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氷川

 優香は後続してくる二岡と談話をしながら道を進んだ。昨日、今日と、二日間、この森林地帯を歩き回ってわかったことが一つある。ここはかなり広い。あんまり公園に遊びに行くという行為はしたことがないので他の公園の森林地域がどうなっているかは、わからないが、それでもこれほどの広大なエリアを誇るのはここくらいではないだろうか。


「どうでしょうね。僕もこの公園以外は行ったことはありませんからわかんないです」


 二岡に質問するとそんな答えが返ってきた。相変わらず、声はかすれ気味になっている。本当に平気何だろうか、彼は。内心、心配していると優香の眼前に聞き覚えのある木札らしきものが見えてきた。遠目からでもわかるほどの大きさだった。岡崎。その名前をどこで耳にしたのかはすぐに理解出来た。先ほどの三好との会話の中で出てきた人物の名だ。自然と優香の足は速くなっていった。


「どうされました?二人の内のどちらかのダンボハウスでも発見出来ましたか?」


 急にスピードを上げたのを不審に思ったのか尋ねてきた。二岡も足早になってついて来てるのが足音でわかる。優香は振り返らないまま「岡崎さんの名前が視認出来たんでちょっと行ってみようかと思いまして」


「なるほど、しかし、岡崎さんは留守のはずですよね」


 そうだ。三好の話が本当ならば岡崎は今、いないとのことだった。それでもーー二岡なら、何か手がかり的なものを見つけられるのではないのだろうか。優香はそう期待していた。昨日から薄々感じていたが、やはりこの人は他のホームレス、いや、他の人とは違う卓抜した推理力?らしきものを持ち合わせていると考えて良いかもしれない。


「あ、到着しました」


 そんなことを意想しているといつのまにか目的地に着いていた。こうして間近で確認してみると今まで見てきたダンボールハウスと比べて格段に大きくて高さもある。部屋の規模で言い合わせるとしたら十畳ぐらいはあると思う。間口も広く、何だか洞窟の入り口のように見えた。床や壁には夜の寒さ対策のためか新聞が貼られていた。形状は、横長の直方体になっていて、表札はその入り口の真横にでかでかと立てかけらえていた。正確にはこれは札ではなく看板と言った方が良いのかもしれない。それほど、岡崎のネームプレートのサイズは長大だった。にもかかわらず掘られている文字はたったの二文字、岡崎。これだけだった。


 曇り空の仕業で辺りが暗中としている。そのせいでダンボールハウス内も暗い。ゆえにこの距離だと中の様子が全くわからない。


「これまた、立派なーー表札?ですね」


 小走りで自分の左横にまで駆けつけた二岡に優香は話をかけた。


「まぁ、そうですね。それよりも、やっぱり岡崎さんはこの場に不在のようですが」


 二岡が吐息混じりに言った。広々とした空間には誰も存在していなかった。ゆくりなく、どこからか虫の鳴き声が聞こえ、あたりは急にうるさくなり始めた。優香は大きめな声で喋った。


「入っちゃいましょうか」


「記者さん、さっきと違ってずいぶんと積極的に僕に闖入(ちんにゅう)させようとしますね」


 そう言われてみればそうだ。先ほどまでは何だか、軽犯罪を犯している感じがして、暗澹たる心地だったが今はその気持ちも薄れつつあった。二岡がどんなものを頼りに相手の行き先を予測するのかがだんだん気になり始めてしまってるからだ。優香は唇を動かした。


「まぁ良いじゃないですか、そのへんのことは。それより、どうされるんですか」


 優香は二岡の横顔を見つめながら質問した。二岡は虚空を見つめながら小声で答えた。


「あんまりーー入りたくないですね」


 その返答に優香はちょっと疑問が湧いた。これまでの二人のところには何のためらいもなく進入していったというのに、今は眉間に深いシワを寄せており、いかにも当惑したような感じを出している。


「じゃあ、わたしが入っちゃいましょうか」


 優香がそう告げると間髪入れずに二岡が口を開けた。


「記者さんがですか?」


 二岡は意外そうな表情を浮かべたまま、どこか遠目を見つめている様子だった。ときおり、咳き込みながらも彼はそのまま、じっとしていたが、やがて「あれ?あそこにあるダンボハウスって……」


