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図書館

 先に結果だけ発表しておくとホームレスの巣窟を一周したが案の定、水野のダンボールハウスは見つからなかった。そしてそのことがわかった瞬間、二岡が提案していた図書館に行くことになった。と言うわけで只今(ただいま)、優香は二岡を伴って駐車場へと続いている遊歩道を歩行していた。


 昨日、優香が森林地帯に向かう道中だったときとは違って今は向かい風が吹いていた。しかし、まだ午前中だというのに生暖かさを含んでいる強風なのでまったく涼気を感じられず、むしろ、身体を熱くさせてしまっているというやっかいな風だった。


 優香は髪を強く抑えながら言った。


「せっかく今日は涼しい気温だっていうのにこれじゃ台無しですね」


「まったくです。太陽がまだ完全に出てないときなんだから北風は頑張らなくてもいいのに」


 優香は不可思議に感じながら尋ねた。


「北風って基本的に冬に吹くものではありませんでしたっけ?」


 二岡は苦笑に似た笑みを浮かべながら告げた。


「言葉の(あや)ですよ。おっしゃる通り夏で熱風ですから北風じゃなくて南風でしょうけど。なんとなくそういう例え話がしたくなったんです。まったくうまくありませんけど」


 確かにそうですね。うっかり、そう言ってしまいそうになり、グッと唇を閉ざした。いけない。つい、思ったことを口にしてしまいそうになるところだった。


 優香がそんな風に心臓をバクバクさせているといつのまにか遊歩道を歩ききっていて、駐車場にまで足を踏み入れていた。


 優香はあわてて目をキョロキョロさせて自家用車を見つけるとするどく指をさした。


「あの白いのがわたしの車です」


 優香は小走りで軽自動車に近づくと後部座席のドアの鍵を解錠して扉を開けた。


「どうぞ。長く使ってるものなのであんまり座り心地は良くないかもしれませんけど」


 二岡は少し頭を下げて車中に乗り込み、座席に背を預けると、こう言った。


「いえ、全然そんな風には感じませんよ」


「本当ですか?」


「はい、少なくとも自宅のダンボハウスの座り心地よりかは格段に優れてますよ」


 判断基準が普通のダンボールだったらそりゃそういう結論に達するでしょう。優香は心中、そうつぶやいた。


 自分も運転席に乗車すると真っ先にカーディガンを脱いだ。二岡は腕時計の日焼けの跡が残っていることは知っているので別に隠す必要がないからだ。そして次にエンジンキーを差し込み力強く回旋(かいせん)させた。が、車はなんの反応も示さず、静寂だけが車内を包んだ。繰り返し、鍵を回してみるがやはりうんともすんとも言わない。


 さて、今度は動くまで何分要することになるやら。そう落胆の声を上げたくなる。中々発進しないことに見かねたのか二岡が心配そうな声音で言った。


「大丈夫ですか、車の調子が良くないみたいですけど」


「ええ、まことに恥ずかしいことなんですが、ここ最近はずっとこんな感じな物でして……」


「大変ですね。記者さんも」


「いえいえ、こちらこそすみません。時間をかけさせてしまって」


 会話をしながらもキーを旋回させるが一向にエンジンがかかる気配がない。基本的にこの車は優香に所有権が渡ってから優香一人が乗って使用することが常だった。仲の良い友人と遊ぶときはたいがい電車やバスを利用しているし、フリーライターなんて大体単独行動で仕事することがほとんどだ。


 それゆえに油断していた、と言えば言いわけに聞こえるかもしれないがエンジンの調子が悪くなっていてもあまり気にならなかった。どうせ誰かを乗せてドライブする機会なんてないだろうし、わたし一人が我慢して鍵をずっと回転させ続けていればその内かかる。だからとくに問題はない。そう思っていた。


 甘かった。まさかこんな形で誰かをーーましてや男性を乗せることになるとは考えもしなかった。


 そんな、自分の不甲斐なさを反省しているとようやくエンジン音が優香の耳に届いた。チラッとバックミラーを見てみるといつのまにか二岡はちゃっかりとシートベルトをしていた。無論、わたしもすでに肩から腰にかけてキッチリと締めている。


