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光闇の双剣  作者: 千秋 颯
一章 汚れた両手
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二、銀髪の少年

 女の悲鳴で、少年は目を覚ました。

 時刻は明け方。明るくなってきている最中。

 本来ならば夜が明けている頃だが来る者すべてを阻むように聳え立つ大きな壁が東側には建っている。

 その壁が朝日の光を遮り、彼のいる場所まで日があたる時間を遅らせているのだ。


 少年のいる場所はまだ暗いが恐らく壁を隔てた反対側は明るくなってきている頃だと考えられる。

 壁の西側に広がる大きな森の中、一本の木の枝に座って寝ていた彼はゆっくりと瞬きしてから首を傾げた。


 今の声は一体なんだったのだろう。

 随分と遠くで聞こえたような気もするし、近くで聞こえたような気もする。

 もしかしたら動物の鳴き声だったかもしれないし、空耳だったかもしれない。

 何分、眠っていたものだから意識がはっきりしていなかった。


 しかし何度か目を瞬かせていると悲鳴染みた女の声が再び彼の耳に入り、それが空耳でも動物の鳴き声でもないことを悟らされる。そして声の主は思った以上に自分の近くへいることにも気づくことができた。

 声の主のいた場所は少年の眠っていた木の真下。

 空耳かと一瞬でも考えてしまった自分に内心苦笑しつつ息をひそめながら彼は下の様子をうかがう。


 声の主と思われる女はまだ十五歳程度の少女。更に彼女の腕を掴む一人とその後ろに二人の男。

 男三人は軽い防具を身に着けているため、壁の見張りをしていた衛兵の中の一部だろうと彼は予想した。


「は、放してくださいっ」

「そうは言ってもよお、嬢ちゃん。こんな時間に一人でここをうろついている人間にはちょっと事情聴かなきゃねえ?」


 少女の些細な抵抗が大の大人に通じることはなく、たった一人の手で彼女の体は幹に押し付けられてしまう。

 ちょうど、少年のいる木の幹に。


「勘弁してよ……」


 即座に状況を理解した少年は、呻きにも似た呟きを漏らしつつどうしたものかとその場から逃れる方法を考え始めた。

 転移などの魔法をこんなことに使うのも馬鹿らしいのだが、その場に居続けるのも彼の良心が痛む。

 かといって騒ぎにしたくはないし、なるべく面倒ごとに巻き込まれたくもない。

 気配を消しつつ打開策を見出そうとしていた彼だったが、男の一言によって考えることを阻害された。


「とりあえず怪しいもの持ってないか服の下も確認しないとなぁ」

「ふっ!?」

「えっ、ちょ……やめてくださいっ」


 危うく叫びかけた少年の声は少女の声にかき消された。

 目を白黒させている間に少年の下では男が少女の服に手をかけている。

 壁の周囲を見張るだけの仕事は退屈なものだろう。

 だがしかし彼らは仮にも仕事中なはずなのだ。

 少年からすればありえないと感じるその行為に、状況に。彼は大きく動揺した。


「え、嘘でしょ。こんなところで――――とわあっ!?」


 取り乱しつつもとりあえずその場から離れようとした彼は木の枝から手を滑らせ、体のバランスを崩した。

 体重をかける場所を失った少年の体はその四人めがけて落下する。


「あだだだだっ」


 服や顔に枝が引っ掛かり、少年は悲鳴を上げる。

 しかしそのまま地面へ落ちるかと思われていた彼の体は、落下する中本人が懸命に膝を曲げたことによって太い枝に足を引っかけることに成功し、なんとか落下を止めることができた。

