第5話 京子の力
京子は、初陣で<ウィザード・ウルフ>という強力な魔物を討ち取った自分のパートナーの少年の圧倒的な力量に驚嘆していた。
相手が手負いだったとはいえ、実戦経験のない普通の少年に容易く首を刎ねられるような雑魚ではなかった。そして、柊は全く物怖じもせず、躊躇なく戦場へ飛び出し勝利した。自分はとんでもない少年を眷属をしてしまったのかもしれない。
柊の卓越した身体能力と、あの並外れた巨体の魔物の首を切り落とす程の膂力の秘密について思案していると、
「京子、どうしたらこの人と、あそこで倒れている女の子を助けられるのか教えてくれ!」
柊の切羽詰まった声によって思考が中断され、京子は精霊の少女と、桜の木の根元に倒れ伏した少女を一瞥し、対応を指示した。
(精霊の娘は魔力切れと体力の著しい消耗でまともに動けないだけみたいだから、命の心配はないよ。問題なのはあっちの黒髪の娘だね。あれは死にかけてる。とりあえず、あの娘の治療を最優先でやるよ。あの娘の所まで行って)
「分かった、細かい手順は任せるよ」
柊は倒れ伏した少女に駆け寄ると共に、先ほどまで地面を這っていた赤髪の少女に優しく声をかけた。
「この人は僕が助けるので、安心してください」
「っ!? あなた、私の姿が見えるのですか!?」
「ええ……見えますけど」
柊は、彼女が何故目を大きく見開いて動揺しているのかが理解出来ず、首を傾げる。
(精霊を視認出来るのは、生まれつき素養のある人間にしか出来ないのよ。そして、そういう人間はほとんどいないの。彼女が驚くのも無理ないよ)
柊は、自分がその素養がある側の人間であることに驚きを感じていたが、赤髪の少女は額を地面に擦り付け、嗚咽を漏らしながら懇願した。
「お願い致します! アヤカ様を、私の主を……私の大切な友達を助けてください! お願いします!」
柊は目の前で頭を下げている精霊の少女を、主を守ろうと必死に戦い抜いた忠臣を、大切な友を救って欲しいと涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔で懇願する女の子に心の中で大きな賞賛を送りながら、力強く頷いて誓った。
「任せてください、僕たちが助けてみせます。あなたの大切な人を」
柊は、「ありがとうございます。ありがとうございます」と涙混じりに感謝の言葉を述べる少女に背を向けると、彼女の友である少女に向き直った。
(『僕』じゃなくて、『僕たち』か……。言ってくれるねえ。これで意地でもこの娘を死なせる訳にはいかなくなっちゃったよ、男前君)
「大丈夫だよ。僕には京子っていう最高に頼れる貧乳の相棒がいるんだからね」
(余計な単語が引っ付いていたけれど、最高に頼れるっていうのには痺れるね)
「この娘は助けられそう?」
(外傷はそこまで酷くはないけれど、内臓が傷ついたのか、出血がひどい。血を流しすぎてる。今から吉野まで走って行って、ここに医者を連れてくる頃には死んでるよ。だからここで治療する。柊、ぶっつけ本番で悪いけど、魔力の錬成を今からやって貰うよ。私の力を君の魔力を通して、この娘に注ぎ込む)
「……分かった。やり方を教えて」
(君があっちの女の子に絶対助けます宣言をしている間に、君の中に眠っていた魔力を汲み上げる回路を形成しておいたから、今回は魔力を井戸から汲み上げる作業と、汲み上げた魔力に私の加護の力を混ぜ込む作業を私が担当する。君はバケツリレーみたいに、私が受け渡した加護入りの魔力をその娘の中に注ぎ込む作業をやって! じゃあ、早速いくよ!)
京子が言い終わると同時に、柊の体の奥から何かが外へ出ようとするかのような力の奔流が腕の先へと凄まじい速度で駆け巡り、掌にカッと熱くなるような熱を感じた。
(その娘の心臓の上に手を置いて魔力を注いで! この娘を助けたいっていう気持ちを強く心に刻み付けるようにしながら、掌に力を込めるの!)
