四人の友
三好の長い語りを聞き終えると、間髪入れずに、二岡が尋ねた。
「ってことはその水野さんが去ったあとにネックレスがなくなってたことに気づいたんですか」
「ああ、そうだ。だからほぼ間違いなく、そいつが持っていたと考えていいだろ」
三好は震え声になりながら言った。やはり、仲良くなった人が自分の大切なものをとっていったというのは、ショックな出来事なのであろう。
「その、いくつか質問よろしいでしょうか?」
優香は右手をそっと挙げながら、三好に目をやった。
「なんだ。一条さん」
若干、ぶっきらぼうな感じで、三好は返事をした。優香は動揺が顔に表れないよう、注意しながら「ええと、その水野さんを見つけ出すために片っ端から路上生活者の方のダンボー……家に行っているのはわかりましたけど、なんでその人が路上生活者だってわかるんですか?」
「それはだな……」
三好はもどかしい顔を浮かべながら、口をもごもごさせている。が、やがて「さっきも言ったけど、本人がそう告げたからだよ」と投げやりな感じで答えた。
いくらなんでも、今のは嘘だろう。優香はそう思った。そんな簡単な理由なら、なぜ、今の数秒間、返答に窮していたのか、説明がつかない。そのことを追及しようとしたが、それより先に二岡が三好に近付き、耳打ちをしてきた。しばらくして今度は三好が二岡に耳打ちをしている。ええい、さっきから何の話をしているのだ。たまりかねず優香は質問した。
「先ほどから一体どのようなお話をされているんですか?私には言えないことなんでしょうか」
二岡と三好は同時に、こちらに顔を向けた。双方共、実に苦々しい表情をしている。二岡が三好に目をやる。三好も二岡に目をやった。なにやら二人で合図らしきものを取ったあと二宮が真剣な面持ちで言った。
「今から話すことは他言無用でお願いしますよ 。絶対に記事とかに載せないでください」
なんだろう。思っていたよりも内密な話らしい。優香は大きく頷いた。
「実はですね、ここの森林地帯にはホームレス内での合言葉みたいなのがあるんですよ」
合言葉……っていうと、どういうことだろう。優香はイマイチピンとこず小指で額を突いた。二岡が話を続けた。
「ええと、ドラマとかでよくある話ですよ。山って言ったら川って返してきた人だけが味方だと認識できるやつです。だからその合言葉を言わない人はここの住民じゃないってわかる寸法です」
そこまでの説明を聞き、優香はようやく、先ほど二岡と三好が茂った木立に行って何の会話をしたのか理解した。あの二人はお互いにその合言葉を言ってたのだ。そう考えればたった数秒で、わたしの元に戻ってきた理由にも説明が付く。
「ああ、なるほど、でも何でそんな決め事があるんですか?」
その質問には二岡のかわりに三好が答弁した。
「時々いるんだよ。いかにもな感じで、みずぼらしい格好をしてホームレスを装い、ここの奴らに接触して同族意識を高めたあとに、急に手のひらを返し、数人の仲間を引き連れてホームレス狩りをする胸糞悪い連中がよ」
「ーー酷いですね」
優香はなんともやるせない気持ちになった。ホームレス狩りをしているだけでも憤慨ものであるのに、それに加え相手を失望に叩き落とさせる下劣なマネを行うなんて。
「ある意味、なりすまし詐欺ってやつですね。まあ、そんなわけで僕らがとった対策が合言葉作戦ってわけです。いかに、『俺はここのホームレスだ』と言われても合言葉を告げない人物からは要注意しろってルールを設けたんですよ」
二岡は人差し指をグルグル回しながら飄々とした口振りで言った。三好はその指をチラッと目にやった後、言った。
「んで、その水野は合言葉を言ってきたわけだ。だからあいつはなりすましじゃない。正真正銘ここの連中ってことだ」
その説明で優香はおおむね納得がいったが、必然的に一つの謎が浮かんだ。
「でも、新しい路上者がここに住まわれた時にはどうするんですか?その場合その人は合言葉を知らないわけですよね?なのに……」
「ああ、それはですね……」
二岡が回答しようとしたのを三好が片手で制して文句を言った。
「おい、あんた喋りすぎだぞ。そんな細かい所までは説明しなくてもいいだろう」
二岡は少し眉根を潜めたがすぐに真顔に戻り、こくりと頷いた。三好は優香に顔を向け「そんなわけだからこれ以上の詮索はしないでくれ。わかったか?」
優香はどうにも腑に落ちなかったが三好がやめてくれというのならそれに従おう。そう思った。
「ーーはい、じゃあ話を戻しますけど三好さんはそのネックレスのために水野さんの家を捜索されているんですよね」
