デパート
駐車場に戻った優香と二岡は自家用車に乗っていた。しかし走行はしていない。これからどうするかを二人で相談していたのだ。その結果、菱川がいると思われるデパートへ向かうことになった。
優香は菱川の顔がわからないのに、行っても意味がないのではないかと告げたが二岡がポケットから意外な物を取り出してきた。それは一枚の折り畳まれていた紙だった。二岡に席越しに手渡されてゆっくりと開けてみる。目にした瞬間、なんでで二岡がこんなものを持ってるのか頭の中で疑問符が浮かんだ。それは、薄い、多分鉛筆で描かれたであろうと思われる一人の男性の似顔絵だった。
年齢は多分五十、若く見積もっても四十代後半のように思える。シワがかなりあるが、それが逆に紳士風な印象を受けた。似顔絵だと判断した理由は紙の右下に菱川五十六と、おそらくこの人物の名が記されたあったからだ。
優香は先ほど頭の中で浮かんだ謎を二岡に尋ねた。
「なぜこのようなものを?」
「実は先ほどの菱川さんのダンボールハウスからちょっと拝借してきたんですよ」
二岡が申しわけなさそうに答えた。真面目そうに見えてずいぶんと手癖の悪い人だ。優香はそう感じた。しかしもちろんそのことを顔に出さないように努めていると二岡が聞いてきた。
「ひしかわ……。いそろくですかね?これは」
「ええ、そうだと思いますよ」
五十六と書いていそろく。少し変わった名前だが、別段読めない名というわけでもない。優香はその似顔絵を二岡に返しながら質問した。
「二岡さんもついてきてくれるんですか?」
「まぁ僕も暇ですから」
というわけで彼は引き続き同行してくれることになった。
「とはいえ、ここからデパートまでは結構かかりますし、この人物画を元に探すとなったら大変な労力を使いますよ」と忠言してくれもしたが優香は構わないと即答した。ここまできたら岡崎の知り合い全員に出会うまで諦めがつかない。それに二岡なら判別出来るすべを見出してくれる予感がした。
ひょっとしてそれは予感ではなく期待の間違いではないだろうかと自問自答したりもしたが、例えそうだとしてもその時はその時だと割り切ることにした。それに彼がついて来てくることによるメリットはそれだけではない。
同胞、と言っては変だが、同じホームレス同士なら相手側も少しは警戒心を緩ませてくれるかもしれない。優香一人だと、岡崎の居場所を既知していても教えてもらえない可能性もあるだろう。なにせ、わたしは人の秘密を公にバラす職業に属しているのだから。
そんな理由で優香は車を亀山デパート方面へと向かわせた。当初は標識速度を越すスピードで運転していたが二岡が「記者さんの好きな速さで走行して良いと思いますよ。あの暗号の通りだとしたら菱川さんはデパートに長居してるはずですから」と提言してくれたので優香は日頃から出している速度まで減速した。
安全運転を心がけながら軽自動車を走らせているとバックミラーに二岡が腕を組みながら、いかにもなにか考えているかのような表情が映っているのが視界に入った。
話しかけるべきかどうか迷ったが思索を巡らせているときに声をかけられると気が散ってしまうだろうと優香は思い、ここは黙っておくことにした。
道中、水道工事をしている路地に入ってしまい、泣く泣く引き返すというトラブルに見舞われたせいもあって、想像より時間がかかってしまった。
大通りの右手に見える外壁が灰白色で、洗練された印象がある巨大建造物。八階立てで横長に出来ているその建物こそ二人の目的地、亀山デパートであった。出入り口の自動ドア付近には帰客をターゲットとしたタクシーがたくさん駐車していた。それも赤、黄、黒、と様々なカラーの車体が停めてあり、なんだかタクシーのオールスター状態な感じに見える。
優香はステアリングをきりながらデパートの敷地内へと車を入れた。平日とはいえさすがに大型デパートとなるとかなりの人が来訪しているみたいで膨大な広さを誇る駐車場も六、七割が埋まっていた。無論、優香は空いているエリアに愛車を停めた。
さて、どうするか。菱川がここに居るのはまず間違いないだろうが、先ほどの二岡の発言通り、ここまで規模の大きい施設から人一人を見つけ出すとなると骨が折れる。優香は後ろに振り返ると質問を投げかけた。
「なにか良い考えでも浮かびましたか?」
二岡の格好は静止画のように変わらず、腕組みしたままだ。優香は彼がなにを考えているかは察しがついていた。人物画一枚でデパート内にいる、その画の人間を簡易に探し出す方法だろう。二岡はポーズを崩し、両手を座席につかせると、自信のなさそうな顔をしながら小声で告げてきた。
「まぁ……浮かんだと言えば浮かんだんですけど」
あんまり良案ではなさそうだった。しかし、なにも策が思いつかないよりはマシであろうと優香は二岡に励ましの言葉を送った。それに感化されたかは不明だが、二岡の表情が少し緩んだように見えた。もしかしたらわたしの自意識過剰かもしれないが。
「取り合えず、店内に入りましょう」
「そうですね」
優香は簡潔に返答すると二岡とほぼ同じタイミングで車から這い出した。太陽が漸次、上昇してきてるので当然、図書館にいたときよりも暑くなってきてるがこれくらいのほうが優香的には適温に思えた。天気予報の通り、カーディガンを着ているわたしがちょうど良い気温に感じられるのだから今日は夏にしてはめずらしい爽涼な日なんだろう。風もまったく吹いていなかった。
