第45話 親友vs親友.4
「くっ、これは、あのオリクスって人の『樹宝』の筈じゃあ!?」
突如こちらの四肢を拘束した黒鎖によって、体内に蓄積させていた魔力が瞬く間に雲散霧消していった感覚に強い危機感を感じ、顔面が蒼白になったセレスは、何度も身じろぎして鎖の呪縛から逃れようと必死に足掻くが、鎖がほどける気配は一切なく、鎖がジャラジャラと揺れる虚しい音が辺りに響くだけだった。
「貴女の言う通り、その鎖はオリクスの『樹宝』よ。今は一時的に私が借り受けているの」
「そっ、そんな馬鹿なっ!? 『樹宝』は契約者以外は扱うことは不可能な筈じゃない!? 他者が使用出来る訳が……」
「悪魔であるオリクスには三つの権能があるの。一つ目は自身の体を透明にする権能、二つ目は別の場所へ転移する権能、そして三つめは自身の全ての能力を他者に一時的に譲渡する権能よ。私は今、彼の権能と『樹宝』の力をほんの少しの時間だけ借り受けているの。ただ、これは本来私の『樹宝』ではないから、少しでも集中力が途切れてしまうと発動が解除されてしまうのが難点なのよね」
「あの人が悪魔……」
「彼に不測の事態が起こった際に私に彼の力が供与されるようになっていたから、恐らく貴女の仲間に敗れてしまったのね。彼が倒れた以上、貴女は私を倒せばチェックメイトな訳なのだけれども……そのざまでは、私の方がチェックメイトを決めることが出来そうね」
ルミアは四肢を鎖で縛られて大の字のような形で立ち尽くすしかないセレスの前に立つと、右手に持つ黒杖でセレスの顎先をくいっと上に反らせ、慈しみを帯びた微笑を浮かべる。
「楽しかったわ、セレス。貴女が必死に私を救おうと予想以上に粘ったのには驚いたし、光の板をあんな風な使い方をして攻撃に変えてきた時はついついあそこにいた頃のテンションに戻っちゃったし、本当に貴女といると飽きないわね。でも、そんな時間ももう終わり。魔力の錬成も出来ず、仲間に託された刀も腕を拘束されていて使えない。この局面で貴女にはもう打つ手なんて残っていないわ、セレス。私の勝ちよ」
ルミアは勝利を確信しきった喜悦の滲んだ表情を浮かべ、歯を食いしばって悔しさを露わにしているセレスの顔を真正面から覗き込む。
「貴女は強いわ、セレス。攻撃魔法のセンスは壊滅的だったけれど、絶対に成し遂げると決めたことは絶対に投げ出したりしない強い信念、土壇場で臨機応変に状況に対応する柔軟な思考、どれも私は評価していたの。今回は貴女のそんな部分で私が骨を折る展開になってしまったことは残念だけれど、貴女にもう一度会えて良かった」
「ル、ルミア……」
「安心しなさい。貴女を殺すことはしないわ。ちゃんと生きて帰してあげる。だけどね……」
ルミアは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、困惑を浮かべるセレスの顎先に当てていた黒杖の先端をゆっくりと撫でるように下へ這わせ、首筋、胸、腹を順に撫で上げた。そして、セレスの左足の太腿に骸骨の頭頂部を押し当てると、心臓が凍り付くような底冷えする冷酷な声音で告げる。
「私を追ってくるこの足、邪魔だから潰すわ」
セレスの左足に巻き付いていた黒鎖が凄まじい圧力で彼女の左足を縛り上げ、ボキボキボキという異音を発しながら彼女の骨を粉砕した。
「あああああああああああああああああああああっ!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃいいいいいいいっ!!」
セレスは腹の奥から耳をつんざくような絶叫を上げ、使い物にならなくなった左足に走る激痛で目元から大量の涙を流す。四肢を拘束されているせいで地面をのたうち回ることも出来ず、プラプラと揺れる左足を見下ろすことしか許されていないセレスは、必死に歯を食いしばって痛みに耐えようとするが、喉の奥から無限に湧き上がってくる痛みに塗れた声が外に飛び出そうとするせいで強制的に口が開いてしまう。
