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若者

 しかし何人か話を聞いていく内にそれは杞憂だということがわかり優香はホッと胸をなで下ろした。インタビューに応じてくれなかったのは三好だけで、ほかの人たちはみんな気前良く取材に答えてくれる。どういった経緯でこういう生活を行うようになったのか。今の暮らしに不満はないか。どうやって飢えを凌いでいるか、などなど……。


 その回答もまさに十人十色だった。人事削減により半ば強引に会社をクビにされ、蓄えていた資金もすぐに底をついて家賃が払えなくなり、マンションを追い出されたという気の毒な人もいれば、ろくに仕事もせず親のスネをかじりながら生きてきて、両親が亡くなったあとは二人が残してくれたわずかな貯金で、なんとか耐え忍んでいたが、それも底をつくと、やはりアパートから退去勧告を求められ、渋々出て行かざるを得なかったという自業自得の者もいる。


 優香が予想外だったのが公園生活にたいして、特にこれとして不満がないと返答したのが七人中五人といった割合についてだ。


 最初は自分のどん底な状況に絶望を感じて自棄的な気分になり自殺未遂を繰り返してたそうだが周りの先輩ホームレスたちに激励されたり糧食を分けてもらったりして何とか自立心を取り戻し、長く住んでみるとこんなのも悪くないかなと思うまでに心変わり出来たとのことだった。中には「社会の犬になるくらいなら自由なホームレスのほうがマシ」と豪語する者もいた。


 飢え問題については全員、廃品回収や自動販売機の釣銭なんかをまさぐって得た資金で、どうにか食いつないでいってるらしい。あと意外にも仕事をより好みしなければ、日払い労働でだが働かせてくれるところもそこそこあるとの話だった。


 優香が一番すごいと思ったのは、古本を安く購入してほかの本屋で高く売りつけるといった、いわゆる、せどり屋さんと呼ばれる人物に関してだった。なんでもその人は生粋の本好きだったらしく、小さいころから有名作家の小説を愛読していて、学校が休みの日は図書館へ通うのが日課だったらしい。そのおかげで大人になったころにはかなりの書物の知識が身についており、さらにネットオークションで古今東西、様々な本を売り買いしているうちに高価と低価な本の見分けがつくようになっていったとのこと。


 ホームレスになってしまったあともその素養を利用して、基本的には百五円ほどで売られている中に掘り出しものを探し当てて収入を得ているらしい。上手いこといけば月に六、七万の資金を得ることもあるらしく、それを聞いた優香は安月給なアルバイトよりも儲けていますね……。と内なる突っ込みを入れていた。


 そんな感じで七人ほどの聞き込みを終えた段階で十分、記事が作成出来るレベルの情報が優香のメモにぎっしりと書き込まれていた。あと一人ぐらいの取材を終了させたらここを切り上げるよう。そう思いながら歩いていると一軒の掘っ立て小屋が優香の視界に入ってきた。


 それは細い道を越えた小さな空間に設置されており、ベニヤ板を器用に張り合わせて前面以外はブルーシートで覆われていた。広さは少し大きめのテント並で三、四人は横になって寝れそうなスペースを誇っていた。形はちょうどキューブ型みたいだった。


 これでも十分ボロいのだろうが、 今のところ優香が取材したホームレス達の寝床は全てダンボールハウスだったのでそれらに比べると幾分かマシかなと錯覚してしまいそうだ。


 優香が驚いたのは剥き出しになっている間口から見える一人の青年にたいしてだった。


 身体つきはかなりやせていて、着ている服も汚れ気味なので浮浪者には違いないだろうが問題はその年齢だった。


 あぐらをかき、顔を下にやっているため、細密な容貌まではわからないが、わずかにのぞかせる精悍な顔立ちは明らかに二十代前半ほどの若者だった。


 最近は不景気ゆえ、その世代のホームレスがいてもおかしくはないのだがここの人達は基本的に四十代から六十代の壮年ばかりだったので若いホームレスというのがずいぶんと新鮮に思えた。


