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最終章 吸血鬼はじめました その2

 土曜日。待ち合わせの中央公園に来てみれば、そこにはまだ誰も来ていなかった。大抵僕が最後なので一番乗りなんて久しぶりだ。ちょっと得した気分を味わいつつ、近くの花壇に寄りかかり、携帯電話を弄って時間を潰すことにする。

 新しい颯の家の場所を誰も知らなかったので、中央公園に一度集まってから、颯に道案内して貰うことになった。話に寄れば自宅の近くらしい。帰り道が以前と変わっていないのだから、そうだろうなとは思っていたけど。

 しばらく待っていると携帯が震えた。相手は茜からだ。出ると、携帯の向こうから茜の泣きの入った声が聞こえてきた。

『ごめんなさ~いぃぃ』

 なんだまたかと苦笑しつつ、自業自得だと心の中で呟いて、茜の声に耳を傾ける。

『出掛けようとしたらママに勉強しなさいって止められたんです。先輩の家で勉強会って言っても信じて貰えなくて、ちゃんと勉強するって言っても首を縦に振らないんです。あの親は自分の子供のことをまったく理解してないです!』

 理解してるから外出させなかったんだと思う。どうせ颯の家に行っても勉強なんか二の次で部屋の物色をしただろうし。さすが茜のお母さん。よく分かっていらっしゃる。

「はいはい。颯にそう言っておくよ。沙紀がここにいないってことは、そっちにいるんだよね?」

『はい。勉強を見てもらいなさいってママが……』

 呼ばれたのか。親ぐるみの付き合いは伊達じゃない。これはいくら茜でも逃げられない。

「大人しく勉強することだね。颯の家は僕が代わりに見てくるから」

『せめて写真を撮ってきて下さい!』

「はいはい」

 それくらいならいいだろうと了承した後、沙紀に変わってもらい、茜のことをよろしく頼んで電話を切った。

 携帯をしまい、辺りを見回す。家族連れと彼氏彼女な関係の二人組、そして数人の男女の集まり。休日は様々な組み合わせの人々で街は溢れかえっている。それらを見ていると、一人の僕は疎外感を覚えてしまう。

 沙紀と茜が来られないのなら、待ち合わせ場所を僕の家の前とかにしても良かったな。で、その颯はまだ来ないのだろうか。思案していると、タイミング良く颯からメールが来た。

『悪い。少し遅れる』

「ぬぅ。どいつもこいつも……」

 こんなところでまだ一人で待てと? 悪態を吐きつつ、小さくため息をつく。するとふいに影が覆い被さってきた。

「こんにちは。君、今一人?」

 顔を上げる。白のシャツにジーパンという格好をした大学生くらいの男と目が合う。知らない人だ。声をかける相手を間違ったのかな。

「ええと。もしかして外国人? ヘロー?」

 僕が黙っていたのを勘違いした男が流暢な英語を披露する。最初のヘローしか分からなかった。

「あ、いえ、日本人です」

「ああ。なんだそうか。良かった。英語はあまり得意じゃないんだ」

 男が爽やかに笑う。今ので得意じゃなかったら、英語赤点ギリギリな僕はどうなるんだ。羊頭狗肉ですかそうですか。

「今一人?」

「はい、一人ですけど……?」

 なんでそんなことを? と疑問に思いつつ答えたところ、途端に男の顔がパッと明るくなった。うーん。これはモテそうなイケメンだ。

「そっか、君もか。僕も友達と待ち合わせをしてるんだけど、さっきメールで遅れるってきてさ、どうやって時間潰そうかって悩んでた所なんだ」

「僕もです。ちょうどさっきそれと同じメールを受け取りました」

 はにかんで言うと、男はハッとして動きを止め、しばらくして顔を横に振った。

「そ、そっかそっか! そそそれじゃあ似た者同士、相手が来るまで何か話でもして時間を潰さない?」

「……? はい」

 突然早口になった彼を疑問に思いつつ、ちょうどいいやと了承する。

 ますは自己紹介と、お互いに自分の名を告げる。彼の名前は伊藤文也いとうふみや。国立大学の二年生で、理学部というところに所属しているらしい。二年と言うことは僕より三つ年上だ。

「髪、綺麗だね。ハーフか何か?」

「そんなところです」

「触ってもいい?」

 どうぞ、と軽く体を捻って触りやすくしてやる。なのに彼の手は背中ではなく頭に向かっていった。ポスッと乗せられ、優しい手つきで撫でられる。ティルラのナデナデほどてはないにしろ、振り払う気にもならない程度に良い撫で方だった。

