結末
三好が入院中の水野から、ネックレスを返却してもらった翌日、優香は自家用車を走らせていた。行き先はもちろん、倉間中央公園だ。優香は上機嫌の状態で車を運転していた。なぜなら三好に取材が出来るから、というのもあるがそれ以外にも理由はある。
朝、優香が外に出たときに例の向かいの学校では、またまたフェンス越しに生徒たちがさかんに遊んでいる姿が見え、その輪の中になんとあの優香が気にかけていた男の子が加わっていたのだ。
その男の子はワーワー叫びながら他の男児たちを走って追いかけている。多分鬼ごっこでもしているのだろう。気になってフェンスの近くに寄ってみると、楽しそうに笑みをこぼしながら児童らを追跡している。
なぜ一日でこんなに仲良くなれたのだろう。そう疑問に感じたと同時に優香の脳裏に昨日見かけた光景、教師とあの男の子が会話しているシーンが浮かんできた。おそらくあの後、教師がなにかしらの解決策を見出してくれたのではないだろうか。優香はそう推察した。
素晴らしい光景だ。優香は心の底からそう思いながら、自分の車に乗った。そして現在に至るというわけだ。優香は思わず笑みをこぼしながら、目的地の公園に到着した。
車から降り、もうすっかり見なれた遊歩道を踏みしめて歩き、森林地帯にまで足を踏み入れた。そして三好に会いに……。はいかず、まずは岡崎の寝床にまで足を運んだ。
相変わらず彼の住処は他のダンボールハウスと比べて一際大きかった。今日は岡崎さんはいるだろうか。優香はおそるおそる近づいていき間口を覗いた。
「ん?あっれー。どちらさんでっしゃろ」
後ろから急に呼ばれ、慌て気味に後方を振り返った。そこには一人の男が立っていた。
「あ、えっと。ここの主の岡崎さんに用事が」
「岡崎は俺でっせ」
男は悔い気味に告げてきた。彼が岡崎……。えらくあっさり会えたものだ。昨日、一昨日とはまったく顔を合わせられなかったというのに。
「その。私実はフリーライターの……」
「あっれ昨日の記者さんか?」
自己紹介をしようとした瞬間、また後ろから声をかけられた。振り返ると昨日、水野が入院していた病院を教えてくれた氷川が立っていた。そう言えば氷川と岡崎のダンボールハウスはほぼ同じ位置にあるからここにいてもおかしくない。
「氷川さんじゃないですか」
「おう。昨日振りだな。そういえば水野に会えたかい」
「ええ、おかげさまで」
「それは良かった」
優香と氷川が会話しているのを見て、岡崎は若干自分が置いてけぼりにされたと感じたらしい。大きめの声量で告げてきた。
「おーい。二人だけで話を進めないでくれー。氷川よ、この女性と知り合いなのかい?」
「ああ、この人はフリーライターの一条優香さん。まあ実は色々苦労したみたいでな。あんたなら知ってるだろ。三好っていうやつのことでさ……」
氷川はそれから、これまでの私の経緯を解説してくれた。そして優香も昨晩、水野の入院している病院に行き、ネックレスが盗まれたのは三好の勘違いだったことを話した。一通りの説明を終えると岡崎が嬉しそうな口調で言った。
「そうか、雅人が世話になったみたいだな。しかしあいつも結構おっちょこちょいなやつだな」
「あのー雅人っていうのは」
「ああ、記者さんは知らないのか。三好の下の名前だよ。まあ偽名だけどね」
「そうなんですか」
まったく知らなかった。三好も二岡同様、フルネームでの偽名を決めていたなんて。
「岡崎さんは三好さんを雅人と呼ぶんですね」
「ああ、俺はあいつを友人だと思ってるからな。下の名前で呼んでいるんだ」
「友人だから下の名前……。ですか」
「ああ、だから同じく友人である水野のことも下の名前で呼んでるしな。こっちの氷川だってそうだし」
氷川が恥ずかしそうな顔をしながら口を開いた。
「ああ、まあ本名で下の名前まで明かしてるんだから、どうせならそっちで呼ぼうかなってな。友人だし」
なるほど。優香の中で一つ得心がいった。水野の友人を名乗った人たちは、水沢とは呼ばずに水野と呼んでいた。全員が全員、苗字で呼ばないのは違和感があったが、もしかしたら友人だからという理由で、ファーストネームで呼んでいたのかもしれない。一人だけ小僧って呼んでいる人もいた気がするが。
「そう言えば記者さんはなんでこんなところに?三好って人の取材にいかなくて良いの?」
氷川が首をかしげながら質問してきた。
「あ、実は岡崎さんにちょっと用事があって」
「ふーん」
氷川はさして興味なしといった返しをしてきた。
