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第3話 ウィザード・ウルフ

 アヤカ=ブラックフォードは美しい桜色の花弁が舞い散る山の中を全速力で駆け回っていた。

 既に体中は汗だらけで、汗をたっぷりと吸った服が肌に張り付く感覚が気持ち悪く、走っている最中に木々の枝が顔に当たって出来た裂傷からは血が垂れたままで、ジンジンと痛み続けている。

 地面を張り巡っている木の根や、苔にびっしりと覆われた石に足を取られて何度も転倒してしまい、自慢のショートヘアーにした黒髪と服は泥だらけで見る影もなく、膝丈程の長さのスカートも所々が裂けており、体には青あざが何か所も出来てしまっている。

 二十分以上も走り続けているせいで、肺が酸素が求めて体の中で大暴れしているような感覚が続き、一旦足を止めて呼吸を整えたいという願いを体中が訴え出ていたが、アヤカは必死にそれを心の中で握り潰して、がむしゃらに足を前へ前へと動かし続けていた。


「サーラ! あいつはまだ追っかけて来てる!?」


 アヤカの声に反応にして、彼女の背後から一人の少女が顕現した。少女は燃え盛る炎のような赤髪を腰に届きそうな程伸ばし、ロングスカートの侍女服を着ており、豊満な胸が胸元を押し上げている。

 少女はアヤカの背後に浮遊しており、その表情は焦燥に歪んでいた。


「アヤカ様から二百メートル程離れてはいますが、着実に距離が狭まってきています! 少しでも足止めをしようともう一度炎を浴びせかけたのですが、ほとんどダメージは与えられませんでした。申し訳ありません」


「気にしないで、サーラ。私が魔力をほとんど使い切っちゃったから、契約精霊であるあなたが本来の実力を発揮出来ていないのだから、あなたに非なんてないのよ」


 サーラはそれでも、自分の無力さを恥じる様に顔を俯かせてしまい、彼女にそのような顔をさせてしまう自分の無力さが情けなくて、涙が出そうになる。

 私がおごって、無謀な挑戦さえしなければ……。



 アヤカは吉野に暮らす、半年前に冒険者デビューしたばかりの新人冒険者だ。

 パートナーの炎精霊サーラと共に、弱い魔物の討伐や隊商の護衛といった、華々しさや勇ましさとは無縁の地味な依頼ばかりをこなし、数十回以上の実戦を経験したことで、もう少しランクの高い依頼に挑戦しても大丈夫ではないのかという慢心にも似た自信と、困難な依頼をこなして冒険者ランクを上げ、早く一人前になりたいという欲が芽生え始めていた。

 そんな時に、ギルド会館の館内に設置された、依頼内容が明記された依頼書が貼られた掲示板を覗いてみたところ、虹桜山に最近餌を求めて魔物が迷い込んできたようなので討伐をしてほしい、という内容が書かれた依頼書を発見し、即座にそれを握り潰しそうな勢いで剥ぎ取って受付に依頼書を提出し、この依頼はランクが高いのでオススメが出来ないと懇切丁寧に依頼の危険度の詳細な説明や、他の難度の低い依頼を紹介してくれた優しい受付嬢の厚意に感謝と申し訳なさを感じながらも、依頼の受諾手続きをお願いした。

 何とか手続きは完了し、心配そうに窓口から身を乗り出して自分のことを見つめ続けていた彼女に一礼してから、アヤカは会館を飛び出し、虹桜山に向かって駆け出したのである。

 アヤカは魔物の目撃情報があった山の中腹辺りに到着すると、霊体化していたサーラを顕現させ、彼女に斥候役をお願いして先行して貰い、討伐目標の魔物を発見したサーラの案内で、崖下にポッカリと開いていた洞窟の中で惰眠を貪っていた魔物を発見したのである。

