第二章 転校生はじめました その2
足を踏み入れた教室はシンと静まりかえっていた。さっきまでざわざわとしていたのに、誰も彼もが口を閉ざし、突き刺さるような視線を僕達に送っている。視線に物理的な効果があるなら、僕の体にはいくつもの穴が空いていることだろう。だからそんなに僕を見るなっ。恥ずかしいじゃないか!
ホワイトボードの前に並んで立つと、先生から僕達の紹介が始まった。はい、羞恥プレイの始まりです。八十近い数の目から放たれる不可視の光線に耐えるゲーム。俯いてモジモジすると減点されるので、顔を上げて胸を張り、我慢する。息苦しい。帰りたい。
ふと教室の中に美衣の姿を見つけた。唯一の味方である美衣は、目が合うとニコッと笑って手を振ってくれた。ああ、癒される。でも帰りたい。
先生は僕を美衣の姉、ティルラは僕の親戚と説明した。学校へ提出した書類ではそういうことになっているらしい。ティルラはともかく、美衣と僕では見た目が違いすぎる気もするけど、そのあたりは母方に似たとか、そういう理由でこじつけるつもりだ。
先生は一通り話し終えた後、一言ずつどうぞと僕達に振った。
「ティルラ・ブランシュネージュです。日本語は勉強していますので、ある程度なら大丈夫です。気さくに話しかけて貰えたらと思います。どうぞよろしくお願い致します」
スラスラと述べて優雅に頭を下げるティルラ。軽く笑みまで浮かべている。なんという余裕。よし、僕だって。
「よ、吉名司です。これでも日本人れす。よ、よろしくお願いしましゅっ」
……噛んでません。決して二回も噛んでません。噛んだように聞こえたのなら忘れてください。記憶から抹消してください。僕も消しますから。あーもうなんで噛んだんだよ! これだから人前に立つのはイヤなんだ。訳も解らず緊張して、舌が回らなくなるから!
教室がざわつき出す。内容は聞こえないけど、どうせ「ぷぷっ。あの白髪噛んだよ。ダセー」なんてことを言ってるに違いない。誰が白髪だ! 銀髪だよ銀髪!
羞恥で顔が熱くなってくる。まさに穴があったら入りたいとはこのことだ。隣からは荒い鼻息が聞こえる。空気読め。
先生は気を利かせてくれて、僕とティルラの席を美衣の近くに用意してくれた。美衣の隣、後ろから二つ目の窓際の席は僕、その後ろがティルラとなった。後ろはティルラがどうしてもと言うから譲った。
席に付き、やっと一息つく。……が、よくよく考えれば、ティルラが後ろになったせいで年中無休の授業参観が完成してしまったじゃないか。ちらりと振り返れば、ティルラがほくそ笑んでいた。やられた。せっかく窓際の席だというのにテンションが上がらない。
「お姉ちゃん」
美衣が口元に手を当てて声を潜める。僕が司となった途端に「お姉ちゃん」と呼び始めた美衣の順応力は称賛に値すると思う。ただ、その度に現実を突きつけられるようで、僕の心にグサッとくる。
「なに?」
テンションの低さが態度にも出てしまう。今更遅いけど、もっと考えて席取りするんだった。
「なんでそんなにやさぐれてるの?」
「ティルラに騙された」
「ティルラに? ……あぁー」
美衣も気付いたらしい。
「お姉ちゃん、これから大変だね」
「他人事みたいに。美衣だってそうじゃないか」
「私は寝ないし、真面目だもん」
「へぇー。優等生ですねー」
できる妹を持つと辛い。嫌味を言われても言い返せないのだから。
「っと、それよりお姉ちゃん」
「なんだよ」
美衣がしつこい。今は誰かと話すような気分じゃ――
「座ったときは意識して足を閉じるようにしてね」
「――っ!?」
慌てて足を閉じる。そ、そうだった。スカートは足を閉じないとパンツが見えてしまうんだ。そんなに開いてたつもりはないけど……。
「も、もしかして見えた?」
「あれくらいならたぶん見えてないと思う。でも気をつけてね」
ウンウンと頷く。僕にパンツを披露する変態的趣味はない。面倒だけど、足は意識的に閉じていよう。
「あとそれと、みんな見てるのにそんな顔をしてちゃだめだよ」
みんな? 顔を上げ、周りを見回す。
「ぬなっ!?」
なんということでしょう。クラスの男女半数以上の目がこちらに向けられていた。羞恥プレイは継続していたのだ。美衣よ、そういうことは早く言いなさい。おかげで変な声が出たじゃないか。
どことなく彼らはソワソワとしていた。何かを待つように、時計と先生と、そして僕とティルラを交互に見ている。嫌な予感しかしない。
「それじゃ、朝のホームルームはこれで終わります。みんな、吉名さんとブラシュネ……ティルラさんと仲良くしなさいよー」
いらぬ一言を投げて先生は教室から出て行った。
と、次の瞬間。
「吉名さんってどこから転校してきたの!」
「吉名さんとティルラさんって留学生? あ、でも吉名さんは日本人って言ってたっけ。じゃあティルラさんだけが留学生?」
「美衣のお姉さんなんだよね? どうして別の高校に行ってたの?」
「銀色の髪なんて初めて見たよ」
「あーもうなんてかわいいの! 美衣ったらこんな綺麗でかわいいお姉さんを隠してただなんて!」
「ティルラさんの胸、凄いね。……いくつなの?」
「髪綺麗ね~。シャンプーは何を使っているのかしら?」
「好きです付き合ってください!」
「た、誕生日はいつですか!?」
……ナンデスカコレハ。
突然のことに目が点になり、情報量の多さに思考が停止する。
ホームルームが終わるとほぼ同時に、僕とティルラの周りに人垣が出来た。クラスの男女が一斉に押しかけてきたのだ。
「へ、あの、えっ?」
転校生が質問攻めに会うのは、それなりに見られる光景だ。しかしこの勢いはなんだ。目を輝かせて、あるいは血走らせて詰め寄るクラスメイトの波に恐怖を感じる。僕が恐怖するだと……? ない、断じてそんなことは……嘘ですごめんなさい怖いです。
「はい。司は日本人ですが私はドイツの生まれです。一応留学生、ということになるのだと思います」
隣を見やれば、ティルラが物怖じせずハキハキと質問に答えていた。くぅー。人見知りとか言っていられない。頑張って次からの質問にはちゃんと答えてみせよう。
「吉名さん」
よしきた。まず最初は君からだっ。
「さっき噛んだよね? かわいかったなぁ」
「ぬぐっ……」
なんで今それを……。意気込んだときに限ってこんな質問が飛んでくる。
まっ、人生ってそんなもんだよね……。