第14話 指輪
「……はぐれたな」
「……はぐれてしまったな」
柊と雛は、活気に満ち溢れたフォートンのとある通りで立ち尽くしていた。
ニ十分程前まではアヤカたちと共にいたのだが、図書館に向かう途中で大通りを通った際、そこで催されていた様々なイベントの観覧客や、昼食を摂りに来た都市の住民や観光客でごった返す人波をかき分けている間に、徐々に互いの距離が離れていき、アヤカとサーラの姿はあっという間に人混みに飲まれて見失ってしまった。柊と雛も彼女たちと同様で、大量の人の波に飲まれて大通りから一本外れたこの通りへ迷い込んでしまったのだ。
「京子。アヤカたちに呼びかけて、彼女たちが今どこにいるのか把握することは出来ない?」
(うーん、それは無理だね。私の声って、柊から一定の距離を離れちゃうと受信出来ないし、今は彼女たちが私たちから離れすぎちゃっているから、完全に圏外みたい)
「そうか、分かったよ。まあ、目的地は図書館と決まっている訳だし、とりあえず図書館を目指して歩いていけばいずれ合流出来るかな、まずは図書館の場所を、この辺りを歩いている人に場所を訊いてみようか」
図書館の場所が記されていたガイドマップはサーラが持っているので、彼女がいない今、この都市の地理に明るくない柊は、現地住民の人に聞き込みをしようとしたが……。
「……声がかけ辛い」
柊が周囲をよく確認してみると、ベンチで仲睦まじそうに肩を寄せ合って互いに見つめ合っているカップル、レストランのテラス席で互いにスイーツをあーんで食べさせ合っているカップル、瀟洒な雑貨屋で可愛らしい小物をお喋りを楽しみながら物色しているカップル等、思い思いのデートを満喫している恋人たちばかりで、デートを楽しむ彼らの間に割って入って、「すみません、図書館の場所を教えてもらえないでしょうか?」と特攻するのは高難度のミッションだ。
「ふむ、どうやらこの通りは、この都市のデートスポットとなっているようだな。営業している店の顔ぶれもスイーツショップに服屋、雑貨屋、洒落た雰囲気のレストランといったものが多い。街灯にはハートが描かれたタペストリーまで飾られているようだ」
落ち着いた声でそう言った雛の言う通りで、ここのカップルたちの異常な人口密度からしてこの通りは、柊たちが先ほどまで本屋巡りをしていた通りとは異なるようで、寂しい独り身が足を踏み入れれば精神的ショックで即死も免れないであろう魔境だった。柊としてもこの甘酸っぱいラブラブ空間で長期滞在するのは御免被りたいところなので、早めにこのエリアを脱出するべきだと判断した。
「京子、雛。一旦ここから離れてから、図書館の場所を……」
柊が離脱宣言を行おうとすると、突然雛が面白いことを思い付いたような嬉々とした表情を浮かべ、柊の右腕に器用に自分の左腕を絡ませてきた。アヤカやサーラと同等かそれ以上のボリュームを誇る彼女の豊満な胸の谷間に柊の腕が挟み込まれてしまい、柔らかで張りのある弾力が服越しにしっかりと伝わってきた。
「……何をなさっているのですかな、お嬢さん」
「ふふっ、柊殿、郷に入っては郷に従えという言葉もあるではないか。私はここでの流儀に従おうと考えただけだよ、彼氏殿」
雛はニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべており、彼女がこの状況を楽しんでいることは明らかだった。
(くっつき過ぎだよ、雛ちゃん!)