 とりあえず、駐車場を出て車道を左に曲がって……。と、脳内でシミュレーションをしながら車を発進させた。頭の中で思い描いた通りに運転していると、少しして、大通りの信号に引っかかった。フロントガラスの前には横断歩道を往来する老若男女の人達であふれかえっていた。


「あの、ちょっといいですか」


 いきなり二岡が沈黙を破ってきたので思わず少し驚嘆してしまい、心臓の脈が速くなったのを胸で感じた。そのことを悟られないように意識しながら声を出した。


「はい?何でしょうか」


「僕に気を使ってカーエアコンをつけていないのであるならば、それは大丈夫ですよ。だんだん、のどの調子も良くなってきましたし」


 二岡の言葉通り、もう彼の口からは先ほどまでのガラガラ声は出なくなっていた。最初、涼風を呼び込もうとサイドガラスを開けるかどうかで迷ったのだが、熟考してみるとさっきまで熱気がこもった風が吹いていたことを思い出したので窓を閉じたままにしていたのだ。


 そして代わりにクーラーをつけようとも一瞬考えたが二岡は風邪をこじらせているため、冷気を放出させてはいけないと思い、電源をOFFにしていたのだ。が、車内が少し暑くなってきてるなぁ、と感じてきたところだったので今の二岡の発言は正直、ありがたかった。ここは彼の言葉に甘えさせてもらおう。


「わかりました。わざわざ伝えていただいて感謝します」


 優香はそう言いながら電源をONにした。


 それからまたしばらくしてのこと。またしても信号に足止めくらっていたときである。


「すみません、今、話しかけても問題ないですかね?」


 二岡が再び沈黙を破ってきた。さすがに二度目なのでさっきみたいに驚きはしなかったがやはり、何というか静まり返っている状況で急に声をかけられると否応なしに少し身構えてしまう。


「ええ、問題ないですよ。なんです?」


「その……こんなことを申し上げるのは非常に失礼千万だと思うんですけど」


「はあ」


「少し仮眠をとらせていただいても構いませんか?恥ずかしい限りなんですが睡魔が押し寄せてきてしまって」


 バックミラーには二岡のすまなそうな顔が映っていた。一応、中古車といえども空調の機能は働いているので車の中は良い感じの冷房が効いている。二岡が眠くなってしまったのもこれが原因だろう。


 ましてや、ついさっきまで風邪気味だったのだから通常時よりも体力を消耗しやすい状態になっていると考えられる。そうなると身体が休息を渇望しだすのもある意味当然のことであろう。優香はそこまで思考を働かせると後ろを振り返りながら言った。


「大丈夫ですよ。好きなだけ寝ててください。でもまあ、さっきも言いましたけどそこの座り心地は微妙だと思いますけど」


 二岡は目をうつろうつろにしながら面目ないです。と短めの返答をして瞳を閉じ始めた。優香は前を向き直した。信号はちょうど青になっていた。若干、狼狽(ろうばい)気味に車を再走行させた。もう少し反応するのが遅かったら後車にクラクションを鳴らされていたであろう。危なかった。一息つきながら優香はアクセルを踏み続けた。


 そうした感じで、ゆっくり運転で白の軽自動車を走らせて、図書館までの道のりも半分以上を過ぎたころ。優香は自分が重大なミスをおかしているのに気づいた。運転中にハンドバックから腕時計を出すのは危険な行為だと判断し、急いで車に内蔵されているデジタル時計の電源をつけた。少しでも経費を削ろうと思って、出来るだけこういうシステムの機能はOFFにしていたのだ。こんなケチくさいことを行っていたことを優香は恥じた。


