第60話 同門
静謐な空気を切り裂くようにヒュルルル~、という異音が虚空を貫き、快晴の青空で紅色の煙を吐き出して爆ぜて開戦の合図がなされた様子を、緑の枝葉で覆われた青々とした天蓋の隙間から目視した雛は、素早く自身の周囲の気配を探る。
……この辺りには誰もいないか。
索敵を終えた雛は、これからどう動いたものかと思案気に、顎先を左手の親指と人差し指で軽く挟みこむ。
本来の予定ならば、柊殿と京子殿が下準備を終える十分間の間はむやみやたらに動き回るような真似はせずに、大人しく気配を絶って敵チームの襲撃を可能な限り先延ばしにする筈だった。
しかし現状では、雛にとってその予定をひっくり返してでも早急に動き出す必要性が生じて来ていた。
「まさか、<火之迦具土>に小春がいたとは……」
あの少女は雛にとって忌まわしく、今も自分の心を蝕み続ける醜悪な憎悪の根源を詳細ではないと思うが知る人間だ。柊殿やアヤカたちと接触される前に、こちらで内々で処理する必要がある。
雛としては、自分の過去にまつわる話を仲間たちに吐露する予定は、少なくとも今はない。
いつかは話すことになるかもしれないが、その日が到来するのは出来る限り遠い方がよく、大聖霊の捜索を行うという皆の目標に横槍を入れてしまうような真似は極力避けたかった。
「……すまんな、柊殿。私は単独で動かせてもらおう」
雛は大切な仲間たちに背き、私情でこの模擬戦に単独で挑むことを決意すると、細長い笹の葉が敷き詰められた地面を踏み締めながら竹林の中を歩き始めた。
雛はどこまでも広がる青竹の集団の中を分け入り、時折現れる急な勾配を上り下りすることを5分程繰り返していていたが、唐突にその場で立ち止まると、敵チームの人間に自分の居場所を知らしめてしまう暴挙であるということを理解しながらも、たっぷりと息を吸い込み、周囲一帯に響き渡る程の声量で声を張り上げた。
「小春、隠れずに出てこい!! お前が私に気取られないように、息を潜めながらこちらに近づいてきていることは分かっているぞ!!」
竹林に木霊した怒声にも似た雛の大声に反応する気配がない静寂の時間が一拍続いたが、次第に枯れ葉や枝葉を踏み締める足音が近づいてきて、雛の背後にズシリと腰を下ろしていた大岩の陰から、黒い白衣と緋袴を着用し、腰元に二振りの得物を帯びた少女がひょっこりと姿を現した。
「……隠形には自信があったのですが、先輩にはまだまだ敵いませんね」
しょんぼりと肩を落として落胆する小春に向かってかぶりを振った雛は、郷愁にも似た懐古的な感慨を胸に抱きながら、久方ぶりに再会する少女に若干のぎこちなさを残しながら笑いかける。
「そう気を落とすことはない。小春の隠形は最後に会った二年程前よりも格段に上達している。並の人間であればお前の気配を察知することは出来ず、背後からの斬撃を受けて絶命するだろう。私が気が付くことが出来たのは、隠形の最中に緊張して呼吸のリズムが微かに乱れるお前の悪い癖を私が知っていたからだ」
「……相変わらずの危機察知能力ですね、先輩。それに、二年前に藤堂先生の剣術道場で共に先生に師事していた時よりも一段と先輩は凛々しく、今も剣の道を邁進されていることが雰囲気で伝わってきます」
「そんな大したものではないさ、私は。小春も二ヶ月の間、藤堂先生の門下生として皇都で研鑽を積み、私との剣術試合を終えてから郷里に帰っていったが、まさか<火之迦具土>に所属していたとは思わなかった。小春と出会えたことは嬉しかったのだが、小春の口から私の過去に関する話が出ることは回避したかったので、ついつい怖がらせてしまってしまった。本当にすまなかった」
深々と四十五度のお辞儀をした雛の姿に、小春はオロオロと狼狽する。
「せ、先輩、頭を上げてください! 私も先輩と再会できたことに舞い上がっていましたから、先輩が釘を刺さなければ、先輩のお仲間の前で先輩の過去に触れてしまうことを口走っていたと思います。先輩がご自身の過去を秘密にされていることに、意識が回っていなかった私の失態でした。本当にすみませんでした」
小春も雛と同様に深々と頭を垂れ、二人の同門の少女はしばしの間そうしていたが、どちらからともなく笑みを零し、むくりと頭を上げて眼前に立つ同じ師の元で、同じ学び舎で過ごした同門の顔を真っ正面から見詰めた。
……二年前よりも随分と大人びたものだな。
皇都の守護を代々皇室より仰せつかってきた九条家と藤堂家のうち、複数の属性の魔力錬成が可能な人間のみしか門下生になれない狭き門を設けていた九条家の剣術道場で研鑽を積みながらも、才覚や身分を問わずに広く門戸を開いていた藤堂家の剣術道場にもとある事情で通っていた雛の前に現れたのが、この月宮小春という少女だった。
皇国屈指の剣術の名門であり、皇国の守護精霊である剣精霊スサノオを祀る鳳桜神宮の運営管理を皇室より一任されている月宮家の才媛で、スサノオに仕える巫女でもある彼女は、ニヶ月という短期間の留学生扱いで藤堂家の道場の門を叩き、慣れない新天地で苦心する彼女を見かねた雛が彼女の世話を焼く機会も多かった。
