二十八、久しぶりだね
笛の音を聞きつけてセルのいる方へ向かう見張りをよけながら走るランス。
熱は下がったと言えど体調は万全ではない。
早いところフィアナを連れて屋敷を脱出したかった。
誰もいなくなった廊下を走ること三十秒弱。
長い廊下は終わりを告げた。
両開きの扉の前でランスは足を止めた。
そこに見張りはいない。
恐らくはセルの方に集中しているのだろう。
廊下は未だ騒がしく、残り三十秒でセルが来れそうな気配はない。
数が増えればその分時間はかかる。
更に挟み撃ちになれば間に合わなくとも仕方がないだろう。
セルの無事を祈りながらランスは書斎の前の床を拳で軽く叩く。
耳を傾けながら叩いていくと一か所だけ軽い音がする部分を見つけた。
「氷の矢」
ここまでこれば相手に気付かれたとしても対策を練られる前に襲撃できる。
気づいているならば慎重になることもあるまい。
そう考えたランスは何かしらの仕掛けがあるであろう床を壊すという半ば乱暴な方法を取った。
短剣ほどの大きさの氷は現れると床に突き刺さった。
床は大きな音とともに崩れる。
その下には長い階段が続いていた。
「俊足」
緑色の光が両足を照らすとともにランスは地面を蹴り、螺旋状になっている階段を駆け下りる。
――少しでも早く。
早く、彼女の元へ。
ランスは者の数秒で地下にたどり着くと、足を止めた。
地下にはいくつかの戸があるが何かをはじくような音が一番奥の大きな扉から聞こえたおかげで探す手間も省けた。
だが、その音を聞いたランスの頭の中に扉の奥で何が起こっているのか大体の予想ができてしまった。
「フィアナ……」
ふつふつという怒りが自分の中に沸き起こる。
もう闇魔法は必要あるまい。
身を纏っていた闇を消して、代わりにランスは左手に氷の剣を握った。
そして音のする方へ石床を蹴った。
*****
激痛が走り、フィアナは悲鳴を堪える。
彼女は朦朧とする意識を奮い立たせていつ終わるとも知れない暴力に耐え続けていた。
口の中は気持ち悪くなるほどに鉄の味がして、溢れそうになる血を飲み込んだ。
泣かずにいられたのは鞭を振るう相手自体に恐怖していなかったのと、痛みに負けたくなかったから。
だがそれも、もう限界だった。
身体的にも精神的にも積もった疲労は彼女の意識を奪いにかかる。
自分の腕に付いた鉄の塊を持ち上げることすらできなくなったフィアナの身体はふらつき始めた。
「この僕に生意気な態度が許されると思うなあああ!」
ウェールズは今までより大きく鞭を振り上げる。
フィアナは悟った。
これを受ければ自分はきっとこの男に屈してしまうのだと。
それが悔しかった。
フィアナは来るであろう衝撃に備えて目を閉じる。
――その時。
爆音がフィアナの鼓膜を大きく振動させた。
驚いた彼女は目を開いて音のした方を見る。
そして目を見張ったのであった。
目にしたのは鉄でできた扉が破壊された瞬間。
しかしそこには壊れた扉の残骸しかない。
何が起こったのか。
そう思った時、目の前にいたウェールズの姿が消えた。
代わりに二度目の爆音が部屋に響く。
扉とは反対の位置の壁が煙を立たせていた。
状況を理解できないままに目を凝らしてフィアナはその壁を凝視する。
煙が収まり、姿を現したのは壁にめり込んだウェールズとフードを被った一人。
「ああああああっ!?」
痛みに喚くウェールズの首近くに氷の剣を刺したもう一人は怒りを滲ませた声を発した。
「……よくもやってくれたね。ヴァルター・ブルハルト・ウェールズ」
軽く首を振ってフードを取る。
フードの下から銀色の髪が現れる。
ここにいるはずのない少年の姿がそこにはあった。
「――ランス」
*****
自分を呼ぶ声に視線を移せば顔を腫らした少女がこちらを見ていた。
ランスは再びウェールズを睨みつける。
フードを取ったランスの姿を見たウェールズは震えだした。
普段は垂れがちの目を釣り上げてランスは口角だけを上げる。
「久しぶりだね」
「お、おま……なんでっ……」
「七年ぶりかな? まさかこんな形で再開することになるとは思ってなかったよ」
壁に突き刺した氷の剣を引き抜いてそれを相手の眉間ギリギリまで振り下ろした。
情けない悲鳴が上がる。
「なんでって、僕の仲間に手を出して済むと思ってたの?」
「な、仲間……? フルスターの娘がか!?」
「そうだよ。やっぱり……君もあの時殺しておくべきだったね。こんな風に」
冷たい目がウェールズを見下ろした。
口角は上がっていても無表情のように見えるその表情は更にウェールズを恐怖へ陥れた。
「し、知らなかったんだそんなの! 頼む、助けてくれ! そいつは解放するから!!」
「あの時は単なる気まぐれ。……二度目はない」
再び氷の剣を振り上げたランス。
それを見たウェールズは再び悲鳴を上げた。
そしてある一点を見ると早口でまくし立てる。
「おおお前! 僕を助けろ!!」
「言われなくたって……そうするっての!」
背後に殺気を感じたランスは体を動かすことなく光魔法を後ろに展開させた。
金属が弾かれるような音の後に舌打ちが聞こえる。
「回復してやらぁ。まあ、そうじゃなくっちゃ面白くねえけどな!」
炎でできた剣を持ったオドリは大きく一歩下がると空中に百はあるであろう炎の矢を出現させた。
そんなものを使えばランスだけではなくウェールズやフィアナも無事では済まないだろう。
「業火の矢!」
「お、おい、お前っ……」
「……」
ウェールズはパクパクと口を開閉させている。
ランスはさらなる魔法を展開させるべく体内の魔力を集めた。
そしてオドリが炎の矢を落とす瞬間。
百もあった炎の矢がその場で爆発した。
「なっ……!?」
オドリは驚愕しつつも爆炎から逃れるべく距離を取る。
矢を消滅させたのはランスでも、他の二人でもない。
代わりに頭上から一人、消滅させた正体を悟らせるかのようにランスの正面に着地したのであった。
「わっりぃ。格好つけたけど思った以上に手間取っちまった」
「セル!」
「あいよ」
セルは片手に持った剣を持て余しながらランスに目を合わせると片目を閉じた。




