二十五、闇魔法
オドリの後に続いてフィアナは地下へ続く階段を下りた。
彼女の両腕には手枷が付いていて、魔法は一切通らない仕組みになっているらしい。
「急に素直になっちゃってさ、つまんねえの」
「……」
「無視かよ」
舌打ちの音が廊下によく響いた。
この先、自分に何が待っているのか。
わからないことはとても怖かった。
一人では無力だということを彼女は改めて痛感する。
しかし泣いてはいけない、そう決めていた。
自分が唯一彼らにできる抵抗。
戦いが、それだと思ったから。
階段は終わりを告げ、代わりに地下通路が広がっていた。
二人は一番奥で待ち構えているひときわ大きな扉の前へ進む。
「……なあ」
「……」
オドリの声掛けに返事はしない。
不要だと思った。
先を歩いていたオドリは扉の前で足を止める。
彼もまた彼女の答えを必要とはしていなかったのだろう。
「俺はお前らが羨ましいよ」
「……?」
呟くようにして一言。
彼は何を考えているのだろう。
フィアナは訝し気にオドリの表情を見ようとしたが、後ろからは見えるはずもなく。
彼もまたこちらを見ようとはしなかった。
「いくらボロボロになったって、多分あいつは来るんだろうな」
「なんの……」
フィアナの問いを最後まで聞くことなく扉は開かれる。
部屋の光が漏れフィアナは目を細めた。
足を進めた先の部屋の中央に、一人の男が椅子に座って待ち構えていた。
身なりのしっかりした水色の髪の青年。
彼は椅子に座って一冊の本を読んでいた。
その部屋はフィアナが想像するよりも広く、なにもなかった。
半径十五メートルほどのドーム状の部屋。
その中央に椅子と机がおかれているだけの随分と質素な部屋であった。
ただただ、だだっ広いだけのスペース。
てっきり地下牢にでも入れられるものだと思っていたフィアナは不意をつかれたのだった。
「……フルスター嬢か」
「はい」
「随分と西聖界を荒らしてくれていたみたいじゃないか」
「……」
恐らくは彼こそがウェールズ家当主。
まるで汚物を見るように細められた目がフィアナ姿を映す。
その目から逃れたくなるのを堪えながら彼女はその目を真っ向から見つめ返した。
彼女の様子が気に入らなかったのだろう。
ウェールズは忌々しげに本を床に投げつけると席を立つ。
「まあいい。お前は夜明けとともに聖国へ送る。それまでせいぜい僕のおもちゃにでもなってもらおうか」
「……」
「その生意気な目をすぐにやめさせてやるさ」
ウェールズは腰につけていた長い鞭を取り出すと不気味に笑った。
*****
日が西へ沈み始めた時刻。
ランスとセルは路地裏から姿を現した。
「さて、と。行きますか」
「うん」
二人は速足で屋敷の近くまで足を進めた。
シヴェインの道には魔法を応用して作られた街灯が灯され始めている。
「で、侵入する場所は正面でも裏口でもなく塀なんだっけ?」
「うん。見張りとの接触はなるべく避けたいし、騒ぎに気付かれてフィアナを屋敷の外に出されたら困る。まあ門以外にも見張りはいるだろうけど門の周辺ほどではないだろうからね」
「オーケー。んじゃ、ほれ」
セルはランスに背を向けて屈んだ。
乗れ、ということだろう。
実際魔力が回復しつつあるのは感じるものの、極力の使用は避けたかった。
ランスは羽織っていた布を身体に巻き付けてフードの代わりに被ると、セルの背中に乗った。
「今更だけどさ。そのフィアナってやつはまだ屋敷にいない可能性はあるか?」
地を蹴り、宙へ躍り出たセルの問いにランスは少しだけ考えて首を横に振った。
「多分ないと思う。あの数の兵全員が浮遊移動や転移を使えるとは考え難いから、馬で来たと考えるのが妥当。馬だと屋敷に着くのは急いでも十五時間、あれだけの人数で移動するとなると休息もこまめにとるだろうし十七時間はかかると思う。……けどさすがにまだ着いていないことはないと思うよ」
「十七時間……。浮遊移動で一時間だからそんくらいかかるか」
つまり半日の差があったとしても、シヴェインに到着した時間は恐らくランス達の方が早かったということになる。
飛んでいるときに見当たらなかったのは最短距離で進める浮遊移動と違って馬の場合だと地形を考えて迂回したりもしなければならないため通ったルートが異なっていたためと考えられる。
「じゃあ、あいつらがシヴェインに着いたところをフィアナだけ搔っ攫っていけばよかったんじゃないか?」
「それだと大勢の兵を敵に回すことになる。……一時間で回復する魔力量はたかが知れているからね。なるべく確実な方法を取りたかったんだ」
「なるほどなぁ。……っと、見えてきたぜ」
「なるべく見張りのいない場所を見つけてくれるとありがたいかな」
並んでいる建物が減っていく道の先に、豪邸が見える。
セルは屋敷の塀の手前で動きを止めると庭を見まわして、ある一点へ向かって降下し始めた。
ゆっくり降りればその分人に見つかる確率が上がる。
故にセルは着地する速度を上げ、地面ギリギリでセルは動きを止めた。
「……流石に怖かったな」
「ははっ、まあ自分で飛んでいなければなおさらだよな」
フィアナもこんな気持ちだったのだろうか。
彼女を抱えて飛び回った時のことを思い出し、慌ててそれを頭から振り払った。
もうここは敵地だ。
慎重に行動せねばなるまい。
ランスを背中から降ろし、静かに着地したセル。
二人の降りた場所には大きな木があり、その陰に二人は隠れる形になっていた。
周囲に人の気配はあるもののこちらへ近づいてくる様子はない。
「結界がある可能性も考えたんだがなぁ」
「結界は高度な魔法だからね。ウェールズは腕の立つ人材を確保できなかったみたいだ」
「……で、ここからどうする?」
侵入は難なくできたが、二人から屋敷まで距離はそこそこある。
風魔法を使って走ったところで存在はバレてしまうだろう。
侵入早々騒ぎを起こすことは避けたい。
「……仕方ないか」
「なんか方法があるのか?」
ランスは深く息を吸うと右手に魔力を集中させた。
そこから溢れたのは黒い煙のような物。
懐かしい感覚と忌々しい感情が彼の中に渦巻く。
「――闇魔法を使う」