第37話 それぞれの想い
「……じゃあルミアは、私のことを嫌いになった訳じゃないんだね?」
「……そうよ、私はあなたのことが大好きよ、セレス。だけど、私はあなたと一緒にはもういられない。私はこの『魔骸の書』を使って大切な家族を取り戻す。それを邪魔するというのであれば、私はあなたを排除する」
互いに悲壮な表情で見つめ合った二人の少女を見遣りながら、柊はルミア=ローゼンベルクという少女が背負った願いの重さを知った。
そしてそれと同時に、彼女の話の中で言及されていない重要な点について問わなければならないという想いが一層強まった。
柊は出血の酷い腹部を押さえたまま、必死に冷酷になろうと努めているただの少女に問いかけた。
「さっきの君がセレスを本気で刺殺する気がなかったのは分かった。僕が今腹に大穴をこさえているのは、僕が中途半端なタイミングで君たちの間に割り込んだ結果だ。その点を責めるつもりはない。でも、一つだけ訊かせてほしい。……君は誰を生贄に捧げるつもりだ?」
「っ!? そ、そっか、私たちはさっきまでルミアが生贄に捧げられると思い込んでいたけれど、ルミアが<死霊の戯杖>のマスターなら生贄は別にいる筈……。じゃあ、誰が生贄に……」
「あなたたちの目の前にいるのが生贄よ」
「……えっ?」
「……何?」
ルミアは『魔骸の書』を抱える力を一層強めて自身の胸元にさらに押し付けると、冷めた微笑を浮かべ、キッパリと告げた。
「『魔骸の書』に寿命を捧げるのは私だと言ったのよ。……ギルドの皆にはもし私を追ってくる者がいた場合には、私が生贄にされると言いなさいと徹底させ、彼らには本当の生贄はこちらが用意していると伝えていたの。……でも、あなたたちが来る前にエマとガルザがここに来て、私自身が生贄になるということを知られてしまったわ。彼らは生贄が入っている筈の左の棺が空であることに気付き、肩を怒らせて私に詰め寄って、『どういうつもりなんだ!』と詰問してきたわ。今は二人とも城の地下の食糧庫で眠っていてもらっているけれど、おかげで『魔骸の書』がもうすぐ発動しそうだったのに、中断しちゃったわ」
ルミアが言い放ったその言葉に柊とセレスは大きく目を開いて絶句するが、セレスはそれに大きな拒絶を見せた。
「ど、どうしてなの、ルミア!? 二回も『魔骸の書』を発動させたら、ルミアの寿命は本当に残り少ない時間しか残されないんだよ! お母さんと妹さんを生き返らせても、ルミアがすぐに死んじゃったら、ルミアは大切な家族に自分が感じてきた孤独や絶望を味わわせることになるんだよ! 大切な人に置いて行かれる悲しみを押し付けるような真似はしちゃ駄目!」
「セレス、あなたもお祖母様に会いたいという気持ちがあるでしょう? 遺された人間がもう一度大切な人に会いたいと願う気持ちはあなたも分かってくれるでしょう?」
「勿論あるし、その気持ちも分かるよ! でも……でもね! 遺された人間は先に行ってしまった人の影をいつまでも追いかけていたら駄目なんだよ! 私たちがいつまでもその背中を追い続けたら、先に行ってしまった人たちは安心して眠れなんかしないに決まってる! いい加減に前を向いて歩きなさい! って怒られちゃうよ! 遺された人間に出来るのは、しっかりと前を見据えて歩くことと、大切だった人との思い出を絶対に忘れないことだけ。私たちが忘れない限り、その人は私たちの心の中で元気に生き続けられるの。だからね、ルミア。私はいつもお祖母様といつも一緒にいるし、あなたもあなたのお母さんや妹さんといつも一緒にいるのよ。だから、自分の命を捧げるなんて真似はやめて! 大切な人が遺してくれた自分の命を燃やす真似なんてしないで!」
セレスが涙でクシャクシャになった顔で告げた嗚咽混じりの叫びが玉座の間に響き渡り、セレスの嘘偽りのない愚直なほど真っすぐな言葉を受けたルミアは……。
「……無理よ」
セレスと同じほど涙で顔を濡らし、悲痛な叫びを返した。
