一日、誰も僕が吉名努だと気付く人はいなかった。それどころか一年の頃同じクラスで何度か遊んだこともある友人から、努の容態について聞かれた。これだけ外見が違うんだ。僕と努がイコールになることはないんだろうな。ほっとしつつ、また友達を一から作り直さないといけないことに憂鬱になる。
「学校一日目。どうでしたか?」
「疲れた。まさか休み時間毎に質問攻めに合うとは思わなかった」
「それはそれは。お疲れ様でした」
ティルラが僕の頭を優しく撫でる。努だった頃は「子供扱いするな」と怒ってすぐに払い除けていたのに、今はそんな気分になれなかった。撫でられるのが凄く心地良いのだ。
「美衣は?」
「部活へ行きました」
美衣は美術部に所属している。本人曰くそれなりに絵は得意なようで、去年も何かの賞を取って僕達に自慢していた。やる気のない兄とは違い、青春を謳歌している。あ、今は姉か。
「司は部活に行かないのですか?」
「部活ねぇ……」
一応僕も部に所属していた。「所属していた」というより「自分で作った」が正しい。街に繰り出すのは面倒だし、そのまま家に帰るのも……という単純な理由で、空き教室と顧問の先生(書類に名前を書くだけ)を用意して、友人とダメもとで生徒会へ『新規部の立ち上げ申請書類』を提出したら通ってしまった。それが今から一年前。部は今も存続していて、ちょうどこの真下、第二校舎四階の最奥に部室がある。部員は努名義の僕と同じクラスだった友人一人、それから四月に入部してきた女の子が二人の計四人。ただし努は病気で自宅療養中ということになっているから、実質三人だ。
彼らは元気でやっているだろうか。……やってるに決まっているじゃないか。何かあったのは僕だけだ。あっちは今日もいつも通り授業を受けて、いつも通り階下の部室でダラダラと時間を潰していることだろう。
「さすがに部活にはいけないよ」
「どうしてですか?」
「鈍感な颯はともかく、茜と沙紀は勘が鋭いから、あまり仲良くなりすぎるとバレる可能性があるしね」
「バレる? 自分が努だと言うことを教えないのですか?」
思ってもいなかったことに、きょとんとしてティルラを見つめる。そして小馬鹿にするようにハッと息を吐いて笑った。
「バラしてどうするんだよ」
「部活に所属していたその方達とは、仲が良かったのではないのですか?」
「良かったよ。だからなおさら教えちゃ駄目なんだよ。あの三人は僕が努だって言ったら笑う、絶対笑う。お腹を抱えて床を転げ回る」
特に茜なんて過呼吸を起こすほど笑うと思う。光景が目に浮かぶようだ。……想像するだけでイライラしてきた。
「なるほど。司は笑いものにされるのが嫌なのですね」
「好きな人なんていないでしょ」
「司に笑われるのなら、私は本望ですが」
「その忠誠心はどこから溢れてくるんだ……」
「主に鼻からでしょうか」
「あれが忠誠心!?」
鼻血は忠誠心だったのか。もしやあれを飲めと? 衛生的にアウト。