第54話 夜空の下で
(今日は色々なことがあったね)
「まあ、中々濃い一日ではあったよね」
柊は苦笑して、夜空に煌めいていてる光の天蓋を見上げた。
数時間前、マダムの息子である友樹君から、何故近頃覇気がなかったのかについて話を聞いてきたらしいアヤカが戻ってから、彼女が狐色に焼けたふんわりとしたパンケーキを食べ終わるまで柊はマダムと雑談をして過ごした。
息子の抱えている事情について詳しく訊きたそうにしていたマダムだったが、苦笑するアヤカから「ちゃんと後でパパに話すって言ってたから、それまで待ってあげて」と言われてからはホッと肩の荷が下りたように安堵し、いつか話してくれるまで待つと約束してくれた(こっそりとアヤカから教えてもらった話しによると、近々訪れるパパの誕生日プレゼントにと目を付けていたアクセサリーがあったのだが、お小遣いが溜まる前に他の客に購入されてしまった上、次の入荷も未定だと店員さんに言われてしまって落ち込んでしまっていたらしいが、蓬莱から帰還した後にアヤカが買い物に付き合うことを約束してからは元気を取り戻したとのことだった)。
その後柊たちは「ブルームーン」を後にし、吉野の北側の外れに建つ屋敷へと帰宅したのだ。
現在は、アヤカは書斎で読書、雛は屋敷の裏手で剣の鍛錬、セレスは<魔女の書架塔>から送ってもらった新品の制服の試着を行っていて(扉の向こうから『む、胸がキツイ……』という苦悶の声が漏れ聞こえてきた時は思わず立ち止まってしまいそうになった)、各々が自由な時間を過ごしている。
そんな中、柊は二階のベランダにやって来ていて、手すりに頬杖を突きながら、京子と共に夜空に撒き散らされた満天の星の輝きを眺めていた。
別に柊は天体観測に興味があるという訳ではないのだが、久しぶりにアヤカたちがいない空間で彼女と話をしたかったのだ。
(柊の話し方も気さくな感じになって、話しやすくなったよね。出会った時は、凄く畏まった口調だったのに)
「あれは僕がいた施設で強制的に身に付けさせられた口調なんだよ。常に敬語を使うようにってね」
柊たちの絶対的君主であった暗殺組織の長は、暗殺者候補生である子供たちへの指導を徹底させていて、戦闘訓練や座学だけでなく、丁寧で敬意の込もった言葉遣いも徹底していた。幹部の人間との会話で敬語を少しでも間違えてしまえば、即刻懲罰房へ放り込まれて手加減無しの暴力の雨が降り注がれ、連中のストレス発散の玩具となる運命が用意されていた。
そんな生活環境で長年過ごしてきた柊も丁寧口調が装備されるようになったが、仲の良い友人同士の間では密かに普通の言葉遣いで話す機会もあったので、丁寧口調がデフォルトにはなったものの、砕けた話し方にシフトすることは苦ではなかったのだ。
柊は笑みを零すと共に、郷愁の感慨に浸る。
「京子の用意した『聖杯』のレプリカの力でこの世界に召喚されて数週間以上経ったんだよなあ」
(……うん、そうだね)
世界樹から命からがら逃亡することに成功したものの、肉体から魂を引き剥がして離脱するという荒技を実施した京子は肉体を失って魔王たちの本拠地となっている大国・インフィニティーに帰還することが不可能になってしまった。この吉野の地に落ち延びた京子は自身の中に存在していた<時の大聖霊>の力を、異世界人を召喚する『聖杯』と呼ばれる道具に封じ込め、長い眠りについた。
それから五百年の時が流れた今、聖杯の導きによってこの世界に召喚された柊は京子と出会い、アヤカやサーラ、雛やセレスという心優しい少女たちとも出会うことが出来た。
暗殺者時代にいた大切な二人の行方を捜して心が磨り減り、失意と絶望の海の中を当てもなく漂っていた頃のことを考えると、彼女たちと出会えたことは幸福としか言いようがない。
「明日ぐらいには蓬莱に向けて出発する予定だし、何か魔王殿や大聖霊のいる場所の手がかりが見つかるといいな」
(うん、そうだね……)
何やら歯切れの悪い声を滲ませた京子は、一呼吸置いて、柊に声を掛ける。
(……ごめんね)
「ん? 急にどうしたの?」
柊には彼女に謝罪されるようなことがあっただろうかと首を傾げるが、思い当たる節がなく、彼女が何について震える声で詫びる言葉を漏らしたのかが分からなかった。
(私は世界樹で新たな女神になってしまった、本当に大切な人を置き去りして逃げ出した臆病者なの。殺してほしいと泣きながら懇願する彼女の声に耳を塞ぎそうになっていた私と、彼女の声に頷いて全力で殺しに掛かった≪闇の魔王≫とは大違い)
「そんなことは……」
(ううん、そんなことあるよ。私は吉野の地下に隠していたセーフハウスに魂だけの状態で逃げ込んた後、魂と肉体を無理矢理分離させた後遺症で今も私の中で眠り続けてしまっている≪時の大聖霊≫の力の一部を、試作していた聖杯のレプリカに注ぎ込んだ。敗北してしまった私たちの代わりに、新たな女神を殺してくれる人が現れてくれるのを願ってね。私は全部他人に丸投げした卑怯者なんだ。だから、ごめんね柊。私の我儘に付き合ってもらって)
京子にもし肉体があれば、きっと彼女は深々と悲痛な表情を浮かべながら頭を下げていただろう。京子の声にはそれ程の強い懺悔の想いが内包されていた。
だが柊は、京子のことを卑怯者だと思う気持ちも、自分を異世界に強制的に召喚した彼女を憎悪する気持ちも微塵も存在していなかった。
「なあ、京子」
(な、何?)
どのような罵詈雑言を浴びせられるのだろうかと身構える京子の強張った声音に苦笑しながら、柊は彼女に己の心を告げる。
「ありがとう」
「……えっ?」
京子は訳が分からないといった様子でフリーズしてしまったが、柊は構わずに言葉を続ける。
「僕は元の世界では、大切な人達を失って死んだように生きていた。何にも前を照らしてくれるような目標もなくて、ただ日常を漫然とした気持ちで過ごすだけだった。だけど、君が僕を呼んでくれた。新しい目的と、忌まわしいと思い続けてきた血に塗れたこの腕を誰かを守るために振るうことが出来る場所をくれた。だから僕は、君のことをこれっぽっちも恨んでなんかいないよ。君のおかげでアヤカたちにも会えたんだ。本当にありがとう」
「……」
京子は押し黙ってしまったが、柊には、彼女がこちらの発した言葉を静かに噛み締めている様子が手に取るように分かった。
京子は自分のことを卑下していたが、自分の中にいるこの少女は、仲間想いで頼り甲斐のある大切な仲間であり、パートナーだ。苦楽を共にした大切な仲間たちを失いながらも、愚直に友を救いに行こうと足掻く普通の女の子なのだ。
(……ありがとう)
「うん」
たった二言の一瞬の会話だったが、二人にはそれで充分想いを通わせ合うことが出来た。
「柊〜、京子〜、ご飯出来たわよ〜」
「柊様〜、京子様〜、リビングでお待ちしております〜」
「おーい、柊殿、京子殿。早く来ないと全て食べてしまうぞ〜」
「柊〜、京子様〜、冷めちゃうわよ〜」
階下から聞こえてきた四人の少女たちの温かみに満ちた声に柊たちは口元を綻ばせると、この世界で出会った大切な仲間たちの元へと歩き出した。
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました!