「いいではないか、京子殿。別に私は誰彼構わずにこんな真似はしないさ。柊殿の容姿は私の好みだし、誰かのために必死に努力が出来る人間であることも、私にとってはとても好ましい。柊殿さえ良ければ、恋人候補に立候補してみようかなとも割と真剣に考えている。……おやおや、柊殿どうしたのだ? 顔が真っ赤ではないか(ニヤニヤ)」
「そ、そ、そりゃそうだろ! 雛みたいな可愛くて魅力的な娘にそんな風に言ってもらったら嬉しいに決まってるじゃないかっ!」
「な、なな、何だと!? わ、わ、わわ、私が可愛いだと!? そ、そ、そそ、そんなお世辞は結構だぞ、柊殿! わ、わ、わわ、私は剣しか取り柄のないつまらん女だぞ! わ、わ、私のどこが可愛くて魅力的なのか、柊殿は答えられるとでもいうのか!?」
「答えられるね! 嬉しいことがあったり、美味しいご飯を食べた時にパアッと華やかな笑顔を浮かべるところとか、アヤカがサーラと協力して新しい精霊魔法を編み出した時に自分のことのように大喜びして、アヤカとサーラを何度も抱き締めていた時の笑顔を見て、とても友達想いで優しくて、凄く魅力的な娘だなあって感じた! 屋敷に偶に来る小鳥にこっそりと話しかけている姿とか、姿見の前でお腹をちょっとだけ出して、『……少し、太ったか? 柊殿はほっそりとしたお腹と、ほんの少しだけお肉が付いたお腹ではどちらが好みなのだろうか?』って呟いている姿も可愛かったし、あとは……」
「もういい、柊殿! それ以上は言わないでくれ! 何だか顔が熱くなり過ぎてヤバくなってきた! というか、柊殿は私のことをそんなに見ていたのか!? 全く気配を感じなかったのだが!?」
「だって僕って、元暗殺者だから気配を完全に絶つなんて簡単に出来るし。でも、別にその能力を悪用して覗いてたんじゃないよ!? 偶然雛の近くを通りかかっちゃった時があって、ここで雛に気付かれたらその後の雰囲気が微妙になりそうだったから気配を消して、ゆっくりとその場を離れたりしてたんだよ」
「むっ、そうだったのか。それならまあ、別にいいのだが……」
いつの間にか互いに顔を真っ赤に染めていて、色々ぶちまけ合ってしまった後で互いに気恥ずかしさで一杯で、お互いの顔が直視出来ずにいた。
柊は雛の可愛いと思った姿を口に出したことで、余計に彼女のことを妙に意識してしまっていた。そして雛はそうした可愛い姿や仕草をすると同時に、女性としての体つきも見事で、女性としての色香も兼ね備えている。屋敷等でそんな彼女の姿にドキッとしてしまうこともあった柊は、この予想にしていなかった妙な状況でどう彼女に接すればいいのか判断出来なかった。戦闘や暗殺といった分野では簡単に狼狽えることもないし、ほとんど敵に敗北するということもなかったが、女性との接し方については、元の世界にいた頃から柊にとって苦手な分野だったのだ。
雛も最初は軽く彼をからかうだけのつもりだったのだが、武家の娘として生まれ、剣術の鍛錬にひたすら打ち込む人生を送ってきたため、異性から「可愛い」や「魅力的」等といった言葉をかけてもらう経験をしてこなかったこともあり、予想以上に心の中の女としての部分に彼の言葉がクリーンヒットしてしまい、大きく取り乱してしまった。しかも、そうこうしている間に彼に絡ませた腕を離すタイミングを逸してしまい、彼の腕は自分の胸の谷間に収まったままの状態だ。このまま放置すれば危険だ。特に私の心が。爆発してしまう。
互いにそんな想いを巡らせていた時、柊は路上の端で敷物を敷き、様々なアクセサリーを販売している露店が雛の背後で開店していることに気が付くと同時に、とある商品に目が吸い寄せられた。
それは銀製の指輪で、桜の花の形に加工されたピンク色の宝石が嵌め込まれているという凝った意匠が施された物だった。
