第三章 部活はじめました その6
翌日の朝。けたたましい電子音で叩き起こされた。
僕の安眠を強制終了させた目覚まし時計は、たまにボタンを押しても鳴り止まないときがある。今日は運悪くその日だったようで、規則的な音が鼓膜をびりびりと震わせた。朝から気分を悪くした僕の代わりに、目覚まし時計を布団の中に放り込み、愛用のウニのぬいぐるみを手に美衣の部屋へ向かった。
「みーいーおーきーろー」
意味のないノックをしてから部屋に入り、いまだすやすやと眠る美衣へウニのぬいぐるみをお見舞いする。
「んん……。お姉ちゃんおはよう」
「おはよう。早く下りて来いよー」
もう一回ぬいぐるみで頭を叩いてから部屋を出る。一階に降りて脱衣所の洗面台で顔を洗い、自分の部屋へと戻る。ぬいぐるみを元の位置に戻し、制服へと着替えた。
姿見を見ながらリボンを結び、リビングへ。次は朝ご飯の準備だ。
「おはようございます」
「おはよう。すぐに用意するから待っててね」
「手伝います」
リビングにはすでにティルラがいた。エプロンをする僕の後ろに立ち、髪を弄り出す。
「手伝うんじゃなかったの?」
「はい。朝の身支度の手伝いをさせていただいてます」
真剣な表情のティルラに呆れつつ、髪のセットは不慣れなので任せることにする。
今日の朝のメニューは食パンとサラダにスクランブルエッグの簡単な洋食だ。前日の晩ご飯のあまりがある時はそれを流用するのだけど、昨日は多めに作ったはずの唐揚げが全て食べられてしまったので、一品少なくなってしまった。まあ、朝だからいいか。
数分後、美衣がリビングへとやってきて、テーブルについた。全員が揃ったところで朝ご飯を食べる。
「お姉ちゃんマヨネーズ取って」
「あんまり使いすぎるなよ」
釘を刺したのに、美衣はサラダとパンとスクランブルエッグ全てにマヨネーズをかけた。
「何でもかんでもマヨネーズか。味覚おかしくなるぞ」
「ウニプリン食べてるお姉ちゃんよりマシだと思う」
あれは美味しいじゃないか。
朝ご飯を食べ終えると、各自一度部屋に戻り、その後鞄を持って家を出た。
本日で学校も三日目。初日、二日目と災難が続いたが、今日こそは普通の学校生活が送れるだろう。そう期待して、正門をくぐった。だというのに、
「……うー」
机にゴロンと頭を寝かせ、低く唸る。
二限目の最中。突然体に力が入らなくなり、机に突っ伏した。
怠くて重い。これはあれだ。初日にガーゴイルと戦った後の症状に似ている。血が足りないんだ。そういえば昨日、僕は血を吸っていない。体に変調がなかったから、大丈夫だろうと判断したのだ。それが今頃になって来たらしい。
「お姉ちゃんどうしたの?」
真面目にノートを取っていた美衣が小声で話しかけてきた。
「血が……」
「血? 血が必要なの?」
突っ伏したまま頷く。顔を上げるのでさえ億劫だ。
「先生。お姉ちゃんが気分悪いそうなので、保健室へ連れて行きます」
先生の返事を待たずに、僕の腕を肩に回して立ち上がる美衣。僕の様子に気付いた先生は少し動揺した声で了承する。
「私も行きましょうか?」
「いいよ。私だけで」
「しかし……」
何か言いたげなティルラを横目で見ると、もの凄く残念そうな顔をしていた。絶対に来るなと目で訴えると、渋々と言った様子で「分かりました」と引き下がった。
「どこ行けば良い?」
「とりあえず保健室に……」
この時間、保険の先生は不在のはずだ。美衣に肩を貸して貰って保健室へ行くと、予想通り入口のドアに不在のカードがぶら下がっていた。中に入りベッドに座る。
「ちょっと待ってね。準備するから」
準備? 僕が血を吸うのに準備は必要ない。疑問に思っていると、美衣はおもむろにブラウスを脱ぎ始めた。
「ち、ちょっと美衣。別に脱がなくてもいいって」
「そうなの? じゃあこれでいい?」
ボタンをいくつか締め直して、胸元だけをはだける。
「うん。でも今更言うのもなんだけど……いいの? 怖くないか?」
普通に生きていれば、吸血なんて経験するはずのない未知の出来事。怖がっても仕方の無いことだ。
「うん。だってお姉ちゃんだし」
事も無げに言ってのける美衣。僕はそっかと呟いて、できるだけ痛くならないよう、そっと首筋に齧りついた。美衣の弱々しい吐息を耳にしつつ、喉を潤す。必要分の血だけを摂取して、顔を離す。あの時のティルラのように、吸血された美衣は目を潤ませ、頬を朱に染めていた。
「ありがとう美衣。もう大丈夫」
「うん。良かった……」
美衣はぼーっとしていて、焦点が定まっていないようだった。僕に体を預けたままの美衣を抱きしめ、背中を擦ってやる。
と、そうして顔を上げたときだった。
『あっ……』
目の前のカーテンの隙間から、こちらを覗く人影。バッチリと目が合ってしまい、同時に声を漏らした。
誰もいないと思っていた。しかし、ここに来たときから隣のベッドのカーテンは締っていた。つまり、中で誰かが寝ていたということだ。なんで気付かなかったんだろう。先生がいなかったから、保健室には誰もいないという先入観が働いたせいかもしれない。とにかく、僕は見られてはいけない所を、誰かに見られてしまったのだ。
「え、えっと……」
突然のことに頭の中はパニック。どうしよう、なんて言い訳をしよう。どうやったら口を封じられるだろう。などと、ちょっと危ないことまで考えてしまった。やがてカーテンが大きく開かれ、中の人物が姿を現わす。
そこにいたのは――
「……つ、司ちゃん?」
驚愕に顔を引きつらせた、明坂颯だった。