 表示された時刻は九時五十五分になっていた。まずい。わたしは普通の人と比べるとノロノロの速さで車を走行させているんだった。通常の人なら十時になる前に図書館に着けるだろうが、わたしの場合は別だ。もっと、こと細かに時間を確認しておくべきだった。二岡は先ほど十時までに図書館に行けるだろうと発言している。おまけに彼は序盤の内に夢に入ってしまっている。つまり、二岡はわたしがこのような運転のしかたをしているとはーーそれこそ夢にも思っていないだろう。


 仕方ない。不本意だがこの道路の規定制限速度を超えさせてもらうしかない。優香は未だかつて出したことのないスピードで愛車を加速させた。しかし、ときすでに遅し。図書館に到着して駐車場に自家用車を入れたときには十時を回っていた。


 カーディガンを着て後ろを振り向くと、二岡はよほど疲れがたまっていたのか、まだ船を濃いでいた。優香が声をかけようとする前に視線を感じたのか二岡はやおら目を開いた。


「あ、おはようございます。もう、到着しましたか?」


「ええ、まあ、着くには着いたんですけど……」


 目で自身のリストウォッチを見るように促すと二岡は自分の腕に目を落とした。すぐさま、彼は眉根をひそめ、こちらに時計を見せつけてきた。


「……僕の腕時計もずれてるんですかね。十時を過ぎた時刻を示してるんですけど」


「ご安心ください。寸分の狂いもありません」


 二岡が一瞬目を横にやって、再び黒目を焦点に合わせたあと言った。


「……どういうことなんでしょうか。道が予想以上に混んでたんですか?」


「いえ、実はですね……」


 そう言って優香は先ほどの自分の失態を要約して話した。説明を聞き終えた二岡は早々に口を開けた。


「何となく、走行速度が遅い気がするなぁとは思ってました……」


 そうつぶやくと彼は扉を開けて車外に降り立った。優香もエンジンキーを抜き、次いで降車すると二岡に告げた。


「本当にごめんなさい。どうしましょう?もう図書館は開いちゃってるし……」


「うーん、まぁ取り合えず中に入ってみましょうよ」


 二岡は優しい口調でそう言うと、付近に立てられている案内地図を凝視し始めた。そして、須臾(しゅゆ)ほどたつと入り口へと続く道に進んでいった。優香も申しわけない気持ちを(いだ)きながら後を追う。


 グレーの階段に横づけされてあるスロープを登ると三階建てのコンクリート製の建物が二人の目の前に写り込んできた。その近くには良好な景観目的として置かれている花壇の他に二、三席の木製ベンチが設置されてあったが誰も座っていなかった。


 入り口は自動ドアになっているので手をわずらわせることなく館内に入れた。当たり前だが図書館の中はクーラーがかかっている。本来なら外気温との温度差で多少なりとも涼しいと思うところなのだろうけど、さっきまで冷房のついていた車に乗っていたのでそこまでの冷感を感じることはなかった。


 静謐(せいひつ)な雰囲気が漂う図書館独特の空気が優香は好きだった。ここに来ると何だか落ち着くのだ。だが二岡はそんな感覚には囚われないらしく、せわしなく両目を動かしていた。どうやら館内を見回しているようだ。まだ開館したばかりなのでそれほどの人は居なかった。外人作家の小説が陳列されいる棚の向かい側に横長のプラスチックテーブルを中心にそれを囲むように複数のパイプ椅子が点在してあり何人かの客がそこに座っていた。


 足を踏み入れてから本棚がある場所に赴くわけでもなく、蔵書検索システムが搭載されている端末機に移動するでもなく、その場で立ち尽くしてしまっているのでカウンター席に腰をかけている若い女性従業員に奇異な眼差しを二人は受けてしまっている。


 二岡はそれを気にする様子もなかった。優香は言った。


「あの、どうしましょう。もしかしたら火野さん、もう帰っちゃってるかもしれませんよ」


 だが二岡はなにも答えず黙って歩を進めていった。無視された?と思いながら追いかけると彼はテーブルのある場所で足を止めた。椅子に居座ってる客を一通り眺めると狙いすましたかのようにハードカバー本を読んでいる老人に耳打ちをしだした。