 表札を確認するためにゆっくりと近づいてみると気配を感じたのか若者はハッと顔を上げてきた。


「ん?あなたは……ここの人じゃありませんよね?」

 

 首をかしげながらその若者は愛想の良い笑みを浮かべてきた。目はくっきりとしており鼻筋も長いゆえ美形に見えないこともないが、いかんせん小汚い服としばらく手入れをしていないと思われるボサボサの茶髪のせいでどうにも魅力が半減してしまっている感が否めない。


 優香は若者の目先が気になった。まるで品定めするかのように優香の身体を上から下まで瞳を動かしていた。やがてその目は優香の左手付近を一点に見つめ出した。普通、初対面の人間にそんなことをされたら嫌悪感を抱くはずなのだが不思議とこの若者にたいしてはそのような感情がわかなかった。


「ええ、フリーライターの一条優香と言います。 あなたはここの住民さんですよね?」


 なんだかこの公園が一つの街みたいな物言いになってしまい、優香は内心、苦笑していた。もっと別の言い方があっただろうに。しかし若者は優香の言葉など気にも止めない様子で回答してきた。


「ええ、そうですよ。ライターさんということは僕たちみたいなのをインタビューしに来たってわけですか?」


 察しが良くて助かる。優香は大きくうなずいた。


「はい、取材してもよろしいですか」


「まあ答えられる範囲なら別に大丈夫ですけど」


 そう聞くと優香は手帳とペンを取り出した。


「ありがとうございます。ではまずお名前は……」


 優香はそう言いながら木札を探した。目を懸命に動かしていると若者はフッと立ち上がりノロノロした動きで外に出て右側面のブルーシートを指差した。


「ネームプレートはそこの下の方にありますよ」


 優香は若者の指先を追うと、だいぶ真新しい感じの木札がやはりガムテープで貼ってあった。そこには他のホームレス達と相変わらぬ感じで『二岡』という名が彫り込まれていた。


「二岡さんですね……」


「ええ、二岡わたると言います。わたるは渡り鳥とか渡りに船とかの渡です」


 優香は内心ずっこけそうになった。まさか苗字だけでなく下の名前の偽名まで

 考えているとは。他の人もそうなのだろうか。そう質問すると二岡は軽く微笑を

 浮かばせながら「うーん。どうでしょう。決めてる人もいれば決めてない人も

 いるんじゃないですかね」となんとも曖昧(あいまい)な答えを返された。


 気を取り直して優香は「ずいぶん若く見えますが年齢はおいくつ何でしょうか?」と尋ねた。


「記者さんとそんなに変わらないと思いますよ。二十四です」


 優香の一つ下に当たるその青年は肩をすくめながらそう言った。


「やっぱり二十代でしたか。その……ご両親は?」


「母親は小さいときに病気で亡くなっています。父親も二年前に癌で。一人っ子なんで頼れる身内がいなくてこんな生活を送っています」


 二岡はすらすらとした口調で言った。話だけ聞くと、ずいぶんと過酷な人生を送っているな、というイメージが湧いてくるが本人はあまり気にはしていないようだ。


「お仕事なんかはされてたんですか?」


「ええ、普通の某会社のリーマンでしたよ。大ミスをやらかしちゃいまして解雇されちゃいましたけど」


「ふむふむ……」


 小さくうなずきながらメモに字を記す。腕時計が当たって書きづらかったが右手を止めることはしなかった。


 そして、ほかのホームレスたちと同じような質問をしたあと、優香は別れの挨拶を告げた。


「ご協力ありがとうございました、二岡さん。これでわたしは、おいとまさせていただきますね」


「記者さん、左手お大事にしてくださいね」


 二岡がさらりと言ったセリフは優香の足を立ち止めらせた。いきなり心臓をわしづかみにされた気分だった。


「なんのことですか?」


 ふっと振り返りながら優香は尋ねた。若干声が裏返っているのを自分の耳でも確認出来た。どうやら今のわたしは思っている以上に動揺してしまっているようだ。


「なんのことって炎症されている左手首のことですよ。腕時計のつけ過ぎで

  腱鞘炎(けんしょうえん)になってしまわれたんでしょ?」

 