柊は頷くと、吐血で赤黒く染まった少女の胸に掌を押し当てた。少女は着痩せするタイプなのか、ボリュームのある柔らかな弾力が掌全体に伝わってきて、柊は気恥ずかしさと後ろめたさを感じるが、少女の命を繋ぐために必要な行為であると割り切り、掌全体に力を込めたことで、自然と彼女の胸を揉むことになった。
柊は目を閉じ、目の前の少女を救いたいという想いを強くしながら、掌に魔力の塊を形成させ、それを彼女の中に押し込んでいくイメージを頭の中で描きながら、掌に力を込め続けた。
すると、掌が火傷するのでないかと思う程熱く感じていた熱がスッと引いていくのを感じ、柊は狼狽した。
「京子、僕何かミスをしたんじゃ……」
(大丈夫! それは掌に蓄積されていた魔力がこの娘に流れ込んだ証拠! ダムに溜めこんでいた水を一気に放水したみたいな感じにね! そのまま作業を続けて!)
「わ、分かった!」
柊はその後も、京子から渡される魔力を少女に注ぎ込み続け、その間に赤髪の少女は黒髪の友人の元まで辿り着き、心配そうに友人の顔を覗き込み続けていた。
その時間が十分程続くと、黒髪の少女の体が唐突に白い光に包まれた。
「アヤカ様!?」
柊は思わず友を抱き締めようとした赤髪の少女を手で制すと、安心させるように落ち着いた声で言葉を発した。
「大丈夫だよ、見ていて」
赤髪の少女はそれでも、柊と友人との間で視線を何往復かさせたが、ゆっくりと頷き、友人の体から離れた。
(見ていて、柊。これが私の加護の力よ)
京子の言葉に頷き、柊が少女の体を食い入るように見つめていると、少女の体に刻まれていた裂傷や打撲の腫れ等の外傷が次々と消滅し始めた。そして体の傷が癒えた瞬間、「……ごほっ、ごほっ!」と少女が咳き込み始めた。
「アヤカ様!? ああ……ああ……良かった。本当に良かった」
涙で顔を濡らしたまま、赤髪の少女はゆっくりと友の頬を撫で、安堵の声を漏らした。
「……凄い力だね。京子の力って」
(柊自身が使えるのは一日三回。今回みたいに他者に力を使えるのは一日一回っていう回数制限はあるけどね。それから、これは『治癒』じゃないよ)
「治癒じゃない?」
柊は目の前で咳き込み、意識を取り戻しそうな少女の体を再び確認するが、血で濡れた服はそのままではあるけれど、傷は全て癒えていると思うのだが……。
「……あれ?」
柊は、少女の左手の人差し指に小さい傷跡が残っているのを発見した。それは、料理の際に誤って包丁で軽く切ってしまったかのような小さな傷だったが、その傷だけがぽつんと忘れられたかのように残っていた。
柊が少女の指に注視していることに気が付いた京子は告げた。
(私の能力は『時間の巻き戻し』だよ。一時間だけしか戻せないけどね。この娘が負傷する一時間前の時間に、肉体の時を戻したの。魔法を使いまくって魔力切れになっても、一時間前の時間に肉体の状態を戻すから魔力も回復できる。でも、今この娘の時を戻したから、赤髪の娘の魔力は戻せないけどね。黒髪の娘の指の傷が消えていないのは、一時間以上前に出来た傷だからだよ)
京子は言も無げに自身の能力を解説するも、その後は閉口してしまった。まるで、悪事を隠していた子供がなけなしの勇気を振り絞って、それを告白してみたものの、親から叱責されることと、親から愛情を向けられなくことに怯えているような感じに似た雰囲気を感じた。
しかし柊は、京子の能力に震撼こそしていたが、時を巻き戻すという神の如き力を秘めた自分の相棒の少女に恐れの気持ち等は一切抱いていなかった。だから柊は優しい声色で相棒へ語りかけた。
「京子の力はこうして誰かを助けることが出来る優しい力だよ。だから怖くなんかないよ」
「……ありがとう」
京子の声はか細かったが、安堵のような気持ちが乗せられていたことを感じることが出来たので、柊はホッと息を吐いた。
「……ここは?」
目の前では、意識を取り戻した黒髪の少女が軽く頭を押さえながら起き上がろうとしていて、その姿に感涙で顔をぐしゃぐしゃにした赤髪の少女が主であり友である少女の名前を連呼しながら、血が顔に付くことを気にせずに黒髪の少女の胸元に顔をうずめてきたので、胸元を押さえ付けられた少女が、『お、重い……。サーラ、どうしたの……?」と困惑しながら、砂にまみれた友の赤髪を優しく梳いていた。
柊と京子はその姿に口元を綻ばせ、笑いながら声を揃えた。
「(最高だったぜ、相棒)」
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