第39話 大切な主
「≪大火の炎砲≫!」
サーラは、自分の背後から追い縋ってくる骸骨の群れに向かって真紅の火炎を解き放ち、その燃え盛る炎が亡者たちを呑み込んで灰塵に帰そうとするが、骸骨たちはその白い骨に一切の焦げを拵えることもなく、何事もなかったかのように猛然とサーラの襟首を掴み取ろうと真っ白な腕を振り回しながら追走してくる。
廃墟となった市街地の偵察に出ていたサーラは、背後の亡者の群れと運悪く鉢合わせてしまい、全力の撤退戦に移ることになってしまったのだ。
「……やはり私の魔法は、彼らには無意味なようですね」
悔しそうに唇を噛み締めるサーラは、廃墟となった石造りの街の中を逃げ回っていた。時折地面に打ち捨てられた商店の看板や、地面に横たわる赤く錆びた街灯や石柱を迂回しながら疾走するサーラは、そう遠くない場所に感じる主人の魔力を感じ取り、このまま主の前に帰還するべきか、それともこのまま後ろの連中を引き連れて主の側を離れるべきか一瞬思案するが、諦観の念と胸をくすぐる至福の想いを感じて微笑する。
アヤカ様は、臣下を決して見捨てない方です。私が逃げ続ければあの方はどこまでも私を追ってきてしまいます。だから、私はこのまま無為に逃げ続ける訳にはいきませんね。
それに、自分やアヤカ様の魔法では骸骨たちに傷一つ付けることは出来ませんでしたが、柊様と雛様の剣撃は彼らの体を容易に粉砕していました。恐らくあの骸骨たちは魔法攻撃による干渉を受けることはないものの、魔法以外の攻撃手段なら撃退することは可能なのでしょう。汗顔の至りですが、雛様のご助力を頂けなければ、この状況は一向に好転することはなさそうですね。お礼はどうすれば良いのでしょうか? やはり胸を揉ませて差し上げれば良いのでしょうか?
サーラは自分が無意識のうちに、雛が同性の胸を揉むことに快楽を感じる色情魔だというレッテルを貼ってしまっていることにも気が付かないまま、徐々に加速しながら人々に忘却された焼け焦げた街を駆けた。
すると、石造りの三階建ての建物に挟まれた狭い路地が視界の端に飛び込んできて、それを一瞥したサーラは一計を案じ、しつこく追いかけてくる骸骨たちを同行させながら路地に足を踏み入れる。そして路地の中程まで到達するとサーラは反転し、両手に真紅の火球を生み出してそれを一気に頭上目掛けて放り投げた。
発射された火球は両隣の建物の二階と三階部分をぶち抜くと一気に爆ぜて建物を崩落させ、大量の岩石の集中豪雨を発生させた。
サーラは脇目も振らずに路地を駆け抜けて安全圏に退避すると背後を振り返り、後続の亡者たちの様子を確認する。
突如局地的に降り出した石の大雨は骸骨たちを容赦なく圧殺していて、砂煙を上げる瓦礫の下や隙間からは白骨の破片が顔を覗かせていたが、すぐに黒い塵となって消えてしまい、再び蘇ってくる気配もなかった。
運良く爆撃を免れた最後尾の骸骨たちもいるようだが、瓦礫でギッシリと詰まってしまった道を前に右往左往しており、瓦礫をよじ登ってこちら側までやって来ようとする個体はいないようだったので、サーラは追手を一時的に分断させられたことに安堵の溜め息をつくと、改めて主人の魔力の気配を辿り始める。
アヤカ様は……良かった! この近くにいらっしゃる!
アヤカ様がおられるということは、雛様も一緒におられる筈。早く合流しなければ!
