第四章 友達はじめました その1
「ごめん、颯」
「まったくです。私には誰にも言うなときつく迫ったのに、僅か二十四時間足らずで自分からバラしてしまうとは」
ため息混じりのティルラの声。半眼で振り返る。
「ティルラに言ってるんじゃない。というより、なんでティルラがここにいるんだよ!」
僕の後ろ、ソファーの隣に座布団を敷いて正座するティルラ。さも当然と、この場にいる彼女は暢気にお茶を啜っている。
放課後のエンタメ部の部室。僕と颯、茜と沙紀のいつものメンバーに、何故かティルラを加えた五人でローテーブルを囲んでいた。
保健室での一件の直後、僕は颯に自分の正体を明かした。一般的な人間が取る行動ではない吸血シーンを見られてしまっては、どんなに上手な嘘を並べても、颯を誤魔化せるとは到底思えなかった。だったら変に誤解される前に正直に話をした方が良いと、早々に諦めたのだ。今考えれば早計だったかもしれないが、当時かなり動揺していた僕にはそれしか選択肢が思いつかなかった。
そして今。僕は颯に正体を隠していたことについて謝罪していた。ティルラに邪魔されたけど。
「なんでと言われましても、保健室から帰ってきた司と美衣の様子があまりにもおかしかったので、心配してここにいるのですが?」
「ちゃんとお昼休みに説明したじゃないか」
気心の知れた部活メンバーが揃うこの場所に、保護者であり姉のようでもあるティルラが同席するのは、母親に友達と遊んでいるところを監視されているようで落ち着かない。ただでさえ毎時間授業参観状態なのだ。放課後くらいは家族の目から逃れたかった。たとえ今が親友との関係において大事な局面だったとしてもだ。
「それでも心配なのです。それに、私がいた方が説明もしやすいのではないですか?」
「説明ならバレたときにすぐにしたよ。それで信じても貰えた。もうティルラが心配するほどのことじゃないよ」
「そうですか……。まあいざとなれば司の制服に盗聴器を仕込んでいるので、常に私が近くにいる必要はないのですが」
「え、ちょっと待って。今小さいな声でなんて言った? 盗聴器?」
「気のせいです」
ニコリと笑みを浮かべるティルラ。……怪しい。家に帰ったら制服をチェックしないと。
「とにかく、それくらいにあなたのことを気にかけているということです。昨日の怪我もそうです。美衣の手前、平静を装いましたが、どれだけ私が心配したか」
「平静? キスをしようとしたのはどこの誰だっけ」
なんとか未遂で済ませることが出来た昨日の出来事を振り返りながら、ティルラに半眼を送る。彼女は目を伏せてコホンと咳払いする。
「訂正します。怪我自体はそう心配していませんでした。吸血鬼は腕がもげようがくっつければ数分で治りますし」
「再生力凄いどころの話じゃないよね、それ……」
腕がなくなったら生えてきたりするんだろうか。ヤモリの尻尾のように。
「ただ、見た目がとても痛々しかったので、抑えていた愛が溢れ出してキスがしたくなったのです」
「待って、前後の話が繋がらないんだけど」
「愛は盲目と言いますし」
「それを言うなら恋は盲目……って、いつもの発作じゃないか! はあ……。お前は子供がかわいくてかわいくて仕方が無い過保護な母親か」
「お母さん、もしくはママと呼んでくれてもいいのですよ? 私的にはママをお薦めしますが」
「誰が呼ぶか!」
叫ぶように言うと、ティルラの眉尻が急激に下がった。そんなに悲しそうにしても、言わないものは言わない。言えてもお姉ちゃんだ。いや、やっぱりそれもナシ。
「まあまあ、努先輩落ち着いて」
対面のソファーに座る茜が手をヒラヒラとさせながら言った。視線をティルラから茜へと移し、少しだけ眼光を鋭くする。
「茜。僕のことは司と呼べって言っただろ? 誰が聞いてるのか分からないんだから」
「そんなに気にしなくても、こんなところに来る人なんてあたし達以外にいませんって」
注意しても、茜は悪びれもせずニヤリと笑う。
「どこからボロが出るか分からないって言ってんの!」
「努先輩神経質ーっ」
「だから司だと――!」
言い返そうとしたとき、ふいに茜の隣から手が伸び、彼女の額をペチッと叩いた。「あだっ」と声を上げる茜。
「落ち着きなさい。ニヤニヤして気持ち悪いわ」
沙紀が手を引っ込めながら、眠そうな目を茜に向ける。
「気持ち悪いとは失礼ね。こんなに面白い展開じゃ笑いを堪えるのも限度が――」
「私はあなたに、落ち着きなさいと言っているのよ」
「了解しました」
沙紀の静かな一喝に、茜が一瞬にして大人しくなった。幼い頃から一緒だったという二人。茜は沙紀に頭が上がらないのだ。
「すみません。茜は私が見張っていますから」
「お願い。ティルラと茜の両方を相手するのはさすがにしんどい」
何か言いたそうな茜とティルラを横目に、小さくため息をついてソファーに腰を下ろす。と、すぐに謝罪の途中だったことを思い出し、姿勢を正して隣に座る颯を向く。
「颯。隠しててごめん」
「別にいいって。怒ってねーし」
改めて頭を下げる僕に、颯は気にした様子もなく笑ってみせた。
「むしろ病気で休んでるって聞いてたから安心した。ああでも女になってんだから、場合によっちゃ病気よりも厄介なのか」
「厄介は厄介だけど、大丈夫。夏休みには男に戻る予定なんだよ。だから、わざわざ僕が努なんだと教えて、混乱させるのも悪いかなと思って、黙っていたんだ」