 二岡の視線を追ってみると、そこには彼の言う通り一つのダンボールハウスが健在していた。三好のダンボールハウスの形に似た、四角柱を九十度に倒した感じの細長い形をしていた。このことを三好に告げても俺のはダンボールハウスじゃないと苦言を言ってくるのだろうな。優香はそう予測した。


 結構、近くにあるというのに気がつけなかった要因は二人とも岡崎のことで頭が一杯だったせいだろう。ぎりぎりだがこの距離からでも名札が判読出来た。


「氷川さんですか」


 二岡は独白のようなトーンで言った。優香は同意を表明する言葉を告げた。


「わたしの目にもそう見えます。画数が少ない二文字ですから誤読の可能性はありませんね」


 一瞬、これまでの経験上、実は水川さんでした。何てオチが待ちかねているのではないかと危惧したが、間違いなく水の左上に点一つが彫られてあるので氷川で正しいはずだ。優香はそう確信した。


「先にあっちに行きましょうか」


 二岡は早口でそう言い、優香の返答も待たずに氷川のハウスに行ってしまった。

 不可思議に思いながら彼についていこうとした折りも折り優香の眼前に神々しいまでの陽光が襲いかかってきた。雲が移動したせいか太陽がいきなり顔を出してきたのだ。そのおかげで周辺が急に明るくなり始めた。ふと、岡崎ハウスをみて見ると先ほどよりも明細に中の様子が優香の視界に映り込んできた。


「ーーあれって?」


 中に一つ気になる箱が見えた。入らなくても腕に届く範囲内にそれは置いてあった。二岡が自分の後ろを向いているのを確認した後、優香は素早く手に取ってみた。


「これ……」


 優香は内心、驚愕しつつも、二岡にこのことをばれてはならないと思い、すぐにその箱を所定の位置に戻した。そして、ゆっくりと走って二岡の後に従った。


「二岡さん、氷川さんは」


「今日は厄日です……」


 二岡が答えになってない返答をした。が、おおむね意味合いは理解出来た。おそらくまたしても……。


「いないんですね……氷川さん」


 二岡の真横にまでたどり着くと優香は暗然とした気分でつぶやいた。二岡の言う通り今日は厄日かもしれない。探す人、探す人、不在なのではそう思っても仕方がないではないか。


「週刊オーガストに占いの記事があるじゃないですか」


 二岡も暗然とした口調でつぶやいた。彼の言う通り週刊オーガストには最後の方のページに小さく血液型占いが載っている。恋愛運、金運、仕事運の他に今週起きる出来事を一言で言い表す予言の項目が存在している。だがそれがどうかしたのだろうか。


「さっき記者さんが届けてくれた、オーガストに書いてあったんですよ。一言コーナーのところに尋ね人見つからずって」


 ーーホームレスの記事のところだけを黙読していてわけじゃなかったのか。そしてその予言が見事に的中していると彼は言いたいのだろう。里子がこのことを聞いたら喜ぶだろうか。自分が編集長を務めている週刊誌の占いコーナーの予言内容が当たったのだから……いや、あの人の性格を考えると、それこそ一言「へえ、そう」で済ませそうな気がする。


「それはーーごめんなさい」


「何で記者さんが謝るんですか。あなたが占ったわけでもないですし」


「でも、わたしが持ってきた雑誌ですし。それに持参しようと提案しだしたのもわたしで……」


 二岡はくっきりとした目を細めながら優香の言葉を(さえぎ)った。


「記者さんがオーガストを持ってこようとこまいと、結果は変わらないですよ。不在だらけのハウスが続いて今のように落胆していたと思いますし。持ってこようとされたのも僕の楽しみにしてますって発言を聞いての発案なんですから何も悪くありません」


「ーーそうですか、変にネガティブになってしまい、すい……」


「ですから、もう謝るのはよしてくださいよ。記者さん、謝罪癖でもあるんですか?


