第68話 謎の魔物
「キィイイイイイイイ!!」
宵闇に包まれた森の静寂を耳障りな断末魔の叫びが破り、柊は腰に佩いた愛刀『無名』の鯉口を切り、双眸を細める。
常人であれば見通す事も出来ない程の闇を孕んだ森の奥の様子を、元の世界で暗殺者として活動していた時に培った気配を読む能力と、アルカディア・ヘヴンで学んだ魔力の流れを感知する能力を併用する事で、柊は森の奥に潜んでいた危険な存在の位置を把握する。
「さっき殺した奴を除いて、残り六十四匹か。京子、敵は気配を消して僕たちを奇襲しようとしてたみたいだけど、やっぱりこの辺りに生息してる魔物じゃないよね?」
(うん、ここら辺に暮らしている魔物の種類には精通している訳じゃないけれど、こんなに澱んだ魔力を垂れ流しにしてる魔物なんて普通いないよ。だからこそ、私が気付いて柊達に敵の位置を教える事が出来たんだもん)
「メイベルさんや御船さんの話じゃ、蓬莱山の洞窟内に棲みついたって事だったけれど、山の中から進出してきたのか?」
だとすれば、このまま謎の魔物の群れを放置するのは得策ではないだろう。野営地が襲撃を受ける可能性もあるし、もし人里まで下りてこられたら大惨事になるのは必至だ。
「アヤカ、サーラ、小春。森の奥に魔物の群れがいる。見過ごす訳にはいかないから、ここで仕留めたいんだけれど、異論はある?」
「ないわよ。柊と京子の会話は私やサーラにも聞こえてるんだから状況は飲み込めているし、このまま知らんぷりして、後で人死にが出たなんて聞いたら寝覚めが悪いしね」
「私もアヤカ様と同意見でございます。それに、あちら様は私達を見逃してくれる気はサラサラないみたいですから、交戦は避けられないと思います」
「あ、あの~、私だけ蚊帳の外というか、一体どういう状況になっているのがご教授頂きたいのですが……」
京子の声を聞き取る事が出来ない小春は、柊達の会話についていく事が出来ず目を白黒させながら状況の説明を求める。
困惑する小春に対して柊は、油断なく正面に目線を向けながら、上手く京子の存在を伏せて状況を簡潔かつ手早く説明する(そのせいで、柊が危機察知能力に飛び抜けた才覚を擁していて、アヤカとサーラに敵が潜伏している事を密かにサインを出して知らせていたという事になってしまったが、完全に誤りという訳でもないし、この際は仕方がないと妥協する事にした)。
「……状況は何となく理解しました。気配を完全に遮断した魔物の存在を感じ取る事が出来るなんて、本当に凄い方なのですね、柊は」
尊敬と驚嘆を孕んだ小春の眩しい視線に若干ばつの悪い表情になる柊だが、前方から茂みを荒々しく掻き分ける音が接近してきた事に気が付き、『無名』を抜刀する。
(仲間が突然殺されて今まで困惑してたみたいだけど、大人しく引き下がるつもりなんてみたいだね)
「ああ、そうみたいだな。アヤカ、サーラ、小春。僕が斬り込むから、三人は僕が斬り漏らした奴を担当してくれ!」
「了解! いくわよ、サーラ!」
「はい、アヤカ様!」
「私も微力ながら助太刀させて頂きます」
四人が臨戦態勢を整えると同時に、茂みの中から異形の生物達が弾かれたように跳び出してきた。
見た目はハエトリグサに酷似していて、獲物を捕食するための二枚貝のような口には鋭利な歯がびっしりと生えており、消化液でテカテカと濡れた朱色の口内には嫌悪感を催される。
さらに、本来のハエトリグサであれば扁平な葉が生えている部分には細長い蔓が生えていて、茎の部分よりは下は蛇の尾のような形状をしていて、地面には根を張らずに、自分で糧となる獲物を捕食するために進化したのではないだろうか。
