五、秘密を知る者
――魔物。
それは人を襲い、時には喰らう生き物。
数は稀に見る程度で出会っても一般人の力で対処できるものばかりであった。
この世界に、『魔王』が現れるまでは。
魔王は世界の半分を占拠すると多くの魔物を生み出し、狂暴化させ、操った。
それによって世界は混乱に陥った。
この状況を何とかせねばなるまいと幾度にもわたって世界中の強者が魔王討伐へ向かったが、それから帰ってきたものはいない。
魔王は未だ力を衰えさせることなく、人類に残された術は魔王と関わらないことだけ。
そして人々は魔王の占拠した場所を魔界、魔物がいるものの魔王の脅威にさらされることのない場所を聖界と名付けて境界線を引いた。
それからというもの幸いにも魔王は聖界に足を踏み入れてきていない。
しかし、魔物が出現するのはなにも魔界だけではないのだ。
狂暴化して数を増やした魔物が聖界にも多く存在する。
魔界に比べれば聖界の方は随分少ないが昔のように稀にしか見かけないということはなくなってしまったのだ。
故に森を歩いていたランスとフィアナがゴブリンやオークなどの魔物と戦闘することになるのは仕方がなかった。
それに加えて壁から離れいるはずなのにも関わらず現れる衛兵の撃退もしなければならない。
昼は衛兵と魔物と戦い、夜は活性化して狂暴化した魔物を避けつつ寝所を探して交代で見張りをする。
そんな生活を続け、早五日が過ぎていた。
「――――おかしいよね!?」
「あ、あはは……」
ランスは自分たちの視線の先を見て叫んだ。
真昼の太陽がランスとフィアナを見下ろしている。
多く見積もっても五日後には森から一番近い町へたどり着いているはずなのだ。
しかし、現実は信じがたい物であった。
「信じない、僕はこんなの信じないぞ……」
悲しみに打ちひしがれたランスが見たのは大きな壁。
数日前に見えなくなったはずのそれが木々の隙間から微かに覗いている状況に彼は絶望するしかなかった。
「ランス、方向音痴なんだね」
「君がそれ言っちゃうの……?」
随分と明るいフィアナにため息を吐きつつランスは予定を変更することに決めた。
このままでは町へたどり着くまでにどれだけの時間が経つかわからないし、ランスとしては目的のためにも時間をあまり無駄にしたくはない。
「わかったわかった。もう後払いでいいよ。東聖界に着いてから西聖界について教えてくれるかな?」
「え、それって……」
「今日の夜、壁を越えよう」
本当ならば先に知りたいという気持ちの方が強かったが、よくよく考えれば町へ向かうよりも壁をさっさと越えてから落ち着ける場所を探した方が自分の知りたい情報を早く得られたのかもしれない。
「う、うん!」
喜びを露にした彼女を見つつランスは何故か敗北感に浸ったのであった。
ランスが壁を越える方法は二つある。
一つは光属性上級魔法の転移を使うこと。
しかし転移にはいくつかの制限がある。
まず、魔力の消費が大きいことだ。
魔法に自身のあるランスとしても転移による魔力の消費は痛い物である。
そして更に転移で行ける場所は自分が訪れたことのある場所のみという問題がある。
壁を越えた東側は西ほどではないにしても森が広がっている。
同じような風景の中きちんと自分の想像した場所へたどり着けるか不安だし、壁の東側にもいるはずの見張りに見つかったら面倒なことになるのは目に見えている。
転移を使って東聖界の町へ移動することもできるが、使う人間が稀であるためにそれを使って町へ降り立てば注目を浴びてしまうのは避けられない。
ランスとしては注目を浴びることは一番避けたかった。
よって一番注目を浴びるであろう壁を強行突破するなどという考えは絶対にない。
故に彼はもう一つの手、風属性上級魔法浮遊移動を使っていた。
浮遊移動は上級ではあるがどちらかと言えば中級よりの魔法のため、他の上級魔法に比べれば魔力の消費が少なく済む上に障害のない空中から自分の目的地を見つけることができるため迷うこともない。
森の出口辺りで着地すれば注目を浴びることもないだろう。
実際彼が一人でこの壁を往復するときも、今回もこの魔法を使っていたわけで森は休憩するときに着地する程度でしか立ち入ったことがない。
彼が町へ続く方面を途中で見失ったのはそれが原因の一つだともいえるだろう。
今回、彼がフィアナの護衛を申し出た後すぐにそれを使わなかったのは二人分の魔力の消費を彼が惜しんだからだ。
だが時間と魔力、どちらを優先したいかと考えればおのずと答えが出る。
結局は壁を越えるときに使わねばならないのだから出し惜しみする必要もないということに五日たってから気づいた彼は自分の頭の回転の悪さをひそかに嘆いた。
「浮遊移動を使ってあの壁を越えようと思うんだけれど」
「え? 浮遊移動って物を持ち上げる程度の魔法じゃあ……」
「いや、自分の体も持ち上げられるよ。まあこの辺りは使う人の魔力量と技量にもよるんだけれど」
そこでランスはふとある疑問を持った。
見張りと遭遇するのは壁へ来るまでなかったとしても森の中で魔物と遭遇しないことなどあり得ないのだ。
そして魔物と戦闘になる場合、中級魔法以上は使えなければ勝つことはほぼ不可能。
しかし彼女は浮遊移動の本来の使い方を知らなかった。