「そんな変な癖はありません……と思います。それより、氷川さんのハウスには……」


 二岡が間髪入れずに告げた。


「入りたいと思ってます。ここまで結構、必死に探してきたんですから待つよりも中を探れば今までと同じく足取りのヒントが見つかるかもしれませんしね」


 ではどうしてさっきの岡崎のダンボールハウスには進入しなかったのだろうか。すさまじいほどに興味が湧いたがーーなぜだろうか。そのことに関して尋問しても彼は決して回答しないような気がした。そんな何の根拠もないーーほとんど勘みたいな考えが優香の中で駆け巡っていた。


「うーん、特にこれといったものが見当たらない。ああ……」


 いつのまにか二岡がダンボールハウスの中に入っていたようで彼の嘆息めいた声が聞こえた。そして、どうやら今回は何も目ぼしいものを見つけらないようだった。


「あのーー本当に何もないんですか」


 優香は立ち入りたい気持ちを抑えながら背中を向けている二岡に尋ねた。細長のダンボールハウスなので大人二人が自由に行き来出来るほどの横幅を誇っていないのである。優香が足を踏み入れれば確実にせま苦しい空間が出来上がるだろう。


「ないですね。記者さんも入ってみます?さっき岡崎さんのダンボハウスに入ろうとしましたからそんなにホームレスの寝床には抵抗はないみたいですし」


 そう言うと二岡は入り口付近にまで戻り靴を履いて外に出た。入れ違い様に優香は靴を脱ぎ、中に進入した。入った途端なるほど、二岡の言う通りだなと感じた。


 風で飛ばされてここに紛れ混んできたと考えられる多種多様の葉っぱ以外に見事に何にもないのである。優香は昨日のホームレスたちとの、取材をしていたときのことを思い出していた。何人かは気前良く寝床にまで入れてくれていたのでここの人たちの家中(?)がどういったものなのかはだいたいわかっている。


 ホームレスらしい、と言っては失礼千万だが彼らの寝床は基本的に質素だ。だが、それでも、ものの一つもないと言うほどひどいと言うわけでもない。先ほどの平林のところのように、暇つぶし目的でその辺から持ってきたと思われる古雑誌なんかが何冊か置いてあったりしたし、室内灯替わりのつもりでダンボールの天井部分にガムテープで懐中電灯が貼ってあるところもあった。中にはインテリアのつもりなのか、とこもあった。


 しかし、このダンボールハウスにはそういったものがまるで健在していない。もぬけの空という言葉がピッタリ当てはまりそうな感じだ。これでは二岡と言えども行き先を予想するのは不可能であろう。そう痛感した。


「ダメですね、これじゃあ、お手上げ状態になるのもしょうがないです」


 ハウスから出て、開口一番二岡に声をかけると彼は「ですよね」と口答した。片手で肩をすくめながら優香は言った。


「どうしましょう?ここはパスにして最後の一人、火野さんを探しますか?」


「ーー残念ですけどそうするしかないみたいですね。帰ってくる様子もないですからここで待っていても時間の無駄でしょうし」


 二岡は目力を込めて、遺憾そうにつぶやいた。本当に心の底から悔しがっているような険しい表情だった。そんなに無念なんだろうか。まぁ、これまで順調だったのにここにきて手がかりなしは確かに悔しいけれどもーー優香がそう意想していると二岡が首を振りながら言った。


「それじゃあ次へ向かいますか。ええと、こっちから来たんだから……あっちの方にはまだ行ってないですよね。それじゃあ僕、先に行ってますね」


 優香は自分の元から足早に離れていく二岡を一瞥(いちべつ)した。結局、岡崎のダンボールハウスには入らないままこの場を去るつもりらしい。平林、菱川、氷川のハウスには何の躊躇もなく進入したのに岡崎のハウスはスルーする。うーん、なんなんだろうか。この差は。さっぱり理解出来ない。


 あえて、わかっていることを挙げるとするなら、二岡と岡崎はなんらかの繋がりがあるということくらいだろうか。もっともその『なんらか』の部分に関して、全く検討もつかないのでほとんどわからないのと同じなわけだがーーと、折りも折、優香の耳をつんざくほどのボリュームでどこかのカラスが鳴き始めた。再び、二岡の方に目を向けてみると彼の背面がずいぶんと遠くに見えた。取るものも取りあえず、優香は二岡 の後を追った。



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