「司……お前、なにしてんだ?」

 聞き慣れた声に目を向ける。呆けた表情の颯がそこにいた。

「やっときた。待ちくたびれたよ」

 花壇から離れ、颯の前に立つ。するっと頭から伊藤さんの手が落ち、彼は「あっ」と小さく声を漏らした。

「えっと、待ち合わせ相手が来たので、行きますね」

「あ、ああ。うん」

 彼は僕ではなく颯を見て頷いた。表情が堅い。見やれば、颯は彼を睨み付けているようだった。

「ほら、行こう」

 くいっと颯の袖を引く。彼は無言で踵を返すと、さっさと歩きはじめた。慌てて小走りで横に並ぶ。公園を出て、人が少なくなったところで颯に話しかけた。

「どうしたんだよ。機嫌悪そうだな」

「……はあ~」

 颯は歩く速度を緩め、大きなため息をついた。

「お前なあ。自分が何をしていたのか分かってるのか?」

「待ち合わせの相手が来ない者同士で世間話をしていただけだけど?」

「この鈍感……」

 ぬっ。失礼な。僕が誰と話そうと颯には関係のないこと。どうして呆れられないといけないんだ。

「お前、ナンパされてたんだぞ?」

「……へっ?」

 今、僕はとても変な顔をしていることだろう。それだけ颯の言葉は衝撃的だった。

「……難波?」

「それは大阪の地名」

「なんばしよっと!」

「それは博多弁。ナンパだよ。ナンパ」

「な、なんぱですか……」

 聞き間違えではないらしい。ナンパ。異性に声をかけて遊びに誘うこと。軟派とも書くけど、一般的にはカタカナでナンパとされる。あのナンパだ。

「……されてた?」

 自分を指差して颯に問う。

「されてた。もの凄く」

「でも、ただ話してただけだよ?」

「最初どうやって声かけられた? 今一人? とか聞かれたんじゃないか?」

 正解だ。驚いて目を丸くする。

「それで自己紹介とか、学校どことか、髪が綺麗だとか言われたんだろ?」

「え、エスパー現る」

「それくらい分かるっての。司は見た目が褒めやすいんだから」

 今のは馬鹿にされたのか、褒められたのか、どっちだ? 訝しんでいると、目を逸らされた。

「次からは気をつけろよ」

「わ、分かった。気をつける」

 いろいろ腑に落ちないが、気付かずナンパされていたことは事実のようだ。素直に頷く僕を見て、颯はやっと表情を緩めた。

「そういえば茜と沙紀はどうした?」

「茜がお母さんに捕まって家から出られないんだって。沙紀はその付き添い」

「なるほど。いつものことか」

 颯がさっきの僕のように苦笑を浮かべる。

「颯の家って実家のすぐ傍なんだっけ?」

「ああ。一人暮らしは許してくれたけど、近くに借りろって母さんが譲らなくてさ」

「颯のお母さんは親馬鹿だもんね」

「うるせえ」

 顔を僅かに赤らめる颯。ニシシと笑った後、ティルラと僕の関係はそれ以上なことに気づき、口を噤んだ。

 その後しばらく歩き続け、二階建ての新築アパートの前で足を止めた。白を基調とした、どこにでもありそうな建物の外壁には大きく『コーポスワジク』と書かれている。

「スワジクって何語?」

「さあ。日本語じゃないのか?」

 日本語にそんなのあったっけ。諏訪ならあるけど。

 颯は二階の角部屋だった。

「おじゃましまーす」

 靴を脱いであがった部屋の中は広々としたフローリングのワンルームで、ベランダに脱衣所、オープンキッチン、そして小洒落た出窓まで揃えた、高校生には勿体ない部屋だった。勉強家な颯らしく、本棚がたくさんある。漫画が少ないことに驚きだ。僕の部屋の本棚には漫画しかないのに。

「さて、それじゃ勉強するか。司は何をしたい?」

「んー。微分積分かな。あれさっぱりなんだよね」

 鞄を横に置いて、ローテーブルの前に座る。少し遅れて颯がグラスを二つ持って対面に座り、そのうちの一つを僕の前に置いた。

「具体的にはどこが分からないんだ?」

「えっと、この問題なんだけど」

 教科書を広げ、颯に見せる。ああこれかと彼は呟いて、ノートにペンを走らせる。読みやすく癖のない文字が書き込まれ、それを目で追っていく。と、途中で颯の手が止まる。

「ここまでは分かるか?」

「うん。その次なんだよね」

「やっぱり。ここはな……」

 颯がノートをこちら側に向け、矢印やら文字を書き入れていく。僕は身を乗り出してノートを食入るように見つめる。

「……え、そこってそうするの?」

「ああ。大抵のヤツがここで間違うんだよ。クラスのヤツもそうだった」

 僕が苦労した問題をいとも容易く解いてしまう颯。その応用力の少しでも分けてほしいものだ。

「他に分からないところあ――っ!?」

 顔を上げた颯が驚愕に眼を見開き、一瞬にして頬を赤らめるとすぐさま俯いた。一連の行動の意味が分からず、首を傾げる。

「ん、どうした? お腹でも痛い?」

「……お前、見えてるぞ」

「見えてる?」

 下を向いたまま颯が頷く。なんでこっちを向かないんだ。

「何が?」

「む、胸だよ胸!」

 胸? 視線を下げる。ピンク色のキャミソールが重力に従って弛み、襟元から中がのぞけた。

 見える、見えるぞ。僕にも胸が見える。

「まあ気にするな」

「気にするわ!」

 颯が赤い顔で叫ぶ。服の中を覗き込んでも、見えるのはレースで縁取られた淡い青のブラと、平らに近い薄い胸。偏った趣向を持つ一部の人以外の大多数はガッカリすること間違いなしな貧相ぼでー。親友相手でも女だと緊張するのか。この純情君め。