 なぜだ。そんな気持ちが真っ先に浮かんだ。なぜ二岡はそのことを知っているのだ。腱鞘といっても腫れなどはまったくなくただ時々痛みが走る程度の軽傷だというのに……


「な、なんでそれを……」


 優香が狼狽していると二岡はさらにおそろしいことを言い出した。


「うーん、説明したいのはやまやまなんですけど記者さん今、だいぶ時間に追われてるんじゃないですか?多分、雑誌の締切に追われてるんだと思いますけど」


 だからなぜそんなことを知っているのだ。優香は一瞬、本気で心の中でも読まれたのかと思ったがすぐにその考えを打ち消した。ライターがなんの証拠もなく非現実的なことを認めてどうする。


 優香がかそぼい声で「はいそうです……」と言うと「あ、当たってましたか?よかった……」と二岡はほっとしたような表情を浮かべた。


 その口振りから察するに今の話はそんなに自信があったわけではないということかな。優香はそう考察した。そして「大丈夫ですよ、確かに締切に追われてますけど、まだ時間は余ってますから話を聞くことは出来ます」とにこやかに言ってみせた。


「そうですか?じゃあ、まあ……なるべく手短に説明しますね」


 二岡はそう言って解説を始めるのだった。






「まず記者さんが腕時計を右手にはめている点についてです」


 冒頭の説明部分だけではなぜそれでわたしが左手首が腱鞘していると知りえたのかまったく検討がつかなかった。右手に腕時計をしてたからどうだと言うのだ。


 優香が(はなは)だ疑問に思っていると二岡は話を続けた。


「記者さん。あなた、いつもは腕時計を左にされていますよね。左手首にくっきりと時計の日焼けの跡が残されていますし」


 そう指摘され優香は少し羞恥心に(さいな)まれた。自分の左腕をチラリと見た。褐色の肌をした腕の中で最近までつけていた腕時計の部分だけが忌々しくも白く残っていた。やはりあの判断は不味かったかもしれない。そう後悔の念が押してきた。


「……それで?」


 優香は出来るだけ平然を装いつつ二岡に先を促した。


「普段は左にはめているというのになぜだか今日は右にはめている。これは一体どういうわけか。ぼくは考えました。そしてこう結論つけたんですよ。長時間腕時計を左につけてたせいで、なんらかの症状を患ってしまい仕方なく右につけてるんじゃないかなってーー」


 二岡の喋り方はまさに立石に水といった感じだった。優香は首を軽く、右側にかしげた。


「ああ……それで炎症していると判断を?」


「ええ、先ほどから見た限りでは手首は自由に動かしていましたしそれほど深刻な症状でもないように感じられました。だから軽い腱鞘炎なんじゃないかなぁ……って」


「なるほど……」


 優香は深くうなずきながら関心したがそこでふと、この青年に意地悪なことを言い出したくなってきた。


「でも、わたしが少し変な人だったらどうします。もしかしたら日によって

  腕時計を右にしたり左にしたりする人かもしれませんよ」


 二岡の困り果てた顔を思い浮かべながら出した質問だったが、優香のその予測

 は見事に妄想で終わった。


 二岡はまったく表情を変えることなく飄々(ひょうひょう)とした口調で告げた。


「それはありませんよ。と、言うより職業が記者で右利きの人だったら腕時計はほとんど左手固定なんじゃないですか?」


 少し低い声で優香は言った「なぜそう思われるんです」

 

「だってそうでしょ。右利きの人が右に腕時計をつけたら、メモをしたためるときに時計が当たって書き辛くなっちゃうじゃないですか。現に記者さんもさっき、書きにくそうでしたし。 だから記者、というより物書きを生業にしている人 は基本的に利き手とは逆の方の手首に、時計を巻くんじゃないかな……って、まあ、僕の勝手な想像なんですけどね」

