第46話 手紙
柊は無残に割り砕かれたガラス窓に身を寄せ、眼下で繰り広げられているセレスとルミアの戦いを見下ろしていた。
先程まで防戦一方だったセレスが光の板で攻勢をかけるが、ルミアが魔法で生み出した分身がその身を以て迎撃し、勝利の女神はセレスの方へ中々天秤を傾ける様子はなかった。
「僕も戦えればなあ……」
柊は腹部を刺し貫かれたことで満足に動くことも出来ず、この玉座の間で二人の親友同士の悲しい戦いの行方を見届けることしか出来ない。
パートナーである京子の肉体の時間を巻き戻して怪我を修復する能力は絶大であり、自分の肉体の修復のみなら一日三回使用可能だが、他者の肉体を一度でも修復してしまうと、自分自身の肉体を修復することが可能になるのにニ四時間待たないといけないという欠点がある。昼間にセレスの怪我を修復してからまだ二四時間経過していない現段階では、柊は肉体を元の状態に戻すことは出来ず、こんな場所で歯噛みしながら戦局を見守ることしか出来ない。
柊が思い通りに動かない体に苛つきを覚えていると、突然玉座の間の前にある廊下から慌ただしく廊下を疾駆する靴音が響き、柊は眼下で中々好転しない戦況の真っ只中でも諦観の念など一切浮かべずにルミアに懸命に喰らい付こうと奮闘しているセレスから一時的に目を離し、遠からず廊下から顔を出すであろう何者かの来訪に備えて身構える。愛刀はセレスに託してしまって完全な丸腰状態で、腹には風穴が開通してしまっている体たらくだが、暗殺者時代に身に付けた体術はしっかりと今もこの体に染みついてる。大抵の人間なら造作なく処理出来る自信があった。
次第にこの部屋に近づいてくる足音が大きくなり、数十秒後に扉が吹き飛んで大穴が開いた入口から一人の少女が姿を現した。
「ル、ルミアお嬢様、儀式は……っ!? ……あれ、これは一体?」
「彼女ならここの下で戦ってるよ。まだ『魔骸の書』は発動していない」
突然部屋の隅から発せられた柊の声にビクッと肩を震わせたエマがこちらに向き直り、警戒した面持ちで柊を睥睨する。
「そんなに警戒しなくても、こっちは君に危害を加えるつもりはないよ」
「……ル、ルミアお嬢様はどこにいらっしゃいますか?」
「中庭の方で僕の仲間と戦っている。そういえば、君は確か彼女に城の地下に拘束されていた筈じゃなかったのかい?」
「て、手足を拘束されていた私とガルザ君をマリエッタちゃんが見つけてくれたんです。わ、私は疲弊し切っているガルザ君をマリエッタちゃんに任せて先にここに戻って来たんです」
柊が彼女の説明に納得して頷きを返すと、唐突にエマは柊に深々と頭を下げ、悲痛な想いを孕んだ声音で嘆願する。
「あ、貴方に危害を加えようとした私がお願いするのは大変図々しいことであることは重々承知しています。そ、それでも、どうかここで起こったことの経緯を教えて頂けないでしょうか? お、お願いします!」
声を震わせながら柊に頭を下げている少女の願いを受けた柊は、全力で自分の仕える主を助けようと駆けこんできた彼女に柔和な笑みを向け、返答する。
「構わないよ。だけど、一つ条件がある」
「じょ、条件ですか?」
「うん。僕と一緒に君の主の妄執を断ち切るための方法を考えてほしい」
柊は時折セレスの様子を確認し、柊の視界に写る光景を見ている京子にセレスのサポートをしてもらいながらエマにこれまでの経緯を説明し、ルミアを止めるための手立てがないかをエマに訊いてみた。
「ル、ルミアお嬢様を止める方法ですか……。す、すみません、全然思い付きません。私もつい先程までお嬢様の願いに賛同していた身なので……。お嬢様が自分の寿命を捧げるつもりだったことを知るまでは」
柊は恐縮して申し訳なさそうに身を縮こませるエマに苦笑すると、終始不安と後悔に滲ませた表情を浮かべている彼女に優しく問いかける。
「どんな些細なことでもいいんだ。ルミアさんの心を揺さぶるような言葉や物とか、何かないかな? 彼女の歩んできた道に詳しくない僕の言葉は彼女には届かない。彼女の側に寄り添い続けてきた君が何か彼女に思いとどまらせることが出来るようなヒントを見つけてくれれば、この状況を打破出来るかもしれない」
「そ、そうですね。で、でも、本当に何も思い付かなくてごめんなさい。そ、それに私の言葉では、きっとお嬢様の心に刺さることはないと思います」
エマは憂いと物寂しさを感じさせる空虚な笑みを浮かべ、自虐的な声音で言葉を紡ぐ。
「今のルミアお嬢様の中には私や、他の人が立ち入るスペースなんてもう残っていないんです。お嬢様の中を占めておられるのは奥様とミリアムお嬢様のことだけなんです。お嬢様はたった一人になられても私たちを守って下さいました。そして、お嬢様はお二人に再会することだけを心の支えとし、拠り所にすることで自我を保っておられた様子もずっと見てきました。私たちはそんなお嬢様の苦しむ姿にどう言葉を掛けてよいのか分からずに逡巡し、お嬢様の肩に無責任な願いをどんどん積み上げていったんです。そんな重荷にしかならない私たちの言葉なんて、お嬢様の心を身じろぎ一つさせることすら出来ません。それが出来る人は、もうここにはおられないあのお二人だけなんだと思います」
