第一章 女の子はじめました その2
『吸血鬼!?』
開口一番、僕と美衣は食い掛からんばかりにティルラへと詰め寄り、声を上げた。
「き、吸血鬼って、あの人の血を吸ったり、太陽の光とかにんにくとか十字架が弱点な、あの吸血鬼だよね!?」
「かなり偏見があるようですが……はい。あなたが少女になった理由。それはあなたと私は吸血鬼だからです。正確に言えば、私は混血の吸血鬼であり、あなたは神聖な純血の吸血鬼です」
ティルラは僕達を見据えて平然と答え、ズズズとお茶を啜った。
美衣を起こした後、僕達は混乱しながらも、とにかく現状をティルラに伝えようと、彼女の部屋を訪れた。
僕達を溺愛する彼女のことだ。僕が女の子になってしまったと知ったら、動揺して気を失うかもしれない。そんな心配をしつつ説明すると、意外や意外、ティルラは取り乱す素振りなんて微塵も見せず、むしろ冷静に耳を傾け、すぐに僕を吉名努として受け入れてくれた。
やたら聞き分けの良いティルラを訝しみつつ、リビングに移動して一息吐いたところ、突如さっきの発言が飛び出したわけだ。
「吸血鬼って……じ、冗談だよね?」
これが赤の他人なら笑い飛ばしていただろう。
「努、空気を読んでください」
「すみません」
怒られてしまった。しかし、それだけティルラが真面目に話をしているということ。彼女はほとんど冗談を言ったことがないし、嘘を吐いたこともない。信じるしかないのだけど、内容が内容なだけにどうしても疑ってしまう。
「信じられないのも無理はありません。あなた達にとっては突然のことなのでしょうから」
「ま、まったくだよ。いきなり吸血鬼でした、だなんて言われても、全然信じられないよ」
「しかし事実です」
「事実って……。うーん。じゃあ何? これからは日が昇っている間は外に出られなかったり、にんにくや十字架を見ると苦しみだして、食べ物は人の生き血になるってこと?」
「努、偏見が過ぎます」
「ごめんなさい」
また怒られてしまった。でもそうか。吸血鬼のティルラが昼間普通に外へ出て、にんにくやら十字架を見ても平気なのだから、吸血鬼と言っても人間と何ら変わらないのかもしれない。
「たまに血がほしくなることと、少し特殊な能力があること以外は、人間とほとんど変わりません」
「やっぱり血はほしいんだ」
「吸血鬼ですから」
ごもっともです。ティルラは小さくため息をついた。
「やはり物は試し、ということでしょうか。実際その目で確かめられれば信じて貰える、ということですね?」
「それはまあそうだけど」
「……分かりました。美衣、少しだけ血を貰います」
言うが早いか、ティルラは美衣の手を取り、人差し指でスッと線を引いた。たったそれだけで、美衣の手の甲から血が滲んできた。美衣に痛がる様子はない。不思議そうに手の甲を見つめている。
「さあ、舐めてください」
ティルラに言われ、おそるおそる美衣の血を舐める。
「……美味しい」
昔、怪我をしたときに血を舐めたことがあるけど、あの時は鉄の味がしただけで美味しいとは微塵も思わなかった。これは僕が吸血鬼になったから、ということだろうか。
「おわかり頂けましたか?」
「まだ半信半疑だけど、吸血鬼なのは分かった。けど、それと僕が女の子になったことに何の意味が?」
「それについても、今から私がお話しします」
混乱する僕を安心させるように彼女は微笑んだ。それは小さい頃から、僕が助けを求めたときにいつも見せてくれる、優しい顔だ。
慌てないで。私がなんとかします。そうティルラは言っているようだった。
……が、そんな思いは一瞬にして消え失せた。
「しかし、その格好はなんですか」
「ん? あー」
ティルラの視線を追って見下ろした僕の姿は、いまだTシャツ一枚だった。朝からいろいろあったせいでそのままなのだ。
「ごめん。着替えるのを忘れてた。でも今はそれより先に説明を――」