 

 優香は内心、二岡にたいして脱帽していた。今の二岡の話はライターの中ではほぼ常識に近い事柄であったからだ。その証拠に優香の記者仲間達どころか、普段デスクに座ってあまり書記を取らない里子ですらその理論に乗っ取って左に時計をつけている。無論、全員が全員その法則に当てはまるというわけでもないのだが、それでも大半の人は利き手とは違うほうに腕時計をしている。


 優香がここまで呆気にとられたのは二岡が今の事柄を知っていたわけではなく

 想像したと言った点だった。つまり誰かに教えてもらったり調べたわけでも

 なくみずからの思考のみで今の結論を導き出したということになる。


 イマジネーションが豊かなのか直感がするどいのか、どちらにせよ優香は二岡が他のホームレスとは違う、なにかを持ち合わせているのではないかと勘繰り始めた。


「わたしがライターって情報と組み合わせてその考えを出したってわけですか」


 優香があごをさすっていると二岡はまたしても驚きの言葉を告げた。


「ええ、まあでもライターだってわかる地点より前から……記者さんを一目、

  見た段階でこの人は左手首になにかあるなってわかってましたよ」


「はい!?な、なんで?」


 思わずため口になってしまい優香はすぐさま「す、すいません……」と謝り接いで「えと、じゃあ、そこも教えてもらえませんか?」と頼んだ。二岡は軽くうなずきながら「ええ、もちろん」と言い、すぐさま説明を始めた。


「左手首が日焼けしているのにも関わらず、右手首に腕時計をしてるんですよ。仮に記者さんの言う通り、日にちによって腕時計を左右交互にはめる風変わりの人だとしても、普通なら日焼けの跡が恥ずかしくて左手首につけるものじゃないですか」


「……わたしが日焼けの跡なんか気にしない無頓着な人間だったらどうします?」


 優香はすぐさま思いついた反論の言葉を述べたが、二岡は軽く笑みを浮かべながら即答した。


「そんなわけないですよ。だって記者さんはこんな日にわざわざカーディガンを着てまで腕時計の日焼けを隠そうとしてたんですから」

 

 二岡はそう言いながら優香の右腕に巻いているカーディガンを指差した。


「それ、さっきまで羽織ってましたよね。だってーー」


「なんです?」


 急に二岡の口が閉じたことに優香は焦れったく思った。なんでそこで黙り込むの だ。だがその理由は次の二岡のセリフですぐ理解出来た。


「その……汗で結構……ぬれて……しまっていますし……」

 

 優香はチラリとカーディガンを見た。汗の跡がびっしょりと残っていて、傍目から見てもそれが良くわかるほどだった。正直かなり恥ずかしいのだがそんな感情がどこかへ飛んで行ってしまいそうなぐらいおかしかったことがある。


 二岡の口調と表情の豹変振りだ。


 先ほどまでニコニコとしていて流暢に喋っていたのに、今は当惑した表情になり口調も端切れ悪くなってしまっている。一応、女性であるわたしに対しての気遣いなのだろうがここまで動揺を示されると、却ってこっちが悪気を感じてしまう。優香は笑いたくなる気持ちを必死に堪えながら言った。


「ああ、気を使っていただかなくても大丈夫ですよ。わたし全然気にしてません

  から。そして二岡さんの言う通りわたしさっきまでこのカーディガン着てまし

  たよ」


「そうですか……ええとつまりですね」

 

 二岡が人差し指を上げ、まとめに入ろうとしていた。


「今日は朝からずっと暑いですよね。ここは森林だから少し涼し目ですけど僕がコンビニで 安売のパンを買うために早朝、このエリアを出たら蒸し暑くてたまりませんでした 。つまりそんな日にファッションとしてその服を着るのは少々不自然なんですよ。しかも見ての通り記者さんの肌は褐色されていますし

