ネーミングセンス
その言葉を皮切りに、三好と男の仲は徐々に縮まっていった。少なくとも三好にはそう感じられた。まったくもって認めたくない(自分がホームレスだということ以上に)が俺はこの男と妙に波長が合うみたいだ。そのことが、この二時間ほどの会話でわかった。お互いにこのような生活をする前の趣味が釣りだったという共通の話題が見つかったのも大きいだろう。しかも、始めたきっかけがどちらも親が釣り好きだったから、と言うんだから驚きだ。
一度、船に出て二十mマグロを釣り上げたことがあると自慢すると男はたいそう、羨ましがった。「僕なんて精々、十mのスズキが最大ですよ」と自嘲気味に答えたりもしてた。
彼の話で一番面白かったのは彼の親に関するエピソードだった。その親は両親ともネーミングセンスが最悪らしく、飼っていたネコの名前をキャット、柴犬の名前をシバと名づけるほどのセンスのなさだったとのことだ。その話は三好の琴線にふれ大笑いした。本当にひどいセンスだ、と心の中でつぶやいた。
三好は久しく味わってなかった他人とのコミュニケーションがこんなにも快いものだったのかと若干の感動すら覚えていた。
正確には半年ほど前、初めてこの公園に来たときも岡崎と結構な時間の談話をしたのだがあいにくあいつとは、まったくもって反りが合わなかったからーーいやこれも俺が勝手に毛嫌いしていただけだな。今度、会ったらちょっと話でもしてみるか。そんな風にも思えるようになった。
それゆえに三好は今日、ライターを名乗った一条優香を邪険に扱ったことを後悔しだした。今も取材を答える気にはなれないが、あそこまで冷たい態度を取るべきではなかった。ただでさえ無職に近い俺には中々、人と話が出来る機会などないのだから、もう少し彼女と対話をしていたかった。
別に若い女性だからというやましい気持ちではなくーー例えば仮に老年の記者だったとしても俺は同じく後悔の念で一杯だっただろう。畢竟するにーーもっともっと、どんな人物でもいいから会話がしたくなった。それが今の三好の心境だった。
ここ数時間で変節しすぎであろうと我ながら突っ込みを入れたくなるが、仕方のないことだ。これは俺の意思ではなく俺の心。精神がそうさせたのだから抗うことはできない。誰も自身の感情に逆らうことはできないのだから。そして間違いなく今の俺は喜怒哀楽の最後の一つ『楽』を体感していた。
だがそんな心地良かった会話も午後九時を超えた辺りから気分が優れなくなってきた。相手の男のせいではない。俺が調子に乗ってビールを飲み過ぎたせいである。頭痛がし始め、また嘔吐感が襲ってきた。だが先ほどとは違い今度の場合は理由がはっきりしている。過剰なアルコール摂取。その一言に全てが集約されている。それが原因で三好の意識はそこからぷっつりと途切れることになる。
次に三好が気を取り戻したときに時刻は午後十一時をさしていた。腕時計のLEDライトを照らして確認した、確かな時刻だった。頭がずきずきと痛む。目の前には顔がぼやけて人相がわからない男がなにやらペラペラと喋っていた。ええと誰だっけこいつは。頭痛のする頭を抑えながら三好は必死に記憶をまさぐった。やがてーーああそうだ。こいつは……そういや名前を聞いていなかったな。三好は今更ながら、そのことに気付いた。
「おおい、みずの!」
その時、遠くの方で一人の男の声が聞こえた。目の前にいる男の声よりも、もっと低く野太い声。そしてその声の主に三好は聞き覚えがあった。ああ、岡崎か……。
「今、行くよ」
男は返事をすると緩やかに立ち上がり「それじゃあ三好さんまた会いましょう」と今までの中で一番、活気にあふれた声とともに軽やかな動きで去っていった。
どうやら意識のない間も俺はあいつと会話をしていたらしいな。三好はそう推察した。別になんら不思議ではない、むしろ、リーマン時代にはよくやっていた(らしい)事柄だった。自分の知らないうちに会社の愚痴を喋っていたとか服を脱ぎ出したりとかとかーー要するに俺は酒に弱いうえに酒グセが悪いのだ。だからこのエピソードは全て、後から部下に聞いた話である。つまり今回もそのパターン。俺の知らないところで、言わば、もう一人の俺とも言うべき自分が、勝手にあいつと雑談を楽しんでいたのだろう。
そして、ようやく、ようやくあの男の名前がわかった。『みずの』そう呼ばれて男は返事をした。みずの。三好は忘れないように何度も心の中でその名前を連呼した。誰もいない空虚な空間で一人、つぶやいた「ああ、また会おう」