「なんともけしからん格好ですね! 裸Tシャツなんて私のど真ん中どストレートじゃないですか! 中が見えそうで見えない絶妙な長さ。じっくり見ると透けて見えそうな色! そして隠すことなく見えてしまっている肩と鎖骨! 何ですか、何なんですか! それは私を誘っているのですか!? いくら私が貧乳ふとももマイクロ美少女好きだからと言って、そう簡単にホイホイされると思っているのですか!? ええ、されますとも!」
突如鼻血を流して興奮を露わにするティルラ。ああ、だめだ。いつもの発作が始まった。僕達への愛が溢れすぎて、鼻血とテンションが暴走してしまういつものアレだ。しかも今回は今までに見たことのないハイテンションで繰り出されてしまった。発言も変態すぎてドン引きだ。貧乳ふとももマイクロ美少女ってなんだよ。
「さあ努、私の胸に飛び込んでくるか、私があなたのふとももに飛びつくか、どちらか選んでください!」
満面の笑みで何を言ってるんだコイツは!? もちろんどっちも却下だ。捕まったら何をされるか分かったもんじゃない。
「ええと、美衣」
「だいたい何を言われるか想像が付くけど、一応なに?」
「あの変態頼む」
「はいはい」
美衣が肩を竦めて立ち上がる。両手を広げてアピールするティルラと僕の間に割って入ったのを確認してから、急いで自分部屋へと戻った。
その後、Tシャツとジャージに着替えて戻って来てみれば、ティルラはいつもの彼女に戻っていた。それでも僕の姿を見るや否や、鼻にティッシュを詰め込んだので、興奮はするらしい。
「あなたがいけないんです」
「なんで!?」
言われのない非難を受けた。
やっと落ち着いたところで、ティルラはゆっくりと分かりやすく、順序立てて今回のあらましを教えてくれた。
曰く、僕はヨーロッパのとある田舎町の出身で、その町でも結構有名(お金持ちらしい)な家の一人娘らしい。と同時に由緒正しき純血の吸血鬼であり、ティルラは僕の家に仕える僕専属の侍女なのだそうだ。ちなみに侍女とは身分や地位の高い人の傍に仕え、身の回りの世話をする女性のことだ。メイドと似ている気がするけど、ティルラが言うには違うらしい。
「私はツカサに仕えることを誇りにしています」
鼻に赤くなったティッシュを詰めたティルラが力強く言った。まったく様になっていない。
「ところで司って誰?」
「あなたのことですよ、努。あなたの本来の名前は司なのです」
ヨーロッパ出身なのに、なんて日本人的な名前。僕の本当の両親が日本好きなせいらしい。
そんな僕達がどうして日本にいるのかというと、結果だけを言えば安全のためらしい。
吸血鬼は迫害の対象とされる。だから多くの吸血鬼は自分達が吸血鬼であることを隠して暮らしている。だけど希に、どこからか聞きつけて僕達を殺しに来るヴァンパイアハンターという賞金稼ぎがいるらしい。彼らは子供相手でも容赦はしない。そのため、幼い僕を彼らから守るために、ティルラに比較的安全で一族の末裔がいる日本へ僕を連れて避難するようにと言い渡した。
彼女はすぐに行動に移した。ツテを頼りに吉名家へ居候することになり、小さかった僕はそこの養子となった。
しかし、ティルラはそれだけでは不十分だと考えた。彼女は僕を守るため、混血の吸血鬼に希に現われる特異な能力を使って、僕を吉名努という男の子にした。
そうして今日、その能力とやらの効果が切れた。元の姿である女の子、司に戻ったのだ。
「せっかく司に戻ったのです。これからは司として暮らしていきましょう」
話を終えたティルラがまず最初に言ったのはそれだった。彼女がさっき見せたハイテンションからして、努よりも司としていてくれた方が嬉しいのだろう。
だがしかし、今更本当は女の子ですと言われても、はいそうですかと納得できるはずもなく――
「一つ聞きたいんだけど、ティルラの能力を使えば、僕は努に戻れるんだよね?」
「出来ないことではありません。ですが……」