「じゃあどうするんだよ」

 座り直しながら不満を口にする。このテーブルは広い。体を乗り出さないとノートの字なんて見えない。

「知りたいところをノートに書き込んで渡すから、それを見ろ」

「効率悪いなあ。押さえるから、これで見えないだろ?」

「ダメだ。どうせすぐ忘れるだろ」

「人を鶏みたい言うなっ」

「文句言うなら教えないぞ」

「ぶー」

「ぶーじゃねえ」

 僕の意見は受け入れられず、渋々颯の言うとおりにする。分からないところがあったら颯にそれを伝え、その後書き込まれたノートを見て理解する。参考書より分かりやすいが、これじゃ家で勉強してるのとそう変わらないじゃないか。まあ分からなくなったらすぐ颯に聞けるのは大きいけど。

 カリカリとシャーペンがノートの上を走る音が室内に響く。音量的には小さいのに、よく耳につく。漫画でも読みたいなあ。でも読んでたら間違いなく颯がぶーぶー言うしなあ。テストの結果が悪いとティルラに怒られるし……うーん。

「司、手が止まってるぞ」

「え? あ、うん」

 呆けていたらしい。さっきからページがあまり進んでいない。ちょっと真面目に取り組むか。

 頭を抱えながら問題を解いていく。しかし英語の次に苦手な数学。すぐに躓いてしまう。

 んー……。この問題たしかあの公式を使えばいけたはず。どんな公式だったっけ。公式さえ分かれば解けるのに。

「颯、参考書ある?」

「そこの本棚の一番上の右から五つ目」

 なんで見てもいないのに正確な場所まで分かるんだ。立ち上がり、いくつもある本棚から、颯が指差した先に向かう。

 えーと。一番上の右から五つ目だから……。

「……え」

 なんということでしょう。一番上だと届かない。これを取れと?

 見上げる本棚は僕を拒絶するかのようだ。振り向いても颯は勉強に集中しているようで気付いていない。本が取れないからといちいち呼ぶのも忍びない。この身だけで取るしかないようだ。そういう運命なんだ。

 心の中で気合いを入れ、つま先立ちになって手を伸ばす。最上段には触れたが、まだ本には届かない。

「ぬぬぬ……」

 あとちょっと。

「おい司、何してんだ。届かないなら届かないって言えよ」

「だ、大丈夫。あと少し……」

 精一杯これ以上はもう無理なくらいまで腕を伸ばす。プルプルと震える指先が少しずつ上がり、やがて目的の参考書に触れる。

「やった! ……ぬわっ!?」

 一瞬気が緩み、バランスを崩してしまう。かなり本を詰めて入れていたらしく、抜き取った参考書を起点として最上段の本がなだれのように崩れ落ちた。

 あ、これちょっとヤバイかも。降り注ぐ分厚い書籍を見て、他人事のように思う。ま、いっか。怪我してもすぐ治るし。痛いのは変わらないけど。

 スローモーションで世界が流れる中、視界ドアップで辞書の角が現われる。あー、痛い。これは絶対痛い。したたかに背中を打ち、来るであろう痛みに自然と目をきつく閉じ、体を強張らせる。

 ……あれ? 痛くない。背中は少し痛むが、それ以外に痛みを感じることはなかった。

 ゆっくりと目を開く。するとどうだろう。目と鼻の先に見知った顔が合った。明坂颯だ。

「大丈夫か!?」

「う、うん」

 やけに焦った様子の颯。真剣すぎて、冗談が言える状況ではない。

「は~。良かった。無理すんなって。怪我でもしたらどうするんだ」

「いや、まあ、怪我してもすぐ治るし……」

「治っても、痛いのは痛いんだろ?」

「それはそうだけど」

「じゃあ気をつけろ」

「はい……」

 颯の迫力に押されて、思わず頷いてしまう。しかし颯のヤツ、近くで見ると結構格好いいな。長身で顔も良く、しかも危ないときは助けてくれる。なかなかのイケメンじゃないか。

 観察していると、颯は突然顔を真っ赤にして僕から離れつつ、手を差し出してきた。

「立てるか?」

「人間なので」

 軽くボケをかましながら手を重ね引っ張って貰う。包み込まれてしまうほどの颯の手。大きいなあ。

「な、なんだよ」

「何が?」

「さっきから俺の手をペタペタ触ってるじゃねえか」

「あ。ごめん」

 あわてて手を離し、散乱した本を本棚に戻す。

「これ、もう少し余裕を空けた方がいいんじゃない?」

「そうする」

 片付け終え、目的の参考書を手にローテーブルの前に座り直す。

 さて、勉強再開するとしますか。気持ちを入れ替え、勢いよく参考書を開く。

 ……で、何を調べたかったんだっけ?

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