 <ウィザード・ウルフ>と呼ばれる巨狼が洞窟の奥でスヤスヤと安らかな寝息を立てている姿を確認したアヤカは、サーラに魔力供給を行い、精霊魔法の発動準備を始めた。

 <ウィザード・ウルフ>は、魔法を使用することが可能な希少な魔物であり、鋼鉄をも砕く頑強な歯や爪も大きな脅威となることから、多くの実戦経験を積んだ冒険者でも苦戦させられる魔物であり、駆け出しの冒険者が挑戦するには荷が重すぎる存在である。しかしながら、使用可能な魔法は一つか二つしかなく、名前にウィザードと付いているのに魔法攻撃には弱いという弱点があり、アヤカはサーラの炎の精霊魔法で一撃必殺を狙えば、十分に仕留めることが可能であろうという目算を立てていた。

 アヤカはありったけの魔力をサーラの中に注ぎ込むと、サーラは両手を胸の高さまで挙げ、掌全体に魔力を集中させると声高に叫んだ。


「≪大火の炎砲フレイム・バースト≫!!」

 サーラの掌から迸った凄まじい火力を誇る炎の奔流が、<ウィザード・ウルフ>の巨軀を一瞬で飲み込み、巨狼の肉体は灰塵に帰すはずだったのだが……。



「ウォオオオオオオオオオオオオオン!!」



 苦痛に塗れた大きな叫び声が洞窟内に響き渡り、炎の奔流を突き破って、全身の毛を黒焦げにした<ウィザード・ウルフ>が目の前に飛び出してきた。


「嘘でしょ!?」


 アヤカは<ウィザード・ウルフ>の剛腕が繰出す鋭利な爪の斬撃を、上体を大きく後ろへ反らして間一髪で回避すると、腰に差していた短剣を抜き、腕を振り切って隙が出来た巨狼の懐に飛び込むと、喉笛へ横薙ぎの一閃を放つが、ガキン!! という金属を叩いたような硬質な音が響くと同時に、刀身からアヤカの腕へと衝撃が伝わり、思わず短剣を取り落としてしまった。


「しまった!?」


 <ウィザード・ウルフ>は、丸腰となったアヤカを小馬鹿にするようにほくそ笑むと、安眠を妨害した不届きな侵入者を腹に収めようとあぎとを大きく開けるが、


「≪紅炎刃こうえんじん≫!!」


 サーラが生み出した炎の大剣から放たれた下段斬りが巨狼の下顎を打ち付け、大きく開けていた巨狼の顎は下から強制的に閉じられ、歯と歯がぶつかる耳障りな音が響き、巨狼は想定外の痛みに悶え出した。

「アヤカ様、撤退します!」

 サーラは、茫然自失になって敵前で立ち尽くしていたアヤカを抱えると、全速力で洞窟から脱出した。




「ごめんね、サーラ。相手がまさかよりにもよって、炎属性の魔法攻撃の弱体化と硬質化の魔法が使えるなんて全く想定してなかった。完全な事前調査ミスだった」


 アヤカは依頼を受諾してからすぐに討伐に向かい、サーラの精霊魔法に頼り切った作戦を実行に移したが、結果は失敗。激怒した<ウィザード・ウルフ>の追跡を振り切るため、ピンク色の天蓋に覆われた山の中を逃げ回るという醜態を現在進行形で晒している。じっくりと時間をかけ、あの<ウィザード・ウルフ>がどのような魔法を使用するのかを確認していれば、こんな命がけの鬼ごっこをする羽目にはならず、サーラを巻き込まずにすんだかもしれない。


「いえ、アヤカ様。あまりお気に病まれないようにしてください。戦場では、反省はしても良いですが、後悔だけはしてはいけません。『あの時ああしていれば、もっと考えてから行動していれば』というような今更どうしようもないことに思考を割いていれば、前へ踏み出すための歩みと、現状を打開するための思考は鈍ります。後悔は家に帰ってからお好きなだけ出来ます」


