十四、少年の言葉
フィアナに魔法を教えること一時間。
ランスは彼女に水属性の初級魔法水をひたすら行使させ続けた。
水は自らの手に水を発生させる魔法で、水魔法の基本中の基本と言える。
水とは本来自分の片手に乗るほどの水の玉を生成する魔法だが、彼女が一番初めに放った魔法は水と呼べるものではなかった。
それはもはや、「水」ではなく「噴水」である。それも、水の量と噴き出す勢いだけで殺傷力があるんじゃないかというほど大きなもの。
おかげでフィアナはもちろん、その場にいたランスとラオも全身水浸しとなった。
基本ができなければ、魔法が上手く扱えなくて当然である。
フィアナに一番抜けている物は言わずもがな、魔法における繊細さだ。
そのためコツを教えつつ、彼女に基本を身に着けされることだけで一時間があっと言う間に過ぎ去ってししまった。
「ランス……ちょっと、休憩……」
そして今の彼女は呼吸を乱し、動きもおぼつかない。
普通の人間であれば水を何度も放ったところでここまで疲れる者はいないだろうが、フィアナは扱う魔力量の加減というものを知らない。
よって通常よりも莫大な魔力を放出し続けたフィアナがこうなるのも仕方がないことであった。
「そうだね、ちょっと休もうか」
ランスの声とほぼ同時にフィアナは地面に座り込む。
そんな彼女を見ながらラオは驚きを含んだ声を出した。
「しっかしまあ、フィアナちゃんの魔法はおっかないなぁ」
「あはは……」
「笑い事じゃないんだけど……」
むしろ、今までよく生活に困らなかったなと言いたいレベルである。
魔法というものは自分の身を守るために必要不可欠な物。
霊亀が現れたあの時の少年の言葉が本当なのかランスにはわからないが、彼女が追われている身であればなお魔法が上手く扱えない環境というものに苦労させられたはずだ。
ここで、彼女をカバーしていた人物というのが恐らくは何らかの原因で彼女の元を去った『連れ』なのだろう。
フィアナが言うには、相当な手練れであるようだが……。
そこでランスが気になったのは、その連れは彼女に魔法を教えなかったのかという点だ。
確かにフィアナの魔力の使い方は厄介であるが、魔法を扱えるようにさえなれば他の人間よりも大きな力を発揮する可能性は非常に高い。
そして以前彼女が言っていた「魔力を無駄に使っている」と彼女に指摘したのはその連れなのではないか。
……これはあくまでランスの予想ではあるが。
そこから考えられることと言えば、フィアナの連れは彼女に魔法を教える気があったのではないだろうか。
そして結局、彼女に魔法の基礎すらを教えることはなかった。
教える余裕がなかったのか、彼女が予想以上に魔法を操れず断念したのか。
もしくは……
「――あえて、教えなかった……?」
「ランス?」
「え、ああ、ごめん」
無意識のうちにこぼれた言葉に苦笑しながら、彼は立ち上がった。
――さすがに、考え過ぎか。
彼は自分の考えを胸の内にこっそりとしまった。
「まだ、時間はあるしね。一旦ここで中断して、買い物ついでにアザテーウの観光でもしようか」
「でも……」
自分の両手を見ながら俯くフィアナ。
彼女のその様子から、思うように上達せず焦っているのが読みとれた。
「焦りは禁物……っていってもあんまりゆっくりもしていられないのが現状なんだけどさ」
ランスは苦笑する。
矛盾したような言葉ではあるが、焦って魔法を放ったところで繊細さが欠けてしまうだけなのだ。
「慌てた場面で魔法を使える様になるにはまず、落ち着いて魔法を操れるようにならなくちゃ。休憩して体力を完全に回復させてから再開しよう」
ね? とフィアナに賛成を促すと、彼女は小さく頷いた。
*****
ランスは顔を引きつらせて並べられた商品から目を逸らした。
「なんで僕なんだ……」
目の前に並べられているのは女性の下着の類たち。
湖から離れるところでソニアに捕まり、おつかいを頼まれたのだ。
フィアナは服選び、ランスは何故かソニアの下着選び……。
自分で行けばいいのにと抵抗はしたものの、「自分はギルドマスターだから外出は控えたい」と押し切られてしまったのだ。
しかもソニアは下着選びをフィアナではなくランスに押し付けたのだ。
「僕らと会った時も外にいたくせにさ……」
ギルドマスターというのはギルドの責任者である。
ギルドに何かあったとき、責任者がいなければ他のメンバーは動けない。
よってギルドマスターはほとんどギルドから動かない者が多い。