だが、その異様さに更に拍車を掛けているのが、体全体に浮かび上がっている毒々しい紫色の斑模様だった。
毒に侵されている訳でも、強い打撲痕でもないその不気味な色合いを帯びた紫色の斑模様が全ての個体に付いていて、その異質な外見にアヤカ、サーラ、小春の三人は面食らい、その場で踏み止まってしまう。
ハエトリグサもどきはこちらの出現にたじろいだ様子の獲物三匹の存在を確認し、ズラリと並んだ強靭な歯で噛みついて飲み下そうと大口を開けて少女達に肉薄する。
我に返った様子の少女達の目と鼻の先まで接近する一歩手前の所まで這い寄ったハエトリグサもどきは、今宵の晩餐となる獲物を己の腹の中に収める事の快楽に陶酔し、更に口を大きく開けるが、
「(≪安寧騎士の凱旋≫)」
突如自分の真横から滑り込むように出現した漆黒の刃によって、己の首が裁断された事を悟る暇もないまま絶命した。
「次だ」
常人離れした加速で疾駆し、漆黒の刃を縦横無尽に振るって次々と魔物の首を刎ねて命を刈り取っていく柊は、三十二匹目のハエトリグサもどきの首を下段からの斬り上げで屠った辺りで自分の加速の速度が減速した事を察知し、魔物の群れから一時距離を取り、落ち着き払った泰然とした表情で現状を把握する。
敵が多ければ多い程速度が増す≪安寧騎士の凱旋≫の効果が敵の減少によって一気に希薄してしまったが、ものの数秒で魔物の群れの半数を討ち取った柊は、残りの半分を手早く始末するかと足先を魔物の群れに向けようとするが、
「「≪炎薔薇の庭園≫!!」」
柊に危機を救われて戦闘態勢を整え直したアヤカとサーラが夜空に咲かせた火炎の薔薇の雨が、地上にいたハエトリグサもどきの群れの真上から彗星の如く降り注いで、炭と灰の塊に成り果ててしまう。
ほぼ全てのハエトリグサもどきが柊・アヤカ・サーラによって倒され、残っているのはたったの四匹で、一分もかからず、事もなげにここまでの戦果を上げてみせた柊の強さに小春は戦慄と畏怖を覚えた。
とんでもなく強い方々だとは感じていましたが、まさかこれ程なんて!?
彼らは模擬戦のような試合形式の形でルールといった縛りを課した戦場よりも、このような生と死に支配された本当の戦場でこそ真価を発揮する人間達である事を小春はここで悟った。
流石、雛先輩のお仲間さん達ですね。皆さん規格外すぎです。
小春は柊達の強さを過小評価していた事を心の中で詫びると、瞬く間に仲間を失ってしまった状況に動揺し、動きにキレがなくなった残りのハエトリグサもどきに向かって駆け出し、右腰の剣帯に佩いた百合の花弁を模した鍔を持つ刀を抜き放ち、ハエトリグサもどきの茎を軽く斬り撫でる。
「毒しなさい、『鬼百合』」
その瞬間、ハエトリグサもどきが苦痛に塗れた金切り声を上げてその身を何度も己の身を狂ったように打ち付け始め、獲物を味わうために生え揃った鋭利な歯の間から大量の泡を吹き出して痙攣を始める。十秒程、そのような容態の急変を見せたハエトリグサもどきだったが、すぐに身じろぎ一つしなくなり、その身を起こす素振りも一切見られなくなった。
「小春、これは一体……」
唐突に苦しみ始めて僅かな時で絶命したハエトリグサもどきと、小春との間で視線を行き来させるアヤカに苦笑を返し、小春は左手で握る刀をアヤカに見えやすいように上に掲げた。
「斬りつけた者に様々な効果を有する毒を注ぎ込む。これが私の樹宝『鬼百合』の能力です。今回は致死性の高い猛毒を刀身に纏わせて、それを魔物の傷口を通して注入しました。戦闘では結構便利な能力なんですが、対人戦では基本的にタブーな能力なので、こういう場でしか日の目を見る機会はないのですが、重宝しています」