「ま、いいや。ちょうど今、起きて、話し声がしたからちょっと外に出てみたんだ。まだ眠気がするから俺は今からもう一眠りしてくる。じゃあなお二人さん」
氷川は一方的に別れを告げると自身のダンボールハウスに戻っていった。優香はそんな氷川の後姿から岡崎のほうへと視線を変えた。
「あのーちょっと話を伺ってもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ、どうぞ。みんなみたいに取材をしてくれるんですか?」
「いえ、実は取材ではなく、ちょっと個人的に尋ねたいことがありまして」
岡崎が不思議そうに聞いてくる。
「と、言いますと?」
「岡崎さんあなた……」
優香はそう言いながら岡崎のダンボールハウスに貼られている木札を指差した。
「ここのホームレスさんたちがみんな自分の住処に貼ってる、この名前の彫られた表札のようなもの、あなたが作ったんじゃありませんか?」
辺りは水を打ったような静寂さに包まれた。岡崎は腕を組みながらゆっくりと口を開いた。
「どうしてそう思うんですかい」
「実は二日ほど前にここに来たときに、岡崎さんのダンボールハウスでとある物を見つけたんですよ」
「なんでしょうか」
「彫刻刀の入った箱ですよ。入り口付近にありましたから、腕を伸ばせば取れる距離にありましたから」
「やれやれ。どうやら言い逃れ出来ないみたいだね」
えらくあっさり認めたな。優香は若干拍子抜けしてしまった。
「おっしゃる通りこれは俺が作製したものさ。実は俺は元々、そういうのを作る製作所に勤めていたんだ」
岡崎はそこで一旦、口を閉じた。そしてしばらくしてまた開口した。
「だから、ま。やめたあともそういうのを作りたい欲求が湧いてきてさ。ホームレスになったあとも、昔の同僚に余った木とかを分けてもらっていたんだよ」
「なるほど……」
「最初はこの公園にきたときに、先にいた先輩ホームレスさんたちを喜ばせようとして作ってな。結構好評だったんで、あとからきた浮浪者たちのためにも作ってあげてたんだ」
「そうだったんですか」
優香はうなずきながらも、疑問に思ったことを質問した。
「でも、なんだか最近は、ホームレスと偽ってここにくる人がいるって聞いたんですけど」
「ああ、それな。それは、俺がそのホームレスと名乗ってるやつの目を見て、そいつが嘘をついてるかどうか見極めてるんだ」
「え?」
岡崎の予想だにしない回答に、優香は思わずうわずった声をあげた。
「まあ自慢じゃないが、俺は結構ホームレス生活が長くてよ。その間に色んなホームレスたちを見てきた。その結果一つだけわかったことがある」
「それって一体……」
「目だよ。本物のホームレスっていうのは他のやつらと目が違う。絶望に打ちひしがれた、独特の目をしてるんだ。その点、ホームレスと偽ってるやつは、どこかいきいきとした目をしている。これからホームレスをだまそうとしてるんだから当然だ。無論、本人たちにその自覚はないだろうけどな。俺はそういったやつらには木札を渡さないことにしてるんだ」
岡崎は一度話し始めるたら、止まらない性格の持ち主らしい。立て板に水のごとくペラペラとしゃべりを続けた。
「そうそう、実はホームレス同士の合言葉を考えたのも俺なんだ。だから、新しいホームレスがここにきたら、俺がそいつの目を見て嘘をついてるなって思ったら合言葉は絶対教えてやらないことにしてる」
一気に情報が流れ込んできて、優香は少し混乱しそうになった。なんだかさり気なく、重要なことを言った気がするのだが。優香の脳裏に、二日ほど前の出来事が思い浮かんできた。
二岡と三好に合言葉の説明を受けたときに、新しいホームレスがきたらどうするのかと尋ねて、二岡が話そうとしたのを三好が遮ったときの出来事だ。
「あなたが判断して、合言葉を教えるかどうか決めてるんですか」
「ああ、実はそうなんだよねー。一応今のところ的中率百%なんだよ。こいつは嘘をついてるホームレスだな。って感じたやつをあとになってちょっと調査をしてみると、ちゃんと家もあって裕福に暮らしてる人って発覚したんだから」
「はぁ。でも良いんですか。ライターの私にそんなこと暴露しちゃっても」
「うん?あー!」
優香に指摘されて岡崎は大声をあげた。自分が重大な秘密を漏らしてしまったということに気づいたらしい。
「あの……。その……。このことは記事にはしないでくれないだろうか」