 だが足の引っかかった木の枝は低い位置にあったため、逆さ吊りとなった彼は五人の視界に映るほどの位置まで姿を現していた。

 真上から人が落ちてくるという唐突すぎる出来事に少女は上を向いて少年を見ながらぽかんと口を開けている。

 三人の男も同様。

 目の前の少女の事すら忘れて呆気に取られていた。


「お、おはようございます……?」


 この状況で何を言えば正解なのだろうか。

 力ない笑顔を浮かべた少年は枝から足を放し、両手で着地して倒立をきめてから地面に足を下ろした。

 左腰のロングソードが控えめに音を立てる。

 男達は少しだけ放心状態になった後、我に返ると警戒するような鋭い視線を少年へ向けた。


「お前……この嬢ちゃんの連れか?」

「ああ、いや。ただの通りすがりの旅人ですよ」


 好青年という印象を持ちそうな笑みを三人に返してみたが彼らが警戒を解くことはない。それどころか前の二人はいつでも剣を抜けるように構え始めている。

 少年は両手を軽く上げながら大人しく後ずさり、四人のいる木から離れた。


「お前みたいなガキが、たった一人でか?」

「そうそう。僕みたいなか弱いガキが、たった一人で」


 自分を指さして大きく二度、首を縦に振ってみる。

 しかし壁以外特に何もない森の中をただの旅人が通るわけもなく、男たちは少年に疑わしい目を向けるままだ。

 へらへらと笑う少年と三人はしばらく見つめ合ったが、やがて少女の服を掴んでいた一番体格の良い男が大きく鼻を鳴らした。

 恐らくは彼が三人のうちで権力を握っているに違いない。


「フン、まあいい。……それで? ただの通りすがりのか弱い旅人が、この森に立ち寄ったわけを聞こうか」


 前にいた一人が少年へ近づいて剣を抜いた。

 その先を彼の喉元で止める。

 仕事だけは真面目に熟そうとしているのか、はたまたただ単に彼が邪魔なだけなのか。


 少年は笑み消し、自分に剣を突きだす相手を静かに見上げた。

 いつ喉に剣先を突き立てられてもおかしくない状況にも関わらず、彼がおびえた様子を見せることはない。

 かといって、ロングソードの柄に触れるなどという抵抗の努力をする様子もない。

 両者が見つめあう中、再び静寂が訪れた。

 数秒経ち、リーダー格の男が忌々し気に声を荒げた。


「その髪」

「……」


 そして、彼の髪を睨みつける。

 昇りかけている朝日に照らされる、銀色の髪。


「銀色の髪は東の人間に多いな」

「そうだね。……僕だって東側の人間だし」

「――――何!?」


 言い出した男もただ言いがかりをつけ、邪魔者を排除しようとしただけのつもりだったのだろう。

 その言葉に少年が頷くとは思っていなかったはずだ。

 驚愕しているのが表情だけでわかった。

 何故なら東西を分ける壁は三十メートルもあり、その壁の見張りの数も数百単位で存在するのだ。

 ただの少年が壁を越えてこられるはずなど、ない。


 かといって少年が嘘を吐いている様子はないし、嘘を吐いたうえで彼に何かメリットがあるとは思えない。

 どちらにしろ本人から事実を告げられて、逃がすわけにはいかなかった。

 三人は慌てた様子で剣を抜く。


「やめておきな」


 それを見た少年は大きく口角を上げ、不気味な笑みを浮かべた。

 獲物を狙う肉食動物のような圧力を醸し出し、彼の青い瞳は鋭く光る。

 優し気な雰囲気などというものは消え、代わりに目に見えない大きな力が彼らを襲う。


「ただの見張りが粋がってると痛い目見るよ。僕はこの全員を一斉に相手しても勝てる自信がある。たとえ目を瞑って、でもね」


 視線を動かすと少女と目が合う。

 少女は口を少しだけ開き、すぐに引き結んだ。

 何かを言おうとしたのか、無意識のうちに開いていた口に気づいてそれを閉じたのか。

 少年にはわからなかったがそれを気にするよりも先に何とかするべきなのは目の前に立つ三人、そして少女の胸元に手をかけたまま放さない男一人を何とかすることだ。

 こうなってしまった以上はついでに彼女も助けるべきだろう、彼は頭の中でそう結論付けた。


「な……なめやがってっ」


 二人は少年へ向かって地面を蹴り、正面にいた一人は剣を突きだす。

 少年は柄を握って相手の剣の動きを止め、魔法を行使した。


(ラフト)


 短く告げられた呪文の後。

 まだ薄暗い森の一部が少年の光魔法によって眩い光に包まれる。


「ぐあっ!?」

「め、目がぁっ」


 光自体はほんの一瞬で消えたが、男三人は目を抑えて呻いている。

 一方少女の方はというと反射的に両手で顔を覆ったようで、光の影響は受けていないようであった。

 周囲の異変を不思議に思って両手を離した少女は男たちが目を抑える様子を見て、少年が落ちてきた時と同じような顔をした。

 少し不安ではあったが、先ほどのアイコンタクトで彼女は少年の言いたかったことを理解したらしい。

 『目を瞑る』は三人に向けた言葉ではなく、少女に向けた言葉だったのだ。


「とりあえず、ここから離れよっか。面倒なことになるのはごめんなんだ」

「え、あっ……」


 目を抑えている男たちの横を通り過ぎ、少女の腕を掴むと少年は走り出した。

 彼らと戦闘になったとしても勝つ自信は確かにあった。

 しかし戦わずにすむ手段があるならばそちらを選びたいし、今の光によって壁の前にいる見張りの一部は異変に気が付いたに違いない。

 大勢に囲まれることは避けたかった。


 男たちの喚く声がどんどん遠のいていき、あと少し走れば安全だろうと思い始めた瞬間の事だった。


「きゃっ」

「うえっ!?」


 少女が短い悲鳴を上げて足をもつれさせ、大きく転んでしまう。

 突然のことに反応できず手を放してしまったことに、そして何より勝手に手を取って走ってしまっていたことに罪悪感を抱きつつ、少年は彼女の前にしゃがみこんだ。


「急に走らせてごめんね」

「ううん。あの、助けてくれてありがとう」


 彼が頭を下げると少女は慌てた様子で両手を何度も横に振る。

 彼女の声に少年が顔を上げれば、今度は少女の方が頭を下げた。

 少女に丁寧に頭を下げられた彼は困ったように頭を掻いて顔を逸らす。

 目は泳ぎ、彼の様子はどこかせわしない。


「あー、堅っ苦しいの僕苦手だから肩の力抜いてよ。大したこともしてないしね、僕」

「でも……」

「実際、自分のためだったからさ。それに年が近そうな女の子に頭下げられるのはその……なんていうの? あれだよ、こっちがなんか申し訳ないような気持ちになるっていうか」


 しどろもどろしながらなんとか顔を上げさせようと少年は言葉を絞り出す。

 久しぶりに人から頭を下げられた彼としては照れ臭かったのだろう。


「そういうことならそっちもじゃ……」


 そして少女の言葉で少年は自分の失敗に気づく。

 しまった、とばつの悪い顔になったのを見た少女はくすりと小さく笑いだした。


「あの、よければ名前教えてくれないかな?」

「え、僕の?」

「うん」


 自分のでなかったとしたら、彼女は一体誰の名前を自分から聞きだそうというのだ。

 聞き返した後に自分の二度目の失敗に気づいて頭を抱えたくなったが、そこを気にすることなく頷く少女の優しさに甘えさせてもらうことにした。


「そうだね……」


 一度空を仰いでから視線を少女に戻す。

 目を細め、優しく、そしてどこか寂し気に彼は微笑んだ。


「ランス……ランス・オリヴァン。それが僕の名前だよ」


 ゆっくりと、言い聞かせるように呟かれたその声は。

 明け方の風と一緒に空気へ溶け込んでいった。

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