第71話 分断
かび臭く澱んだ空気が滞留した洞窟内。
周囲の岩肌には毒々しい色彩の毒虫が張り付き、天井には奇怪な体形をした蝙蝠のような生物が密集していて、その光景を見た者は本能的に湧き上がってくる忌避感を抑え込むので精一杯だろう。
そのような一秒でも長居したくはない空間に、もはや半泣き状態で顔面蒼白なったセレスの悲鳴が大ボリュームで反響する。
「もう嫌なんだけど、この山ぁあああ!! 勝手に地面に穴が開くし、落ちた先は辺り一面虫、虫、虫のオンパレードじゃない!! 私ののびのび湯けむり旅情を返して!」
(安心して、セレスちゃん。そんな素敵なものは最初から存在してなかったから)
「というか、ここから無事に出られるのかもわかってない結構逼迫した状況なんだけど、割と余裕あるよねセレス」
「余裕なんてないよ!? さっきから歩いてばっかりだし、そのくせ出口っぽいものが一向に顔を見せてくれないんだもん! そりゃ肉体的にも精神的にもおかしくなってきちゃうから!」
柊はプンプンと腕を振り回しながら抗議の声をあげるセレスに苦笑し、確かに彼女の言い分は尤もだろうと首肯する。
突如地面に開いた穴と、聞き覚えのない抑揚の起伏に乏しい女の声。
柊達と二ギルド連合の冒険者達を奈落の底へと誘ったあの大穴が現れた際、洞窟内部には自分達以外の人間の気配も魔力も一切感じなかった。その事から、何者かがあの場で何かの魔法や樹宝を使ったとは考えにくいのだが、もう一つ疑問が残る。
「どうして、僕達だけ穴の底へ真っ逆さまに落下する途中でこんな場所に連れてこられたんだ?」
柊達が底の見えない穴の底へ自由落下する中、突如穴の岩肌に巨大な亀裂が数ケ所走り、その亀裂の狭間から伸長してきた蔓状の岩に体を巻き取られ、瞬く間に柊達はそれぞれ亀裂の中に引きずり込まれたのだが、二ギルドの面々は亀裂内部に招待される事はなく、暗い穴底へと落ち続けていった。
あの高低差を考えれば生存の可能性はほぼ皆無と断言しても差し支えないだろうが、仮に彼らが何らかの方法で生き残っていれば、早々に救助に向かう必要がある。
とりあえず目下の目標としては、穴底へと落下していった冒険者達の生存確認及び、分断された仲間達との合流だろう。
柊は、いざ行動を起こす前に足元を這い回る百足の襲来に甲高い悲鳴を上げるセレスをどう落ち着かせようかと黙考するが、「柊さん、セレスさん、只今戻りました」という背後から届いた柔らかい女性の声に反応して振り返る。
精緻な水の意匠が彫り込まれた長槍を携えた戦乙女、<白銀の戦乙女>サブマスターであるメイベルは手入れの行き届いた長髪に降り積もった土埃を手で払い、多少げんなりとした面持ちで、自分が現れた洞窟の奥に視線を送る。
「この先は分かれ道が多過ぎる上、随分と入り組んだ構造をしているようです。いつの間にか同じ場所に逆戻りなんて笑えない展開が何度かありました。それに、数回魔物と出くわして交戦せざるを得ない場面がありまして、徐々にではありますが、こちら側に接近してきているようですね。どうやら、セレスさんの叫び声に反応しているようで、音源であるここへいずれ攻め込んでくるのはないでしょうか」
「予期せぬところで魔物ホイホイとなっていた戦犯がここに爆誕!? ごめんなさいぃいいいいいいいいいい、悪気はなかったのぉおおおおお!」
セレスは洞窟深部の斥候役を買って出てくれたメイベルに向かって膝を突いて懺悔するが、再び足元に百足の侵攻を受け、確実に洞窟の奥で蠢く魔物に届くであろう大音量の叫び声を上げ、魔物ホイホイは通常通り問題なく稼働してしまう。
「……メイベルさん、なんか洞窟の奥から何かがこっちに向かってくるような音が聞こえてくるんだけど」
「奇遇ですね、柊さん。私の耳にも同じ音が届いています」
「ううぅ、ご、ごめんなさぁいぃ……」
蚊が鳴くようなセレスのしょんぼりとした声を背に受け、柊は数分後には戦場になるであろうこの場所で、戦闘準備を整えながらもセレスを元気づけるにはどうすればよいかについて真剣に悩み始めた。
「いい感じに連中を分断できたわね、クローナちゃん! あとは私の作った商品達が彼らを各個撃破していけば、この工場はこれまど通り稼働出来るじゃない!」
「ああ、貴様の言う通りだ。それが理解出来ているなら、さっさと他にストックしている商品も放ってこい」
「あらあら、随分と心配症ねえ~。クローナちゃん。相手はごく少数なのだから、わざわざストック分まで使う必要なんてあるのかしら?」
「私が分断したのは、あの隊列の中にいた中でも抜きんでた実力を兼ね備えた実力者だ。商品の材料用に確保するために穴の底に落とした者共とは完全に別枠だ。万全を期す必要がある」
「ふふ~ん、そうなの? まあ、クローナちゃんの見立てなら万が一にも間違いがあるとは思えないし、ストック分も出しておくわ。なんなら、私も行ってみていいかしら。最近は商品の製造ばかりで引き籠ってばかりだったから、久しぶりに運動しないと太っちゃうわ」
クローナは懐疑的な表情を浮かべるガリアの姿に肩を竦め、「勝手にしろ」と言い捨てると振り返る事もなく部屋を後にする。
背後から「クローナちゃん~、私を一人ぼっちにしないでよ~、泣いちゃうわよ~」という戯言が垂れ流れてきたが、クローナは一切後ろ髪を引かれる事なく前進する。あの女は、口先ではああは言ってはいるが、クローナが反応しなくてもすぐにけろりとした顔で、自分のやりたい事を好き勝手にやる女である事は、ギルドに入ってからの付き合いで重々承知している。放置しておいても問題はない。
本来であれば、馬が全く合わないこの女と組んでいる事自体が甚だ不本意ではあるのだが、無駄な時間や手間暇を掛けずに手早く荒稼ぎをする事が可能なガリアの樹宝の能力が非常にクローナにとって魅力的であるという事と、護衛代わりの人間を欲しがっていたガリアのお互いの利害が一致しているからこそ今のような関係性に落ち着いている。
だが、ビジネスライクな関係を関係を望んでいたクローナだが、何が心の琴線に触れたのかは不明だが、ガリアはこちらの事を気に入っているようで、時たま過剰なスキンシップを取ってくる事があり、クローナは内心では辟易していた。
だが、今回の侵入者の始末に関しては、長期間この山の深部で工場の設置と商品の量産に忙殺されて鬱憤も溜まっていた事もあり、絶好の暇潰しが出来て機嫌が良い様子で、こちらが何か指示を出さずとも自発的に表に出ていくだろう。
「私の樹宝で分断したのは三組。私があの三人共も始末に向かうとして、残りの二組はガリアとアイツが担当するだろう」
クローナは腰元に佩いた短剣の感触を感じながら、自分の獲物が待つ方向に向かって歩を進めた。
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