第52話 ブルームーン
柊とセレスがアヤカたちの後に続いて入店すると、外装と似通った静謐で穏やかな雰囲気に包まれた落ち着きのある店内が目に飛び込んできた。
入って左側にはテーブル席が五つ置かれ、店の奥には催し物を行ったりするのであろう舞台があり、舞台の端には年季の入ったグランドピアノが荘厳な佇まいで鎮座していた。
そして店の右側には十脚の椅子が置かれたカウンターがあり、多種多様な種類の酒のボトルが置かれたバックバーには埃一つも存在せず、店主がこまめに掃除を行う人物であることを窺わせた。
そのカウンターの内側では、女性物の着物を着て厚めのメイクを施した筋骨隆々の長身男性が伝票を整理している途中であったようで、手元に置いたノートに何やら数字を記帳しながら顔を上げずに億劫そうな声を上げる。
「ごめんなさいね~、まだ営業時間じゃなくて……」
「ママ~、遊びに来たよ~」
「剛三郎殿、久しぶりだな」
アヤカと雛が気さくに声を掛けると、剛三郎と呼ばれた男性がクワッと目を見開き、店の入口で快活な笑みを浮かべるアヤカと雛の姿を捉えると、猛烈な勢いでカウンターの端に取り付けられたカウンタードアを開いて二人の前に駆け寄り、引き締まった筋肉で覆われた巨腕で二人をギュッと抱き締めた。
「ああんもう、久しぶりじゃないの~、アヤカちゃんに雛ちゃん! しばらく店に顔出しに来ないから心配してたのよ~!!」
「マ、ママァ、い、息が……」
「ご、剛三郎殿、一旦、離して、くれ……」
息も絶え絶えに苦悶の声を漏らす二人の少女の苦しげな表情に気が付いた男性は、「あらあら、ごめんなさいね~」と言って腕を離して二人を解放すると、咳き込む二人に慈愛に満ちた笑みを見せる。
「まあ、二人が無事に帰ってきてくれただけで私は嬉しいわ。遠慮せずに上がりなさいな。それから雛ちゃんは、本名で呼ばないでっていつも言ってるでしょう。……あら? そちらのイケメン君と可愛らしい女の子はアヤカちゃんたちのお友達かしら?」
屈強な肉体には似合わず、クリッとした目で柊たちを見遣る男性に見詰められ、柊とセレスは慌てて頭を下げる。
「はじめまして。二人と一緒に冒険者をやっています、黒峰柊と申します」
「は、はじめまして! 新人ですが、同じく冒険者をやらせてもらうことになりました、セレス=フローライトと申します!」
「まあまあ、元気がいい子たちねえ~。私はここのバー、『ブルームーン』の店長をやっているマダム・エリザベスよ。アヤカちゃんのお屋敷の大家もやってるから、これからご贔屓にしてね」
「えっ!? あの立派なお屋敷ってエリザベスさんの持っている物件なんですか!?」
「ふふふっ、そうよ。母方の祖父が資産家で、あのお屋敷を別荘として建てたはいいんだけど、祖父が亡くなった後は管理が行き届かなくなっちゃってね。別に使う予定もなかったから、今はアヤカちゃんに入居してもらってるの。人が暮らさなくなった家ってもの凄い勢いで老朽化していくから、本当にありがたいのよ~」
明朗快活な笑みを浮かべ、まるで自分の娘に接するように愛しげにアヤカの頭を撫でるマダムの姿は母性に溢れており、アヤカも満更でもなさそうに抵抗することなく撫でられている。
「手狭な店だけど、是非ゆっくりしていってね~。うちはバーだけど、軽食やサイドメニューも充実してるから、未成年でも楽しめるわよ~。アヤカちゃんと雛ちゃん、セレスちゃんは舞台の手前にあるテーブル席に着いてくれるかしら。柊君はカウンターで私でじっくりとお話ししましょう♡」
マダムに満面の笑みを向けられて若干頬を引き攣らせる柊を無情にも置き去りにし、アヤカと雛は柊に憐憫の視線を向けるセレスの背中を押して奥の座席に腰掛けてしまい、柊はマダムと二人っきりになってしまう。
セレスに向かって伸ばした手も虚しく空を切ってしまい、柊がばつの悪そうな表情を浮かべると、マダムはクスリと苦笑し、
「取って食ったりなんてしないから、そんなに警戒しなくても大丈夫よ~。ちょっと、貴方と個人的にお話ししたいことがあるだけ。そこの椅子に座ってくれるかしら。お飲み物は何がいい? 今日は私の奢りよ」
と柔らかい声音で話しながら、メニューを差し出してくれた。
柊は、カウンターに入ったマダムの真正面の椅子に腰掛け、メニューに目を通すと、「ブラックコーヒー、一つお願いします」と声を掛け、注文を受けたマダムがコーヒーをドリップするための作業に取り掛かる。
(見た目のインパクトは強烈だけど、悪い人じゃなさそうだね)
「うん、アヤカや雛のことを随分と可愛がってるみたいだし、ここでは肩の力を抜いてゆっくりするよ」