サーラは砂埃で白く汚れた侍女服をはたいて気休め程度に汚れを落として身なりを整えると、主人のいる方向目掛けて駆け出そうとするが、
「『愚者を縛る黒鎖』」
突如彼女の背後から飛び出してきた黒鎖に足を絡め捕られ、受け身も取る暇もなく、ひび割れた石畳みの地面に倒れ込んでしまった。
「こ、これは!?」
サーラは右足に巻き付いた黒鎖に目を見開くと、恐る恐る鎖の繋がっている先を目で辿る。
鎖は鍔広の黒い帽子を被ったグレーの髪の男の袖口に消えていて、男は暗鬱そうな口調で口を開いた。
「貴様たちが単独で動き出すのを待っていた。悪いが、貴様から始末させてもらうぞ炎精霊よ」
「……あなた、オリクスと言いましたね。あなたは、一体何者なんですか? 全く気配を感じませんでしたが……」」
「我は<死霊の戯杖>のギルドマスターに仕える臣下であり、盟友でもある穢れた悪魔である。自分の体を透明化させる権能を使い気配を絶っていたので、貴様が気付かなくても無理はない。」
「っ!? あなたは悪魔なのですか!? ですが、悪魔は……」
「貴様の想像通りだ、精霊よ。大量の穢れが一ヵ所に収束することで肉体と意思を得た怪物が悪魔であり、穢れが世界に満ち溢れていた魔王たちの時代には我らは多く存在していた。だが、魔王共が世界中の穢れを浄化して以降、世界に溢れていた穢れはほぼ消滅してしまい、我らは同胞を生み出す糧を失い、その数を激減させた。今の時代を生きている悪魔はごく少数であろう。我は数百年前にとある魔導士の家に囚われ、人体実験の被験体としての人生を送っていた。それを救い出してくれたのが今の主なのである。あれには恩もあり、あれの願いにも同意した身である以上、主の前に立ち塞がる障害は排除せねばならぬ」
「……残念ですが、私たちにも事情があります。そして、私は大切な主の元へお戻りしなければなりません。ここであなたに殺される訳にはいきません」
全く物怖じすることもなく、気丈な光を放つサーラの瞳に射竦められたオリクスは、そんな彼女にどこか羨望と尊敬の念が混在した視線を向けると、サーラの背後にある通りに視線を移し、冷ややかな声を落とした。
「貴様の主がもうすぐここに辿り着くようだ。貴様の言葉は苦し紛れの虚勢ではなく、貴様の本心であると受け取った。だが、その主がここで息絶えれば、そのような忠義も無駄になるであろう」
「あ、あなたはアヤカ様に何を……」
オリクスはサーラの言葉を遮り、袖口からさらに二本の黒鎖を追加で放ち、サーラの四肢を鎖で拘束した後に最初の鎖をサーラの足からスルリと抜き取って袖口に戻すと、瞬きをする暇もなくその姿を虚空に溶け込ませた。
「っ!? 悪魔の権能ですか!?」
「その通りである。悪魔は固有の能力『権能』を持ち、我は透明化と離れた場所への転移、そしてまだ披露していないもう一つの権能を持つ。このまま貴様の主の背後に回り、鎖で縛られて地面に転がされている貴様を助けようと駆け寄るあの少女の首をへし折ってやろう」
「そんなことは絶対にさせません!! こんな鎖なんてっ!!」
サーラは身動きの取れない体全体に魔力を分配し、全身から真紅の炎を迸らせて鎖を焼き切ろうと魔力を錬成させるが、前回の広場での一戦の時のように一切の魔法が発動せず、歯噛みする。
「無駄である。その鎖に捕縛された者は一切の魔法を封じられる。貴様に出来ることは、貴様が忠義を尽くす親愛なる主の首があらぬ方向に曲がる最期の姿をその目に焼き付けることのみである」
「ふ、ふざけないでください!! そんなことは……」
「サーラ! 一体どうしたの!?」
「サーラ! 無事か!?」
サーラがギョッとして背後を見遣ると、鎖で四肢を拘束されたサーラが地面に横たわっている姿に瞠目し、血相を変えてサーラに駆け寄ってくる主と、自分の後ろから衝動的に飛び出した主を軽く諫めようと後を追ってきた雛の姿の飛び込んできた。
そして、それと同時にオリクスの声が聞こえなくなり、彼が今どこに向かったのかを考えると全身を凄まじい焦燥と恐怖が駆け巡り、サーラの心を急速に締め上げた。
「アヤカ様! ここに来ては行けません! 早くお逃げ下さい!」
「馬鹿なこと言わないで! あなたを置いて逃げる訳ないでしょう! 今助けてあげるから、そこでジッとしてなさい!」
大切な臣下であり友人であるサーラを助けることに意識が埋め尽くされてしまっていたアヤカは、サーラのそんな警告を申し訳ない気持ちで黙殺すると、一直線にサーラの元へ駆け続けた。
オリクスはゆっくりとした歩みで、アヤカというあの炎精霊の少女の主に近づいていた。
拘束された契約精霊の危機に躊躇うことなく助けに向かった姿から、あの精霊の少女が忠信を捧げようと決意したことも納得した。この二人の絆はただの主従関係などではなく、全く別の温かな何かで繋がれた者同士なのだろう。
我とあの孤独な主はどうなのであろうな……。