「……フィアナ、魔法はどれくらい使えるの?」
「え、えーっと」
アーシャルにいる以上、多少なりとも魔法は使えるはずだが見張り兵に魔法で対抗していなかったところを見ると初級魔法しか使えないなどと返ってきそうである。
しかし少々間が空いてから発せられたフィアナの言葉は予想外のものであった。
「水魔法なら種類によるけど超級……までかな」
「ちょっ……!?」
それはさらりと聞き流してしまいそうなほど自然に彼女の口から出た。
それはまるで「今日もいい天気だね」ほど他愛もない話をしているかのようなものであった。
――だが、しかし。
それがどれだけ彼に衝撃を与えたかなど彼女は知らない。
超級は極僅かの人間しか扱うことができず建物を簡単に崩壊させる威力を持つ魔法のことを言うのだ。
一般人が、それも壁の見張り四人に囲まれて抵抗すらできなかった少女が使えるはずなどないのだ。
「あっ、でも他の属性は中級止まりだよ。水属性って他に比べてあまり戦闘に向いてないし……」
ランスの反応から何かを察したのだろうか。慌ててフィアナは付け加えるけれど彼としてはそんなことどうでもよかった。
水属性の魔法は確かに他の属性に比べると攻撃中心の魔法が少ない。
だがランスが以前使った氷の矢も水属性の括りであり、練習さえすればそれなりの威力を発揮することができるのだ。
「……なんで君、あの見張りに襲われてたの」
「あー、魔力切れ」
「……」
あっさりと答える声にランスもあっさり腑に落ちてしまった。
魔力が切れれば魔法は使えないため、ただの少女同然の抵抗しかできなくても仕方ないだろう。
数日間ろくに休憩もせず森を走り抜けていたのならば魔力を回復する時間もない。
今の会話からわかったことは二つ。
――フィアナの魔力量が一般人より大分多いことと、彼女の適性属性が恐らくは水属性であるということ。
超級魔法が使える人間が少ないのは難易度が高すぎるということのほかに魔力の消費が大きいからというのがある。
それでも何度も魔法を放てば魔力切れにはなるのだが。
「フィアナ、一応聞くけ適属性と大体の魔力量は?」
「水だよ」
「そっか……」
適属性とはそれぞれの体質によって変化する八属性の中で一番扱いやすい属性。
光魔法と闇魔法を扱える人間が少ないのはその二つを適属性として持つ人間がほんの少ししかいないのが一番の原因である。
水が適属性ならば彼女はそれなりに水魔法を使いやすい体質のはずだ。
「魔力量、は……超級がギリギリ三回出せる程度かな」
「なんでそれで魔力切れが起こるんだ」
とっさに出た本音。
魔力が足りなくて超級が使えない人間もいるというのにフィアナはそれを三回出せると言ったのだ。
はたからしたら人間離れした魔力量である。
故に本来ならば魔物を数百体倒したとしても有り余るほどの魔力が残るはず。
矛盾したような彼女の言葉にランスは頭を抱えた。
「そういえば昔、私は魔力を無駄に使っているって言われたことがあったな」
「無駄に……ねえ」
ランスは少しだけ自分の魔法の知識を頭の中で広げてみる。
結果、いくつか原因として思いつくものはあったが確信がない以上、それをわざわざ言う必要もないという結論に至った。
ただ言えるのは、彼女が魔力を無駄に使っていると気づいた人間はそれなりに魔法が使えたのだろうということである。それなりに近くで彼女を見ていなければそれに気が付くことはできなかっただろうし、一緒にいたとしてもそう簡単にわかる物ではない。
それは魔力の扱いに長けたものである証の一つ。
恐らくその人間こそが彼女の言っていた連れなのだろう。
そう考えれば東聖界にいたはずのフィアナが壁を越えられたことにも理由付けができる……
その時。
「シンフィール」
「――――!?」
考え事をしていたランスの耳に聞き覚えのある単語が届く。
声を発したのはフィアナではない。
彼らの背後に、別の気配。
ランスは後ろを振り返ってフィアナを背中で庇うように前へ出た。
「西側に銀髪の人間はめったにいないし……ビンゴ?」
数メートル先の木の枝から少年が一人、ランス達を見下ろしていた。
赤い髪を後ろで少しだけ束ねた少年はランスやフィアナと同じくらいの年齢に見える。
彼が浮かべている笑みもとても無邪気なものだ。
けれど、彼の発した言葉にランスの警戒心はこれまでにないほど高まっていた。
――シンフィール。
その声は彼のすべてを見透かしているかのようであった。
「無言は肯定っていう風に受け取っていいよな?」
冷汗がランスの頬を流れる。
彼は動揺していた。
初対面の人間に、自分の秘密を知られていることに。
けれどそれよりも取り乱していたのはフィアナであった。
「なんで……」
ランスの服を掴んでカタカタと震える彼女は一人の少年に恐怖していた。
明らかに様子がおかしい。
それは初対面の少年へ対する反応ではなかった。
顔を蒼白とさせたフィアナの怯え方は異常なものであったが、ランスがそれを気にする余裕すら与えることなく少年の口から呪文が発せられる。
「炎の追球」
「なっ……」
その直後の周囲の様子にランスは声を漏らす。
熱気が皮膚を刺激し、真昼の森は更に明るさを増す。
――三十を超える炎の球体ランスとフィアナの周囲を取り囲んでいた。