「無理に決まってるじゃないっ!! お母様はいつも自分のやりたいことを我慢して私たちの我が儘を聞いてくれた! ミリアムはたった六歳でその身を切り刻まれて死んだのよ! そんな終わり方なんて認められる訳ないじゃない! 私の命なんかであの二人が生き返ってくれるのなら安いものよ! 私には……私には何にもないんだから!」
「……ふざけるなあぁあああああああああああああああっ!!」
セレスは凄まじい怒気を放ってルミアににじり寄り、ルミアは突如豹変した彼女の表情に顔を強張らせ、後退りをするが、踵が中央の棺……大切な母が眠る棺にぶつかり、それ以上下がることは許されなかった。
セレスは怯えた表情を見せるルミアの胸倉を掴むと、彼女の頬を思いっ切り殴りつけた。
ルミアは大きく横に吹き飛ばされ、左端に鎮座していた空の棺にぶつかって止まった。
「っい、痛いじゃないセレス。一体何を……」
「五月蠅い、この大馬鹿! 何が安いものよ……何が私には何もないよ……ふざけたこと抜かしてんじゃないの、馬鹿ルミア!」
セレスは痛みに呻くルミアに馬乗りになると、彼女の青く腫れた右頬には手を触れず、彼女の左頬を強く摘まんだ。
「何にもない訳ないじゃない! 少なくともここに一人、あなたのことが大好きな奴がいるの! あなたと一緒にいたいって想ってる人間が目の前にいるの! 他にもギルドの皆だって、あなたのことが大好きだから誰も離れて行かないんでしょう! 大好きなあなたが自分の命を安く見積もっていることに怒るんでしょう! 目の前に自分のことを大切に想ってくれている人間が沢山いるのに、その人たちに背中を向けて目を合わせようともしないで全力で自分を卑下して、勝手に命を放り捨てる真似してちゃ駄目でしょう!」
「勝手なことをごちゃごちゃと……この馬鹿セレス!」
ルミアは馬乗りになっていたセレスに頭突きを食らわせると、頭突きの衝撃で苦悶の声を漏らして仰け反ったセレスの右頬に拳を叩き込んだ。
拳を喰らい、床に倒れ込んだセレスの上に今度はルミアが馬乗りになり、セレスの頬に何度も塩辛い雫を落としながら声を荒げる。
「私だってあなたと一緒にいたいわよ! また王都をドーナッツ片手に沢山お喋りしながら歩いてみたい! 同じ毛布に一緒にくるまって夜空に浮かんだ星を眺めてみたい! でも、でも……私の勝手な都合で誰かの寿命を奪うなんて真似は出来ないの! 私の妄執に憑りつかれた願いを叶える代償は、私自身が払わないといけないのよ! だから私は色々なものを切り捨てて、やっと身軽になったつもりだったのに……どうしてこんな所まで来ちゃうのよ! どうしてやっとの思いで捨ててきたのに、こんな醜い女を追って来ちゃうのよ! どうしてこんなにも温かいものを私の中に置いていったのよ! これじゃあ……これじゃあ……もっと生きたいって思っちゃうじゃない!」
「だったら、生きればいいじゃない! きっと、あなたのお母さんも妹さんだってそれを望んでる!」
「私だって、こんな方法で二人を呼び戻してもあの二人が笑ってくれるなんて思ってない! だけど、どうしても会いたいって気持ちが止まらないのよ! だからお願い、セレス。あなたはここから立ち去って!」
「お断りだわ、ルミア。私はあなたをボコボコにしてでも、絶対に一人になんかしてやらない。どこまでも追いかけて行って、ずっとあなたの側に居座り続けてやるんだから!」
「っ! ……なら、もう一歩も歩けないほど体力を絞り尽くしてあげる。そうすれば、あなたは私を止めることは出来ない! この娘の体力を吸い尽くしなさい!」
ルミアの命令を受け、今まで棺の側で待機していた骸骨が動き出し、ルミアに馬乗りになられてまともに身動きが取れないセレスに歩み寄り、彼女の体力を平らげようと骨だけの指を彼女の体に伸ばすが……。
骸骨の背後に立った黒の剣士の一閃が、骸骨の脳天から股までを両断した。
二つに分かれた骸は床に倒れ込む前に黒い塵となって霧散し、柊は血を失い過ぎて蒼白になった顔色のまま口を開いた。
「二人の世界に入っているところ恐縮だけど、僕がいることも忘れないでほしいな」
「っ!? あなた、よくもっ!!」
怒りを露わにしたルミアが柊に視線を向け、その隙にセレスはルミアを上から引き剥がすと、一旦柊の元まで後退した。