道なりに沿って、何度か曲がりながら進んでいき、建物の入り口を潜ると蝉騒な音が二人を出迎えた。床にはゴージャスな雰囲気のある青紫色のカーペットが敷かれている。一階フロアは食品コーナーのため、食欲をそそられる良い匂いが優香の鼻腔をくすぐった。そういえばそろそろお昼どきだな……。と考えながら辺り付近を見回した。少し夕食を豪華にしようと思っているのか惣菜コーナーに主婦と思わしき年齢の方々が行列を作っていた。それ以外のお店もそこそこ繁盛しているのか結構な人が群がっていた。
二岡に視線をやり疑問を問いかける。
「それでどうやって見つけるんですか?」
「まぁ、そんな期待しないでくださいね。それほどすごいものでもないんで」
二岡が謙遜しながら前進し始めた。優香もそれに歩を合わせた。どこへ向かっているのだろうかと熟考したがしばらくしてその思考を停止させた。黙考をしながら歩いていたため、前方からやってくるお客や店員さんにぶつかりそうになったからだ。
やがてたどり着いた場所はお困りセンターと看板が掲げてあるカウンター席だった。こんなところでなにをするのだろうか。二岡がこちらに横目をやりながら告げる。
「今からあそこにいる店員さんに喋りかけます」
「はぁ」
「もしかしたら、これから僕が変なことを申し上げるかもしれませんが記者さんは上手い具合にその話に合わせてもらえませんか?」
またよくわからないことを言い出したなぁと思いながらも、優香は黙ってうなずいた。理由を尋ねたら説明が長くなりそうだと、直感でそう感じたからだった。
「あの、すみません」
二岡は、宣言した通り若い男性店員に慇懃な口調で声をかけた。「はい?」と顔を上げながら店員は小首をかしげる。
仰々しいまでに困惑したような目を店員に向けながら二岡は告げた。
「実はですね、連れのおじいちゃんが迷子になってしまいまして。出来れば放送かなにかで僕たちがここにいることを知らせたいんですよ」
「あー、そうですね……では、少々お待ちいただけますか」
そう言って店員はおもむろに立ち上がり奥にある戸口へと向かって行った。なるほど。大体、二岡の目論見が読めた。似顔絵を見るかぎり年齢は年配の方だとわかるからおじいちゃんで間違いはない。人名も菱川四郎とフルネーム(これも偽名だろうが)まで発覚している。これでアナウンスをかければ呼ばれているのが自分だと菱川も認識出来ると二岡は踏んだのだろう。
しかし、呼び出しをされたからといって必ずしもここに訪れるとはかぎらないのではないだろうか。しばらくして若い店員が帰ってきた。
「あの、おじいさんと、一応、あなたのお名前をお教え願いますか。あと、本日はどこからお越しになったんでしょうか」
二岡はなぜか一瞬、ニヤリとした笑みを浮かべたが、すぐに真顔に戻り答えた。
「二岡渡と言います。祖父の名前は菱川五十六です」
祖父。そういう設定にするのか。そうなるとこの店員から見てわたしたち二人はどう映っているのだろう。さしずめ姉弟とかだろうか。そして
「わかりました。今、放送してくれるよう連絡していきますのでもう少しお待ちを……」
そんなことを想像している内にまた店員がその場から去って行く。特に二岡と会話もしないまま、立ち尽くしていると、おそらく全館内に届いているであろう『ピンポンパンポン』という軽快な音楽が流れはじめ、女性の声音が響き渡った。
「赤川区からお越しの菱川五十六さん、お連れ様の方が一階、お困りセンターにお待ちでございます。至急、お困りセンターにまでお越し下さいませ」
そのような内容のアナウンスが二回ほど優香の耳に入ってきた。これで来てくれるかどうか……。後は祈るだけだった。
しかしその願いは、多分、神様に祈念していたのだと思うがーーに聞き入れてもらえず、老人が来ることはなかった。今日の客寄りは三十代から四十代の人々でありふれているのでちょっとでもこの近辺に年配の方が居れば目立ってすぐに発見出来るはずだ。オマケにこっちは似顔絵があるのだからその絵図を念頭に置いて目を凝らしていれば見つけられそうなものだが、それでも見当たらなかった。
二岡が店員にもう一度流してくれるよう頼み、先ほどと同様の声、内容が再び館内に響き渡ったが、いくら待っても、やはりそれらしい人物が来訪することはなかった。
二岡の表情に翳がさしたのを優香はじっと眺めてるしか出来なかった。なぜ、菱川はここに現われないのだろうか。考えられるのはお連れ様の方と言われても自分は一人で来ているから、別人のことを指しているのだろうなと、見なしてしまっているとか……?
しかし、熟考してみれば苗字の菱川はともかく名前のは随分な珍名なのだから人間の心理上、ちょっと気になってここに訪れてもおかしくはないと思う……。
が、先の通り、今日は老人がいれば目立つ客層になってる。でも、それに該当する人はこの周辺には現れなかった。
二岡とわたしは仕方なく、この作戦を諦めることにしてカウンター席を後にした。店員が何度も「お力になれず、すみません」と謝罪してたのが印象深かった。