 普段から日焼け対策なんかはされていない、つまりそれ目的のためにカーディガンを着てきたわけでもない。だからそのーー」

 

 そこでまた少し二岡は口ごもった。が、さっきと違いわりとすぐに言葉を続けた。


「汗でぬれてるカーディガンと日焼けの跡を見てああ、この人は腕時計の日焼けを隠すために炎天下の中を堪えてカーディガンを羽織ってきたけど、途中で暑さに耐え切れず、渋々脱いでしまったんだろうなってわかったんです」


 正確にいうと耐え切れなくなったのは、遊歩道の道を全速力で走ったせいなのだがそこはあえて言うまい。


「ああ、わたしが手首に腱鞘を起こしていたのを知っていた理由はわかりました。でも時間がないというのは……」


「ぶっちゃけるとそこは勘です。左は炎症していてつけられない、右はメモを取るときに不便だから同じくつけれない。となると普通はバックに仕舞い込ん で時間を確認するときに腕時計を出せばいいと判断しますよね。でもあなたは右に はめている。なんでだろって考えてたら閃いたんですよ」


 二岡の話が言い終わる前に優香が先に自分から答えを告げた。


「時計をバックから出す寸時の猶予すらないほど、時間に追われていると思ったんですね」

 

 そう。里子に午後五時までに完成させろと宣告されてすぐにわたしはエレベーターの中で腕時計を右手にはめた。すぐに時刻を確認出来るようにとわたしなりに考えた時間短縮策だったのだが、やはりというかなんというかその代わりに文字が書きにくくなるという代償を負ってしまったのだ。

 

「ええ、そうです」


 二岡が満足気な笑みを浮かべながら、大きく顔をたてにやった。


「あ、ついでにですね……」


 まだなにかあるのか。優香はここまできたら最後まで、この男の話を聞くことにしようと決意した。優香は二岡の話に耳をかたむけた。


「日焼けが出来た原因ってもしかして……」


 そこまで聞くと優香はまたまた二岡にたいして驚愕していた。そんなところまで分かるのかこの人は。まったくきみはエスパーかってツッコミたくなるわね……。


 しかしそのエスパーの口から発せられた次のセリフは優香にとっては想像だにしない言葉だった。


「海外に行かれたからではありませんか?多分グアム辺りじゃないかと。

  で、しかも帰ってこられたのは昨日だったのでは?」


 優香は二岡がなにを言っているのかわからなかった。いや意味はわかるのだが

 どうしてそんな話が出てくるのかが理解出来なかった。海外?グアム?わたしは

 高校の修学旅行でフランスに行ったきり国外を出た記憶はないのだがーー

 優香が当惑を覚えていると二岡はそれを察したのか急に苦々しい顔になった。


「もしかして……僕、何か間違ったことを……」


 優香はまだ二岡がなにを思ってグアムに出かけたと判断したのかわからなかった。今までの流れから言ってなんらかの根拠があってそう推理したのだろうが……。その理由を問うよりもわたしが日焼けした真実を告げたほうが良いかもしれない

 

 優香はそう決断すると二岡に対してぴしゃりと言った。


「まあ、間違えか間違えじゃないかで言うと完全に間違えてますね。わたしはグアムどころか海外にも行ってないですし、日焼けが出来た原因だって一週間ぐらい前に仕事がなく暇だったから近所を散歩して出来たものですよ」


 そう告白しても二岡はまだ納得がいかないようでうんうんうなりながら腕を組んでいる。しばらくして二岡は自分の腕時計を見ながら言った。


「うーんと……じゃあなんで記者さんの腕時計は一時間進んでいるんです?今、一時四十五分なのに記者さんのは二時四十五分になってるんですけど」


 優香は即座に自分の右手首に目をやると同時に、二岡の考えている推察がなんとなく理解出来だした。

 