柊は名残惜しさを感じながらも、「雛、ちょっと待っててね」と声をかけて、頬を紅潮させたまま不思議そうに首を傾げる彼女に腕を離してもらうと露店商の元に行き、指輪の値段を訊いてみると、今回の護衛任務で得た自分の分の収入で何とか払える額だった(護衛中に襲撃してきた魔物のほとんどを柊が仕留めるか追い払ったので、アヤカたちからの厚意で多めに報酬のお金を分配してもらっていたのだ)。
柊は指輪を買って店主に礼を言うと、何を買ったのだろうと怪訝そうな顔で見ていた雛の前に立った。
「柊殿、何か買ったのか?」
「うん、雛へのプレゼントをね。ちょっと失礼」
柊は不思議そうにキョトンと首を傾げている雛の左手を優しく掴むと、購入した指輪をそっと薬指を嵌めた。
指輪を嵌められた雛は、最初は不思議そうに自分の薬指に嵌められた桜の形に加工されたピンクの宝石が嵌め込まれた凝った造りの指輪をジッと見つめ、その見事な意匠に目を奪われていたが、次第に指輪が自分の左手のどの指に収まっているのかを理解すると、視線を自分の薬指と柔和な笑みを浮かべる柊の顔とを十往復程させた後、爆発するのではないかと思う程顔を真っ赤に染めてしまった。
「ひ、ひ、ひひ、ひひ、柊殿、これは?」
「ああ、それは雛に似合うかなと思ったから買ってきたんだ。何か勢いで雛が秘密にしておきたかった場面を色々暴露しちゃったから、その罪滅ぼし的な意味合いも含まれてはいるんだけれど……」
「い、いや、それは本当にありがたいのだが、ひ、ひ、ひひ、ひひひ、ひひひひひひひ……」
「どうしたの雛!? 「ひ」しか言えてないけど!? ……もしかして気に入らなかった?」
「そそ、そんなことは断じてない! これは素晴らしい物だし、購入してくれた柊殿の心遣いにも感謝している! だが、その……ど、どど、どうして、ひ、ひ、ひひひ、左手の、く、く、くく、薬指に嵌めたのだ? こ、こ、これは、そ、そ、そういう意味合いも含まれているのかっ!?」
「えっ、別に特に意味みたいなものはなかったんだけど、左手の薬指だと何かマズかったかな?」
「い、い、いや、大丈夫だ問題ない! そ、そうか意味は知らなかったのだな(小声)。少し残念な気はするが、何だこの私の胸の中で爆発しているこの感情は……ま、ま、まさか、私は本当に柊殿に……!?(小声)」
何やら顔を俯かせてブツブツと柊には聞こえない音量で呟き出した雛の姿に、柊はやはり気に入らなかったのでは!? と感じ、何故か耳まで真っ赤にしている雛の肩に手を置いた。
「あの、雛。もし本当に気に入らなかったのなら、お店の人に返してくるけど……」
「い、嫌だ! これは絶対に手放さないぞ! これは私の宝物だ!」
雛は顔を真っ赤に染めながら、左手を右手でギュッと覆い隠し、指輪を誰にも渡すものかと鉄壁の守りに入った。
「ええっと、本当に気に入ってくれたんだよね?」
「うむ! これは絶対に大切にする。絶対にだ!」
雛はその後、左手を掲げてウットリとした表情で指輪を見つめたり、「……しかし、これはアヤカに見つからないように外した方が良いのだろうか……? だがこれを外すのは凄く嫌だっ!! ううっ、私は一体どうすれば……」と頭を抱え出したりしていたが、やがてゆっくりと深呼吸をしてから頬を数回軽く両手の掌で叩くと、「よしっ!」と声を出して、柊の腕に再び腕を絡めた。
柊は再び襲来した魅惑の感触に浸りつつも、顔を真っ赤にしながら、絶対に離さないぞとばかりに腕を絡めてきた雛の顔を覗き込んだ。
「ええっと、雛? これで歩いていく感じでいいのかな?」
「う、うむ、しばらくはこれでというか、この通りを抜ける迄の時間はこうさせてほしい……」
雛は戸惑ったままの柊を引っ張っていく形で、頬に熱を帯びたまま、カップルがひしめく甘い通りを歩き出した。
柊の腕に絡めた左腕の先にある左手の薬指には、太陽の光を反射して桜色の輝きを放つ指輪がしっかりと嵌められていた。
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