「ああああああ、あっ、ああ、ああ……」
足元に水溜まりが出来そうな勢いで涙を溢れさせながら荒い息を吐くセレスを冷たい双眸で睥睨するルミアは、今度はセレスの右足に黒杖を押し当てる。
「次」
セレスの右足が左足と同じ末路を迎えると、再びセレスの絶叫が城中に響き渡る。
「あああああああああああああああああああああっ!!」
自分の両足がただの肉塊に変わり果てた事実と、もう殺してほしいと嘆願してしまいそうになる程の激痛で目の焦点が合わなくなり始めたセレスが再び泣き叫ぶ声を上げ、首をダラリと力なく前へ垂れさせる。
既にセレスの顔は涙でぐしょぐしょに濡れていて見るも無残な有様に成り果てており、セレスの精神が限界状態にあることは一目瞭然であった。
だが、ルミアには一つ気に入らないことがあった。
「セレス……どうしてまだ貴女は諦めていないの?」
セレスは四肢を鎖で拘束されて両足を折られてもなお、気丈な強い信念を帯びた光を放つ瞳を一切曇らせてはいなかった。
どれだけ耳を塞ぎたくなるような悲痛な叫び声を上げようとも、どれだけ涙を流そうとも、圧倒的な窮地に身を置かれても、一秒たりともルミアの双眸から目を逸らそうとしないセレスの鋼のような想いの強さを前にして、ルミアは困惑よりも恐れの感情が先行して胸中を満たしていくのを感じる。
ルミアの疑念を孕んだ声に対してセレスはフッと口元を歪め、ルミアの双眸から目を離さずに、その眩い光を灯し続けている瞳を突き付ける。
「貴女が大好きだから」
セレスの答えに気圧されたように一歩背後へ後ずさったルミアは唇を噛み、タラリと顎先から赤い雫を落とすが、目の前に立つ友の瞳を見つめ返し、彼女に現状を再認識させる。
「魔法も使えず、今も握り続けているその刀で鎖を斬り払うことも出来ない貴女に何が出来るというの? 貴女はここで詰みなのよ」
「ううん、まだ終わってなんかない。……ねえ、ルミア。この鎖は魔力の錬成を阻害させる能力があるみたいだけれど、それは鎖で縛られる前に発動させた魔法の効果を打ち消すことは出来ないでしょう?」
「……その通りだけれど、それが何? 貴女は鎖に囚われる前に何かの魔法を発動させていたというの?」
ルミアは素早く荒れ果ててしまった中庭全体を見渡すが、無残に破壊された石壁や花壇、ルミアが召喚した茨、無限の剣雨によって地面に穿たれたクレーター等、セレスとの戦いの軌跡が残っているだけで、別段不審な点は見当たらない。
「……何もないじゃない。虚勢を張っているだけなら……」
「虚勢なんか張ってない。私の最後の悪足掻きを見せてあげる」
ルミアは、セレスが何をするつもりなのかを掴むことが出来ず眉根を寄せ、セレスはそんなルミアの表情に力ない苦笑を浮かべると、最後の悪足掻きを行う。
「≪悪戯妖精の遊戯≫」
セレスがそう呟くと同時にルミアの胴体に横薙ぎの強烈な衝撃が加わり、ルミアは何度も地面を激しくバウンドしながら古城の石壁に激突した。
「っがぁああ、あああああっ、おええっ……!!」
何度も地面に叩き付けられながら硬い石壁に背中から激突したルミアは、喉から上昇してきた血の混じった吐瀉物を地面に吐き散らし、額から目の中に流れ込んできた血を手の甲で拭う。
叩き付けられた背中に走る鈍い痛みに顔を歪ませ、うつ伏せに倒れ込んだルミアは自身を薙ぎ払ったものの正体を把握するために前方を確認する。
「そ、そんな、馬鹿な……」
ルミアの横っ腹を打ち据えたものの正体は、セレスの側にまで伸長していた黒い茨で、それはルミアが召喚したものである筈だった。だがそれ以外にはルミアの体を吹き飛ばしたと思われるものは存在せず、あの茨が独りでに蠢いたとしか考えられなかった。
「≪悪戯妖精の遊戯≫……植物や物を操る魔法だよ。ルミアが剣の雨を降らせた時にこっそりあの茨に魔法をかけておいたの。魔法をかけるときには魔力を消費するけれど、発動させる時には魔法名を口にするだけで魔力は必要ないの。絶体絶命の状況になった時の保険として用意した魔法だったけれど、役に立って良かった……」