「……ありがとう、サーラ。帰ったら私、滅茶苦茶泣くと思うけど、泣き終わったらいつもの美味しいご飯を食べさせてね」


「はい、腕によりをかけてご用意させて頂きます」


 アヤカとサーラは互いに笑い合うと、前方に見えた大岩を避けるため、岩の右側に回り込んだ瞬間。



 アヤカの全身に途轍もない力が叩き込まれ、桜の幹に背中を思いっ切り叩き付けられた。



「アヤカ様!?」


 サーラは、突然吹き飛び、桜の木に叩き付けられた衝撃で多くの血を喀血かっけつし、ズルズルと地面に倒れ伏して昏倒してしまった主の姿が目に焼き付いた瞬間、体中から真紅の炎を迸らせて激昂した。


「貴様ぁああああああああああああああああああ!!」


 サーラは、全身からなけなしの魔力をかき集めると、掌に極大の火球を生み出し、大岩の陰に潜んでアヤカに不意打ちを行い、怒り狂う自分をあざ笑うかのような笑みを浮かべている<ウィザード・ウルフ>に向かって叩き付けた。


「≪真紅の流星スカーレット・ミーティア≫!!」


 凄まじい炎を凝縮した真紅の火球が<ウィザード・ウルフ>の胴体に直撃し、巨狼の全身が爆炎で包まれ、爆発の衝撃波で巨大な肉体が大きく後方へ吹き飛ばされた。

 サーラも火球が爆発した際の衝撃波で吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた。魔力は完全に底を尽き、最早起き上がるだけの体力すらも残されておらず、サーラは何とか巨狼が吹き飛ばされた方向へ顔を向け、爆発の際に生じた煙の奥を食い入るように見つめた。

 あれで生きていたら、万策尽きましたね……。

 煙で閉ざされた視界の中では巨狼の姿を確認することは出来ない。出来ることなら先ほどの一撃で昏倒だけでもしてくれていれば、這いずってでも主人であるアヤカを吉野へ送り届けてやると決意して、煙の奥を見続けていると、



「ウォオオオオオオオオオオオオオン!!」



 全身が火傷だらけになった凄惨な姿になりながらも、巨狼は煙の中から姿を現した。


「そ、そんな……」


 サーラは絶望に染まり切ったか細い声を絞り出すと、全身を襲う恐怖に耐えながら、大切な主であり、かけがえのない友人の元へ這いずって、一センチでも近づこうとした。

 巨狼はそんなサーラの姿に虫けらを見るような視線を送ると、ゆっくりとアヤカの方へ歩き出した。


「貴様っ!! アヤカ様に近づくなぁあああああ!!」


 必死にアヤカの元へ這って進むサーラの悲痛な叫びを心地良さそうに聞いている巨狼は、ついに血溜まりに沈んでいる少女の目の前に立った。

 巨狼は獲物をゆっくりといたぶってから、四肢を切り離し、一本一本味わいながら咀嚼し、腹に収まっている臓物を喰らい、溢れ出る真っ赤な血を啜る瞬間を想像して快感に震えた。

 巨狼はまず、獲物の腹にズブリと爪を突き立て、激痛で目を覚まさせてから、手足を一本づつ切り離していこうと考え、爪を突き立てるべく、前脚を挙げた。


「やめろぉおおおおおおおおおおおおお!!」


 巨狼がもう一匹の獲物の叫びを無視し、爪を目の前の獲物に突き立てようとした瞬間。



「寝てろ、犬っころ」


 突然疾風の如く飛び出してきた漆黒の影によって、鋼鉄以上の硬度を誇る巨狼の首が斬り飛ばされた。



「……えっ?」


 サーラは思わずそんな気の抜けた声を漏らしながら、目の前で自分達では歯が立たなかった怪物の首を容易に刎ねた存在を見つめた。

 アヤカと同様の黒髪と黒い瞳で、黒い外套を纏った、先ほど巨狼の首を刎ねた漆黒の刀身を黒塗りの鞘に収めた少年は、サーラと血溜まりに沈むもう一人の少女を見つめ叫んだ。


「京子、どうしたらこの人と、あそこで倒れている女の子を助けられるのか教えてくれ!」

 

 最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

 

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