最終章 吸血鬼はじめました その1
「守護霊占い?」
茜が熱心に読んでいる本の表紙にはそう書かれていた。
「はい。今あたしのクラスで流行っている占いの本なんですよ」
行儀悪く、ローテーブルに組んだ足を乗せ、ソファーに深々と座る茜が嬉しそうに答えた。
「占いねえ……。やっぱり女の子は占いとか好きなのか?」
「そりゃそうですよ。甘い物と恋バナとファッションと占いは、女の子みんな大好きです」
「ふーん。沙紀もそう?」
長机を二つ挟み、僕と対面して座る沙紀に問いかける。机に教科書や参考書、ノートを広げて向かう沙紀は、なんとも健全な高校生の姿だ。
沙紀は口を開かず、リボンを動かして答えた。沙紀も茜の意見に同意ということなのだろう。
「意外だ」
「沙紀も一応女の子ですからね」
「一応ってどういうことかしら?」
いつの間にかシャーペンを手放した沙紀が頬杖をついて軽く茜を睨んでいた。
「あなたね……。そっちの方がやる気出るって言うから許可したのに、寛いでどうするのよ」
沙紀の視線の先、茜の足の下には広げられた数学の教科書とノートがある。
「まあまあ。テスト週間は今日始まったばかりじゃない。最初から根を詰めてもバテちゃうって。適度な休憩も必要だと思うわけよ」
ふふんと鼻を鳴らして得意げな顔をする茜。さっきまでは沙紀の隣で頭を抱えて「うがーっ」とか叫んでいたのに。
茜の言うように、蓮池では来週の中間テストに向けて、今週からテスト週間に入っていた。テスト週間の間は大抵どこの部活も休みなのだが、元々活動と言える活動をしていない我がエンタメ部は年中開店休業状態。テスト週間でも変わらずこうしてみんなが集まり、真面目な沙紀と颯によって勉強会が開催されるのだ。ただし、勉強があまり好きではない僕はそれほど乗り気ではないし、茜に至ってはご覧の通りの有様。結局、いつもとそれほど変わらない光景が目の前に広がっていた。
「そう言っていつもテスト前日になると泣きついてくるのはどこの誰だったかしら?」
「ぎくっ」
茜の肩が揺れる。
「付き添いで徹夜させられる私の身にもなってほしいものだわ」
「あ、あははは……えーと、七月生まれのO型、Dタイプの守護霊は、っと……」
笑って誤魔化し、そして逃げた。沙紀のために気合い入れて勉強する気はないらしい。
「あたしの守護霊は室町時代の歌人かあ……ん~、雅」
茜とはほど遠い人種。僕の中でその本の信頼度が一気に下がった。颯と目が合い、彼も「ないない」と手を振る。
「茜の守護霊は落ち武者よ。禿げた頭のてっぺんに矢を刺した落ち武者。文化人なわけないじゃない」
「落ち武者!?」
おー、落ち武者。茜にピッタリだ。こっちの方が説得力ある。意気揚々と出陣して気付いたら負け戦で泣きべそかきながら逃げる様が目に浮かぶ。
「なんで落ち武者なのよ! せめて織田とか伊達とか長宗我部とか有名どころの武将にしてよ」
「仕方ないじゃない。落ち武者が見えるんだから」
「見える? あーなんだ。見えるの。じゃあしょうがな……って見える!?」
ガタンと音を鳴らして茜が立ち上がる。僕と颯も茜ほどじゃないにしろ、驚いて沙紀を凝視する。
「ええ。かなりぼんやりだけど、後ろに見えるの」
「へ、へー。見えるんだ。いいなあ」
何がいいんだろう。守護霊とは言え、この世の物でないものがぼんやりと見えるのは怖いと思うんだけど。
「でも、どうして今まで教えてくれなかったのよ」
茜がぷくっと頬を膨らませる。
「ぼんやりすぎて、大抵当てずっぽうで言ってるだけだから、言うほどのことでもないでしょ? それに、言ってもあなた信じないでしょうし」
沙紀が蔑むような目で茜を見つつ肩を竦める。
「そんなことないない。他でもない幼馴染みの沙紀のことなら信じるって」
「そうね。あなた単細胞だし」
「そうそう、あたしゾウリムシ。落ち武者だけにゾウリを履いて――ってちゃうわ!」
「0点ね」
「ガッデム!」
茜が戸棚からなんとも形容しがたい緑色の恐竜が崩れたようなクリーチャーのぬいぐるみをわしっと掴んで床に叩きつけた。
沙紀が本当に守護霊を見ることができるのかできないのか、そんなことはともかく、茜の守護霊が歌人だと言う占い本よりかは信用できそうだ。
「で、そういう沙紀の守護霊はなんなの?」
「ボブよ」
「ボブ?」
ボブと言えば日本で言うところの太郎さん。一般的な男性名だ。有名人だとボブ・マーリーだろうか。
「アイダホ州生まれのボブ・ケンタッキー」
「なんか凄く美味しそうな人ね」
アイダホのケンタッキーさん。ポテトとフライドチキンのセットが食べたくなった。
「生前はじゃがいも農園を経営していて、毎日トラクターでブイブイ言わせていたそうよ」
「時速二十キロとかでブイブイされても……」
農道を自転車くらいの速度で走るトラクター。なかなかにのどかな光景だ。
「でも、どうしてそんな人が沙紀の守護霊なの?」
「なんでも、フラフラと漂っていたら私にくっついちゃったらしいのよ」
「それ、守護霊じゃなくて、単純に取り憑かれたんじゃないの?」
沙紀が目をパチクリする。そして「あー」と手を打ち鳴らした。今気付いたらしい。
「まあ、気さくな人だからどっちでもいいわ」
「幽霊で気さくってどうなの……」
振り向けば笑顔のボブがお出迎え。それはそれで怖いような気がする。
「じゃあ、颯先輩の守護霊は?」
「日本人の男性のサラリーマン」
「面白くない」
「……どうしろと言うんだよ、俺に」
沙紀と茜が残念そうに颯を見てため息をつく。
「まったく。その見た目のちゃらさを活かして、いろいろと面白いことすれば良いのに、中身が真面目だから」
「ぐっ……。ひ、人が気にしていることを……」
「気にしてるのに髪染めてるんですか?」
「これは地毛だ!」
「あらまあ、そうなんですの?」
茜がわざとらしくすっとぼける。ちょっと顔がウザい。
「あとは、お待ちかねの司先輩ですね。沙紀、司先輩の守護霊はなに?」
そして回ってきた僕の番。実はちょっと期待してた。一体僕の守護霊はなんだろう。
沙紀が僅かに目を細めて僕の後ろの辺りを凝視する。しばらくするとクワッと目を開き、口元を抑えてプルプルと震えだした。
「え、なになに。なんか凄いのが見えたの? 有名人? いつも駅で踊ってるバーコードハゲ?」
茜の有名人の基準がよく分からない。
「もったいぶらずに早く言ってよ」
興味津々といった感じに茜が沙紀を問い詰める。沙紀は何度か咳払いをしてから口を開いた。
「両手にひまわりの種を持ってドヤ顔してるハムスター」
……え。ハムスター? ハムスターって、あの齧歯類のハムスター?