しかし、ギルドマスターの中でソニアは例外である。
自分の立場に縛られることなく自分の思うがままに行動する。
「ったく……」
文句を零したところで状況が変わるわけではない。
だからといって女物の下着に触れたりできるほど彼に勇気はなかった。
周囲の視線を感じながらも動けないで突っ立っていること早三十分。
一度出直そうかと考えたところで衣服類の並んでいるエリアからフィアナが姿を現せた。
「ふぃ、フィアナ……」
「ぷっ」
顔を赤くさせながら助けを求めるランスを見てフィアナは吹き出した。
吹き出した後何とか笑いを堪えていた彼女だったが、肩を震わせて俯いている姿を見てランスは笑われているのだとすぐに悟る。
「笑い事じゃないよ……」
「だって、ソニアさん冗談で言ってたのに……本当にここにいるんだもん」
「……へっ」
呆気にとられたランスの顔を見てさらにフィアナは笑い出す。
冗談、というフィアナの声がランスの頭の中で何度も反響する。
そしてソニアの言っていたことが冗談であったということを認識するのに数秒かかり、それを知ったとたん彼は床にしゃがみこんだ。
「嘘でしょ」
「さすがに女の人の下着を男の子に買わせたりはしないよ。細かいメモは私がもらってるし」
「それを先に言ってほしかった……」
涙目になりながら見上げるランスの顔はまるで幼い子供の様でフィアナは笑みを零す。
「馬鹿にしてるでしょ」
「そ、そんなことないよっ」
「まあ、べつにいいけどね……」
落ち込んだ様子のランスにフィアナは慌てて首を横に振ってみるが、どうやら誤解は解けなかったようだ。
ランスは立ち上がるとフィアナの着ている服を見て首を傾げた。
「へ、変かな……」
「いいや、似合ってると思うよ」
服について何か特別な知識があるわけではないからどの組み合わせが似合うかなどとということはよくわからないが、フィアナの選んだ服が彼女にぴったりだなと彼は思った。
白くシンプルなワンピースは彼女の髪色によく合っていた。
さらに彼女はその上からベージュ色の上着を羽織っている。
今の時期、夜は冷える。
上着があれば東聖界へ向かう間も寒さを凌げるだろう。
「ほんとう!?」
「ただ一着で大丈夫かな、と思って」
アザテーウを発つのはまだ先の話だ。
男であるランスは慣れっこだが、女であるフィアナにとって服一着は厳しいのではないだろうか。
そんな不安を抱きながらの質問に彼女は首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ。ここ最近はずっと一着でやりくりしてたし」
「そうならいいんだけど……」
「それに、家に帰ったらそんな心配もしなくてよくなるから……」
笑いながらも目線を下に落とすフィアナ。
――家に帰る上で、何か心配なことでもあるのか。
問いそうになった声をランスは喉もとで止めた。
自分がそれを知ってどうするのだ。
――彼女を家に送り届けることが自分の仕事なのだから。
「僕もちょっと見てこようかな」
「あ、うん。私はソニアさんに頼まれたもの探してみる」
ランスはフィアナから離れ、衣服のエリアへ足を踏み入れた。
女性ものがやや多めだが、男性ものがないわけではない。
しかしランスはそのエリアも通り過ぎ、ある場所で足を止める。
「……まあ、たまにはこんなのもいいかな」
一つの商品を手に取って会計へ。
お釣りを受け取ると彼はそれをそっとポケットにしまった。
――その時。
店の戸が開き、戸についていたベルが鳴った。
しかしその音はすぐにかき消される。
「静粛に!」
「――――なっ!?」
鎧に身を包んだ数名がガチャガチャと装備を鳴らしながら歩みを進める。
彼らの鎧の左胸にあるのは西聖国の中でも大きな領地を持つ貴族、ウェールズ家の紋章。
「我々はウェールズ家直属の兵である。所々の事情により店内を探索させてもらう」
――何故、ウェールズ家が表立って動いているのか。
一番に、そんな疑問が彼の頭の中に浮かぶ。
壁の件でランスを探しに来たのだとすればここに現れるべきは壁の見張り兵の一部ではないのか。
「いいか、桃色の髪をした少女を探すんだ」
静まり返った店内に一人の兵の声が響き渡る。
ランスは息を呑み、フィアナのいる方向へ視線を移す。
それと同時に思い出すのはあのオドリという少年の言葉。
『まあ、そのうち迎えが来るとは思うけどな』
「フィアナっ……」
ランスは桃色の少女の名を零した。
その声は彼女には届かなかった。