十三、胸の痛み
「まず、さっきの魔法のおかげでフィアナの体質については何となくわかったよ」
「ほんと!?」
二人に合流したランスは先ほどの水魔法を思い出しながら言葉を紡ぐ。
フィアナは目を輝かせて彼の言葉の続きを待つ。
首についた鎖を何食わぬ顔で握っているラオが気にならなかったわけではないが、今は自分の主であるフィアナが優先だ。
彼は頷いて言葉を続けた。
「うん。まず、フィアナがさっき放った魔法は水の上級魔法。しかも本来はあんな規模の物ではなく、身体に与えられる衝撃や毒などから身を守るために自分が纏う薄い水の膜なんだ」
「へ、へえ……」
「知らないで使ってたのか……」
「そんな感じってのは知ってたけどしっくりこなくって」
当たり前のことではあった。
上級魔法は繊細な物が多く、質力を上げて大ざっぱに扱えればそれはもはやそれらとは全く別物の魔法である。
恐らくフィアナは覆う水膜本来持つはずの効果を知らずに相手の動きを封じる魔法だと勘違いしていたのだろう。
「水属性で動きを封じる魔法はこっち」
「うおっ!?」
ランスは無詠唱で水魔法の一種をラオに放った。
ラオの周囲に二つの水の玉が出現し、それは彼の両足と体が触れた途端に形をリング状に変える。
水の輪は彼の両足と両手を拘束し、体の自由を奪われたラオはバランスを崩す。
そしてラオが地面に転びかけたところで拘束が解けた。
おかげで何とか体勢を整えた彼はランスの鎖を握りしめて無言の圧力を送る。
それをランスは微笑みで返す。
「まあ、こんな感じ」
「す、すごい……無詠唱でこんな的確に……!?」
「まあ無詠唱は一か月やそこらで何とかなるようなもんじゃないし、一先ずは水魔法をなるべく扱えるようになることを目指そう」
「水魔法、全部?」
「全部。大丈夫、フィアナはもともと魔力が多いから扱いさえなれればあとは簡単さ」
大真面目に言ってのけるランスを呆気にとられたように見つめるフィアナ。
つい最近まで行動を共にしていた連れは剣と魔法の扱いに長けていた。
幼いころからフィアナの世話をしていた彼は、彼女が頼めば剣や魔法だって教えてくれた。
彼の教え方は丁寧でわかりやすかった。
そんな彼でも、彼女の体質について詳しく知ることができなかったのだろう。
結果的にフィアナの魔法に関しては連れはお手上げ状態だった。
それをランスという少年は、たった一回フィアナの魔法を見ただけであっさりと把握してしまったのだ。
更に彼は一か月という短い時間でまともに扱えもしないフィアナの魔法を完璧にしようとしている。
ありがたさと同時に、彼女は彼へ対する違和感を持った。
フィアナと行動を共にしていた彼は東聖界では剣と魔法の腕で名を馳せている男だ。
そして彼にできなかったことをいとも簡単に成し遂げた目の前の少年は、必然的に彼以上の実力を持つ者ということになる。
実力のある者の名前は本人が意図していないにしても、すぐに広がっていく。
しかしランス・オリヴァンという名を彼女が耳にしたことはなかった。
「ランス……オリヴァン……」
「――――フィアナ?」
そう、ランス・オリヴァンという名自体には。
けれど彼の名前を呟いていたことによってフィアナは一つだけ彼の隠していることに気が付いてしまう。
「……ランス・ブレイス、エヴィン・オリヴァン」
それは誰もが知る名前。
大昔、世界をも揺るがした偉大なる冒険者二人の名前。
その名前をフィアナが口にした途端、ランスとラオの表情が硬くなる。
二人の様子を目にして、彼女の気が付いたことが疑問から確信へと変わっていった。
「ランス」
「ああ、そうだランス。ソニアがフィアナの服を買いに行ってやれって言ってたぜ」
ラオは上ずった声でランスに告げる。
その態度で話を逸らされたのだとフィアナは悟った。
ランスは二人の様子を見て苦笑いしながら頷く。
「そうだね。僕が駄目にしちゃったし、弁償しなきゃ」
そこで、気まずい雰囲気が彼らを包み込む。
ラオは顔を引きつらせているし、フィアナは地面を見つめている。
ランスはどうするべきかと考えたあと誤魔化すのをやめた。
「ごめんね。僕は君に話せないことがある。それを言うことはできないけれど……」
「うん、大丈夫。私たち出会ってからまだ少ししか経ってないし、それが当たり前だよ」
出会って数日の人間に自分の秘密をすべて明かそうなどと、誰も考えはしないだろう。
だからランスに言えないことがあるのも仕方のないことである。
それでも彼女は一つだけ、彼について触れてはいけない話題を知った。
――名前。
それは彼女自身も名乗ることを許されず、彼自身も今後話してくれることはないであろう話題。
彼にも偽名を使わなければならない理由があるのだ。
自身も、彼に話していないことが数えきれないほどある。
どうせ短期間の関係。
話す必要性もないし、家にたどり着けば彼と二度と会うことはないということも分かっている。
それでも、彼女は。
「……さみしいなぁ」
微かな胸の痛みを感じていた。
自分の正体すらろくに明かしていないのにも関わらず、相手のことは気になってしまう。
それが自分勝手な気持ちであると知っていても、彼女は自分とランスの間にある深い溝に悲しみを覚えずにはいられなかった。
「ん? フィアナ何か言った?」
「何でもないよ」
残りの時間で、一体どれだけ彼との溝を埋めることができるのだろうか。
避けられてることを無理に知りたいとは思わない。
それでもできる限り、フィアナは彼のことを知りたいと思った。
――ランス・オリヴァンと名乗る人物のことを。
彼女は銀髪の少年に笑いかけた。