第一章 女の子はじめました その1
時間は少しさかのぼり、ゴールデンウィーク初日のこと。
比喩的な意味で目覚ましに叩き起こされた朝。僕は眠い目を擦りながら、妹の美衣を物理的な意味で叩き起こすため、愛用のウニのぬいぐるみを片手に部屋を出た。大きめにノックをして入った部屋は案の定薄暗く、ベッドの上ではいまだスヤスヤと眠る美衣がいた。
肩にかかるくらいの長さで切り揃えられたはずの黒い髪はぼさぼさで、愛らしい垂れ目も今は閉じられている。布団で見えないけど、身長は女の子としては平均的で、ご自慢のぼでー(美衣曰く)は出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。
僕と同い年の妹。妹と言っても僕は養子だから血は繋がっていないし、誕生日も少しばかり僕の方が早いだけだ。それでも僕のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれているのは、一応それなりに慕われているからだと思う。養子と言っても物心つく頃には一緒だったから、僕も美衣も特に気にしてはいないし、どうでも良かった。
欠伸をかみ殺しつつ、美衣にぬいぐるみを叩きつける。以前、両手で美衣の体を揺らして起したときに「ちょっと痛い」と言われて以来、こうして起しているのだ。これなら痛くないと、美衣にも大絶賛された。
数回叩くと、美衣は渋々ながらも起き上がった。そこまではいつも通り。しかし、ボクの姿を目にした彼女の反応は予想外のものだった。
「えっと……どちら様で?」
遠慮がちに聞いてくる美衣。よそよそしさに疑問を抱きつつ返事する。
「どちら様って、努だよ。吉名努。寝ぼけてるのか?」
「お、お兄ちゃん!?」
驚愕する美衣は冗談を言っているようには見えなかった。本当に僕が誰だか分からないらしい。訝しげに美衣を見つめ、もしや寝ている間に誰かから顔に落書きされたのかもしれないと妄想する。
確かめれば済むことだと、姿見を見たときだった。
そこに映し出されていたのは銀色の髪をした少女だった。小さな体に不釣り合いなブカブカのTシャツは首回りが大きすぎて右肩からずり落ち、長い裾は太もものあたりまで伸びているせいで、下には何も履いていないように見える。
「え、これ、僕?」
思わず呟いた声も鈴を振ったような可愛らしいものだった。喉に手を当てれば、あったはずの突起はなく、胸を触れば慎ましくも膨らみがあった。もちろんその下も……って、何も穿いてないじゃないか!?
やたらスースーする股間の感触に、一瞬で顔が熱くなる。想像なんてしてません、してませんよ!
「……もしかして、お兄ちゃんなの?」
「た、たぶん。お兄ちゃんのはずだ」
じ、自信がなくなってきた。ためしにと手を上げれば、鏡の中の少女も手を上げ、キリッと顔を引き締めてみれば、幼いながらも凜々しげな表情をしてみせた。自分の意志で動かせるのだから、これは間違いなく僕なのだろう。でも、ほら、あれだ。たとえばの話、映画とかでもあるような、実は記憶を植え付けられた偽物のクローンで、本物とすり替えられていたりとか、SFチックな可能性も無きにしも非ずだ。そうなると僕は僕じゃないってことになるけど……まあ、限りなくゼロに近いか。映画の見過ぎかな。とにかく、今は美衣に僕が本当の兄だと言うことを伝えなければならない。きっと美衣はまだ僕のことを疑って――
「そっか。お兄ちゃんなんだ」
「っておい! そんなに簡単に信じるのか!? ここはもっと疑うところだろ。本当にお兄ちゃんなのか、とか。本当にお兄ちゃんだったら僕しか知らないことを言って見せろ、とか」
あまりの聞き分けの良さにこちらが動揺してしまう。美衣はきょとんとした後に「んー」と小さく唸ってから応える。
「そのTシャツはお兄ちゃんのだし、言葉遣いもお兄ちゃんなんだもん。それになにより、ウニのぬいぐるみで叩く程良い力加減とリズムは間違いなくお兄ちゃんだよっ!」
美衣がグッと親指を立てる。納得しているならそれでいいけど、まさかこの起こし方で僕のことが分かるなんて。……いや、だったらもっと早く起きろよ。意識ハッキリしてるじゃないか。