本当はこの姿を見て笑われるのが嫌だったからだけど……。しかしそれは僕の取り越し苦労に終わった。颯は少しも茶化すことなく、僕の話を真剣に聞いてくれた。友達のことはもっと信用しないといけないね、うん。
「混乱か……。たしかに、これはな……」
颯がぼそっと呟いて視線を下げ、ゆっくりと戻した。
「どうかした?」
「い、いや、なんでもない」
途端に颯がそっぽを向く。何か変なこと言ったっけ? 横顔を見る限りでは、機嫌が悪いというわけではなさそうだ。
颯は鼻の頭を数度掻いてから向き直った。
「努も大変だったんだな」
「ん? うん、それなりにね」
たしかに大変であり、現在進行形でもあるんだけど、それほど深刻に悩んでいなかったりもする。慈愛に満ちた瞳を向けてくる颯に若干の後ろめたさを感じ、返答を濁した。
「まあそんなわけだから、夏休みまでの間はこのままでよろしく」
「おう。お前も頑張れよ」
なにを? という言葉は飲み込んで、軽く頷く。たぶん特に深い意味はないのだろう。
「そうですっ。頑張って可愛らしい女の子になってください!」
唐突に声を上げ、ソファーから勢いよく立ち上がる茜。彼女は胸の前で拳を握りしめている。視線を斜め下に向ければ、沙紀が申し訳なさそうに苦笑していた。
「もう落ち着きがなくなったのか」
「あたしに静かにしてろっていう方が無理なんです」
そりゃごもっとも。納得はしないが理解した。
「茜はさっきの話を聞いてたのか? 僕は夏休みには男に戻るんだぞ?」
「はい。秋に行われる文化祭のミスコンで優勝できるよう頑張りましょうっ」
「よし、さっきどころか今現在もまったく聞いてないな」
力強く的外れなことを言う茜は笑顔を輝かせていた。とても生き生きとしているその姿に、僕は疲労感を覚える。
「あなたは何を言っているのですか。司は既に世間一般とは一線を画した美しさを有しています。ミスコンなど、何も労せず賞をもぎ取ることでしょう」
ああ。コイツもいたんだった。さらに疲労が上乗せされる。
「これ以上どこをどう弄れば可愛らしくなるのですか。もしその要素があったとして、私の命はいくつあれば足りるのでしょうか」
輸血とティッシュがあれば一つで足りるんじゃないかな。
「そ、そうでした。あたしが言いたかったのは内面、内面です。内面がもっと女の子らしくなれば、もう完全無欠かなと」
食って掛かってきたティルラに茜が引いている。さすがティルラ、怖いものなしだ。
「たしかに。今のままでは少しばかりお淑やかさに欠けますね。そこを磨けば……」
嬉々として話す茜に、真剣な表情で耳を傾けるティルラ。鼻血が出そうな気がしたので、先にティッシュを詰めておく。「ありがとうございます」と律儀に礼を言ってきた彼女に、僕はどんな反応を返せば良いだろう。
当事者を余所に、話をヒートアップさせていく二人。本当にティルラは、司の方の僕を好きなんだな。と、二人を眺めて複雑な気持ちになった。
「でも、司先輩はちょっとばかし胸が小さいですよね。男共は胸は大きい方が好きだと聞くし……」
「男などに媚を売る必要はありません。司の胸はコレで完成されているのです」
……違う意味で複雑な気持ちになった。
「あっ、司先輩の胸と言えば、颯先輩」
胸の前で手を打ち鳴らし、思い出したように茜が言う。
「歓迎会はいつにするか決めました?」
どうして胸の話題で「と言えば」に繋がるんだ。胸は関係ないだろ。
「そういやまだ決めてなかったな。なあ司……ちゃん?」
「なんで疑問系なんだ。司でいいよ。努にちゃん付けされるのは気持ちが悪い」
「そ、そうだな。分かった」
颯は口ではそう言いつつも、逡巡するように視線を泳がせた。
「司、昨日も帰りに言ったが、今週末の土日、空いてるのはどっちだ?」
「どっちも空いてるけど、僕の歓迎会だよね? もういいんじゃないか?」
「まあ、たしかにそうだな……」
「えっ、どうしてですか?」
同意する颯と怪訝な表情の茜。こっちこそどうしてと問いたい。
「だって、もう僕が努だってみんな知ってるから、やる必要が――」
「お昼はお寿司屋さんですよ」
「行く」
間髪入れず返事すると、茜がニヤリと笑みを浮かべ、ティルラと沙紀が半眼を向けてきた。祝ってくれると言うんだから、素直に受け入れても別にいいじゃないか。態度で示すように、腕を組み、ソファーでふんぞり返った。
「それじゃ土曜日で良いですか?」
茜がぐるりと視線を巡らせ、全員の反応を覗う。反対意見は出ず、満場一致で土曜日に決まった。
「ティルラ先輩も来ます?」
「是非、と言いたいところですが……」
言いながら、ティルラが僕に視線を向けてくる。期待通りに睨み返す。
「だそうなので、泣く泣くここは辞退させて頂きます」
ティルラは大きくため息をついた。つきたいのはこっちの方だ。
「そっかー。残念ですけど、仕方ないですね。んじゃいつものメンバーで今週の土曜日、十時に中央公園の噴水前に集合ということでお願いします」
断ったばかりのはずのティルラが深く頷いている。まさか付いてくるつもりなのだろうか。絶対にそんなことはさせないからな。
そんなこんなで歓迎会(なのか?)の日取りも決まり、後はいつものように下校時刻までゴロゴロと時間を潰した。傍らでは終始ティルラがぶつぶつと呟いていたが、考え込むことはよくあることなので特に気にもしなかった。
このとき、少しでも耳を傾けていれば、あんなことにはならなかったのだろうか。