「ちょっと……。こんなところでかよ」


 老人はそう毒づくと二岡に耳打ちを返してきた。おそらく、お互いに合言葉を言い合ったのであろう。そうでなければひそひそ話をするかのように小声でしゃべるわけがないからだ。しかし何故彼は一発でこの人が


「火野さんですよね?」


「ああ、何で俺の名前を?」


 その質問には答えず、二岡は言った。


「良かったー、まだ図書館に残っててくれて。実は少し火野さんとお話したいことがありまして、ちょっとここでは何ですので……」


 二岡は図書館の隅の方に手をやりながら火野の顔に目をやった。白いソフト帽を被っているため頭皮は見えないが少しばかり帽子から露出している髪の色もこれまた白。これで服装まで白一色だったら面白いのになと一瞬、子供じみたことを思ったりもしたが残念ながら火野はそんな傾奇者(かぶきもの)みたいな、格好はしておらず紺のズボンに緑のTシャツという出で立ちだった。


 火野は分厚めの本をバタンと閉じ、それを持って二岡に先導されていった。チラリとその本を覗き込むと二岡が火野を識別出来た理由がわかった。背表紙に青い字で『蒼い水晶Ⅳ』と印字されていたからだ。


 二岡を先頭に本棚同士の間の道を進んで行き、人の往来が少ない場所で三人は歩くのをピタリとやめた。


「で、用件は何だ?手短かに済ませてくれよ」


 火野は不機嫌そうな顔をしながら尋ねた。読書の時間を邪魔されていらだっている。そんな風に感じられた。


「では単刀直入に聞きます。水野さんという方をご存知ですよね?」


「水野…………?ああ、知ってるよ。若いあいつだろ。黒の短髪に目がやけに細い……」


 火野は目を右ななめ上にやりながら水野の人相について語り出した。多分、過去のことを思い出しているからこその目線であろう。二岡が片手を低くあげながら言った。


「あ、ごめんなさい、僕ら水野さんとは面識がないんですよ」


「そうなのか?まぁそんなことはどうでもいいか、で?確かに俺はあのガキとは知り合いだが……。それがどうかしたのかよ」


 よほど早く本の続きが読みたいのか火野は早口で二岡にまくしたてた。優香はそんなに面白い書物なのだろうかと、たいへん興味がわいたがここで本の内容を問うても火野のうずうずとした様子を見る限りそんな悠長に答えてくれそうもない。仮に返答してくれたとしても、またあとで二岡に何でそんなことを質問したんですかと詰問されるのがオチだろう。


 優香がそこまでの思考に至ると同時に二岡はたんたんと告げた。


「その水野さんが今、現在どちらにいらしゃるか存じ上げませんか?」


 その問いにたいして火野もたんたんと答えた。


「そんなもん知らん」


「そうですか……」


 優香は思わず声に出してつぶいやいてしまった。火野は優香に顔を向けながら言った。


「あのな、知人だからって、居場所まで把握してると思ったら大間違いだぞ。GPS付きの携帯でも持っていたら話は別だが」


「水野さんは携帯を所持されてるんですか?」


「それも知らん……。が、多分持ってないだろ。そんなもんに金を使うぐらいなら……」


「食費に当てる」


 二岡が先回りした形で火野の言葉を遮った。


「ああ、普通そうするだろう」


 火野は首肯(しゅこう)しながら言った。確かにわたしがもし、ホームレスだったら携帯なんて即刻に手放すアイテムであろう。火野がうんざりした様子で話を続けた。


「もういいか。俺は今日の午前中はここで読書している予定なんだ」


「あ、ごめんなさい。それじゃもう帰りますね。お忙しいところ失礼しました。記者さん、行きましょう」


「あ、え……。はい。失礼しました」


 二岡が低く頭を下げたのを見習って優香も軽く礼をした。そして二人同時にその場を立ち去った。結局、火野が読んでいたハードカバー本がどんな内容なのか聞けずじまいだったな……。と優香は内に秘めるわだかまりを必死に消滅させようとかぶりを振りながら図書館をあとにした。




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