優香は三好に最終確認をとった。
「ああ、だから今はちょっと忙しいんだよ。またな、記者さん」
三好がその場を、立ち去ろうとしたのを優香は手首をつかんでそれを阻止した。なんだかいやに心拍が早く感じられたが特に気に止めなかった。
「待ってください。私も手伝わせてもらえませんか」
優香は自然のうちにそう言っていた。三好は唖然とした顔をしながら「手伝うって……何をするつもりなんだ?」
「私も一緒に、水野さんの家を捜させていただけませんか」
それを聞いた瞬間、二岡が少し苦笑したように見えた。なにがおかしいのだろうか。尋ねようと思ったがそれより早く、三好が口を開いた。
「それは……ありがたいが、あんた今日も何か用があってここに来たんだろう?それを済ませてからの方がいいんじゃないのか?」
「いえ、大丈夫ですよ。要件の半分は済ませてありますしもう半分もーー」
そこまで言ってから、優香は口を噤んだ。ここで私が三好を取材するために来訪したと言ってしまえば、彼は私の申し出を拒んでしまうかもしれない。それにどっちにしろネックレスを捜し出すまで三好と質問応答をする気にはなれなかった。取材相手に不安要素を残したままインタビューを行うのは記者として非常に遺憾であるからだった。
「ああ……そんなに急ぎの用事でもないので時間に余裕はあるんですよ。だから三好さんさえ良ければ協力させてもらいたいんです」
優香の言動に三好は少し喜びを覚えたらしい。嬉々とした口調で言った。
「嬉しいこと言ってくれるな。だが俺に媚を売ったってなんの得にもならんぞ」
「別に媚なんてつもりは……」
「ああ、わかってる、わかってる悪かったな。俺はひねくれ屋だからついこんな皮肉めいたことを言ってしまう癖があるんだ」
三好は自分の腕を握っている優香の手を軽く払いのけながら、そう告げた。そして、ちょっと口元を緩ませつつ「そう言えば昨日もこうやって腕をつかまれたな」
「ええ、そうでしたね」と優香。
「あのーーちょっといいですかね」
二岡が軽く挙手しながら話に入ってきた。気のせいか幾分、真面目な顔をしている。三好のほうに視線をやり二岡の唇が動いた。
「先ほどの内容を聞く限りでは水野さんは三好さんの高級ネックレスを奪ったんですよね。で、目的は金目当ての犯行だと三好さんは疑っている」
三好は大きく首をたてに振った。
「ああ、会話をしている限りじゃ悪いやつには感じなかったんだが……やっぱり金の魔力には抗えなかったらしいな。思わず魔が刺しちまったんだと、俺は踏んでいる」
三好がうつむき加減に、そう答える。二岡は再び口を動かした。
「その憶測が当たっていたとすれば水野さんは三好さんに見つかることを恐れて
とっくにこの公園から姿を消していると思うんですけど」
二岡の指摘に優香はハッとなった。確かに泥棒が物を盗んだ後にいつまでも標的者と同じ拠点に住在しているというのはちょっと考えにくい。だが三好は顎髭をさすりながら異義をとなえた。
「しかし俺はあいつの顔をまったく知らないんだぞ。夜で周りは暗澹としていたし酒が回っていたから……」
「顔が諸々の事情で見えなかったっていうのは飽くまで三好さんサイドだからこそ知り得る情報ですよね?相手側の水野さんにとってはそんなことわかりっこないはずです」
二岡の返答に三好は口を閉ざした。そして暗い表情を浮かべながら「そう言われてみれば……」と落胆の声でつぶやいた。水野は既にここに居ない可能性が高いという事を理解してでの、呟きであろう。優香は、些か、悲しい気持ちになって咄嗟に思い付いた閃きを口にした。
「で、でも、水野さんが、くすねたっていう確かな根拠はないですよね、それにもしかしたら盗んだってわけじゃなく何かの手違いでうっかり持っていただけかもしれないですし」
我ながら稚拙な反論である。どんなにドジな人間であってもネックレスなどというそこそこ大きいものをうっかりで持ち帰ったりはしないだろう。
だが意外にも二岡は「一理あるかもしれませんね」と少し咳き込みながら優香の意見に賛同の意を示しだしたのである。
優香は内心、驚きつつ「え、そんなドジな人いますかね?」と今、自分が告げた言葉を否定するかのような返事をした。
「いや、そっちじゃなくて前者のネックレスを盗んだっていう確かな根拠はないって方です」
二岡は毅然とした顔をしながら言った。ああ、ですよね……
「おいおい、さっき言っただろ。ネックレスは水野が来訪した時は、確かにあってあいつがいなくなった後には無くなってたんだって」
