第三章 部活はじめました その3
帰りのホームルームの後、僕は美衣、ティルラと別れて第二校舎四階へとやってきた。三階までと違い、ほとんどが空き教室となっている四階は殺風景で、設置された掲示板に張り紙はなく、鍵のかかったドアから中を覗いても、大抵どこももぬけの空だ。
静かで薄暗い廊下の最奥、そこにある教室だけが光を湛え、楽しげな声と共に外へと漏れていた。
四月までは毎日のように通った場所。中の様子だって手に取るように分かる。しかし、この姿で来るのはこれが初めて。ゴクリと喉を鳴らし、緊張に少しばかり手を震わせながら、ドアをノックした。
『どうぞー』
気の抜けた茜の声。ドアを開け、中に入ると見慣れた光景が目の前に広がる。すぐ目につくのが教室の奥に積まれたがらくたの山。茜がどこからか見つけてきた物だ。中にはボイスチェンジャーとか食器乾燥機とか、使えそうな物もあるけど、大抵はただのがらくた。「いつか何かの役に立つから!」と捨てずに置いてあるけど、今のところ使われた試しはない。
教室の中央にはローテーブルを挟んで三人掛けのソファーが二つ。そこに沙紀と、そして颯が座っていた。
「おおっ、司先輩。待ってましたよ!」
何故か日本刀らしき物を持って、八双の構えを取っていた茜が両手を広げ、こっちに向かって走り出した。冷静に、捕まえられる瞬間に廊下を蹴って右へと逃げる。こういう時に吸血鬼の力は便利だ。乱用すると昨日みたいになるから、ここぞという時にしか使えないけど。
「い、今のはズルくないですか……」
僕が避けたせいで顔面をドアに打ち付けた茜が、目に涙を浮かべて抗議する。
「自業自得だ」
茜を横目に教室の中央へ。鞄から入部届を取り出し、沙紀へと視線を送る。
「今、部長はいませんから、入部届は副部長の颯先輩に提出してください」
「ん、分かった」
毎度の素晴らしい理解力に感心しつつ、入部届を颯へと渡す。
「司ちゃん、入部するのか?」
「うん」
「まさか、そこの二人に無理矢理入らされた、とかじゃないよな?」
「ち、違うよ」
そうです。でもそんなことは言えない。引きつった笑みを浮かべる茜を一瞥し、適当な言い訳を考える。
「特に入りたい部活もなかったから、それなら兄が部長をしているという部に入ってみようかなと。颯さんのことも兄から聞いていたので」
「そうか。まあそういう理由ならこちらとしても歓迎する。何も活動内容のない部でよければだが」
「うん。それでいい」
颯は僕から受け取った入部届を鞄に仕舞う。とりあえずこれで入部完了だ。
「やったー。これで司先輩も仲間入りだっ」
「なっ、茜!?」
突然背後から抱きすくめられる。驚きに振り返れば、満面の笑みを浮かべた茜の顔が目と鼻の先にあった。
「茜っ、そんなにくっつくな!」
「ええー。いいじゃないですか少しぐらい」
「どこが少しなんだ!」
隙間なく密着して、どこが少しだというのか。おかげで背中に二つの柔らかいものが。コ、コイツ、意外とあるな……ってそうじゃない!
「離れろ!」
「丁重にお断りします」
「だったらせめて丁重に扱え!」
「あー、司先輩の体細いわー。細いし柔らかいわー。頬なんてプニプニしてマシュマロみたい」
「さらにくっつくなー!」
茜が頬をすり寄せてくる。抱きしめられているせいで身動きができず、されるがまま。ってコイツ僕の頬を舐め始めた!?
「茜。やり過ぎよ。離れなさい」
「えー。もうちょっと、もうちょっとだけ」
沙紀の言葉も受け入れず、もうちょっとだけを繰り返す。颯に助けを求めて視線を送っても、笑うだけで手を貸そうとはしない。もしや後輩が先輩にじゃれついているだけのように見えているのだろうか。僕が女だから、女の子同士でキャッキャウフフしているように見えているのだろうか。そうだとしたらもう一度よーく見てほしい。頬をベロベロと舐められて、心底嫌そうにしている僕の顔を。
「離れなさい。先輩が嫌がっているでしょ」
「はーい。ふう、堪能した」
ベトベトになった頬をハンカチで拭きつつ、茜を睨み付ける。
「睨んでくる先輩もかわいいっ」
「ふんっ」
茜から顔を背け、颯の隣に腰を下ろす。下ろしてから、ここが『努の時』によく座っていた場所だったことを思い出す。
「えーと。座っちゃった後なんだけど、ここに僕が座って良いのかな?」
取り繕うため、今更ながら颯に問う。
「いいんじゃねーか。努の妹なんだし」
「そ、そう。良かった」
ほっ。何も感じなかったようだ。極々自然な流れで座ったから、もしかして、と思ったけど。
「さーて。それでは今日も、特に何もせずダラダラと過ごしましょうか! とりあえず――」
教壇に立ち、ポケットからクラッカーを取り出した茜は、それを複数持ち、一気に引っ張った。パンッと乾いた破裂音が重なり響く。そして降り注ぐ色とりどりの紙のテープ。
「ようこそエンタメ部へ!」
ニッと笑う茜が、僕の入部を喜んでいた。
「正式には、これも何かの縁だから為になることをしよう部、ね」
冷静に沙紀が言う。
「あーもう、それはダサいから言っちゃダメでしょ」
まったくだ。一体誰かこんな長くて格好悪い名前にしたんだ。
……僕だった。




