一、光闇の兄弟
分厚い雲に覆われた夜の都市はどこか不気味な雰囲気に包まれていた。
昼間はにぎやかな都市『リティ』の住人らも寝静まった頃。
ぼんやりとおぼろげな月明かりは都市に並ぶ家々を不気味に映している。
リティの中央には王宮が大きく構えている。
王宮も他の家々と同様。
門や裏口の前を見張っている衛兵以外は皆寝静まっていた。
その王宮にある一本の廊下。
わずかな月光はそこをまっすぐ進んでいく者の銀髪を静かに照らしていた。
人気のない広い廊下を迷うことなく歩む少年の青い瞳を殺意の色が支配する。
左の腰にロングソードを一本装備した彼はそれの柄をゆっくりと、力強く右手で握った。
そして少年の足が一つの部屋の正面で止まる。
彼の目は未だ殺意を消すことはない。
けれどそれに対して表情には緊張が走り、額からは冷汗が流れていた。
だが、それだけ。
緊張こそすれど、「兄を殺す」という彼の決意が揺らぐことはなかった。
その直後、彼の動きは滑らかであり素早かった。
彼のその動きは長年の経験が齎したもので、一般人が反応するまでに数秒はかかるだろう。
ロングソードを抜き出し、それなりの頑丈さを持つ部屋の戸を蹴り破る。
大きな破壊音が静寂に包まれていたはずの廊下に鳴り響いた。
部屋の主はもちろん、周囲の部屋で眠っていた人間も目を覚ましたに違いない。
しかし、もう遅い。
彼が、動揺している部屋の主の命を刈ってその場から姿を消すまでにそれを阻止できるほど反応速度に優れた人間はこの王宮にいない。
唯一それのできる者として彼が思い浮かべるのはその部屋の主だけ。
そして彼は単独で、企みがバレぬ様に行動していたのだ。
主がそれを想定して待ち構えているなどということはありえないし、いくら彼でも急に襲われたら隙くらい作るだろう……。
「……!?」
――そんな青年の予想は大きく外れた。
「なんの真似だ、レイク」
鼻先数センチのところで動きを止めている剣先を見た少年レイク・シンフィールは視線を動かし、その先にいる者の姿を見て声を漏らした。
「テイス……。なんで」
「それはこっちの台詞だ」
鋭い眼光がレイクを貫く。
彼らは一国の王子であり、双子の兄弟であった。
レイクを睨む彼の緑色の瞳には鋭さとは別に動揺していることが伝わってくる。
生まれて十五年間、互いに剣先を向けることなどなかったのだ。
必要以上に感情を表へ出さない彼が動揺を隠せなくても仕方ないことなのかもしれない。
予想を外したレイクは、テイスよりも更に動揺していたのだが。
青と緑の瞳が見つめあう。
どれくらいたったのかわからない。
けれどおそらくそれはほんの一瞬だった。
レイクは兄の視線から逃れるように俯き、唇を噛む。
「――――信じてたのに」
「レイク?」
「全部……全部お前が悪いんだ!!」
――――刹那。
レイクの姿はテイスの正面から消えた。
「なっ……!? 光の盾!」
反射的にテイスは左手を自分の背後へ伸ばした。
その左手から光の盾が現れ、後ろへ回り込んだレイクの剣を受け止める。
甲高い音を聞きながらレイクの剣ははじき返され、彼は忌々し気に舌打ちしつつテイスから距離を取った。
「レイクっ……」
「その、魔法だよ」
向き合ったテイスの顔を見ながらレイクは自嘲染みた笑みを浮かべる。
青いその瞳には怒りや悲しみが入り混じっている。
「僕はテイスの光魔法が羨ましくて……妬ましかった」
「どうしたっていうんだ。適属性が違ったって僕らは」
「――もう、綺麗ごとなんてうんざりなんだよっ! そうやってテイスは僕を騙し続けてきたんだろ」
声を荒げ、悲し気に目を伏せる彼の目があふれ出そうとする涙で揺らいだ。
その言葉を聞いて、その表情を見て。
テイスは顔を引きつらせて笑った。
「待ってくれ。お前がなんの話をしてるのか俺にはさっぱりだ。レイク、一旦頭を冷やしたらどうだ?」
そんな彼の態度を見た瞬間、レイクの感情は怒り一色となる。
それは部屋へ入る前よりも大きな殺意へと変わり、次に口から出た声は自分でも驚くほど冷たい物であった。
「ああ、やっぱりね」
いつもは取り繕った表情でやり過ごすテイスの特徴。
嘘は上手いくせに動揺だけは上手く隠せない自分の兄の特徴。
長い間近くにいたからこそ、気づいてしまった。
長い間近くにいたからこそ、こんなにも今憎んでいる。
長い間近くにいたからこそ……
――――信じたかった。
「闇人形」
魔法の詠唱をしたレイスの左右に人の形をした黒い人形が現れる。
周囲の闇から人形を作り出す闇魔法。
ゆらゆらと揺れる闇人形は唯一持つ顔のパーツである口を三日月型にして不気味に笑った。
そしてスッと姿を消す。
「――光!」
テイスからとっさに放たれた光魔法は初歩的なレベルのものであったが、それだけで部屋の中は真っ白になったように錯覚するほど眩しい光に包まれた。
初歩的な魔法でそこまでの効果をもたらせたのはテイスの魔力の多さと光魔法の適性があったが故のこと。
本来なら視覚を奪うほどの効力があるがレイクの体は薄い闇の膜に覆われており、その光は彼を一瞬怯ませただけであった。
だがそれがテイスの狙いはそれではなかった。
闇魔法に対抗できるのは光魔法のみ。
恐らくは闇人形の存在できる周囲の『闇』を消し去り、力を弱体化させるのが彼の狙いだったはずだ。
闇が消えれば、闇魔法は使えない。
しかし彼は自分の部屋を光で包み込んですぐに自分が致命的な判断ミスを犯したことを悟った。
現に闇人形がいられる場所は極僅かとなっていた。
問題だったのはそこが、彼にとって一番最悪な場所であったこと。
――テイスの陰。
それは彼と一番距離を詰められる場所であり、不意を突いて現れた二体の人形に素早く対応できるほど彼は戦闘に慣れていなかった。
足元から現れた二体は自身の腕を刃物のように鋭く尖らせ、テイスへ襲いかかる。
「ぐ、おおっ……」
四本の黒い凶器の一つを剣で受け止め、体を後ろへそらす。
二本目は彼の顔を掠め、天井へ突き刺さった。
不意を突いて襲いかかった四本の腕のうち二本避けられただけでも悪くない反応速度だったと言えただろう。
しかし彼が避けきれなかった残り二本の腕の攻撃の位置が悪かった。
一本は腹部に突き刺さり、もう一本は彼の右目を切りつけた。
「なっ、ぐああああああっ」
剣が床を滑る音だけが虚しく響く。
そして剣を手から放し悶え苦しむテイスの背後に、片手剣を構えて回り込んだレイクの姿。
青い瞳が冷たく光る。
「僕が馬鹿だったよ」
目を抑え、跪くテイスの耳にその言葉は届いたのだろうか。レイクに知るすべはなかった。
レイクは自分の兄の心臓を背後から剣で貫いた。
「さよなら、兄さん」
東の聖国リティ。
リティ第二王子レイク・シンフィールは第一王子テイス・シンフィールを殺害した後、姿を眩ます。
王位継承関係の争い事かとも考えられたが、真相はわかっていない。
またその出来事を知る者すらほとんどいなかった。