ティルラは言葉を濁した。そんなにイヤなのか。だとしても、僕の気持ちは変わらない。
「だったら、僕を努に戻してよ」
高校二年生にもなって、これからは女の子として生きて下さいと言われても無理な話だ。いくら外見が美少女でも、それが自分自身では意味がない。美少女よりも、平凡でも慣れ親しんだ姿の方が良いのだ。
「あなたの考えていることも理解できます。が、私としては非常に残念です……」
言葉通りに落ち込むティルラ。諦めきれない彼女はその後も女の子の素晴らしさ(ここがそそるとか、フェチ的な意味で)を説いてみせたり、女の子になるとこんなにいいことが! と、まるでどこかの悪徳商法のように女の子というものを売り込んで来た。どうでもいいと一蹴してやると、
「そ、そんな……十数年振りに司と再会できたというのに、あんまりです……」
この世の終わりとでも言いたげに、ティルラはガックリと肩を落とした。そして、渋々僕を努へ戻すことに承諾した。
ただし、それには条件があるらしい。ティルラの能力で努に戻るには、今の僕じゃ彼女だけの能力では足りず、故郷に戻って純血の吸血鬼である僕の両親の助けがいるらしい。
「その他にもいろいろと準備がありますから、故郷へ戻るのは早くても夏休み頃になります。だからせめて、せめてそれまでは司として生活して下さいっ!」
「うっ……。わ、分かった。それくらいならこのままでいるよ」
必死な形相で懇願するティルラに気圧されてしまい、思わす背頷いてしまった。どことなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。でもまあ、準備が必要というのなら、それに従うしかない。今は五月だから長く見ても三ヶ月。その間、家に引きこもっていれば良いだけだ。学校のことが少々気になるけど、その辺はティルラがなんとかしてくれるだろう。たぶん。
「ああそうだ。一つ気になったんだけど、吸血鬼ってことは、僕にもティルラみたいな変な力があったりするのかな?」
「変な、とはなんですか。私達にだけ与えられた、とても素晴らしい能力です」
僕としてはどっちでもいい。
「もちろんありますよ。混血にあって純血にないなんてことがあるはずがありません」
「本当にあるんだ。じゃあ、それはどんな能力?」
これでも僕はおと……今は元男だけど、心は男だから、アニメや漫画のような能力が自分にもあると思うとワクワクするのは当然だろう。
「ちょっ、司、どうしたのですか。近い、近すぎます」
「どうしたって、これくらいいつもの距離じゃないか」
顔と顔の距離は五十センチ程度。特段近すぎるということもない、いつもの距離なのに、ティルラは酷く動揺していた。彼女の身長は女の子としては高く、司となった今の僕はお世辞にも高いとも平均的とも言えない低さだから、身長差は二十センチほど。自然と見上げることになる。
「も、もう抑えられな――ブフッ!?」
「ぬわっ!?」
ティルラの鼻からティッシュが発射されると同時に鮮血が吹き出し、僕の顔とTシャツに降り注いだ。
「ぎゃーっ。鼻血が服に! す、すぐ洗わないと。なんで近寄っただけで吹き出すんだよ!」
「あ、あなたがいけないんです」
「また僕のせい!?」
ティルラの鼻へ強引に新しいティッシュを詰め込み、急いで脱衣所へと向かう。血液はすぐに洗い流さないと落ちなくなるのだ。
「司の能力ですが」
と、廊下に続くドアに手をかけたとき、顎を上げ、鼻を押さえて流血を防ぐティルラの声が僕を引き留めた。
振り返り、彼女の言葉を待つ。
一体僕はどんな能力を持っているのだろう。ティルラのような変化される能力なのか、それとも何かもっと特別な――
「司の能力は、吸血による身体の強化です」
わー。脳筋だ。RPGでたとえるとパーティーの中に一人はいる「武器はおのれの肉体よ!」と武器を持たず殴りかかる半裸がデフォな特攻隊長だ。
外見に見合わず、意外と肉体派な能力だった。