柊が左側に視線を向けると、奥の舞台の側にある舞台袖からマダムと似通った格好をした男性三人がひょっこりと顔を出し、「あら~、アヤカちゃんじゃないの! 久しぶりね~」「雛ちゃんもいるじゃない! やっぱり可愛い娘がいると、この毒々しい店も華やかになるわねえ~」「あら、見慣れない娘もいるわね? アヤカちゃんのお友達かしら?」とアヤカたちに気さくに声を掛けており、目を白黒させるセレスとは対照的に、アヤカと雛は彼らと歓談しながら注文を伝えており、しばらくの間二人との会話を楽しんだ男性たちは注文を取り終わると、「じゃあ、今から腕によりをかけて作ってくるから、待っててね~」「ちょっと、この『カツ丼三人前』って雛ちゃんでしょ!? カツ丼をメニューに載せたママにも言いたいけれど、うちは定食屋じゃないのよ!?」「セレスちゃんが目をキラキラと輝かせながらメニューのマンゴーパフェを指差している時の、あの可愛らしい表情!! もう眼福よ眼福!!」と弾んだ声を上げ、厨房に通じているのであろう舞台袖に引っ込んでいった(セレスは顔を真っ赤にして恥ずかしそうに机に突っ伏していたが)。
「ごめんなさいね、騒々しい店で。久しぶりにアヤカちゃんと雛ちゃんが来店してくれたもんだから、テンション上がってるのよ」
「いえ、楽しそうな店だって凄く伝わってきます。マダムはアヤカたちと付き合いが長いんですか?」
「雛ちゃんとは一年、アヤカちゃんとは半年ぐらい前に会ったのよ。雛ちゃんはアヤカちゃんと出会う前は完全な一匹狼で、誰も近づくなって刺々しいオーラを周囲に振り撒いていて、皆遠巻きに彼女を眺めてるだけだったの。ギルド会館のブレンダちゃんは物怖じせずに雛ちゃんと付き合っていたけどね」
(へえ~、意外だね。私たちと出会った時は落ち着いた雰囲気の礼儀正しい娘だったのに)
確かに京子の言う通りで、雛は時折言動がイカれることもあるが、初対面の人には礼儀正しく振る舞うし、周囲の人とすぐに打ち解けて自然と人の輪の中に加わることが得意な性格だという印象が強い。無闇に周囲の人を牽制するような行動を取ることもないと思っていたのだが、過去の彼女は違っていたらしい。
「アヤカちゃんもどこかから吉野に流れ着いたみたいで、誰も知り合いがいなかったせいでいつも一人ぼっちで寂しそうにしていたわ。冒険者になる前は貯金もそんなになくて野宿までしてた時期もあったから、私が相続したあの屋敷を貸してあげたのよ。家賃なんて要らないって言ったのに、あの娘ったら律儀に稼いだお金を持ってきてくれてるんだけど、私は一切手を付けてないのよ。あの娘がいい人と出会って結婚でもした時にそっくりそのまま返すつもりなの」
お茶目なウィンクをしてコーヒー作りを進めるマダムの笑顔に柊は笑みを返す。
マダムはアヤカがずっと一人ぼっちだと思っていたようだが、彼女の側には心優しいメイドの少女がずっと一緒に寄り添っていたのだろう。だがそれでも、汚い打算など一切なく、純粋な厚意を持って接してくれたマダムの存在はアヤカにとって一筋の光となったのだろうと、屈託のない笑みを浮かべていたアヤカの様子から柊はそう感じた。
「二人のことを大切に想っておられるんですね」
「ええ、昔の二人は見てられなくてね。オバさんの……いや、オッサンね。こんな格好してるオッサンがお節介を焼くのもどうかと思ったんだけど、どうしても放っておけなくてうちの店に引っ張って来てご飯を食べさせてあげてたら、次第に気を許してくれるようになったの。本当に嬉しかったわ。まあ、最初にこの界隈に引きずりこもうとした時は顔を真っ赤にした雛ちゃんに斬り殺されそうになったけどね。はい、お待ちどうさま」
柊はマダムがカウンターから差し出してくれたカップを受け取り、カップに淹れられたコーヒーから立ち昇るかぐわしい香りが鼻腔をくすぐる感覚に身を任せる。
柊がそうして芳醇な香りを堪能していると、奥の座席に座りながらお手拭きでペンギンを作り、それを食い入るように見つめていた雛とセレスから製作工程を教えてほしいとねだられているアヤカがマダムに声を掛けた。
「ママ、友樹はまだ学校?」
「いいえ、もう帰ってきて二階の自分の部屋にいるわよ」
アヤカは服の袖を掴んでいたセレスの指をやんわりと引き剥がし、どさくさに紛れて胸に手を伸ばしていた雛の額にデコピンをして撃退するとおもむろに立ち上がり、舞台袖に向かって歩き出す。
「じゃあ、ちょっと挨拶してきていいかな? 会うの久しぶりだし」
「ええ、それは構わないんだけれど、アヤカちゃんに一つ頼みたいことがあるのよ」
「頼みたいこと?」
マダムは疑問符を浮かべるアヤカに向かって申し訳なさそうに手を合わせる。
「友樹ったら最近何か元気がないみたいだから、それとなく何か悩みでもあるのか訊いてみてくれないかしら? 私や店の娘たちが訊いても、『何でもないよ』しか言ってくれないのよ」
「うん、分かった。一応訊いてみるわ」
マダムの頼みを快諾したアヤカは、厨房や事務所のある上手側(右側)ではなく、居住エリアになっている二階へ上がるための階段がある下手側(左手側)に勝手知ったる足取りで足を踏み入れた。
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