学校はなぜ必要なのか
学校。それは、教師が生徒に学問を教える場所。義務教育と言って、親には小学校1年から中学校3年の9年間、学校に通わせる義務がある。が、生徒自体に、学校に通う義務はない。学校に通う通わないのは、生徒の自由なのだ。
では、何で学校が必要なのか?学問を学ぶだけなら、1人でも出来るのではないか?学校に行くだけ、無駄なのではないか?と、思うかもしれない。しかし、それは違う。
「理解」と「定着」と言う、深く関係のある2つの言葉がある。「理解」しただけでは、その場で解釈しただけに過ぎない。ちゃんと、「定着」させなければ、学問を本当に使えるようにはならない。では、「定着」さえすれば、「理解」しなくても良いと思うかもしれない。だが、「理解」をしなければ、絶対に「定着」などしない。これが、「理解」と「定着」の関係の1つだ(「定着」したなら、それは「理解」が済んでいるという見方もある)。
では、「理解」した後、どうすれば「定着」するのだろうか?それについて、興味深い資料がある。アメリカの教授が作った「ラーニングピラミッド」だ。これは、「平均学習定着率」を表したもので、そこにはこうある。
・lecture(授業):5%
・reading(読書):10%
・audiovisual(視聴覚):20%
・demonstration(実演):30%
・discussion(討議):50%
・doing(体験):75%
・teaching(伝授):90%
独学で「理解」したとしても、その中で家で出来るのは、「読書」と「視聴覚」のみ。それでは、約30%しか「定着」しない。これでは、テストで、良い得点など取れない。
しかし、学校に行けば、その全てが出来る。見て分かる通り、「授業」では5%しか「定着」しない。これは、あくまで授業が「理解」するための場であるからだ。また、「実演」は、それだけで、家での定着率に達っし、「討議」により、50%も定着する。それに、「体験」だと75%、他人に教えることによって、「理解」したことを確認し、他人と考えを共有出来る「伝授」では、なんと90%も定着する。もちろん、これらは家では決して出来ないことだ。
と、ここまで、「学習」に重点を置いてきたが、学校は何も「理解」して「定着」するだけの場所ではない。それだけなら、塾に行けば良いだろう。しかし、学校には塾では決して出来ないことがある。それは、社会性を養うこと。学校には社会性を養える要素がたくさんある。
例えば、校則。校則とは、各学校にあるルールのことで、破ればもちろん、怒られる。校則が、かなり厳しい学校だってある。しかし、これは、決して嫌がらせのためではなく、校則を守らせることで、社会のルールを守るための訓練をさせているのだ。校則とはルールのこと。極端な話、法律もルールに入るわけで、その点では校則と全く同じ。校則を守せることで、法律は守らなければならないと言う、当たり前のことを教えると言っても、過言ではないのである。
これらが、学校が必要な理由である。だが、初めに言ったように、生徒自体に学校へ行く義務はない。人それぞれ、事情はある。障がいがコンプレックスとなって、中々、学校へいけない人たちだっている。
そんな方々も含めて、みんなに言いたいことがある。後で、困るの自分自身だと。学校へ行く理由は、ちゃんとあると。