茨に吹き飛ばされた影響で鎖に対する集中力をルミアが欠いたことにより、虚空に消えるように鎖が消滅したおかげで鎖の呪縛から解放され、ルミアと同じく地面にうつ伏せになったセレスのか細い声が響く。
だがセレスは、未だ全身を地面で打ち付けられた痛みから立ち直っていないルミアを一瞥もせずに黒刀を握り締めたまま、不自然な方向に曲がった足を引きずって匍匐前進でどこかに向かって這っており、その姿を不審に思ったルミアが彼女の目指す目的地を目で追うと、全身を凄まじい悪寒が襲った。
「『魔骸の書』があんな所にっ!?」
ルミアとセレスの間の丁度中間地点の地面に無造作に転がっていたのは、ルミアが終始大事に抱き抱えていた焦げ茶色の本で、セレスはあの本を手にするためだけに不屈の精神で体中を走り回る激痛に耐えながら地面を這っていたのだ。
「それは私の物よっ!!」
ルミアは急いで立ち上がろうと両足に力を込めるが、どうやら捻挫をしてしまったようで、思ったように足が動いてくれず、凄まじい焦燥感と恐怖感が肥大化していく。
両足を潰されたセレスの速度は非常に緩やかではあるが、着実に『魔骸の書』へと距離を詰めていっており、このままルミアが立ち上がらなければ彼女の手の中に確実に収まるだろう。
「うおぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
鬼気迫った表情を浮かべるセレスが気合を入れるように声を張り上げて更に速度を上げると、その様子を見たルミアは、胸を焼き焦がす焦りにせかされるようにして何とか立ち上がることに成功する。しかし足は本調子とは程遠く、青く腫れた痛々しい様相を呈している己の足首が憎くて仕方がない。
だがルミアはノロノロとした緩慢な足取りで『魔骸の書』目指して歩き出し、先行しているセレスに渡してなるものかと進み出す。
先に距離を縮めていたのはセレスだったが、匍匐前進で進むしかない彼女と比べ、負傷してはいるが両足で二足歩行が可能なルミアが徐々に彼女よりも距離を詰め始め、ルミアの中に安堵の感情が広がり始める。
あと十歩。
『よく頑張ったわね、ルミア。貴女はお母さんの誇りだわ』
あと九歩。
『お姉様~、私ね、お庭に咲いていたシロツメクサで王冠を作ったの! お姉さまにあげる~』
あと八歩。
『ルミア~、ミリアム~、おやつのホットケーキが出来ましたよ~。魔法の訓練も程々にしてお家の中に入ってらっしゃ~い』
あと七歩。
『私ね、将来お姉様みたいな凄い魔導士になるの! それでね、お姉様やお母様やお父様、お家で働いてくれているエマお姉ちゃんたちも守れるくらい強くなるのが夢なの!』
あと六歩。
『この前のテストで百点満点だったそうじゃない、ルミア! 今日は腕によりをかけてルミアの好きな物だけの夕食を作ってあげるから楽しみにしててね~』
あと五歩。
『見て見てお姉様~! マリエッタお姉ちゃんが生地が破けちゃったぬいぐるみを直してくれたの~。お姉様に貰った誕生日プレゼントが元通りに直って本当に良かった~。それからね、炎の魔法をガルザお兄ちゃんから教わってるの! ちゃんと炎が出せるようになったら教えてあげるね!』
あと四歩。
『今日は久しぶりの家族旅行だから、目一杯おめかししなくちゃ! ほら、ルミアもちゃんとメイクしてあげるからここに座りなさい。貴女はとっても可愛い女の子なんだから、魔法だけじゃなくてお化粧の仕方も覚えないと駄目よ』
あと三歩。
『お姉様、私今日の旅行とっても楽しみ! エマお姉ちゃんたちが家族だけで楽しんできて下さいっていうから私とお姉様とお母様とお父様だけだけど、一生忘れないくらい楽しい思い出にしようね!』
あと二歩。
『ル……ミア……ごめ……んな……さい。お……お母……さん……ち……血が止ま……らないの。ごめん……ね』
あと一歩。
『お姉……様……い……痛い……よぉ……苦しい……よぉ』
救う、絶対に救ってみせる! この命を差し出せばあの二人に会えるのだから!
