第二章 転校生はじめました その1
どうして僕はこんなところにいるんだろう。
とある教室のドアの前。中からは僅かばかりの少年少女の雑談と、担任である先生の話が漏れ聞こえてくる。慣れ親しんだ学校の雰囲気。ほんの一週間くらい前なのに、酷く懐かしく感じるのは、今の僕が大きく変化してしまったからだろうか。
一七〇ほどあった身長は一五〇に僅かばかり足りず、黒く短かった髪は長い銀髪に、同様に黒かった瞳はカラコンのおかげで両目とも青に、逞しいとは言わないまでも、それなりに男らしかった体は白く華奢に、そして制服はズボンからスカートに。
想定外だった。男に戻るまでは家に引きこもってニートライフを満喫すればいいものだと思っていた。実際ゴールデンウィーク中はどこにも行かず、家でゴロゴロポテチを摘まみつつテレビを見ていた。それがどうだろう。ゴールデンウィーク最終日。外出から帰ってきたティルラはリビングに入るや否や開口一番、「司! 制服を買ってきました!」と高らかに宣言し、右手に僕が通っていた蓮池高校の女子制服、左手に吉名司と書かれた生徒証を握りしめて僕に差し出したのだ。
ティルラは僕を吉名司として蓮池に通わせる気満々だった。あの手この手を繰り出して、美衣と同じ二年三組に、ゴールデンウィーク明けから転校する手筈を整えていた。
「学業を疎かにすることは司の保護者として、そして侍女として許せません」などとそれっぽいことを言われても、頬を赤く染め、鼻息荒く言われては説得力皆無。ティルラの脳内が透けて見えるようだった。
もちろん断った。しかし、言うことを聞かないならこちらも協力しないと言われてしまっては、彼女の要求を飲まざるをえなかった。僕は男に戻りたいのだ。だから制服と生徒証を受け取る以外に、選択肢は用意されていなかった。
……で、今に至る。ホームルームで転校生として紹介されるために、先生から声をかけられるのを待っているところだ。
危ない橋を渡っている気がする。僕のことを知っている先輩や後輩、そしてクラスメイトが在籍する学校に、あろうことか女子の制服を着てノコノコとやってきたのだ。それはまあ、性別も見た目も名前も違うから、僕がボロを出さない限りバレることはないとは思う。だとしても、決してゼロではない。もしバレた時のことを考えると背筋がゾッとする。今もこうして待つだけで心臓の鼓動が凄まじいことになっている。半分は人見知りなのもあるけど。
帰りたい。今すぐにでも帰りたい。でも帰れない。なぜなら隣にはティルラがいるのだ。
「司、ワクワクしますね」
言葉通り今か今かと合図がくるのを待ちかねるティルラ。なんでそんなに嬉しそうなんだよ。こっちは人生初の女装中でそれどころじゃないのに。緊張で吐きそうだ。ここへ来るまでもそうだ。ティルラと僕の金髪と銀髪が目立つせいか、行き交うほとんどの人と目が合ってしまった。あと少し通学距離が長かったら泣いていたかもしれない。ティルラと美衣には内緒だ。
「どうしました。顔色が悪いですよ?」
「いつもの色だよ。気にしない。それよりなんでティルラが制服を着てここにいるんだよ。昨日まで学校なんて通ってなかったじゃないか」
「学校なら大学を卒業していますので、教育課程は済ませています。今私がここにいるのは、あなたのことが心配だからです」
なるほど。僕のためか。納得。たぶん他にも僕には言えない理由がいろいろとありそうだけど、聞くのは辞めておこう。聞かない方が良いに違いないから。
……ん? 大学を卒業した? そういえばティルラは僕が物心つく頃には今の姿だった。吸血鬼は長寿らしいので外見はあてにならない。つまり――
「……ティルラって何歳?」
「ノーコメントです」
……良いお歳のようだ。少なくとも三十……ぬわっ、何も言ってないのに睨まれた。
「司の考えていることぐらいお見通しです」
「そ、そうですか」
笑顔が怖い。ま。まあ年齢はともかく、ティルラの制服姿はとても似合っていた。日本の制服は褐色肌の金髪赤目な少女を想定して作られたわけではないはずなのに、まるで彼女のために作られたデザインかのようだ。
「どうしました?」
ティルラが首を傾げる。なかなかにかわいらしい。
「別に。ただ制服が似合ってるなと思っただけ」
「ありがとうございます。司も似合っていますよ。制服はもちろんのこと、スカートとニーソが作り出す絶対領域なんて最高です」
ティルラは目を輝かせてグッと右手を握りしめた。やっぱりこのニーソは作為的に選んだようだ。今日の晩ご飯はティルラだけ一品マイナス決定。
『外のお二人さん。入ってきてください』
うわっ、ついにきた。唐突に聞こえたそれは、僕の心臓を跳ね上がらせた。自己紹介という名の公開処刑。なんで転校生と言うだけでクラス全員の前に立たされて話をしなければならないんだ。不公平だ。
「司、行きますよ」
「へっ!? ちょ、ちょっと待って」
ティルラがドアに手をかける。慌ててもう一度制服の乱れをチェックして、背筋を伸ばす。第一印象は大事だ。