「柊、そんな体で無茶しちゃ……」
「これくらいの運動なら大丈夫さ。それに京子が思いついたことがあるんだ。聞いてあげてほしい」
(セレスちゃん、私の言う通りにしてね。あなたは……)
「……分かりました。やってみます」
セレスはルミアとの口論で煮えていた頭を冷やし、掌に魔力を集中させて声高に叫んだ。
「≪純白の聖盾≫!!」
セレスによって生み出された純白の守護板は、柊の腹と背中に開いていた空洞にぴったりと密着して即席の絆創膏となり、溢れ続けていた血も一時的に放水を止めた。
「おおっ! これなら何とか大丈夫そうだ。ありがとう、セレス」
(馬鹿、これは応急処置。今日はセレスちゃんの治療で私の力は使っちゃったから、柊の体は治せないんだよ。早く町に戻って手当を受けないと本当に死んじゃうよ。少なくとも、戦うなんて厳禁だから自重して)
「……柊、ごめんね。私が君を……ううん、君だけじゃない。アヤカや雛、サーラ、京子様まで巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」
「ははっ、今回の件は僕らが自分たちで巻き込まれることを望んだんだし、この傷も僕がへまをしただけなんだから、セレスは何も気にすることなんてないさ。それよりも、折角ここまで来たんだから彼女を絶対に止めないとね」
柊がセレスに柔和な笑みを返すと、セレスは何故か頬を紅潮させて顔を俯かせてしまい、頭の中に(この天然たらしが……)という京子の呆れかえった声が響き、柊は何か悪いことをしてしまったのかと小首を傾げる。
セレスはまだ頬に朱色を残したまま、柊の瞳を見つめると、こちらも柔和な笑みを浮かべた。
「……ありがとう、柊。絶対にあの馬鹿を止めてみせるから、安心してそこで休憩していて」
「うん、任せたよ。でも、その前に……」
柊は信頼し切った優しげな瞳でセレスを見つめ、自分の愛刀、『無名』を彼女の前に差し出した。
「えっ、でも、これは……」
セレスは柊の差し出した黒刀を見つめ、それを受け取っていいのか逡巡してしまう。
これを受け取れば、私はルミアを斬ることになるんじゃ……。しかし、攻撃魔法が一切使えない自分では、ルミアに決定打となるような攻撃は出来ないだろう。でも、それでも……。
躊躇い続けてしまうセレスがもう一度柊に視線を向けると、彼は再び柔和な笑みを浮かべていた。
「これは彼女を斬り捨てるための武器じゃない。彼女の心を縛っている執念を断ち切るための道具だよ。これをどう使うかはセレスに任せる。自由に使ってくれて構わない。僕は動けないけれど、僕も君の側で戦わせてほしい」
柊の真摯な目を見たセレスは、おずおずと黒刀に手を伸ばしてその柄を握り、しっかりと彼の想いを受け取った。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
セレスと柊は互いに屈託のない笑みを零すと、セレスは柊に背を向けてルミアの前に歩み寄り、彼女との間に三メートル程の距離を開けて立ち止まった。
「聞いての通りよ、ルミア。私はあなたを全力で止める」
「攻撃魔法は一切使えず、『樹宝』の力も私に奪われている今、あなたの武器はその刀だけ。剣なんて握ったことのないあなたじゃ、私には勝てないわよ」
「確かに私は剣術なんて習ったこともないし、沢山の攻撃魔法を習得しているルミアに勝てる見込みなんてないのかもしれない。でも絶対に勝って、もう一回ルミアを泣かせてやるわ」
「魔法の実技試験で私に勝てたことなんてないくせに、随分と啖呵を切るじゃない。いいわよ、泣かせられるなら泣かせてみなさい。そして、私を止めてみせなさい」
一人の少女は胸元に押し付けている本を支える腕に力を込め、一人の少女は黒刀を抜刀して不格好な構えを取った。
「いくわよ、親友」
「いくよ、親友」
二人の少女の、互いの大切なものを守るための戦いの幕が上がった。
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました!