ルミアの指が本の表紙に触れそうになった瞬間。
『魔骸の書』の表紙に黒く光る刀身を持つ一振りの刀が突き刺さった。
「……えっ?」
ルミアは呆けたような声を漏らし、突然着弾した刀の発射元に緩慢な動きで首を向けると、右腕をだらりと前へ投げ出しているセレスの姿が目に飛び込んできた。
どうやら自分がこちらより先に『魔骸の書』を手にすることは不可能だと悟った彼女は、右手に握り締めていた黒刀を渾身の力で投擲したようであり、彼女の希望を載せた黒刀は本の表紙から裏表紙までを見事に貫通していた。
ルミアは呆然とした表情で刃に刺し貫かれた『魔骸の書』を食い入るように見つめていたが、黒刀が突き立った場所から黒い炎が噴き出し、本全体を焼却し始めた姿を見て絶叫した。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
ルミアは甲高い悲鳴を叫びながら全力で刀を引き抜くと、皮膚が焼け爛れることも厭わずに何度も本をはたくが、黒炎はルミアの手を一切炙ることなく本全体を焼き尽くし、ただの黒い灰だけがルミアの手の中に残る。
その残された灰もすぐに夜風に攫われてルミアの手から離れていき、ルミアに残ったのは足元に溜まった僅かな本の燃えカスだけになる。
ルミアはその『魔骸の書だった物』を両手で掻き集めて一つにまとめるが、当然元通りの本の姿に戻る筈もなく、彼女の希望の残骸だけが寄せ集まっただけであった。
ルミアはその残骸を握り締めて顔を俯かせ、絶望に染まり切った掠れた声を漏らす。
「あ……ああ……あああ……ああああ……」
『ルミア、大好きよ』
会えない。
『お姉様、だーい好き!』
もう会えない。
『ルミア、貴女と出会えて本当にお母さんは幸せだったわ』
『お姉様、私がお嫁に行くまでずっと一緒にいようね!』
もう二度と会えない。絶対に。
「……よくもよくもよくもよくもよくもよくもぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
ルミアは乱暴に髪を搔き乱し、血走った目でギョロリとセレスの双眸を睨み付け、ルミアの突然の豹変に萎縮するセレスの元まで歩み寄ると、セレスの腹を思いっ切り一切の容赦なく蹴り上げた。
「がはぁっ!」
内臓を直接攪拌されたような凄まじい痛みに涙を浮かべるセレスを燃え滾る憎悪の炎を灯したルミアの双眸が見下ろす。
「許さない許さない許さない許さない絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に許さないぃいいいいいいいいっ!!」
唯一の希望の光をかき消した目の前の友人に対して膨れ上がった憎悪の炎に囚われたルミアは、セレスの腹部を再び蹴り上げようと右足を後退させ、勢いよく彼女に激痛を与えようと右足を振り抜こうとした瞬間。
「ルミアお嬢様!! もうおやめ下さい!!」
突然響いた見知った人物の嗚咽混じりの叫びがルミアの耳を突き抜け、ルミアの右足がセレスの腹部スレスレの場所で一時停止する。
ルミアが声のした方向に訝しげに視線を向けると、目元から涙を止めどなく溢れさせて泣きじゃくっているエマの姿があり、何故か彼女の隣には柊という少年がエマに付き添うに立っていた。
「もうおやめ下さい、ルミアお嬢様!! 奥様とミリアム様はお嬢様の命で生き返られたとしても、『魔骸の書』で沢山の時間を削ったお嬢様の姿を見れば悲しまれます!! これで良かったんです!」
「……これで良かった? ふざけたことを言わないで、エマ。あの場所で守るべき者も守り抜くことが出来なかった私がおめおめと生き残るのは罪よ。私の命なんてどうだっていいの! どうしてそんなにグチグチと私に文句を……」
パンっ!!
ルミアの頬に不意に激しい痛みが走り、痛む頬に手を当てながら前に向き直ると、涙を流しながらも主を平手で打ったエマの顔があり、彼女はルミアがこれだけは絶対に失うものかとギュッと『魔骸の書』を抱いていた時のように、絶対に失ってなるものかとこちらの体をギュッと抱き締め、堰を切ったように想いをぶつけてくる。
「お嬢様が大好きだからです! ずっとお嬢様と一緒にいたいからです! 絶対に喪いたくないからです! お嬢様の命はどうだっていいものなんかじゃない! お嬢様がいたから私たちはここまで生き延びることが出来たんです! 皆お嬢様のことが大好きなんです! だから……だから……私たちを置いていかないで下さい! もう私たちに大切な人がいなくなってしまうあんな想いをさせないで下さい。お願いです、お嬢様。私はお嬢様とすぐにお別れしてしまう未来なんて嫌なんです!」
涙で塗れた顔をルミアの胸元に押しつけて泣き続けるエマの想いをぶつけられ、心の中に彼女の強い感情が津波のように押し寄せてくる感覚に苦しそうに身をよじるルミアだったが、エマが「これを読んでください」と唐突に懐から取り出した物に眉根を寄せる。
それは可愛らしい花柄がデザインされている封筒で、手紙等を封入するために用いられるような代物だった。
「これは、何?」
エマはその封筒をルミアの眼前に差し出すと、その正体を告げた。
「お嬢様のお母様が遺された、お嬢様宛ての手紙でございます」
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました!