「毒の樹宝なんて初めて見たわ。……っ小春、後ろ!!」
アヤカの危機感を孕んだ声に振り向いた小春の眼前には、小春を平らげようと大きく口を開け放ったハエトリグサもどきの姿で、小春の瞳に写るハエトリグサもどきには表情こそ読み取る事は出来ないが、勝利を確信した余裕のような雰囲気を醸し出していた。
ハエトリグサもどきが小春の首から上を噛み千切ろうと小春に覆い被さるように肉薄するが、小春は一切の恐怖を顔に出す事もなく、冷静に左腰に手をやり、三日月形の鍔を持つ刀を抜刀すると、こちらもハエトリグサもどきの体に滑るように切っ先で一撫でする。
「『月読』」
小春がそう告げた時、裂傷を刻まれたハエトリグサもどきがグルリと首を背後に曲げ、後ろに控えていた仲間達に猛然と喰らい付いた。
「キィイイイイイイイイイ!!」
消化液に塗れた歯で首元を噛みつかれた仲間のハエトリグサもどきは、苦悶に満ちた声を上げて己の蔓を同胞であった筈の捕食者に向けて執拗に振るい続けるが、消化液で繊維がドロドロに溶解してしまった首は容易く食いちぎられてしまい、勝者となったハエトリグサもどきは美味そうにその死肉を貪り喰らい始め、ビチャビチャ、グチャグチャという不快な咀嚼音が響く。
「私のもう一つの樹宝『月読』は、斬りつけた者に幻惑を見せる事が出来ます。今、この魔物は私の首を食いちぎってそれを堪能している最中だと錯覚しています」
小春は美味そうに同胞を喰らい続ける魔物の側に静かに歩み寄ると、食事に夢中になっていた魔物の首を上段からの斬り落としで両断して絶命させると、残る最後の魔物に向かって駆け出し、一気にその首を落としに掛かる。
最後の生き残りとなったハエトリグサもどきは、自分の前に迫る処刑人の剣を前に何かを悟ったように静止し、小春はその様子に違和感を感じたが、逡巡せずに一気に刃を走らせた。
「……ォ……カ……ァ……サ……ン……」
「……えっ?」
小春の剣がその首を刎ねる寸前、僅かに漏れ聞こえたその声に小春は瞠目するが、その声の意味について考えを及ぼす前に最後の魔物は小春の剣によって絶命した。
「やったわね、サーラ! この調子なら蓬莱山の本格的な攻略も上手くいきそうじゃない!」
「油断は禁物ですよ、アヤカ様。明日以降も気を引き締めて参りませんと」
アヤカとサーラは勝利の余韻に浸って弾んだ声を上げていたが、骸となった自分が手に掛けた魔物を前に小春は立ち尽くしていた。
小春の胸の中に去来していたのは、戦いに勝利した事に対する高揚感や達成感ではなく、魔物が死に際に遺した言葉と、自分が大切な事を見逃したまま行動してしまった時に感じるような後味の悪さと胸苦しさだった。
あの魔物は確かに言葉を発した。一瞬自分の聞き間違いを疑ったが、耳にこびり付くようにして付着したあれは一言一句間違いなく、
「お母さん、と確かに口にしていた……。でも、一体何故……」
小春は、離れた距離にいて魔物の言葉自体を聞き取る事が出来なかったアヤカとサーラの姿を視界の端に入れながら、思考の海に沈みそうになった所で、柊が神妙な面持ちで魔物の死体を見下ろしている事に気が付き、ハッとして彼の元に駆け寄った。
「ひ、柊。貴方はあの魔物の声を聞きましたか?」
「うん、僕にも聞こえた」
小春と柊は、周囲一帯に倒れ伏している魔物の死骸を見渡し、小春は無意識のうちに柊の服の袖を掴んで、恐々とした震える声を紡いだ。
「私達が倒したのは、本当に魔物だったんですよね‥…?」
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