「……」
「奥様はルミアお嬢様のことをとても愛しておられました。家族旅行に出立されたあの日、旅行中にお嬢様に自分の気持ちをしたためた手紙を渡す予定なのだと内緒で教えて頂いたこともあり、奥様のお嬢様への深い愛情に目元が潤んだことを覚えています。でも、奥様はもういません。だからもう、ルミアお嬢様を止められる方はいないんです」
自身の無力さに打ちひしがれ、顔を俯かせるエマの覇気のない声が部屋に消え、静寂な時間が数十秒程訪れる。
エマにはもう主の暴走を止めるだけの手がかりも魔力もなく、彼女はそんな自分が情けなくて仕方がない様子で、目元から数滴の雫を床に落としている。
だが柊は、彼女はルミアと共に大切な人を喪い、心の中にポッカリと開いた空白感にもがき苦しみ抜いてきた一人であり、一人遺された少女の側を離れることがなかった心優しい少女だと思った。
大切な家族を全員喪ったルミアの心痛は計り知れないものであっただろうが、エマたちが彼女と共にその痛みを分かち合ったことは、きっとルミアにとって重荷になどなっていないだろう。エマは自分のことを卑下しているようだが、自分のことを見捨てないで側にいてくれる人間がいるということは、その人の心を支える大きな柱となるものである。
大切な人が泣いている時に、その人の隣で一緒に涙を流すことが出来る人間が役立たずな筈はない。弱い人間である筈がないのだ。
柊は涙を流し続けるエマの手を取り、困惑気味に顔を上げた彼女の涙をポケットから取り出したハンカチで拭うと、「ふぇぇ!? あ、ありがとうございます……」と言って頬を上気させたエマをゆっくりと立ち上がらせ、部屋の奥に向かって歩き出す。
柊は部屋の奥に置かれた中央の棺の前で立ち止まると深々と一礼し、両手を合わせて拝み、棺の取っ手に手を掛けた。
「えっ、あのちょっと……」
突発的に棺の蓋を開けようとし始めた柊の行動を制止すれば良いのか、もう少し成り行きを見守った方が良いのかで戸惑うエマの声が背後から聞こえたが、柊は躊躇うことなく棺の蓋を開ける。
中で仰向けで両手を胸元で組んで眠っていた女性はルミア同様に端正な顔立ちをしていて、目鼻立ちもルミアと瓜二つで、雪のような白い髪にも目を奪われてしまう。魔物に襲撃されて命を落としたとのことだったが、その死に顔は穏やかであり、非常に安らかな表情で眠り続けている姿だったので、柊は少し意外に感じた。
女性は旅行や遠出に行くような華やかな洋服を着用しており、旅行当日に着ていた服をそのまま纏っているのだろうと予測が出来た。
「その方がルミアお嬢様のお母さま、シャーアナ=ローゼンベルク様です。肉体の損傷は旦那様が奥様の死後に時間を掛けて修復なさりました。お召しになっているお洋服は奥様が外出される際に愛用されていた思い出の品であり、血痕だけを魔法で除去して、そのまま身に付けた状態で保存しています」
沈痛そうな表情を浮かべるエマの声を聞きながら、柊はエマから聞いた話の中で引っかかっていた限りなく零に近いある可能性を口にする。
「……君の話だとシャーアナさんは旅行の当日に、君に自分の娘に渡すつもりだという手紙を見せたんだよね?」
「は、はい。そ、そうですが、それが何か?」
「その手紙って、もう見つかってる?」
「い、いえ、そういえば拝見したことはないです。奥様の手荷物の中身の整理は私がさせて頂きましたが、それらしい物は何も……」
「その手紙をもし旅行当日にシャーアナさんが肌身離さずに持ち歩いていたのだとしたら、どうだろう? 例えばポケットの中とか」
「っ!? か、確認します!」
エマは棺で眠るシャーアナに深々と一礼した後、恭しい手付きで彼女のポケットの中に震える指を滑り込ませ、指先に紙のような質感を持つ薄い物の感触を感じ取って息を呑む。
恐る恐るそれを握り、徐々にポケットから腕を引き抜くと、可愛らしい花柄がデザインされている封筒がひょっこりと顔を覗かせ、封筒の宛名の部分には「私の可愛い娘、ルミアへ」という丸っぽい女性らしい筆跡で書かれた文字が躍っていた。
「こ、これです!! 私が奥様から見せて頂いた手紙です!!」
「それをルミアさんに渡そう。手紙の文面は分からないけれど、彼女の心を押しとどめることが出来るかもしれない」
「は、はいっ!! 中庭に出るためのルートは把握しておりますので、ご案内致します」
柊とエマは、ルミアの母が遺した一つの希望を手に玉座の間を後にした。
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