我の存在は主と先代の主である少女の父にしか知られておらず、ローゼンベルク家の繁栄の陰に隠れた様々な魔導実験の被験体であり、ローゼンベルク家の負の遺産である我の存在は秘匿され続けてきた。だが、今の主は父に泣き縋り、手の皮を突き破ってしまうほど拳を握り締めて我を助けてあげてほしいと嘆願した。そして、解放されて自由になった我にはローゼンベルク家を出るなり復讐するなり、様々な選択肢が存在したが、我を自由にするために涙を流した少女のことがどうにも気になり、あの少女と離れ難い気持ちに引きずられるままに彼女の側にいる道を選んだ。
我は普段は権能で姿を隠し、主の日常を見続けてきた。新たな主は魔法の才に恵まれ、それに胡坐を掻くこともなく日夜研鑽を積み続ける努力家であり、それを他者にひけらかすこともせず、黙々と自分を磨き続ける少女だった。以前はいつも朗らかな笑みを浮かべ、母の膝に頭を預けて微睡に沈み、姉に憧れる妹の面倒をよく見る理想的な姉であった。
だがその二人を喪い、故国から追われる身となった主の表情は氷のように冷たく、一度も笑みを浮かべることなどはなかった。
自分の母と妹を冷たい棺の中に収めた時の、ほぼ睡眠を取らず、目の下に濃いくまを作り、泣き腫れて充血した、虚ろな光しか灯っていない絶望し切った瞳が変わることがなかった。
夜中に二人が魔物に殺された時の悪夢にうなされ、耳が壊れそうになる程の絶叫を上げてベッドで泣きながら暴れ出す日々が延々と続いた。
母や妹に褒められることが大好きで必死に続けてきた魔法の鍛錬は、喪った二人の復活を阻もうとする者の命を刈り取るためだけに行うようになり、魔力が枯渇する寸前まで一人で黙々と鍛錬に取り組んでいた。
食事にもあまり手を付けず、毎日黙って二つの棺の前に自分の食事を置いていくような真似ばかりしていた。
我はそんな主の姿を黙って見守っていた。<死霊の戯杖>の皆はそんな主の姿にどのような言葉を掛ければ良いのか分からず、たった一人の少女に重荷を背負わせ続け、その重荷を代わりに背負うことが出来ないことに悔しさで唇を血が出るほど噛み締めていたのを覚えていて、それは我も同様だった。
悪魔である我は人を縛り、殺す手は持っていたが、それは家族を失い一人ぼっちになり、毎晩ベッドの中で嗚咽を漏らす少女の頭を撫で続けることしか出来ない情けない手だった。
我はあの主の心の隙間を埋めるすべを知らぬ。我の手は誰かを傷付けることしか出来ぬ。
ならば我は自らの寿命を差し出し、数年程度の余命しか残らないことを知りながら家族を取り戻そうとするあの少女の前に立ちはだかる障害を全て排除しよう。
死者を蘇らせることの善悪は分からぬが、それがたとえ悪であったとしても、あの少女のあの笑顔を……
『オリクス、私とお友達になってくれないかしら。悪魔がお友達だなんて、とっても素敵だわ!』
あの喜んだ顔を……
『ねえ、オリクス。あなたが私のお誕生日にくれたマフラー、とっても温かいわ。ルスキアの冬はとても寒いけれど、これさえあれば大丈夫ね。それでね、私もあなたにプレゼントを用意したの。この黒い帽子、あなたにきっと似合うから、大切にしてね』
あの弾んだ声を……
『聞いて、聞いて、オリクス!! 私、新しい魔法を覚えてお母様に褒められちゃった! ミリアムったら、私にも魔法を教えてほしいって何度も私におねだりしてきて、とっても可愛かったの! ……あら、オリクス今笑った? あなたの笑った顔なんて初めて見たわ。もう一度私に見せてよ!』
あのぶすっとした不機嫌そうな声を……
『ねえ、オリクス。私、初めてアップルパイを焼いてみたのよ! お父様にもお母様にも食べて頂くつもりだけれど、一番最初にあなたに食べてほしくて持ってきたの! ねえねえ、お味はどうかしら? ……もう、どうしてそんな微妙そうな顔するのよ! 美味しくなかったのなら、ちゃんとそう言いなさい! ちょっと、どうして美味しくないのに食べ続けてるのよ!』
もう一度見たい。聞きたい。どうしようもないほどに。
あのセレスという少女はそれをあの少女に取り戻しかけてくれた。暗く氷のように冷たい牢獄に囚われていた主の心を優しい木漏れ日で溶かしてくれた。だが、主は彼女と過ごす幸せな時間を捨て、家族の笑顔を取り戻すことを選んだ。
今もあの城に残っているあの少女には感謝しているが、我は主が選び取ったその選択に従い、愛する家族に囲まれて幸せそうな笑顔を浮かべている主の姿を再びこの目に焼き付けたいのだ。
その為なら、主と同じ年頃の気高い魂を持つ少女の首を折り、背後にいる精霊の少女に主と同じ悲しみを与えることもやってみせよう。
アヤカという少女は我の存在には一切気付いていないようで、その視界には我の鎖で縛られた友しか映っていないのだろう。簡単に少女の背後に回り込むことが出来た。
……すまぬ
そんな簡素な詫びの言葉を心中で呟くと、精霊の主である少女の首に手を伸ばし、
「私の友に触れるな、骸骨使い」
桜色のリボンで長髪をポニーテールに束ねた剣士の少女の回し蹴りがオリクスの腹部に突き刺さり、オリクスは通りに面した石造りの建物の外壁を突き破りながらぶっ飛ばされた。
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました!