「あははははっ! ハム、ハムスターって! 有名人どころか人間でもないなんて!」
茜がお腹を抱え、ソファーの上で笑い転げる。沙紀も肩をプルプルと震わせている。なるほど。さっきの彼女は笑いを堪えていたのか。
「ハ、ハムスターって、司先輩にピッタリ過ぎますよっ。良く食べるところとかとくに!」
「茜だって食べるじゃないか。僕だけ食いしんぼみたいに言わないでほしいな」
ハムスターが守護霊なのは許そう。かわいいし。しかし僕は食い意地など張っていない。冬眠する予定もない。ハムスターのように頬を膨らませるほどムシャムシャと食べることなんてない。
手近にあった木のお皿からウニせんべいを掴み、バリバリと噛み砕く。
「まっらく、ひふれいなヤツら」
「ぶふっ! 言ってる傍からハムスター状態」
「んぅ?」
吹き出すほどに茜が僕を見て笑う。訳が分からず首を傾げていると、沙紀が「これをどうぞ」と手鏡を貸してくれた。それを見た僕の動きは止まった。見事に頬を膨らませていたのだ。
……あー、そうだった。司になって、口も小さくなったんだった。
「ハムスターそっくり。ぷぷっ」
「うっひゃい」
ふんっと顔を背け、ウニせんべいに齧り付いた。
「先輩かわいいなあ……。もう男に戻らず、そのままでいいじゃないですか」
「いやら」
「どうしてですか?」
「ろうしれって……」
口をもぐもぐさせながら考える。どうしてだっけ。男に戻りたいとは常日頃から思っていたけど、肝心の理由をど忘れしてしまった。ええ、なんだっけ……。ああそうだ。ゴクリとせんべいを飲み込んでお茶啜る。ふう、と一息吐いてから話した。
「今更僕が女としてやっていけるわけないじゃないか」
今年で十七歳。記憶にある間の僕はずっと男だった。そんな僕が今になって「はいあなたは女です」と言われても「はい分かりました」となるはずがない。心は男なのだ。女になれるわけがない。
「とは言いますが、今の司先輩、結構様になってますよ?」
どこが? と言いかけて、ふと視線を落とす。ぴったりと閉じたまま、少し斜めにした脚。湯飲みに添えられた手。皺のない制服。それを見て嫌悪感を抱かない僕。
結構慣れちゃってるかも。これなら……って、いやいやいや。それでも僕は男。男なんだ。
「おっ、悩んでる悩んでる」
「なっ、悩んでない! ほ、ほら、休憩終わり。勉強勉強っ」
ありえない考えが頭をよぎり、すぐさま振り払ってノートに向かう。えーと、この単語の意味は……。
「えぇー。本当に勉強するんですか? 今日はもういいじゃないですか。笑って疲れましたよ」
「疲れてどうするのよ」
ぶーぶーと文句を言う茜に沙紀が呆れる。
「部室だとやる気が起きないの」
「あなたは一体どこでやる気が出るのよ……」
出ないと思う。茜はそういうヤツだ。本人も腕を組んで唸っている。
「おっ、そうだ。週末に颯先輩の家で勉強会をしましょう!」
良い案だと言わんばかりに、茜が笑顔を弾けさせる。反対に颯は凄く嫌そうだ。
「なんで俺んちなんだよ」
「颯先輩って今年から一人暮らし始めたんですよね? この中で一人暮らししてるの颯先輩くらいじゃないですか。まだ一度も行ったことがないし、噂の先輩宅を拝見してみたいです」
「別になんもないって」
「ベッドの下にはありますよね? いかがわしい書籍の数々が」
「ね、ねーよ!」
あ、今動揺した。高確率であるとみた。
「ふーん、ホントですか? ではそれを確認するために、今週の土曜日、昼一時に颯先輩宅に集合ってことで!」
「お、おい。勝手に決めんなよ!」
『おー』
「おーじゃないだろ! 司、沙紀!」
面白そうなので乗ってみた。僕も颯の新しい部屋を見てみたかった。一人暮らしの部屋って、どんなのだろう。