その時の彼女は、剣の技量こそ卓越していたが、気弱で物怖じしがちな様子が目立つ、良く言えば控えめ、悪く言えば消極的で頼りないという印象が強い少女で、何かとこちらが世話を焼いていたことを覚えている。
しかし、今の彼女は気弱なオーラも希薄になり、何か心の中に一本の芯が通っているような、気丈さというか、両足でしっかりと踏ん張って生きているような力強さのようなものを感じた。
「まさか冒険者になっていたとは思わなかったぞ」
「鳳桜神宮での祭事や儀礼のお勤めのために藤堂先生の道場を去った後、私は自分の剣の腕をより磨くために、冒険者になって実戦経験を積もうと考えました。そんな時に、父の旧知である人物が<火之迦具土>のギルドマスターであると知り、父に直談判して何とかこのギルドに入ることを了承して頂いたんです。先輩もどこかのギルドに所属されているのですか?」
「いや、私はフリーだ。特定のギルドに入ると何かと制約も多いし、そういう堅苦しいのは性に合わなくてな。それに、私が成就させたいとある願いを考慮すると、ギルドに縛られて自由に動き回れないのは困るのだ」
「……これは私の勝手な想像なのですが、先輩の願いというのは、その、藤堂先生の仇討ちですか?」
小春が憂いと詮索じみた不躾な質問をしているという自己嫌悪で表情を悲しげに歪ませると共に、こちらを慮るような視線を送るのを見て、雛はそんな彼女の姿に苦笑すると同時に、無意識のうちに『金剛戦姫』の柄に指を這わせる。
「仇討ちなんてご立派なものではないさ。私は、藤堂先生を死なせてしまった自分の無力さに押し潰されそうになっている重圧から逃れたいという逃避と、私の両親や仕えてくれていた使用人たちを殺したあの男を切り刻んで殺してやりたいという復讐心に憑りつかれているだけの、醜くて汚らわしい惨めな女だ」
「……っ!? 藤堂先生が処刑されたのは先輩のせいではありません!! 確かに先生は帝の護送任務を途中で放棄し、先輩を救うために、賊に襲撃された九条邸に向かったそうですが、それは先輩の咎では……」
「いや、私のせいだ。私はあの男が家の者たちを次々と斬殺していくのを止めることが出来ず、無我夢中で後先のことなど一切考えずに先生に縋ってしまったんだ。先生が救援に来てあの男と斬り結んでくれたおかげで、私と姉上は生き延びることは出来たが、私たちを残して九条家は滅んだ。そして、帝の直接の護衛を拝命していた先生が護送隊の隊列を抜け出した後に帝が賊の襲撃を受けて崩御し、先生はそれを糾弾されて処刑された。全ては私の責任だ」
「……私も九条家と藤堂家の悲報を聞き、弔問のために皇都を訪れたのですが、そこには無残に燃え落ちた九条邸と、立ち入り禁止になった藤堂邸と道場しかありませんでした。先輩も千早さんも皇都中を捜し回っても見つけられなくて、先輩とはもうお会い出来ないと思っていました」
「そうか、わざわざ家に足を運んでくれていたのか……悪いことをしたな。その頃は、私は皇都を逃げるように飛び出して、皇国の各地を放浪して私の家族を殺した男を捜し回っていたのだ。姉上は私が皇都を出立する前に、武者修行の旅に出ると言って出奔してしまってな。今も音信不通で居場所も皆目見当が付かない状況なのだ」
「千早さんまで皇都を……。先輩はそんな憎悪に縛られた茨の道を歩くことを選択して、後悔してはいないんですか?」
「後悔はない。自分が考えて選んだ選択肢だ。まあ、昔は精神的に追い詰められて周囲の人間に冷たく当たってしまった時期もあったが、今は友人や恋慕する殿方も出来て、順風満帆な生活を送っているから満足だ」
「そ、そうですか……。 ……えっ!? い、今、恋慕とおっしゃいましたか……?」
突如、目を見開いて唖然として表情のまま硬直した小春の豹変に面食らいながらも、雛は一切恥じらうことはなく、返答する。
「ああ、私と一緒にいた黒髪の男性だ。今はまだ片思いの段階だが、私のエロい体をフル活用して必ず篭絡させてみせるつもりなのだ」
臆面もなくそう言い切った雛の泰然自若とした風格に気圧されるように後退りした小春の顔は茹で蛸のように真っ赤に紅潮しており、「え、先輩ってこんな感じの人でしたっけ!? 私のお慕いしていた先輩はもっとクールで怜悧な方だった筈!? 一体どんな化学変化が!? 恋は盲目とは言いますが、ここまで人を変えてしまうものなのでしょうか!?」とブツブツと呟いていて棒立ち状態になっていた。
今なら隙だらけでいつでも斬り込んでいって一本を取ることは容易だろうが、何やらこちらの発言のせいで脳内がショートしてしまったようなので、このまま不意打ちに移行するのも憚られる気がして、とりあえず小春が再起動するまで待つかと、雛は近場にあった小岩に腰掛け、他の者に負けるものかと精一杯背伸びする竹から伸びる笹の隙間から垣間見れる青空を仰ぎ、ポツリと呟く。
「アヤカやセレス殿は今頃どうしているのだろうか?」
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