「ああ、これですか、ちょうど二日程前に甥っ子が家に遊びに来ましてね。そのときに勝手に時計をいじくり回しちゃい まして、多分オモチャ感覚でやったんだと思いますけどーーで、気付いたらちょうど一時間ほど、狂ちゃたんですよ」

 

 軽く微笑を浮かばせてみせた優香とは対象的に二岡の表情はますます苦々しくなっていってる。

 

「では……なぜ元に戻さないんですか?」


 そこを突っ込まれると痛い。そう思いながらも黙っているわけにはいかず優香は嫌々、答えた。

 

「ああ、実はですね、直し方がわからないんですよ。わたし機械音痴のものでしてーーこの前も五分ほど時間がずれてたんで適当に弄ってたら表示されてた数字が全部消えちゃったんですよ。だから今使ってるのは二代目何ですけどね。まあそんな経緯があったので下手にさわるよりかはいっそこのままでいいかな……って」


「き、機械音痴?」


 その返答は二岡にとって相当、意外なものだったらしくまさに茫然自失といった面持ちをしている。


「だ、だったら誰かに頼めばいいのでは?」


 そこも突っ込まれると痛い。優香は前髪をかきあげながら出来るだけサラリと言った。


「いやー、実は恥ずかしくてなかなか言えないんですよ。いい大人がわざわざ時計を直してくれだなんて」


「ーーそ、そうですか」


「二岡さん、あなた、わたしが記者だから仕事でよく海外にでも行くと思ったんですよね。で、日本との時差が一時間ほどある所が日焼けが出来そうな地域はどこだろうって考えて出した答えがグアムってわけですか」


 二岡はまるで追いつめられた凶暴犯のように渋い顔をしながら返答した。


「はい、てっきり最近グアムに帰ってきたから時刻を直すのを忘れてたんだとーーはあ……そうか、機械音痴か……」

 

 自分の予想が外れたのがよほどショックだったのか二岡は苦渋の表情を浮かべながらぼさぼさの髪をいじりだした。


 彼の話はこれで終わりなのだろうか。だとしたら最後の最後でとんだ見当違い

 の推理を聞かされたわけになるのだが……いや、そういう考え方は良くない。

 首を横に振りながら優香は自分の思考を追い出した。取材相手との話の中で

 無意味で無駄な会話だったーーなんてものは存在しない。それは記者である優香なりの理念であった。


「でも、二岡さんすごいですよ。わずかな情報だけでわたしに関することを色々

  当てっちゃうなんて」


「機械音痴……機械音痴……機械音痴……」


 この人まだ引きずってるよ……「ええと二岡さん?」

 

 優香が何度か声をかけると二岡はハッと我に返り、虚ろな眼を優香に向けて「ああ、ごめんなさい、時間がないのにお手間を取らせてしまいましたね 記事作成頑張ってください。あいにくそんなにお金に余裕がないので雑誌を購入するわけにはいかないんですけど、どんな風に乗るか立ち読みで確認しときますから」

 

「あ、もしよかったら明日、週刊オーガスト持っていきましょうか?ちょうど

  発売日も水曜日ですし」


 二岡は少し意外そうな顔をして言った。


「よろしいんですか?記者さんにも都合ってものがあるでしょうしそんな雑用みたいなことを……」


 優香は軽く自嘲の笑みをしてみせた。


「大丈夫ですよ。わたし、ほとんど仕事がない無名記者ですので二岡さんに週刊誌を届けるぐらいの時間ならあり余っていますから」


 二岡は腕を組んで思案顔を浮かばせたがすぐにそれは微笑の表情に変わり「それなら……お願いできますか。特別急いでもらわなくてもいいですから」

 

「はい。任せてください。ではわたしはこれで行きますね、また明日お会いしましょう。二岡さん」

 

 優香はくるりと踵を返すとその場を立ち去ろうとした。自分の足音以外は、無音だったがやがて背後から一人の声が聞こえた。

 

「ええ、また会いましょう。記者さん」

 

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