岡崎の懇願を優香は快く承諾した。
「ええ、別に構いませんよ」
どうしてこんなセリフを言ったのだろう。優香は自分でも不思議に思った。せっかく、誰も入手していない極秘ネタだというのに。優香は思考を巡らせた結果、答えが出た。
おそらくこの数日、二岡や三好を始めとした、ホームレスたちと触れ合っていく内に彼らに情が湧いてしまったのだろう。優香はそう結論づけた。おそらく里子にこの話をしたら、『バカじゃないのあなた。すぐに原稿を書きなさい』と一蹴されることだろう。うん、自分でもバカだと思う。だけどこれが私だ。だから、誰になんと言われようと、この考えを変えるつもりはない。
「ほ、本当に記事にはしないでくれるのか」
優香があまりにもあっさり願いを聞き入れてくれたので、岡崎は困惑の色を漂わせながら聞いてきた。
「ええ、大丈夫ですよ。あ、そうだ。代わりに交換条件と言ってはなんですが、一つ質問をよろしいでしょうか」
「ん?ああ、なんでも聞いてくれて構わないよ」
「三好さんと水野さんが邂逅を果たした三日前の夜、岡崎さんは水野さんを大声で呼んだって聞いたんですけど」
「そうだな。雅人と水野の会話を打ち切った形になってしまったらしくて、悪いことをしたなと思っちゃったよ」
「どんな用件で水野さんを呼んだんですか」
「そんなことが知りたいのかい?」
岡崎が首をかしげた。優香はうなずいた。
「ええ、昨日水野さんに会ったときに尋ねようと思ったんですけど聞きそびれちゃって」
「まあそのくらいのことなら簡単に答えれるけど。実は昨日、一昨日と昔の知人の家に泊まらせてもらったんだよ。ずっと、外で寝るっていうのも結構キツイからね。たまにお世話になってもらってるんだ」
「あ、それでこの二日間、不在宅だったんですか」
「うん、そう。それでしばらく留守にするってことを水野に伝えるために雅人の住処にまで言って彼に声をかけたんだ。彼は俺の一番の友人だから知ってもらいたくってね」
「なるほどそういうわけでしたか」
優香は得心がいったがすぐにまた疑問が湧いて出てきた。
「んー、でも岡崎さんが留守にしてる間に、新しいホームレスの方がここにこられたらどうするんですか」
「あーその発想はなかったな」
岡崎が素っ頓狂な声で言った。特になにも考えてなかったのか。この人は。優香は少し呆れかえってしまった。
「いや、あのね。一応言いわけさせてもらうと、そんなに毎日毎日ホームレスと名乗る人がここにくるわけじゃないんだよ。たまーにしかこないんだから」
岡崎がまくしたててくる。ずいぶんと必死だな……。優香は内心そう思った。岡崎はマズイ流れになってると感じ取ったのか話を急に変えてきた。
「そう言えば、雅人に取材しなくて良いのかい」
「え、ええ。そうですね。一応メインの用事はそっちですし」
「だったら早く行ったほうが良いよ。ほらきっと待ってるだろうし」
岡崎が必死にはやし立てる。一応彼の言っていることは正論なので聞き入れることにした。
「それじゃあ、私はこれで。岡崎さんさようなら」
「はいはいーさようなら」
岡崎は気が楽になったのか明朗な声で別れを告げてきた。優香はそんな岡崎に背を向けて三好の元へと向かった。もうすっかり道を覚えてしまったな。そんな思いとともに優香は一歩、また一歩、歩を前に進めていった。
そしてついに目的の人物に出会えた。
「やあ記者さん」
三好は笑みを浮かべながら挨拶をしてきた。四日前に初めて会ったときには、彼のこんな表情を見ることになるなんて考えもしなかった。だが今優香の目に映り込んでいるのは間違いなく三好の笑顔だった。
「昨日もいったかもしれないが色々迷惑をかけたな」
「いえ、気にしないでください」
「ネックレスはこの通りさ。俺が自分で買ったベビーパウダーで元通りにしたよ」
三好はネックレスをこちらに見せてきた。綺麗な輝きを放っている。まるで今の三好の心情を具現化したかのようだった。
「良かった……」
「ああ、本当に良かったと思ってる。そしてこれから行う取材もきっと受けて良かったと思える取材になると信じている」
「三好さん……」
「全部話すよ。なんでホームレスになったかをな」
「ありがとうございます、では……」
優香はハッキリとした口調を意識して眼前の三好に告げた。
「これから三好雅人さんの取材を開始します」
これでこの話はおしまいです。誰も見てないと思いますが一応……。
こんな拙作を最後まで読んでくださってありがとうございました。