三好は語気を強めて二岡に苦言を呈した。
「ええ、それはわかっていますよ。でもちゃんと隅々まで探しましたか?もしかしてダンボハウスの下敷きになってたりなんていうオチは……」
二岡の仮説に三好はムッとした表情で答えた。
「俺がそんなマヌケなやつに見えるってか?オッサンだからってばかにはしないでもらいたいな、ちゃんと家だけじゃなく周りの植込みを掻き分けながらくまなく詮索したよ」
相変わらずダンボールハウスともダンボハウスとも言わず飽くまで家だと主張している。昨日と違って少し、親しみやすくなったように思えたが、やはり、そこだけは譲れないようだ。
「そうですか……」
二岡がポツリと言うと、三好は深い深いため息をついた。諦観と無念さが交じり合ったような複雑な顔を浮かべている。
「残念だが……もうあのネックレスのことは断念するしかないか……」
喉の奥から、かろうじて出したような、そんな、か細い声で三好は言った。気のせいか少し涙目になっているように見える。たまりかねて、優香は口を動かした。
「まだ諦めちゃいけませんよ。水野さんと仲が良いって言う岡崎さんに話を聞きにいけばいいんじゃないですか?昨夜、水野さんの名前を呼んでいたのもその人なんですよね?だったら何か手がかりが掴めるかも……」
「とっくにそいつの家には行ったよ。あいにく留守だったけどな。どこで何しているやら」
少し苛ついた様子で答えた三好を尻目に、二岡は希望的観測を言った。
「うーん、それじゃあ岡崎さん以外に水野さんと親しい間柄だったホームレスの方がいればいいんですけどね……」
「あ!でもそういや……」
三好はなにかを思い出したかのように、目を大きく見開き「何人か他に友人の名前を挙げていたな……」と二岡の期待に答えるかのような感じでボソッと言った。
「おお!それじゃあ水野さんよりも先にその人達のダンボハウスを捜索しましょうよ。よければ僕も一緒に探しますし」
「え、二岡さんもですか?」
そう反応したのは三好ではなく優香だった。二岡はこちらに目を向けると「ん?そんなにビックリすることですか?」と聞いてきた。
「いえ、そう言うわけじゃないんですけど……」
優香は首を横に振りながら、否定した。でもいいんですか?二岡さん。今の貴方は風邪を……
「確か、平林、火野、氷川、菱川の四人だったかな」
そんな優香の考えを消し去るかのように三好は大きめな声で思い起こした内容を口に出した。
「ーー『ひ』ばっかりですね」
二岡が率直と思われる感想を述べる。優香も真っ先に頭に浮かんだ感想がそれだったので人のことは言えないのだが。
「そう言われてみれば、そう……だな……」
三好の様子が何やらおかしい。急に喋るスピードが遅まった感じがした。そして少しふらついたかと思えばその場にバタッと倒れ込んでしまった。
「どうかされましたか?」
慌てて二岡が三好に駆け寄る。優香は反射的に三好の顔を伺った。ハッキリと苦悶の表情が表れている。身体になんらかの異常が起きていることは明らかだった。
「心配……ない……」
三好が実に弱々しい声で返答する。二岡は右手で三好の額に触れた。
「結構、熱がありますね。僕がかかっているのよりも数段、質の悪い風邪って感じですかね」
二岡が自分の分析を口にした。三好はよろめきつつもなんとか立ち上がり「ちょっと頭がふらついただけだよ。たいしたことじゃない」と右手を前に差し出して心配無用とのジェスチャーをした。
「横になってなっきゃダメですよ。よかったら僕の掘っ立て小屋を使ってください」
二岡が自宅(?)を指差しながら三好に休むよう促した。だが三好は激しくかぶりを振って「探さないと、平林と氷川と……」とうわ言のように言った。
「大丈夫ですよ。代わりに僕たち二人が捜索しますから三好さんはここで休息を
とっていてください。ですよね、記者さん?」
二岡の問いかけに優香も当然、同意した。
「その通りです。三好さんの手を煩わせるまでもありませんよ。ですから三好さん、ゆっくりと休養をとってください。お願いします」
優香と二岡の頼みに、三好はなんとか承諾してくれたようで「それじゃあ任せたぞ」と一言、言い、二岡の掘っ立て小屋によろよろと向かっていった。
ふと、二岡の顔を覗き込んだ。どこか安心したような表情をしている。優香は笑みを浮かばせながら言った。
「よろしくお願いしますね。二岡さん」
二岡も微笑をしつつ、風邪声で言い返してきた。
「ええ、こちらこそ。記者さん」